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3.暗中模索
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3.暗中模索──神崎望の場合
さて、小さな頃からたびたび別の人間の記憶がフラッシュバックしてきた人間はどうなると思う?
結論、他人と自分の境界が曖昧になって大変なことになる。
小さな頃は俺がどちらなのかわからなかった。神崎望なのか、山中優なのか。
みんな自分の中にもう一人別の人がいるのだと思っていた。
保育園の先生が言っていた「んーでも、望くんは望くんで、ゆーくんは違う子だから」という言葉もあまり理解することが出来なかった。
そんな変なことばかり言う俺は、保育園の観察ノートにいつも注意書がいっぱいされていた。
それでも、俺の両親は想像力が豊かな子なので、と返してくれていた。
神崎望は両親に恵まれている。
それだけは本当に本当に感謝している。
小さな頃から「ゆーちゃんはね、これ食べたことあるの」なんて、自分が誰かもわかっていないような言葉を言って困らせても。
突然雨が怖くて泣き出しても。
両親は戸惑いながらも受け止めてくれた。
「望はね、ゆーちゃんじゃないのよ? だからいたいいたいないの。大丈夫よ」
「やだ、こわい。みんな、みんなゆーちゃんをいたいいたいするの」
「ここには、望もゆーちゃんも、いたいいたいする人はいないのよ」
嘘だ。フラッシュバックする記憶の中で、優はいつだって心が痛いと泣いていた。見て欲しいと叫んでいた。
誰にも、何も言うことができず、遺書を残して屋上から落ちた優。
優の人生は、自我のはっきりしない望にとって恐怖でしかなかった。
母親のハリを失った手のひらが、俺をそっと撫でる。
「望、生まれて来てくれて、ありがとう。私たち夫婦の間に生まれてくれて、ありがとう」
「まま……」
「もう、次で諦めようとお父さんと話していたの。ずっとずっと子どもを授かれたらと頑張ってきたけれど、コウノトリは私たちを選んではくれなかったのね、と。本当に諦めかけていたの」
「まま……っ」
「でも最後に、あなたが来てくれた。どれ程嬉しかったか。でも、ごめんなさいね。あなたのお友だちのママたちにとっては、私はおばあちゃんくらいのお年よね」
「……ひぐっ」
「お父さんもあなたと一緒に走り回る体力がなくて……ごめんなさいね」
「……ぅぅ」
「でもね、望。私たちを選んで、生まれて来てくれてありがとう。望。私たちの希望。望、あなたが悲しいのが切ないわ。あなたが怖いのがつらいわ。望、お母さんたちはね、あなたが生まれて来てくれて、本当に嬉しいのよ」
小さな頃から発話が遅くて、ぼんやりと浮かび上がる優の記憶を恐れていた子どもだった。
手のかかる子、だっただろう。
気味が悪いとさえ思われても仕方がない。
けれども、両親は優しく受け止めてくれた。
小学生に上がる前の年、両親にお願いしてある場所に連れていってもらった。
地下鉄を乗り継いで、都心から少し離れた街。
諳じる事ができた場所を、両親は何も言わずに手を繋いで連れていってくれた。
その家を見たときに、ふと甦る。
『マイホーム、35年ローン! 念願の我が家だぞ!』
優の記憶の中で料理屋を営んでいる夫婦が嬉しそうに子どもに自慢していた。
そこの表札はすでに【滝藤】となっていて、別の家族が住んでいた。
両親が近所の人に聞いた話によると、住んでいた人は引っ越したそうだ。
小さな頃の俺は“優”という名前しか出していない。
けれども、両親は突然引っ越した人に何らかの感情を覚えた様だった。
ぎゅっと俺と繋いだ手に力を入れる。
人の死は、生きている人の心を殺す。
山中優は、それに思い至らなかったんだろうか。
……きっと、それを思う以上に彼は追い詰められていたんだろう。
けれども、現実にここに住んでいた人は消え、どこか別の場所に行ってしまった。
……ローン、残っていると言っていたのにな。
なのに、そこに〝残れなかった"のは、きっと……。
「会いたい人に会えなかったね」
「ううん、いいの」
「興信所……探偵さんを使えばきっと」
「大丈夫だよ、まま、ぱぱ」
記憶にこびりついた“優”を振り払う。
俺は、神崎望だ。
“山中優”じゃない。神崎望だ。俺は彼とは違う。
俺の、今の両親を見上げる。
俺はこの人たちのためにも生きないといけない。
“山中優”の人生をなぞるなんて御免だ。
優しい優しい、俺を望んでくれた人たち。
俺はその日、やっと神崎望になることができた。
【暗中模索】
読み方:あんちゅうもさく
[名]
1 暗やみの中で、手さぐりしてあれこれ探し求めること。
2 手掛かりのないまま、いろいろなことを試みること。「打開策を暗中模索する」
(デジタル大辞泉より)
さて、小さな頃からたびたび別の人間の記憶がフラッシュバックしてきた人間はどうなると思う?
結論、他人と自分の境界が曖昧になって大変なことになる。
小さな頃は俺がどちらなのかわからなかった。神崎望なのか、山中優なのか。
みんな自分の中にもう一人別の人がいるのだと思っていた。
保育園の先生が言っていた「んーでも、望くんは望くんで、ゆーくんは違う子だから」という言葉もあまり理解することが出来なかった。
そんな変なことばかり言う俺は、保育園の観察ノートにいつも注意書がいっぱいされていた。
それでも、俺の両親は想像力が豊かな子なので、と返してくれていた。
神崎望は両親に恵まれている。
それだけは本当に本当に感謝している。
小さな頃から「ゆーちゃんはね、これ食べたことあるの」なんて、自分が誰かもわかっていないような言葉を言って困らせても。
突然雨が怖くて泣き出しても。
両親は戸惑いながらも受け止めてくれた。
「望はね、ゆーちゃんじゃないのよ? だからいたいいたいないの。大丈夫よ」
「やだ、こわい。みんな、みんなゆーちゃんをいたいいたいするの」
「ここには、望もゆーちゃんも、いたいいたいする人はいないのよ」
嘘だ。フラッシュバックする記憶の中で、優はいつだって心が痛いと泣いていた。見て欲しいと叫んでいた。
誰にも、何も言うことができず、遺書を残して屋上から落ちた優。
優の人生は、自我のはっきりしない望にとって恐怖でしかなかった。
母親のハリを失った手のひらが、俺をそっと撫でる。
「望、生まれて来てくれて、ありがとう。私たち夫婦の間に生まれてくれて、ありがとう」
「まま……」
「もう、次で諦めようとお父さんと話していたの。ずっとずっと子どもを授かれたらと頑張ってきたけれど、コウノトリは私たちを選んではくれなかったのね、と。本当に諦めかけていたの」
「まま……っ」
「でも最後に、あなたが来てくれた。どれ程嬉しかったか。でも、ごめんなさいね。あなたのお友だちのママたちにとっては、私はおばあちゃんくらいのお年よね」
「……ひぐっ」
「お父さんもあなたと一緒に走り回る体力がなくて……ごめんなさいね」
「……ぅぅ」
「でもね、望。私たちを選んで、生まれて来てくれてありがとう。望。私たちの希望。望、あなたが悲しいのが切ないわ。あなたが怖いのがつらいわ。望、お母さんたちはね、あなたが生まれて来てくれて、本当に嬉しいのよ」
小さな頃から発話が遅くて、ぼんやりと浮かび上がる優の記憶を恐れていた子どもだった。
手のかかる子、だっただろう。
気味が悪いとさえ思われても仕方がない。
けれども、両親は優しく受け止めてくれた。
小学生に上がる前の年、両親にお願いしてある場所に連れていってもらった。
地下鉄を乗り継いで、都心から少し離れた街。
諳じる事ができた場所を、両親は何も言わずに手を繋いで連れていってくれた。
その家を見たときに、ふと甦る。
『マイホーム、35年ローン! 念願の我が家だぞ!』
優の記憶の中で料理屋を営んでいる夫婦が嬉しそうに子どもに自慢していた。
そこの表札はすでに【滝藤】となっていて、別の家族が住んでいた。
両親が近所の人に聞いた話によると、住んでいた人は引っ越したそうだ。
小さな頃の俺は“優”という名前しか出していない。
けれども、両親は突然引っ越した人に何らかの感情を覚えた様だった。
ぎゅっと俺と繋いだ手に力を入れる。
人の死は、生きている人の心を殺す。
山中優は、それに思い至らなかったんだろうか。
……きっと、それを思う以上に彼は追い詰められていたんだろう。
けれども、現実にここに住んでいた人は消え、どこか別の場所に行ってしまった。
……ローン、残っていると言っていたのにな。
なのに、そこに〝残れなかった"のは、きっと……。
「会いたい人に会えなかったね」
「ううん、いいの」
「興信所……探偵さんを使えばきっと」
「大丈夫だよ、まま、ぱぱ」
記憶にこびりついた“優”を振り払う。
俺は、神崎望だ。
“山中優”じゃない。神崎望だ。俺は彼とは違う。
俺の、今の両親を見上げる。
俺はこの人たちのためにも生きないといけない。
“山中優”の人生をなぞるなんて御免だ。
優しい優しい、俺を望んでくれた人たち。
俺はその日、やっと神崎望になることができた。
【暗中模索】
読み方:あんちゅうもさく
[名]
1 暗やみの中で、手さぐりしてあれこれ探し求めること。
2 手掛かりのないまま、いろいろなことを試みること。「打開策を暗中模索する」
(デジタル大辞泉より)
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