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13.紫電一閃
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13.紫電一閃──神崎望の場合
暗く立ち込めた雲が空を覆う。
空気に、雨の匂いが混ざる。
梅雨の先触れが訪れようとしていた。
「まずいぞ、まずい……なんの成果も得られていない!」
あの後は16年前の事を調べたり、屋上の事件について探りを入れていたが、あまりにも古い出来事過ぎて、一欠片も情報を得ることはできなかった。
ただ、稀に美術室を訪れると部活動中には遠山が鍵を開けてくれるのか、美術準備室に入って調べることが出来た。
……3年生の先輩は、押しは強いが強要まではしないので、『絵に興味があって……』と言えばニコニコと古い絵を見せてくれた。
正直悪い人ではないので、少々心は痛む。
……あの日。墓標に佇む女神像の絵を見た日。
暗い面持ちで社会科準備室に鍵を返しに行くと、“遠山”は一言『どうだ』と聞いてきた。
その“どうだ”の一言には複雑な……色んな感情が籠められていたような気もしたけれど、打ちのめされていた俺は首を振って凄い絵でした。と、そう返す他なかった。
“遠山”はじっとその様子を見つめると、息を薄く吐き、「そうか」と一言落胆や諦めの混ざった言葉を残した。
『先生は……。先生が美術部顧問になったのは……』
──10年以上も昔の作品を、破棄されないように守るためですか?
そう尋ねたかったが、言葉が喉元で詰まってしまった。
遠山はどこを見ているかわからない眼差しで、窓の外を見つめる。
なにも言わぬその沈黙が、肯定を指し示していた。
6月に入り、雨の気配が強くなった。
テスト期間に入った学校は、少しだけ浮わついているような気がした。
「あれ? 岩崎、今日はテニス部の練習ないの?」
「ははは、やだな神崎クン。今はテスト期間中だよ?」
「でも昨日も着替えていただろ?」
「自主練という名の強制ダヨ」
うわぁ。私学だから運動部は力を入れているけれど、大変だなぁ。
「今日は雨の予報だからナシって事になった。助かったよ……」
「大変だなぁ」
先輩に過去問を貰ってくると駆けていった岩崎と別れて、昇降口に向かおうとする。
……古くからいる先生にも、前からある場所も確認した。
後調べていないのは、“山中優”が死んだ……屋上。
ふと、記憶に掛かるものがあった。
いや、これはあまりにもリスクがある行為だ。
危険が伴う。
けれども……今日しか、ないかもしれない。
思わず条件が揃ってしまい、心臓が緊張で音を立てる。
踵を返して職員室に向かう。
昔の職員室はテスト期間になると入室禁止になっていたけれど、今は職員室の入り口にカウンターが出来ていて、そこから手前のエリアはテスト期間でも生徒が入ることが出来る。
情報を集めるために先生たちの手伝いを積極的にしていた俺は、職員室に入っても違和感を持たれにくい。
「失礼しまーす。鍵借りますー」
運動部に力を入れている学校だから、テニス部みたいにテスト期間中でも“自主練”はそこそこ許されている部活がある。
部活動の生徒が鍵を借りに来る鍵ロッカーは、カウンターの手前……生徒が入れる場徐にある。
鍵の借り方は岩瀬に付き添って何度か見ていた。
テニス部の部室の鍵……の下の段は特別教室や倉庫などの鍵となっている。
美術室、体育用具室、第二倉庫、そして……あることさえ忘れられているような古い鍵も一緒に納められている。
“特別棟の鍵のキーホルダーの色が全部一緒とか絶対間違えるって”
その言葉を思い出す。
職員室の先生たちの目がテストの採点に向いているのを見計らって、テニス部の部室の鍵をカコンと外すと、素早く“屋上の鍵”と入れ換えた。
これで、見た瞬間にはテニス部の部室の鍵だけが無いように見える。
すぐに戻れば、今日なら気付かれない。
ドキドキとしながら、怪しまれないように貸出簿に名前を一応書いておく。
失礼しまーすと声をかけてピシャリと職員室の戸を閉じた。
……リスクは冒さないように生きてきた。
常に退路を考え生存戦略を練る俺の、最後の勝負。
もしも痕跡が残っていなかったとしても、そこでは“山中優”の何かが蘇るはずだ。
だって屋上は……。
あの出来事が起きて封鎖される前は、“優”が絵を描いていた場所だから。
嫌な汗をかき、震える身を奮い立たせながら階段を駆け昇る。
3階、4階。そして立ち入り禁止の看板の先。
ガチャリと鍵を回し、扉を開ける。
淀んだ雨の気配を含む空気がむわりと身を包む。
あれ以降定期的には点検がされているのだろう。広い屋上は思ったよりは綺麗に整備されていた。
あの屋上のフェンスも、取り替えられていた。
「ここが、優の死んだ場所……」
一歩一歩、ゆっくりと踏み出す。
なんの変哲もない学校の屋上。
昔はここで食事を取る生徒たちもいた、ごく普通の屋上。
けれども脳裏に蘇る姿は──
しゃがんでフェンスにもたれ掛かり、教室を避けて一人黙々と絵を描く“山中優”。
一心不乱にスケッチブックを埋めていく。
ここでなら、“ ”の絵を、描く事が出来るから。
ごめんなさい。ごめんなさい。
弱くて、ごめんなさい。
嫌われていても、学校に来て……ごめんなさい。
ごめんなさい。……ごめんなさい。
僕は……。
ふらつく身体を抑える。
ああ、くそ。
フラッシュバックなんて生易しいものじゃない。
優の感情に引きずられる。
くそ、しっかりしろ。
俺は“神崎望”だ。
のろのろと歩いて、フェンスに近寄る。
カシャンと手をフェンスにかけて下を覗き込めば、中庭が見えた。
木陰に萎れた青紫のポンポンの様な花が見えた。
ガラス瓶に生けられてから随分と経っているが、定期的に水を替えられていたので良く持った方だろう。
……。
フェンスに背を向けもたれ掛かる。
ずるずると滑るようにしゃがみこんでしまった。
そっと、膝を抱える。
……まるで絵を描いている優と同じように。
「お前、最期まで学校に通っていたんだな……」
逃げれば良かったのに。
……なんて無遠慮な事を言えるのは他者だからだ。
優みたいに追い詰められている人間には、周りを見る余裕なんて、ない。
足元を見ているだけで、それだけで精一杯だ。
例え足元から少し顔をあげるだけで違う景色が広がっていたのだとしても、それを見る余裕なんて、ない。
優。
優……。
お前には絵があったのに。家族だっていたのに。
なのに、なんで……ひとりぼっちで逝ってしまったんだ。
「あーくそ、何にも見つからねぇ」
ごろんと横になる。
フェンスの土台に頭だけをもたれて、空を見上げる。
空は低く曇天立ち込め、気分は最悪。
なぁ、優。
生きるのは難しいな。
生き残るのは、なんて苦しいんだろう。
「でもな、俺は生き残るぞ。お前に引きずられたりしねーからな」
優は答えない。
死者は、答えない。
「あれ、でも待てよ……?」
優は、消えたい……と。
消えてしまいたいと思っていた。
けれども、一度も“死にたい”とは言っていない気がする。
「俺は……何か……見逃している……?」
そのまま空を見上げていた視線を横に倒した時だった。
フェンスの向こう側に、何かが見えた。
「ん?」
立ったままでは見えない場所。
大人でもしゃがみこんで見えないほどの場所。まだ身長がそこまで高くない俺だからギリギリ見えるという低い位置だ。
奥に入り込んでいるのか、埃は凄そうだけど、雨が入らない隙間にノートの様なものが見える。
しわしわになっていない所を見ると、水には濡れていない様だ。
黒と黄色の表面が剥げているが……。
「優のスケッチブック……?」
がばりと起き上がる。
フェンスは下の部分が開いていた。子どもの手も入らない様な、その隙間。
だけど、描いていたスケッチブックが手から滑り、その隙間に入り込んでしまったのだとしたら……。
「もしかして……見つからなかった山中優の遺書……?」
そうだ。どれだけ探しても見つからなかった遺書には明確に書かれていた。
──『先立つ不幸をお許しください』と。
どうしよう。
どうすれば良いか迷う。俺はこんな危険を冒す奴じゃない。
安心安全をモットーに、普段ならここに忍び込むなんて事もしない。
だけど、あのスケッチブックに……もし、真実が描かれているのなら……。
躊躇いは、一瞬だった。
下に人が居ないことを確認して、フェンスの強度を確認する。
ブレザーのネクタイを外して手に巻き付けるときゅっとしばってフェンスを登り始める。
……屋上は閉鎖が決められていたからだろうか。
新しくなったフェンスもさほど背は高くなかった。
登って反対側に足を付ける。
思ったよりは狭くない。しゃがみこんで手に巻き付けたネクタイをフェンスに通し、手を固定させる。
さっき見ていた溝はこちら側からはあまり確認ができない。手をその溝に差し込む。
手がもわもわとした枯れ葉みたいなのに触れるが、しっかりとその奥のスケッチブックの様なものを掴み、引きずり出すように溝から引き上げる。
古ぼけたスケッチブック。
持った瞬間にボロリと紙の一部が砕けたが、思ったよりは形が残っていた。
空がどんどんと曇ってきている。
すぐそこまで雨の足音が迫り来る様だった。
落ちないようにと固定していた片手をほどき、しっかりとフェンスに寄りかかりながら紙を捲る。
「あぁ、くそ!!」
スケッチブックに描かれていたものを見て、俺は悪態を付く。
何て事だ。
何て……救いの無い……。
「優は……これを見られたくなかったから……」
だから、フェンスの向こう側に……。
なんて……事だ。
なんて……。
「優は……自殺じゃなかった……」
その時、雷が空を一閃する。
雨の気配が一層強まった。
上着の内側にスケッチブックを入れて固定する。制服が汚れても仕方がない。それよりもスケッチブックが雨に濡れたら大変だ。
フェンスを再び登って雨が降る前に安全地帯に降り立とうとする。
ポタポタと大粒の雨が振りだしたかと思いきや、強い雨が降り始めた。
「クソっ」
なんとか身体を屋上側に引っ張れて、後は滑らない様に着地するだけ……と思った時、強い力で引きずり下ろされた。
「なに……やってるんだ!!!!」
雨の中……濡れることも厭わないで、まるで今にも死にそうな顔で俺を引き摺り降ろして怒鳴ったのは……社会教師の遠山だった。
【紫電一閃】
読み方:しでんいっせん
〘名〙 とぎすました刀を一ふりする時にひらめく鋭い光。転じて、事態の火急なことをいう。
(精選版 日本国語大辞典より)
【飛び降りる/飛び下りる】
読み方:とびお・りる
[動ラ上一][文]とびお・る[ラ上二]
1 高い所から身をおどらせておりる。「二階から―・りる」
2 走っている乗り物から飛んでおりる。「汽車から―・りる」
3 尚、この物語では使われていない言葉。
(デジタル大辞泉より)
暗く立ち込めた雲が空を覆う。
空気に、雨の匂いが混ざる。
梅雨の先触れが訪れようとしていた。
「まずいぞ、まずい……なんの成果も得られていない!」
あの後は16年前の事を調べたり、屋上の事件について探りを入れていたが、あまりにも古い出来事過ぎて、一欠片も情報を得ることはできなかった。
ただ、稀に美術室を訪れると部活動中には遠山が鍵を開けてくれるのか、美術準備室に入って調べることが出来た。
……3年生の先輩は、押しは強いが強要まではしないので、『絵に興味があって……』と言えばニコニコと古い絵を見せてくれた。
正直悪い人ではないので、少々心は痛む。
……あの日。墓標に佇む女神像の絵を見た日。
暗い面持ちで社会科準備室に鍵を返しに行くと、“遠山”は一言『どうだ』と聞いてきた。
その“どうだ”の一言には複雑な……色んな感情が籠められていたような気もしたけれど、打ちのめされていた俺は首を振って凄い絵でした。と、そう返す他なかった。
“遠山”はじっとその様子を見つめると、息を薄く吐き、「そうか」と一言落胆や諦めの混ざった言葉を残した。
『先生は……。先生が美術部顧問になったのは……』
──10年以上も昔の作品を、破棄されないように守るためですか?
そう尋ねたかったが、言葉が喉元で詰まってしまった。
遠山はどこを見ているかわからない眼差しで、窓の外を見つめる。
なにも言わぬその沈黙が、肯定を指し示していた。
6月に入り、雨の気配が強くなった。
テスト期間に入った学校は、少しだけ浮わついているような気がした。
「あれ? 岩崎、今日はテニス部の練習ないの?」
「ははは、やだな神崎クン。今はテスト期間中だよ?」
「でも昨日も着替えていただろ?」
「自主練という名の強制ダヨ」
うわぁ。私学だから運動部は力を入れているけれど、大変だなぁ。
「今日は雨の予報だからナシって事になった。助かったよ……」
「大変だなぁ」
先輩に過去問を貰ってくると駆けていった岩崎と別れて、昇降口に向かおうとする。
……古くからいる先生にも、前からある場所も確認した。
後調べていないのは、“山中優”が死んだ……屋上。
ふと、記憶に掛かるものがあった。
いや、これはあまりにもリスクがある行為だ。
危険が伴う。
けれども……今日しか、ないかもしれない。
思わず条件が揃ってしまい、心臓が緊張で音を立てる。
踵を返して職員室に向かう。
昔の職員室はテスト期間になると入室禁止になっていたけれど、今は職員室の入り口にカウンターが出来ていて、そこから手前のエリアはテスト期間でも生徒が入ることが出来る。
情報を集めるために先生たちの手伝いを積極的にしていた俺は、職員室に入っても違和感を持たれにくい。
「失礼しまーす。鍵借りますー」
運動部に力を入れている学校だから、テニス部みたいにテスト期間中でも“自主練”はそこそこ許されている部活がある。
部活動の生徒が鍵を借りに来る鍵ロッカーは、カウンターの手前……生徒が入れる場徐にある。
鍵の借り方は岩瀬に付き添って何度か見ていた。
テニス部の部室の鍵……の下の段は特別教室や倉庫などの鍵となっている。
美術室、体育用具室、第二倉庫、そして……あることさえ忘れられているような古い鍵も一緒に納められている。
“特別棟の鍵のキーホルダーの色が全部一緒とか絶対間違えるって”
その言葉を思い出す。
職員室の先生たちの目がテストの採点に向いているのを見計らって、テニス部の部室の鍵をカコンと外すと、素早く“屋上の鍵”と入れ換えた。
これで、見た瞬間にはテニス部の部室の鍵だけが無いように見える。
すぐに戻れば、今日なら気付かれない。
ドキドキとしながら、怪しまれないように貸出簿に名前を一応書いておく。
失礼しまーすと声をかけてピシャリと職員室の戸を閉じた。
……リスクは冒さないように生きてきた。
常に退路を考え生存戦略を練る俺の、最後の勝負。
もしも痕跡が残っていなかったとしても、そこでは“山中優”の何かが蘇るはずだ。
だって屋上は……。
あの出来事が起きて封鎖される前は、“優”が絵を描いていた場所だから。
嫌な汗をかき、震える身を奮い立たせながら階段を駆け昇る。
3階、4階。そして立ち入り禁止の看板の先。
ガチャリと鍵を回し、扉を開ける。
淀んだ雨の気配を含む空気がむわりと身を包む。
あれ以降定期的には点検がされているのだろう。広い屋上は思ったよりは綺麗に整備されていた。
あの屋上のフェンスも、取り替えられていた。
「ここが、優の死んだ場所……」
一歩一歩、ゆっくりと踏み出す。
なんの変哲もない学校の屋上。
昔はここで食事を取る生徒たちもいた、ごく普通の屋上。
けれども脳裏に蘇る姿は──
しゃがんでフェンスにもたれ掛かり、教室を避けて一人黙々と絵を描く“山中優”。
一心不乱にスケッチブックを埋めていく。
ここでなら、“ ”の絵を、描く事が出来るから。
ごめんなさい。ごめんなさい。
弱くて、ごめんなさい。
嫌われていても、学校に来て……ごめんなさい。
ごめんなさい。……ごめんなさい。
僕は……。
ふらつく身体を抑える。
ああ、くそ。
フラッシュバックなんて生易しいものじゃない。
優の感情に引きずられる。
くそ、しっかりしろ。
俺は“神崎望”だ。
のろのろと歩いて、フェンスに近寄る。
カシャンと手をフェンスにかけて下を覗き込めば、中庭が見えた。
木陰に萎れた青紫のポンポンの様な花が見えた。
ガラス瓶に生けられてから随分と経っているが、定期的に水を替えられていたので良く持った方だろう。
……。
フェンスに背を向けもたれ掛かる。
ずるずると滑るようにしゃがみこんでしまった。
そっと、膝を抱える。
……まるで絵を描いている優と同じように。
「お前、最期まで学校に通っていたんだな……」
逃げれば良かったのに。
……なんて無遠慮な事を言えるのは他者だからだ。
優みたいに追い詰められている人間には、周りを見る余裕なんて、ない。
足元を見ているだけで、それだけで精一杯だ。
例え足元から少し顔をあげるだけで違う景色が広がっていたのだとしても、それを見る余裕なんて、ない。
優。
優……。
お前には絵があったのに。家族だっていたのに。
なのに、なんで……ひとりぼっちで逝ってしまったんだ。
「あーくそ、何にも見つからねぇ」
ごろんと横になる。
フェンスの土台に頭だけをもたれて、空を見上げる。
空は低く曇天立ち込め、気分は最悪。
なぁ、優。
生きるのは難しいな。
生き残るのは、なんて苦しいんだろう。
「でもな、俺は生き残るぞ。お前に引きずられたりしねーからな」
優は答えない。
死者は、答えない。
「あれ、でも待てよ……?」
優は、消えたい……と。
消えてしまいたいと思っていた。
けれども、一度も“死にたい”とは言っていない気がする。
「俺は……何か……見逃している……?」
そのまま空を見上げていた視線を横に倒した時だった。
フェンスの向こう側に、何かが見えた。
「ん?」
立ったままでは見えない場所。
大人でもしゃがみこんで見えないほどの場所。まだ身長がそこまで高くない俺だからギリギリ見えるという低い位置だ。
奥に入り込んでいるのか、埃は凄そうだけど、雨が入らない隙間にノートの様なものが見える。
しわしわになっていない所を見ると、水には濡れていない様だ。
黒と黄色の表面が剥げているが……。
「優のスケッチブック……?」
がばりと起き上がる。
フェンスは下の部分が開いていた。子どもの手も入らない様な、その隙間。
だけど、描いていたスケッチブックが手から滑り、その隙間に入り込んでしまったのだとしたら……。
「もしかして……見つからなかった山中優の遺書……?」
そうだ。どれだけ探しても見つからなかった遺書には明確に書かれていた。
──『先立つ不幸をお許しください』と。
どうしよう。
どうすれば良いか迷う。俺はこんな危険を冒す奴じゃない。
安心安全をモットーに、普段ならここに忍び込むなんて事もしない。
だけど、あのスケッチブックに……もし、真実が描かれているのなら……。
躊躇いは、一瞬だった。
下に人が居ないことを確認して、フェンスの強度を確認する。
ブレザーのネクタイを外して手に巻き付けるときゅっとしばってフェンスを登り始める。
……屋上は閉鎖が決められていたからだろうか。
新しくなったフェンスもさほど背は高くなかった。
登って反対側に足を付ける。
思ったよりは狭くない。しゃがみこんで手に巻き付けたネクタイをフェンスに通し、手を固定させる。
さっき見ていた溝はこちら側からはあまり確認ができない。手をその溝に差し込む。
手がもわもわとした枯れ葉みたいなのに触れるが、しっかりとその奥のスケッチブックの様なものを掴み、引きずり出すように溝から引き上げる。
古ぼけたスケッチブック。
持った瞬間にボロリと紙の一部が砕けたが、思ったよりは形が残っていた。
空がどんどんと曇ってきている。
すぐそこまで雨の足音が迫り来る様だった。
落ちないようにと固定していた片手をほどき、しっかりとフェンスに寄りかかりながら紙を捲る。
「あぁ、くそ!!」
スケッチブックに描かれていたものを見て、俺は悪態を付く。
何て事だ。
何て……救いの無い……。
「優は……これを見られたくなかったから……」
だから、フェンスの向こう側に……。
なんて……事だ。
なんて……。
「優は……自殺じゃなかった……」
その時、雷が空を一閃する。
雨の気配が一層強まった。
上着の内側にスケッチブックを入れて固定する。制服が汚れても仕方がない。それよりもスケッチブックが雨に濡れたら大変だ。
フェンスを再び登って雨が降る前に安全地帯に降り立とうとする。
ポタポタと大粒の雨が振りだしたかと思いきや、強い雨が降り始めた。
「クソっ」
なんとか身体を屋上側に引っ張れて、後は滑らない様に着地するだけ……と思った時、強い力で引きずり下ろされた。
「なに……やってるんだ!!!!」
雨の中……濡れることも厭わないで、まるで今にも死にそうな顔で俺を引き摺り降ろして怒鳴ったのは……社会教師の遠山だった。
【紫電一閃】
読み方:しでんいっせん
〘名〙 とぎすました刀を一ふりする時にひらめく鋭い光。転じて、事態の火急なことをいう。
(精選版 日本国語大辞典より)
【飛び降りる/飛び下りる】
読み方:とびお・りる
[動ラ上一][文]とびお・る[ラ上二]
1 高い所から身をおどらせておりる。「二階から―・りる」
2 走っている乗り物から飛んでおりる。「汽車から―・りる」
3 尚、この物語では使われていない言葉。
(デジタル大辞泉より)
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