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17.一念通天
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17.一念通天──神崎望の場合
「ぽえ~~」
「おい主役が呆けているんじゃねぇよ」
「あいたっ」
ぽえぽえしていたら、後ろから軽くパンフレットで小突かれる。
「暴力反対ー!」
「たまたま当たっただけですー」
くそ、餓鬼の言い分か。
遠山センセーは二人だけの時には、教師の面が少し剥がれる。
「シャキッとしろよ、最優秀賞。お前が主役なんだから愛想を振り撒け、顔を売れ」
「ぐぅぅ」
授与式が終わり、大きな美術館のフロアには、今年の受賞作が並べられる。
一般公開もされるためか、学校関係者だけでなく色んな人が見に来ていた。
遠山は普段よりも一段高いスーツを着こなしていたせいか、美貌が冴え渡っている。
授賞式に来た女子学生がきゃっきゃと噂し、女性の先生はちらちらと視線を送っている。
くそ、辛口に見ても滅茶苦茶格好いい。美形め爆発しろ。
……いや爆発すると優が悲しむから、ちょっとタンスの角に小指をぶつけるとか悲しみを背負ってほしい。
コンクールで夏前から死ぬほど頑張ってきた絵が表彰された。
それこそ、毎日毎日血反吐を吐くほど描いた絵だった。
模写とデッサンと油絵と。
油絵の具を重ねては光が表現できていないと削り、昨日綺麗に色がのせれたと満足気に眠れば翌朝にはこんな濁った色がと嘆き。
ただひたすらに絵を描いていた。
寝食を忘れ、部屋で倒れていた所を寮監に発見され、顧問だからと遠山に見張られながら飯を食べた……なんて事もあった。
その甲斐あってか、最後に筆を置いた時には喪失感で一杯になった。
学校からコンクールに提出された絵は地区大会を勝ち抜き全国で競い、有難い事に最優秀賞を得ることができた。
良かった。
本当に、良かった。
これで伝えることが出来る。
やっと、俺の目的が果たされそうだ。
「何度見ても、良い絵だな」
「だろう?」
遠山と二人、絵画の前に立つ。
遠山が完成したこの絵を見たとき、膝から崩れ落ちて放心した。
ただ小さく唇を震わせ、小さく小さく彼の名前を呼んだ。
胸に手を当てて、静かに涙を流しはじめた遠山の姿を見て、俺は心底安心したんだ。
例え、目的だった入賞が果たせなかったとしても。
例え、届けたい誰かに気づかれなかったとしても。
遠山のこの姿を見れただけで、俺が描きたいと思っていたものが描けていたのだと思えたのだから。
俺が描いたのは、追悼の絵。
16年前に死んでしまった、彼を悼む絵。
亡くなる前は暗闇に沈み、墓標に佇む女神像を描いた彼。
暗闇は山中優がたくさん描いた。だから俺は、彼の描かなかった光を描く。
大きなキャンバスに描いたのは、絵を楽しそうに描く少年の姿だった。
美術室はセピア色……どこか懐かしい感じで、真ん中に描かれる少年は絵を描くのがとても楽しいのか、その口元は微かに微笑んでいる。
窓から入ってきた幾筋の光が少年と絵に降り注ぎ、まるで祝福しているかの様だった。
絵のなかに描かれた少年の筆は、女神の頬に薔薇色をのせている。
譲り受けた優の絵を参考に、すべての印象を反転させた。
静寂が眠る墓標に佇む女神像は、死者への慟哭ではなく生者への慈しみを。
嘆きを祝福に。絶望を希望に。
首と手を失い、黒い血を流していた女神は、その顏に慈愛の表情を浮かべていた。
勝利の女神として描いた女神は、両手を差し出し世界を祝福しているかの様だった。
優の描いた影を残しつつ、暗闇があるからこそ引き立つ光の絵画。
俺は、絵を描く事が好きで好きで堪らないといった、そんな少年を描いていた。
優。
俺は、お前がずっと可愛そうな死者だなんて印象で終わらせたくない。
俺は、お前が本当に優しくて、絵が好きで、誰も恨まなかった事を知っている。
出来るならば、光の中で笑っていて欲しいだなんて、俺のエゴかな。
死者は何も語らない。
……だから、その沈黙を肯定だと取らせて貰うな。
受賞スピーチで、受賞の感想とモチーフについて聞かれたとき、俺は一つ息を飲んで言葉を紡いだ。
『僕の絵が選ばれるなんて栄誉を頂き、本当に感謝しています。このモチーフは、僕のとても大切な友人の姿です。とても絵が好きだった人なので、絵の中であったとしても、嬉しそうな姿を表現したいと思い、描きました。多くの方に見てもらえたら嬉しいです』
友人……といって良いかはわからないけれど、大切な人であることは間違いない。
俺の受賞スピーチは新聞の地域欄に、フルカラーで絵のタイトルと一緒に載せられた。
……昔、本当に本当に昔の事だけれど、あの人は仕事に行く前に新聞の隅々まで読んでいた。
今でもその習慣が残っているのなら……なんて運に任せすぎているけれど。
でも、きっと、彼らなら……この絵をひと目見ただけでわかる。
美術顧問として引率してくれていた遠山が、他の学校の先生に捕まって広間の一角で話をしている間、俺は他の受賞者の絵を見ていた。
いやぁ、センス凄い。これ化け物だろ……高校生の画力じゃないって。
最優秀賞取れたのってギリギリだったかなぁと冷や汗をかく。
そんな時だった。俺の描いた絵の前で人だかりが出来ていた。
どうやら、絵の前で泣き出してしまった老夫婦がいたらしい。
その人垣の隙間から、老夫婦がちらりと見えた。
──あぁ、良かった。俺の絵は彼らに届いていた。
遠山が心配そうに駆け寄ってくる。
わかっている。遠山にも俺の目的は伝えていた。だから、彼も対峙しなくてはならない人たちに緊張しているのだろう。
「……あの、すみません。僕の絵がどうかしましたか?」
「……ごめんなさい。あぁ、本当に本当に懐かしくて……」
白髪が増えた髪、あんなにも逞しく厚い身体をしていたのに、年のせいなのか少し細くなっていた。
あぁ、遠い記憶の断片にいた人たち。
「本当に、あの子を、見ているようで……本当に、私たち、あの子のこんなに幸せそうな姿をずっと忘れていて……。新聞を見て、今日ここで公開されていると……あぁ、本当に……来て良かった……あの子だ。微笑んでいるあの子が……」
ぐっと胸の奥から熱いものが噴き出してくる。大丈夫だ。大丈夫。俺は、ちゃんと語ることが出来る。
「僕の通っている学校の、先輩だったそうです。とても上手なスケッチが何冊も残っていて。こんなに絵が上手い方だったのに亡くなられたと知って、堪らなくなって。それで、絵を描いてしまいました。彼の……存在を、証明したくて」
家を売って、どこに引っ越したのかわからなかった優の両親。
きっと、彼の両親なら、新聞の中に書かれていたその言葉に、絵に、彼を見いだして、絵を見に来てくれるかもしれないと一縷の望みをかけた。
俺がどうしても入賞したかった理由。
俺がどうしても彼らに届けたかった理由。
俺の描いた油絵のタイトルは──
『山中優の存在証明』
【一念通天】
読み方:いちねんつうてん
一念 天に通ず
物事に専心すれば、その真心が天に通じて、いかなることでも成し遂げることができる。〔本朝俚諺(1715)〕
(精選版 日本国語大辞典より)
「ぽえ~~」
「おい主役が呆けているんじゃねぇよ」
「あいたっ」
ぽえぽえしていたら、後ろから軽くパンフレットで小突かれる。
「暴力反対ー!」
「たまたま当たっただけですー」
くそ、餓鬼の言い分か。
遠山センセーは二人だけの時には、教師の面が少し剥がれる。
「シャキッとしろよ、最優秀賞。お前が主役なんだから愛想を振り撒け、顔を売れ」
「ぐぅぅ」
授与式が終わり、大きな美術館のフロアには、今年の受賞作が並べられる。
一般公開もされるためか、学校関係者だけでなく色んな人が見に来ていた。
遠山は普段よりも一段高いスーツを着こなしていたせいか、美貌が冴え渡っている。
授賞式に来た女子学生がきゃっきゃと噂し、女性の先生はちらちらと視線を送っている。
くそ、辛口に見ても滅茶苦茶格好いい。美形め爆発しろ。
……いや爆発すると優が悲しむから、ちょっとタンスの角に小指をぶつけるとか悲しみを背負ってほしい。
コンクールで夏前から死ぬほど頑張ってきた絵が表彰された。
それこそ、毎日毎日血反吐を吐くほど描いた絵だった。
模写とデッサンと油絵と。
油絵の具を重ねては光が表現できていないと削り、昨日綺麗に色がのせれたと満足気に眠れば翌朝にはこんな濁った色がと嘆き。
ただひたすらに絵を描いていた。
寝食を忘れ、部屋で倒れていた所を寮監に発見され、顧問だからと遠山に見張られながら飯を食べた……なんて事もあった。
その甲斐あってか、最後に筆を置いた時には喪失感で一杯になった。
学校からコンクールに提出された絵は地区大会を勝ち抜き全国で競い、有難い事に最優秀賞を得ることができた。
良かった。
本当に、良かった。
これで伝えることが出来る。
やっと、俺の目的が果たされそうだ。
「何度見ても、良い絵だな」
「だろう?」
遠山と二人、絵画の前に立つ。
遠山が完成したこの絵を見たとき、膝から崩れ落ちて放心した。
ただ小さく唇を震わせ、小さく小さく彼の名前を呼んだ。
胸に手を当てて、静かに涙を流しはじめた遠山の姿を見て、俺は心底安心したんだ。
例え、目的だった入賞が果たせなかったとしても。
例え、届けたい誰かに気づかれなかったとしても。
遠山のこの姿を見れただけで、俺が描きたいと思っていたものが描けていたのだと思えたのだから。
俺が描いたのは、追悼の絵。
16年前に死んでしまった、彼を悼む絵。
亡くなる前は暗闇に沈み、墓標に佇む女神像を描いた彼。
暗闇は山中優がたくさん描いた。だから俺は、彼の描かなかった光を描く。
大きなキャンバスに描いたのは、絵を楽しそうに描く少年の姿だった。
美術室はセピア色……どこか懐かしい感じで、真ん中に描かれる少年は絵を描くのがとても楽しいのか、その口元は微かに微笑んでいる。
窓から入ってきた幾筋の光が少年と絵に降り注ぎ、まるで祝福しているかの様だった。
絵のなかに描かれた少年の筆は、女神の頬に薔薇色をのせている。
譲り受けた優の絵を参考に、すべての印象を反転させた。
静寂が眠る墓標に佇む女神像は、死者への慟哭ではなく生者への慈しみを。
嘆きを祝福に。絶望を希望に。
首と手を失い、黒い血を流していた女神は、その顏に慈愛の表情を浮かべていた。
勝利の女神として描いた女神は、両手を差し出し世界を祝福しているかの様だった。
優の描いた影を残しつつ、暗闇があるからこそ引き立つ光の絵画。
俺は、絵を描く事が好きで好きで堪らないといった、そんな少年を描いていた。
優。
俺は、お前がずっと可愛そうな死者だなんて印象で終わらせたくない。
俺は、お前が本当に優しくて、絵が好きで、誰も恨まなかった事を知っている。
出来るならば、光の中で笑っていて欲しいだなんて、俺のエゴかな。
死者は何も語らない。
……だから、その沈黙を肯定だと取らせて貰うな。
受賞スピーチで、受賞の感想とモチーフについて聞かれたとき、俺は一つ息を飲んで言葉を紡いだ。
『僕の絵が選ばれるなんて栄誉を頂き、本当に感謝しています。このモチーフは、僕のとても大切な友人の姿です。とても絵が好きだった人なので、絵の中であったとしても、嬉しそうな姿を表現したいと思い、描きました。多くの方に見てもらえたら嬉しいです』
友人……といって良いかはわからないけれど、大切な人であることは間違いない。
俺の受賞スピーチは新聞の地域欄に、フルカラーで絵のタイトルと一緒に載せられた。
……昔、本当に本当に昔の事だけれど、あの人は仕事に行く前に新聞の隅々まで読んでいた。
今でもその習慣が残っているのなら……なんて運に任せすぎているけれど。
でも、きっと、彼らなら……この絵をひと目見ただけでわかる。
美術顧問として引率してくれていた遠山が、他の学校の先生に捕まって広間の一角で話をしている間、俺は他の受賞者の絵を見ていた。
いやぁ、センス凄い。これ化け物だろ……高校生の画力じゃないって。
最優秀賞取れたのってギリギリだったかなぁと冷や汗をかく。
そんな時だった。俺の描いた絵の前で人だかりが出来ていた。
どうやら、絵の前で泣き出してしまった老夫婦がいたらしい。
その人垣の隙間から、老夫婦がちらりと見えた。
──あぁ、良かった。俺の絵は彼らに届いていた。
遠山が心配そうに駆け寄ってくる。
わかっている。遠山にも俺の目的は伝えていた。だから、彼も対峙しなくてはならない人たちに緊張しているのだろう。
「……あの、すみません。僕の絵がどうかしましたか?」
「……ごめんなさい。あぁ、本当に本当に懐かしくて……」
白髪が増えた髪、あんなにも逞しく厚い身体をしていたのに、年のせいなのか少し細くなっていた。
あぁ、遠い記憶の断片にいた人たち。
「本当に、あの子を、見ているようで……本当に、私たち、あの子のこんなに幸せそうな姿をずっと忘れていて……。新聞を見て、今日ここで公開されていると……あぁ、本当に……来て良かった……あの子だ。微笑んでいるあの子が……」
ぐっと胸の奥から熱いものが噴き出してくる。大丈夫だ。大丈夫。俺は、ちゃんと語ることが出来る。
「僕の通っている学校の、先輩だったそうです。とても上手なスケッチが何冊も残っていて。こんなに絵が上手い方だったのに亡くなられたと知って、堪らなくなって。それで、絵を描いてしまいました。彼の……存在を、証明したくて」
家を売って、どこに引っ越したのかわからなかった優の両親。
きっと、彼の両親なら、新聞の中に書かれていたその言葉に、絵に、彼を見いだして、絵を見に来てくれるかもしれないと一縷の望みをかけた。
俺がどうしても入賞したかった理由。
俺がどうしても彼らに届けたかった理由。
俺の描いた油絵のタイトルは──
『山中優の存在証明』
【一念通天】
読み方:いちねんつうてん
一念 天に通ず
物事に専心すれば、その真心が天に通じて、いかなることでも成し遂げることができる。〔本朝俚諺(1715)〕
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