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15.旱天慈雨
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15.旱天慈雨──神崎望の場合
(熱い)
いきなり降りだした雨が、見る間に地面の色を変えていく。
ふわりと臓物が浮き上がるような感覚の後、掴もうとした手は虚空をかすめ、落下する体感速度は酷くゆっくりに感じるほどだった。
どこかで、身体が潰れる音がした。
雨の強い日。ぬかるむ地面の上。流れる赤い赤い液体。
痛みよりもひしゃげた四肢の熱さが感じられ、苦しみばかりが胸を打つ。
急激な雨により濡れた地面が、即死を防いだ。
それが幸なのか不幸なのか、わからない。
──わかるのは、死にゆく命が最期に願った事。
(熱い)
呻きすら、口からこぼれる事はなかった。
ただ、失われていく命を感じていた。
(僕が死んだら……)
感情から溢れる涙なのか、身体の反射からなのか……虚ろに空を見上げる瞳から一筋の涙が流れては、雨に紛れていった。
(あかあさん、おとおさん……悲しむ……かな……)
お店が忙しくて、声をかける事ができなかった。
笑顔を作って、学校に行く。
そうすれば、安心してくれるから。
二人とも頑張って働ている……から。
だから……僕の事なんかで心配かけたくない……。
けれども。
(……もっと、お話……すれば……よかった……)
すべての可能性が“もしも”になってしまうほど、もう取り返しがつかなくなっていた。
(もっとちゃんと……伝えていれば……)
何かが、変わったのだろうか。
(かみ……さま……かみさま……もし、いらっしゃるのなら……)
薄れゆく記憶の中、山中優は心から願った。
願うのは、大切な人たちと……。
“……”の事。
(終わりを……)
……僕が存在しなければ、こんな形で両親を悲しませる事がなかったかもしれない。
(すべての終わりを……)
僕の死が、周りの人たちに影を落とすぐらいなら、最初から存在しない方がいい。
教室に君臨する……“彼”を思う。
ごめんなさい。……ごめんなさい。
嫌われていても、いじめられても、それでも惹かれる事を止めることが出来なかった浅ましい自分を。
ごめんなさい……。
好きになってしまって……ごめんなさい……。
汚いと罵られ、臭いと水をかけられた僕なんかに好かれたくなかっただろう。
だけど、盗み見るように彼を密かに描くことをやめることが出来なくて……。
そのバチが当たったのだろうか……。
(もう人には生き返らないように)
人に生きて、また同じ過ちを繰り返してしまうのなら。
(地獄に落ちていい。ただ、もう、二度と生きたくない)
生まれたことを取り消して……。
(魂の……消滅を)
もう、誰も傷つけないように。
はじめから……。僕が……いなければ……。
(生きたくない……消えてしまいたい……)
雨が強く身体に当たる。屋上から落ちた身体は打ち所が悪かったのか、即死せずに願う時間だけがほんの僅かに与えられた。
(かみさま……どうか……)
意識が掠れていく。
(永遠の、終わりを)
どうか、この想いを、この世から消し去って……。
静かな雨が、窓を叩く音がした。
ベッドの上で抱え込むようにシーツにくるまっていた身体を起こそうとすると、何か硬質な物に当たった。
「酒臭い……空の……ボトル……?」
まだ空がぼんやりと明るいところを見ると、日は落ちきってはいないようだ。
パチパチと瞬きをして、どこか殺風景なのに、酒瓶がゴロゴロと転がる部屋を見渡す。
ずり落ちたシーツを引き上げて、再びくるまろうとしても、素足に瓶が当たる。
「……」
梅雨入りのむわりとした湿気の中、どことなく酒臭い。
「起きたのか」
部屋の奥からシャワーを浴びた後だと思われる遠山が、髪を乱雑に拭きながら歩いてきた。
髪を下ろした姿はどことなく隙だらけで、普段よりも若く見える。
「みせーねんしゃりゃくしゅざい」
「許せ。一応寮監には連絡してある。あのままだと風邪を引くからな」
「ここは……」
「俺のアパートだ。気絶したお前を運んで……屋上の鍵を返したり年休申請したり、俺の車に乗せたり……色々とな」
遠山は空の瓶を蹴飛ばして道を開けながら、俺のいるベッドに上がり込んできた。
「ちょ、酒の空ビンの数がえぐい!」
「仕方ねーだろ。寝酒しないと上手く眠れねーんだから」
「アル中じゃないか。良いのか? 高校教師が」
「20の時からお付き合いしているんだ。古い友人だよ」
「……先生なんだから、もっとちゃんとした部屋にいるのかと思ってた」
物がないだけで、服は部屋の隅の籠に適当にいれてあるし、クリーニングから戻ってきたと思わしきスーツやシャツは、ビニール袋に入れられた状態でラックに掛けられたままだ。
「仕方ねーんだよ。教師の皮を被っているだけで、中身はどろどろなんだから」
「皮が剥がれかけてるよ先生。ちょ、ベッドに上がってくるなよ。みせーねんいんこーはんたい」
「うるせぇ、ぜってー餓鬼に手は出さねぇよ。墓標に誓ったからな」
そんなことを言いながら、遠山はベッドの上の俺を後ろからシーツごと抱きしめる。
シーツ越しに、遠山の体温を感じる。
「……なぁ、山中優の記憶は全部あるのか」
「……全部じゃない。断片だけど……わりとあるよ」
「……そうか」
そのままの体制で、再び降り始めた優しい雨の音を聞く。
「なぁ、神崎望」
「なんだよ、遠山隼人」
「……一生じゃなくていい。お前が大人になって……好きな奴が出来て……過去じゃなくて未来だけを見るようになるまでで……いい。少しだけ……今だけ、寄りかからせてくれ」
……顔だけは良い、ダメダメで狡くてすがってくる弱った相手に、今だけは寄りかからせてくれって?
……随分調子の良いことを言う。
あーやだやだ。死んだ奴を16年想い続けた男だぞ。やめとけやめとけ、趣味が悪いぞ神崎望。死者がライバルだなんて救いようがない。
あーやだやだ。
それこそ俺の生存戦略には不要な要素だろ。
ほんと、もう……。
「いいよ。……もう振り回されるのにも慣れたよ。俺の中の山中優の断片ごと、先生を支えてやるよ。あんたは俺に罵倒されて許されて、そんでもって自分を慰めていれば良いよ」
「はは、そう言われると変態みたいだな」
「今頃気づいた? ドMもドン引くよ」
「ははは」
遠山は乾いた笑いをあげる。
……けれど、その声にはさっきまでの陰鬱さは少しだけ薄れていた。
「変態でも何でもいいよ。……お前が俺を裁いてくれるなら」
「酒を減らしたら考えてやるよ。このままだと肝硬変まっしぐらだぞ」
「……寝る前にお前が寝酒の代わりに囁いてくれるなら」
「……え、キモ。……おやすみなさい。良い夢をって?」
「そんな救いの言葉じゃ意味ねーな」
「……お前の罪を忘れるなって?」
遠山がくつくつと笑う。
その振動がシーツ越しに背中に伝わる。
「いいな、それ。後で録音させて。それ聴いたらゆっくり眠れそう」
俺はきゅっと身体を縮める。
遠山は教師の皮を被ることでなんとか人としての体面を整えているけれど、中はどろどろでぐちゃぐちゃで、どうしようもないやつみたいだ。
「……なぁ、俺なら連絡先わかるぞ」
「……?」
「山中優のいじめに関わった連中の連絡先。……望むなら……」
お前が望むなら、すべての者へ粛清を。
……。
目を閉じる。俺の中の優の断片は何も答えない。当然だ。
死者は語らない……それ以前の問題だ。
優はそれを望んでいない。
断罪や粛清を求めるのは、いつだって生きている人間だ。
「いらない。そんな奴等に割く労力が勿体ない。……それよりも遠山センセー。あんたなら未来の山中優を救えるだろ。山中優たちを、助けられるだろ。そちらの方が何千倍も大事なんじゃねーの」
「言うね」
きっと、遠山はどうしようもない男だけど、教師として教壇に立つ時には、きっと少しだけ真面目だ。
きっと彼はこれからも、自分を苛む色んな枷を背負いながら、教壇に立ち続けるのだろう。
それからぽつりぽつりと、失意のまま大学に通ったこと。哲学や倫理に傾倒していったこと。母校の美術教師の退職の時の事などを話してくれた。
「それで母校の教師に? 卒業して4年くらいしか経ってないのに、よく曰く付きの生徒を雇ってくれたね」
「まぁ、やること見つからなくて勉強だけはしていたからな。それに……数年別の有名私立で働いて、推薦状付きで戻ってきたからな。箔が大分ついていたから、断れねーだろ」
ぽろりと溢した私学は俺でも知っている進学校で、そりゃ再就職しやすいよなと思ってしまった。
俺も自分の小さな頃の話、両親の話、そして生き延びたいと願っていた話などを遠山にぽつりぽつりと話した。
遠山は何も言わずに静かに聞いてくれていた。
優しく降り注いでいた雨もまばらになり、いつしか止んでいた。
「さて、乾燥機で回していた洗濯物もだいぶ乾いたな。お前を寮まで送るか」
「あ、ちゃんと送り届けてくれるんだ」
「当然。その後俺は学校に戻って採点の続きだ」
「うげ、休みとったのに?」
「休みとっても仕事は減らねぇ。あと3クラス分採点残ってんだよ」
うわぁ、教師って大変だ。
やらなきゃいけない事。
やりとげないといけない事。
──俺にしか、出来ない事。
「あ、そうだ。センセーに頼みがあるんだけど」
「なんだ? 教員として贔屓はしないことを俺は墓標に誓っている。テスト範囲の情報は漏らさないぞ」
「いらないよ。ちゃんと勉強してる。……じゃなくて、あんたにしか頼めないことだよ」
「据え膳でも俺は卒業まで手は出さねーぞ」
ばしりと遠山の腕を叩く。
「ちげーよ。……美術部顧問としてのあんたへの頼みだよ」
【旱天慈雨】
読み方:かんてんじう
非常に困ったときに、もたらされる救いの手のたとえ。長い間待ち望んでいた物事が実現することのたとえ。
注記:「旱天」は、日照り。「慈雨」は、恵みの雨。日照り続きの後に降る恵みの雨の意から。「旱」は、「干」とも書く。
(学研 四字熟語辞典より)
(熱い)
いきなり降りだした雨が、見る間に地面の色を変えていく。
ふわりと臓物が浮き上がるような感覚の後、掴もうとした手は虚空をかすめ、落下する体感速度は酷くゆっくりに感じるほどだった。
どこかで、身体が潰れる音がした。
雨の強い日。ぬかるむ地面の上。流れる赤い赤い液体。
痛みよりもひしゃげた四肢の熱さが感じられ、苦しみばかりが胸を打つ。
急激な雨により濡れた地面が、即死を防いだ。
それが幸なのか不幸なのか、わからない。
──わかるのは、死にゆく命が最期に願った事。
(熱い)
呻きすら、口からこぼれる事はなかった。
ただ、失われていく命を感じていた。
(僕が死んだら……)
感情から溢れる涙なのか、身体の反射からなのか……虚ろに空を見上げる瞳から一筋の涙が流れては、雨に紛れていった。
(あかあさん、おとおさん……悲しむ……かな……)
お店が忙しくて、声をかける事ができなかった。
笑顔を作って、学校に行く。
そうすれば、安心してくれるから。
二人とも頑張って働ている……から。
だから……僕の事なんかで心配かけたくない……。
けれども。
(……もっと、お話……すれば……よかった……)
すべての可能性が“もしも”になってしまうほど、もう取り返しがつかなくなっていた。
(もっとちゃんと……伝えていれば……)
何かが、変わったのだろうか。
(かみ……さま……かみさま……もし、いらっしゃるのなら……)
薄れゆく記憶の中、山中優は心から願った。
願うのは、大切な人たちと……。
“……”の事。
(終わりを……)
……僕が存在しなければ、こんな形で両親を悲しませる事がなかったかもしれない。
(すべての終わりを……)
僕の死が、周りの人たちに影を落とすぐらいなら、最初から存在しない方がいい。
教室に君臨する……“彼”を思う。
ごめんなさい。……ごめんなさい。
嫌われていても、いじめられても、それでも惹かれる事を止めることが出来なかった浅ましい自分を。
ごめんなさい……。
好きになってしまって……ごめんなさい……。
汚いと罵られ、臭いと水をかけられた僕なんかに好かれたくなかっただろう。
だけど、盗み見るように彼を密かに描くことをやめることが出来なくて……。
そのバチが当たったのだろうか……。
(もう人には生き返らないように)
人に生きて、また同じ過ちを繰り返してしまうのなら。
(地獄に落ちていい。ただ、もう、二度と生きたくない)
生まれたことを取り消して……。
(魂の……消滅を)
もう、誰も傷つけないように。
はじめから……。僕が……いなければ……。
(生きたくない……消えてしまいたい……)
雨が強く身体に当たる。屋上から落ちた身体は打ち所が悪かったのか、即死せずに願う時間だけがほんの僅かに与えられた。
(かみさま……どうか……)
意識が掠れていく。
(永遠の、終わりを)
どうか、この想いを、この世から消し去って……。
静かな雨が、窓を叩く音がした。
ベッドの上で抱え込むようにシーツにくるまっていた身体を起こそうとすると、何か硬質な物に当たった。
「酒臭い……空の……ボトル……?」
まだ空がぼんやりと明るいところを見ると、日は落ちきってはいないようだ。
パチパチと瞬きをして、どこか殺風景なのに、酒瓶がゴロゴロと転がる部屋を見渡す。
ずり落ちたシーツを引き上げて、再びくるまろうとしても、素足に瓶が当たる。
「……」
梅雨入りのむわりとした湿気の中、どことなく酒臭い。
「起きたのか」
部屋の奥からシャワーを浴びた後だと思われる遠山が、髪を乱雑に拭きながら歩いてきた。
髪を下ろした姿はどことなく隙だらけで、普段よりも若く見える。
「みせーねんしゃりゃくしゅざい」
「許せ。一応寮監には連絡してある。あのままだと風邪を引くからな」
「ここは……」
「俺のアパートだ。気絶したお前を運んで……屋上の鍵を返したり年休申請したり、俺の車に乗せたり……色々とな」
遠山は空の瓶を蹴飛ばして道を開けながら、俺のいるベッドに上がり込んできた。
「ちょ、酒の空ビンの数がえぐい!」
「仕方ねーだろ。寝酒しないと上手く眠れねーんだから」
「アル中じゃないか。良いのか? 高校教師が」
「20の時からお付き合いしているんだ。古い友人だよ」
「……先生なんだから、もっとちゃんとした部屋にいるのかと思ってた」
物がないだけで、服は部屋の隅の籠に適当にいれてあるし、クリーニングから戻ってきたと思わしきスーツやシャツは、ビニール袋に入れられた状態でラックに掛けられたままだ。
「仕方ねーんだよ。教師の皮を被っているだけで、中身はどろどろなんだから」
「皮が剥がれかけてるよ先生。ちょ、ベッドに上がってくるなよ。みせーねんいんこーはんたい」
「うるせぇ、ぜってー餓鬼に手は出さねぇよ。墓標に誓ったからな」
そんなことを言いながら、遠山はベッドの上の俺を後ろからシーツごと抱きしめる。
シーツ越しに、遠山の体温を感じる。
「……なぁ、山中優の記憶は全部あるのか」
「……全部じゃない。断片だけど……わりとあるよ」
「……そうか」
そのままの体制で、再び降り始めた優しい雨の音を聞く。
「なぁ、神崎望」
「なんだよ、遠山隼人」
「……一生じゃなくていい。お前が大人になって……好きな奴が出来て……過去じゃなくて未来だけを見るようになるまでで……いい。少しだけ……今だけ、寄りかからせてくれ」
……顔だけは良い、ダメダメで狡くてすがってくる弱った相手に、今だけは寄りかからせてくれって?
……随分調子の良いことを言う。
あーやだやだ。死んだ奴を16年想い続けた男だぞ。やめとけやめとけ、趣味が悪いぞ神崎望。死者がライバルだなんて救いようがない。
あーやだやだ。
それこそ俺の生存戦略には不要な要素だろ。
ほんと、もう……。
「いいよ。……もう振り回されるのにも慣れたよ。俺の中の山中優の断片ごと、先生を支えてやるよ。あんたは俺に罵倒されて許されて、そんでもって自分を慰めていれば良いよ」
「はは、そう言われると変態みたいだな」
「今頃気づいた? ドMもドン引くよ」
「ははは」
遠山は乾いた笑いをあげる。
……けれど、その声にはさっきまでの陰鬱さは少しだけ薄れていた。
「変態でも何でもいいよ。……お前が俺を裁いてくれるなら」
「酒を減らしたら考えてやるよ。このままだと肝硬変まっしぐらだぞ」
「……寝る前にお前が寝酒の代わりに囁いてくれるなら」
「……え、キモ。……おやすみなさい。良い夢をって?」
「そんな救いの言葉じゃ意味ねーな」
「……お前の罪を忘れるなって?」
遠山がくつくつと笑う。
その振動がシーツ越しに背中に伝わる。
「いいな、それ。後で録音させて。それ聴いたらゆっくり眠れそう」
俺はきゅっと身体を縮める。
遠山は教師の皮を被ることでなんとか人としての体面を整えているけれど、中はどろどろでぐちゃぐちゃで、どうしようもないやつみたいだ。
「……なぁ、俺なら連絡先わかるぞ」
「……?」
「山中優のいじめに関わった連中の連絡先。……望むなら……」
お前が望むなら、すべての者へ粛清を。
……。
目を閉じる。俺の中の優の断片は何も答えない。当然だ。
死者は語らない……それ以前の問題だ。
優はそれを望んでいない。
断罪や粛清を求めるのは、いつだって生きている人間だ。
「いらない。そんな奴等に割く労力が勿体ない。……それよりも遠山センセー。あんたなら未来の山中優を救えるだろ。山中優たちを、助けられるだろ。そちらの方が何千倍も大事なんじゃねーの」
「言うね」
きっと、遠山はどうしようもない男だけど、教師として教壇に立つ時には、きっと少しだけ真面目だ。
きっと彼はこれからも、自分を苛む色んな枷を背負いながら、教壇に立ち続けるのだろう。
それからぽつりぽつりと、失意のまま大学に通ったこと。哲学や倫理に傾倒していったこと。母校の美術教師の退職の時の事などを話してくれた。
「それで母校の教師に? 卒業して4年くらいしか経ってないのに、よく曰く付きの生徒を雇ってくれたね」
「まぁ、やること見つからなくて勉強だけはしていたからな。それに……数年別の有名私立で働いて、推薦状付きで戻ってきたからな。箔が大分ついていたから、断れねーだろ」
ぽろりと溢した私学は俺でも知っている進学校で、そりゃ再就職しやすいよなと思ってしまった。
俺も自分の小さな頃の話、両親の話、そして生き延びたいと願っていた話などを遠山にぽつりぽつりと話した。
遠山は何も言わずに静かに聞いてくれていた。
優しく降り注いでいた雨もまばらになり、いつしか止んでいた。
「さて、乾燥機で回していた洗濯物もだいぶ乾いたな。お前を寮まで送るか」
「あ、ちゃんと送り届けてくれるんだ」
「当然。その後俺は学校に戻って採点の続きだ」
「うげ、休みとったのに?」
「休みとっても仕事は減らねぇ。あと3クラス分採点残ってんだよ」
うわぁ、教師って大変だ。
やらなきゃいけない事。
やりとげないといけない事。
──俺にしか、出来ない事。
「あ、そうだ。センセーに頼みがあるんだけど」
「なんだ? 教員として贔屓はしないことを俺は墓標に誓っている。テスト範囲の情報は漏らさないぞ」
「いらないよ。ちゃんと勉強してる。……じゃなくて、あんたにしか頼めないことだよ」
「据え膳でも俺は卒業まで手は出さねーぞ」
ばしりと遠山の腕を叩く。
「ちげーよ。……美術部顧問としてのあんたへの頼みだよ」
【旱天慈雨】
読み方:かんてんじう
非常に困ったときに、もたらされる救いの手のたとえ。長い間待ち望んでいた物事が実現することのたとえ。
注記:「旱天」は、日照り。「慈雨」は、恵みの雨。日照り続きの後に降る恵みの雨の意から。「旱」は、「干」とも書く。
(学研 四字熟語辞典より)
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