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【薄雲】Usugumo

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「おじい様、あの時の約束は覚えていらっしゃいますか?」
祖父である右代と対面した朱雀は厳ししい目つきで右代に聞いた。
「あの時、とは月夜を勘当したときの事か?」
右代も朱雀の刺す様な眼差しを受け止めたままで朱雀に問い返した。
「そうです。月夜さんの右代家からの勘当を解くというお約束です」
「ああ、覚えているとも」
右代は回想するようにふっと笑みを浮かべた。

月夜は右代から勘当を言い渡された事に深く傷ついていた。結婚当初から男児を望んでいた右代は長女である弘子を授かった後、長い間子に恵まれずようやく授かったのが月夜だった。そのため右代は弘子と年の離れた月夜を事のほか可愛がっていた。その溺愛ぶりは幼少時から共に暮らす朱雀の目にも明らかなほどだった。あのパーティの夜がくるまでは。口には出さなかったが月夜の落胆振りは火を見るより明らかで傍にいた朱雀はいたいほどにそれを感じていた。月夜が明るく振舞えば振舞うほど、朱雀はその痛痛しい姿に心を痛めていた。そのため朱雀は月夜には内緒で右代になんとか勘当を取り消すようにととりなしていたのだった。


『まさか私の息子が噂に聞くゲイと言うやつだったとはな。まして月夜とお前がそんな関係だったとは考えるだけでもおぞましい。こうしてお前と会うだけでも思い出して虫唾が走るわ』
右代は穢れた物を見る視線を朱雀に送った。
『私のことはかまいません。どう思われようとも。ですが月夜さんだけはどうか許してあげてください』
朱雀は右代の視線に怯むことなく懇願した。
『ミカド財閥は世界でも有数の一流財閥だ。そしてその総帥であるお前は財閥の顔ともいうべき存在。それなのにお前までゲイとは。甚だ嘆かわしい。弘子もとんでもない息子を生んだものだ』
右代は至極残念そうに首を横に振った。
『宮内のところは二人目の孫が出来たと聞く。お前もいい年だ。結婚もせぬようでは世間に顔向けも出来ぬことはわかっているのであろう。なにせ宮内の息子を戻せと息巻いた時に私を脅したくらいだ。お前も世間一般の常識がないわけではあるまい』
右代の正論に朱雀は言い返す言葉が見当たらない。
『私も一人の父親として孫の顔を楽しみにしていたのだ。だがその私の望みをあいつは踏みにじった』
右代が牙をむくように朱雀に言い放った。朱雀は両手の拳を握り右代の言葉を聞いていた。
『お前もまた然り。ひ孫の顔を見せてくれぬだけでは飽き足らず、よりにもよって月夜と関係を持つなどと』
右代が眉間にしわを寄せて朱雀から目を逸らした。
二人の間にしばしの沈黙が訪れた。

『そうだな、お前がどうしても、と言うのなら考えなくもない』
右代が何かを思いついたように視線を朱雀に向けた。
『お前がミカド財閥の総帥として然るべき令嬢と結婚し、私にひ孫の顔を見せてくるのであれば月夜の勘当を解いても良い』
『それは無理です』
朱雀がすぐさま反論した。
『なに、ほんの数年の結婚生活を送りひ孫を作れば良いだけのこと。どうしても月夜が忘れられなくばその後離婚すればよかろう。今の時世はバツイチと言う輩も多いと聞く。ただし月夜には黙っているのが条件だ。無論、お前たちがゲイである事を公表することもゆるさん』
右代はフンと鼻で笑うと簡単そうに言い切った。
『結婚しろと言う事は事実上、月夜さんと別れろと言っているに等しいじゃないですか。それに私はゲイです。女性とは、いえ月夜さん以外とそういう事は』
朱雀が怯んだように右代から目を逸らした。
『別に関係を持たずとも子は作れる。今の世の中では手段はいくらでもあるであろう』
『しかし、それではおじい様の望みを叶えたとしても月夜さんは私の元から離れてしまいます。私には月夜さんと別れることなど到底できません。どうか、それ以外の望みをおっしゃってください』
朱雀は妥協案を提示するように右代に促すが、右代は頑として聞き入れようとはしなかった。
『そんなことぐらいで別れるようなら所詮はそれだけだったという証拠ではないか』
右代の発言に朱雀が奥歯を噛み締めた。
『私を裏切った報いだ。お前が結婚し世間にミカド財閥の安泰を示し、私にひ孫の顔を見せる。月夜にこの右代家の敷居を再び跨がせたければこの条件は曲げぬ』
右代の突拍子もない条件に朱雀はどうすることもできぬままに時を過ごしていた。


「覚えてくださっていて良かったです。くれぐれもそのお約束、お忘れにならないでください」
朱雀は右代に五輪 栖美香との婚約を伝えた。


右代家を出た朱雀はヒカルの自宅マンションを訪れ、自らの婚約を伝え月夜をヒカルの第二秘書としての雇用を頼んだ。
「あんたは本当にそれでいいのか、朱雀」
詳しい事情を知らない筈のヒカルが何かを感じ取ったかのように朱雀に聞いた。
「後戻りはできない。もう決めたことだ。月夜さんのために私が出来ることは何でもしてあげたいからね」
朱雀が苦しげに微笑んだまま、紫上の入れたコーヒーを見つめた。
「酒のほうが良かったか?」
ヒカルがタバコに火をつけた。
「いや、いただくよ」
ヒカルはせっかく紫上が入れたコーヒーが冷めるのを懸念して、朱雀に勧めたのだった。
「旨いな」
やはり朱雀は苦しそうに賞賛した。
「旨そうな顔じゃねえよ、それ」
ヒカルが煙を吐き出してコーヒーを啜った。
「正直なところ、ヒカルが羨ましいよ」
朱雀がぼそりと呟いた。
「正当な後継者で、大財閥の総帥様に羨ましがられる程じゃねえよ」
再び煙を吐き出しながらヒカルも呟いた。
「私は愛する人を自分の手で傷つけなくてはいけない。何の柵(しがらみ)もないヒカルが羨ましいんだよ」
朱雀が顔を歪ませた。
「それしか方法がねえんなら、きっと俺でもそうする。いや、もうそうしたか」
ヒカルもドバイでの一件を思い出し僅かに表情を崩した。
「でも、紫上は俺を信じてくれた。信じるしかねえだろ、あんたもあいつのことを」
ヒカルの励ましに感情の入り混じった表情の朱雀が「そうだな」と呟いた。


朱雀が帰ると別室にいた紫上がリビングにいるヒカルの隣に腰掛けた。
「紫上、俺がドバイに行っていた間」
ヒカルは何かを聞こうとしたが、そこで言葉を止めた。
「多少は腹を立てました。でもそれ以上に寂びしい気持ちの方が大きくて。でも僕のところに帰って来るっていったヒカルさんの言葉を信じようと思いました。僕にはそれしか出来ませんから」
ヒカルを真っ直ぐに見据えた紫上の瞳に薄っすらと涙が滲む。
「でも出来れば、まだあの時の事を思い出したくはないです。一人は、一人だった時のことは」
小刻みに肩を震わせ始めた紫上を抱き締めたヒカルは「悪い。悪かった、思い出させて。もう、何があっても離れねえから泣くな」と紫上の髪を撫でた。
「はい」
紫上がヒカルの胸の中で小さく返事をした。
「心配だな。あいつは俺より真面目で誠実だからな」
紫上を抱き締めるヒカルが心の内を語った。
「ヒカルさんも真面目で誠実ですよ」
泣き止んだ紫上がすかさずフォローした。
「俺はお前にだけそう在りたいと思ってるからな。でもあいつは誰にでもそうだから心配なんだ」
ヒカルは腹違いの兄を心底心配した。

「それと、お前に言っておかなきゃならねえことがある。
慧を帰国させた。もちろん餓鬼も一緒だ。二つ隣の駅前に買ったマンションに今は住まわせている」
ヒカルの言葉を聞いた途端、紫上が体を硬くした。
「安心しろ、慧は餓鬼のただのお守役だ」
紫上を安心させるようにヒカルが付けたした。
「名前」
紫上がヒカルの腕のなかで囁いた。
「ん?」
ヒカルが柔らかい声色で疑問符を投げかけた。
「子供の名前、何て付けたんですか?」
ようやく顔を上げた紫上がヒカルの目を見て今度ははっきりと聞いた。
「【亜衣】(Ai)。宮内 亜衣」
ヒカルは紫上の視線を捕らえたままで子供の名を告げた。
「亜衣ちゃん。素敵な名前ですね」
紫上が表情を硬くしたままで無理やり微笑もうとした。

チュッ。
ヒカルは紫上の唇に吸い付くようにキスをした。
「いずれは。いや、お前がいいと言ってくれるなら亜衣をここで引き取りたい。お前と、お前と俺の子供として育てたいんだ」
ヒカルの言葉に紫上が目を見開いた。
「良いんですか?僕が亜衣ちゃんと暮らしても。だって慧さんは」
紫上の言葉を遮ってヒカルは再びキスをした。
「慧のことは何とかする。お前が気にすることじゃない」
ヒカルは何度もキスをしながら紫上をソファに押し倒した。

「ヒカルさ、いま?」
紫上の息が次第に上がる。
「いま」
ヒカルは紫上をその気にさせるようにキスを繰り返す。

「ここで?」
「ん、ここで」
ヒカルは齧り付くように紫上の唇を塞いだ。
「口空けろ」
「ん、んん」
ヒカルに言われるがまま紫上はヒカルの舌を受け入れた。ヒカルは何度も角度を変えながら紫上の口内を貪る。
「ん、んんんっ」
紫上が叫ぶように鼻音を発する。
「出せよ」
キスの合間にヒカルが囁くと、紫上は下肢を突き上げて体を震わせた。

「ん、ああっ」
ヒカルの唇が離れると紫上があられもない声を上げた。くたりと体の力が抜けた紫上のスラックスをヒカルが脱がせた。
「滲み、作るくらい気持ちよかったか?
でも、中を俺ので突いてねえから物足りねえだろ」
ヒカルの視線をボクサーパンツに感じた紫上が羞恥から手で下肢を隠そうとした。
「ちゃんと見せろ。そしたら中を嫌ってくらい突いてやる」
ヒカルの扇情的な声色で囁かれた紫上は、拒むことが出来ずに抵抗を止めた。ヒカルはボクサーパンツを脱がすように捲った。
「相変わらず濡れやすいな」
紫上のペニスから出た体液で濡れた下肢を嬉しそうに見つめながら、ヒカルはボクサーパンツを脱がせた。
「上だけ服着てるってエロイよな」
ヒカルが狙いを定めた獲物を見るように紫上の体を視姦する。その言葉に反応した紫上が羞恥に耐えるように頬を赤く染めた。
始めは柔らかく横たわっていた紫上のペニスが、時間と共に勃ち上がり始めた。
「いい反応だ。まるで熟れた果実のように全部が綺麗にピンク色に染まってきたぞ」
ヒカルは独り言のように呟くと、紫上のペニスとその周辺の滑った液を舐め取る。ヒカルの舌の感触で紫上のペニスが完全に勃ち上がった。ヒカルは大きな手のひらでペニスを包み、竿の部分を舌で扱く様に舐め上げると、紫上の中に沸き起こる興奮が吐息となって零れ落ちる。ヒカルは時折、紫上に視線を送り、確認しては頬を緩めた。
ヒカルが何かを思い立ったように紫上のペニスの根元にある、成人の男性器としては小ぶりな睾丸を両方一気に頬ばった。
「あああっ」
紫上の吐息が嬌声に変わった。ヒカルは紫上の表情を確認しながら、飴玉を転がすように舌で片方ずつ舐めた。
「や、あん、あん、あっ」
紫上が無意識に腰を揺らめかせ始めた。気を良くしたヒカルは手の中で硬く主張するペニスも同時に可愛がり始めた。
「や、っや。ああ、んっや」
紫上の腰が逃げを打つ。それでもヒカルは紫上のペニスへの刺激を続けながらもう一方の手で紫上の逃げる腰を押さえつけた。ヒカルの大きな手に優しく扱かれるペニスがドクドクと脈打った。
「やあっ、どっちもだめ。どっちか、どっちかにしてぇ」
紫上が耐え切れずに叫んだ。

「嫌だったか?」
中断したヒカルは起き上がって紫上の顔を覗きこんだ。
「し、刺激が強すぎて」
涙目の紫上が荒く息を吐きながらヒカルに正直な感想を漏らす。
「そうか、でも嫌じゃねえんだな」
ヒカルが安心したようにフッと笑みを浮かべると、紫上が恥ずかしそうにこくりと頷いた。
「じゃあ、始めは片方ずつから慣らそうな」
ヒカルが紫上の涙を指で拭ってやると、紫上がおずおずと口を開いた。
「挿入れてください。もう、欲しい」
紫上の熱っぽい眼差しにヒカルは性急に紫上の尻を指で解すと直ぐに正常位で挿入れ始めた。ヒカルの長大なペニスがズズズと音がしそうなほどゆっくりと紫上の尻を広げながらめり込む。紫上は何かに必死に耐えるように息を吐き続けた。ヒカルのペニスが最奥まで到達した瞬間、慌てたように紫上が身を乗り出しヒカルの首に腕を絡ませてキスをした。
「んんんーっ」
かん高い鼻音を発して身を震わせた紫上が次の瞬間、力尽きたようにソファにポフッと身を沈めた。
「もう、イッたのか?」
僅かに驚いたようにヒカルが紫上の顔を覗きこむ。紫上は気だるげに頷くことで肯定した。
「さっきヒカルさんに口でされたの、けっこうヤバくて」
紫上が大きく息を吐いた。ヒカルはそれが睾丸への愛撫である事を知るとほくそ笑んだ。紫上の呼吸が落ち着くのを待ったヒカルは紫上の臀部の下に脚を潜り込ませた。一部の隙も無く密着させ、ヒカルはペニスの切っ先で奥を小突くように小刻みに下肢を燻らせ始める。やんわりと送り込まれる刺激に、紫上が蕩けるような表情で目を細めた。
「気持ち良いか?」
動きながらのヒカルの問いかけに紫上が鸚鵡返しをした。
「気持ちいいです」
紫上が熱い吐息をこぼし続け、時折真っ白な喉を晒す。
「もっと、気持ちよくなろうな」
ヒカルの右手が紫上の睾丸に差し伸べられた。ヒカルは大きな手の平で二つの丸みを優しく転がし始めた。
「あ、ああっ。あん、はあ、あん」
紫上が悦びに咽び啼き、溢れ出る紫上の体液が流れ落ちヒカルの手を濡らす。その事で確信したヒカルは紫上を悦ばせることに専念した。紫上は二度ほどキスをせがみ下肢を突き出したが、それはヒカルを深く受け入れる行為に他ならなかった。気を良くしたヒカルは睾丸への愛撫をひたすらに続けた。

「ヒカルさ、出る。違うの出る」
紫上が焦った様に連呼するや否や、ペニスからピュッと何かを吐き出した。それはヒカルの下肢の動きに連動するように幾度も小刻みに吐き出された。ヒカルはその液体を空いている手で掬いぺろりと舐めた。
「潮か」
紫上は潮を噴くたびに「や、や、やあっ」と啼き続けた。
潮が出なくなると、ヒカルは動きを止めて紫上の吐き出した潮をティッシュで拭って綺麗にしてやった。

「始めて潮、噴いたな」
潮吹きの間中キスをせがまなかった紫上にヒカルは嬉しさを隠すことなくキスをした。朦朧とする紫上は放心したままそれを受け入れた。
「気持ち、良過ぎて我慢できなくて。ごめんなさい」
紫上の素直な感想にヒカルが再びほくそ笑んだ。
「それに僕ばっかり、ごめんなさい」
まだ一度も精を出さないヒカルに紫上が申し訳なさそうに謝罪した。
「どうして謝る。お前が気持ち良きゃ俺も気持ち良いんだ。それに今度は俺がお前に抱かれると想像するだけでも既にイキそうだ」
ヒカルは紫上の体をぐるりと回転させて後ろ抱きにするとソファに互いの体の左半身が下になるように横向きに体位を変えた。その状態でヒカルは右手で紫上の左肩に手を回して抱き寄せると、紫上の腰下から回した左手で紫上のペニスを筒状に軽く握った。
「ヒカルさん、そこは」
「さっき片方ずつ慣らすって言っただろ」
ヒカルはペニスへの直接的な刺激を好まない紫上の言葉を遮って下肢を押し上げ始めた。ヒカルの下肢の動きにより、紫上のペニスがヒカルの手の中に挿入を繰り返す。
「待って、や、あん、やっ」
強い刺激に紫上が両手でヒカルの右腕にとっさにしがみ付く。
「俺を抱け」
ヒカルが扇情的な声色で紫上に囁く。
「ヒカルさ、声、んんん」
紫上が首をすくめるが、がっちりホールドされていてはヒカルにされるがままだった。
「悪い、先に出す。…ん、クッ」
ヒカルのペニスが紫上の中で弾けると紫上も「んふっ」とヒカルの吐きだす熱の感触に首をすくめて受け止めた。ヒカルのペニスが紫上の中で力を失ったが、ヒカルはそのまま下肢を再び動かし始めると直ぐに復活を遂げた。
「次からは一緒にイこうな」
ヒカルの囁きに同調し期待するように紫上のペニスはヒカルの手を潤した。


治療の甲斐も空しく、籐子は乳がんにより三十七歳でこの世を去った。
十四才の冷泉は将来の立場を考慮して籐子の実家ではなく宮内の家に引き取られることになった。
籐子の死で泣きじゃくる冷泉にヒカルは「男ならもう泣くな。お前が泣いてばかりいたら籐子が天国には行けなくなるんだ」と諭すと、冷泉はその日を境に涙を見せなくなった。
マンションを引越すため身の回りを整理していた冷泉は籐子の形見を一つ持っていこうと籐子の部屋に入った。何にしようか物色する冷泉がベッドサイドのチェストを開けた。

「携帯だ。しかも古い機種」
冷泉は何気なくバッテリーに繋いで電源を入れた。ロックのかかっていない携帯は直にホーム画面へと移行した。籐子はあまり交友関係が広くなかったようで連絡先の登録もメッセージ画面も籐子の実家と宮内本家、桐生、家政婦の大野、そしてヒカルだけだった。
「ヒカルだ」
冷泉は真っ先にヒカルと登録されたメッセージ画面を開いて中を見た。

「これって、どういうこと?」
メッセージの中身を読んだ冷泉の顔が強張った。内容を見る限り籐子とヒカルは頻繁に会っていた事を示していた。そして何度もヒカル側から書かれている『会いたい』の文字。
「最後のメッセージは僕が産まれて間もなくで終わってる」
冷泉は胸がザワつくのを感じた。
「お母さん、ヒカルと何かあったの?」
冷泉が独り言を呟いた。
「お母さんとヒカルのやり取りは始まったのは僕が生まれる前の年、そして最後は僕が生まれて間もなく。偶然、だよね」
自分の出生に関して冷泉の頭に一つの疑惑が生まれたが、それを掻き消すように首をブンブンと横に振った。

「冷泉坊ちゃま、いらっしゃいますか?」
玄関の方から大野の声が聞こえた冷泉は、急いで携帯を無造作にチェストにしまうと大野を迎えるべく籐子の部屋を出た。
「あら、坊ちゃまここにいらしてたんですか。初めてのお引越しで何かと大変かと思いましてお手伝いに参りましたの」
生まれてからずっと世話をしてくれた大野が何かを知っているかも知れないと、冷泉は思い切って口を開いた。
「大野さん、僕が生まれる前からここに通っていたんですよね?」
「さようでございます。籐子様がこちらへいらしたと同時に私は亡くなった旦那様に雇っていただいたのでございます」
大野が懐かしむように遠くを見た。
「じゃあ、僕がお母さんのお腹にいるってわかったとき、お父さんとお母さんは喜んでくれた?」
「もちろんでございます。特に旦那様のお喜びようといったら」
大野がそこまで言うと、何かを思い出したように斜め上に視線を向けた。
「そうそう、坊ちゃまを身ごもった可能性に気がつかれた籐子様は、まずはご自身で妊娠検査薬を使用して調べられたのでございます。そしてそれをごみの中から見つけた私が慌てて旦那様にご連絡しましたら、お忙しいにも拘らず血相を変えてこちらへいらっしゃいましたが何もご存知のないご様子でしたので私が籐子様の妊娠をお伝えいたしました。それを聞いた旦那さまは大層驚かれていらっしゃいました。こうやって腕組みまでされて眉間に皺を寄せるほど何かをお考えになっていらっしゃいました」
大野が当時の桐生の様子を思い出して真似る仕草で腕組みをして眉間に皺を寄せた。
「私てっきりご存知とばかり思い込んでおりましたから。
私ったらそそっかしくて、旦那様にはサプライズにしていた様でございます。あの時はこの大野、大失敗をいたしました」
コロコロと笑いながら大野は当時の様子を語った。
「旦那様のお喜びが相当でしたのは、籐子様が妊娠して数ヶ月目の定期健診で冷泉様が男の子とお分かりになった時ですわ。旦那様は直に『紅葉の賀』と称されて盛大なパーティを催され、その席で春にお生まれになる冷泉様のお名前を発表し、冷泉様を御門の籍に入れると公言したのですわ。私のところもそうでしたけれど子供の名前は大抵生まれるまで迷うものでございます。ですが旦那様はやはり決断力がおありで、流石は大財閥の総帥と私感動いたしましたの。そのパーティが秋口でございましたから冷泉様のお生まれになる半年近くも前でございます」
冷泉は始めて知る事実に驚くばかりだった。
「しかもそれだけではございませんわ。ヒカル様には御門の姓をお与えになりませんでしたのに、冷泉様には御門の姓をお与えになったことでございます。なんでも桐生様の正妻のご実家をけん制する意味もおありだったとか。まあ、私には難しいことはわかりませんけれど、パーティ会場は騒然としたと聞いておりますわ」
記憶を辿る大野は思い出すがままに次々と語り続けた。
「待って、大野さん。正妻って?ヒカルが御門の姓を与えられなかったってどういう意味ですか?」
冷泉は籐子からヒカルは従弟(いとこ)としか聞かされていなかった。
「あら、ご存知ありませんでしたのね。
旦那様にはすでに奥様がいらっしゃったのでございます。ヒカル様がお生まれになったときもですが旦那様と籐子様、とヒカル様のお母様はお互いを深く愛されておいでだったので。ですからヒカル様は宮内の姓を名乗っておいでございますが冷泉様の実のお兄様でございますよ。ヒカル様のお母様と籐子様は従姉妹と伺っております。ヒカル様のお母様はヒカル様をお生みになり間もなくお亡くなりになったそうでございますわ」
お可哀相にと大野は眉尻を下げた。
「お母さんは不倫してたの?それにヒカルが僕の実の兄だなんて。
お母さんとは?ねえ、お母さんとヒカルは?」
冷泉が泡を食ったように大野に詰め寄った。
「まあ、世間一般では不倫と言うことにはなりますけれど。籐子様とヒカル様はまたいとこで幼馴染、としか私は」
大野が困ったように言葉を濁した。
初めて聞かされる驚きの事実の数々に冷泉の表情に様々な感情が交錯する。冷泉のただならぬ雰囲気にようやく気がついた大野は手で口を覆い隠した。
「まあ、大変。私ったらまた浅はかな事を口走ってしまったのですね、申し訳ありません坊ちゃま。どうしましょう」
おろおろと慌てふためく大野を他所に冷泉はすたすたと籐子の部屋へと姿を消した。日が暮れても部屋から出てこない冷泉に、大野は自分の犯した失態を悔い何度もマンションを振り返りながら後にした。


朱雀が出て行った日から月夜は社を無断欠勤していた。ソファにごろりと横になったまま月夜はぶつぶつと独り言を呟いていた。
「結婚するってどういうことだよ。
ゲイのくせに。
女なんか抱けんのかよ。
僕を愛してるっていったくせに。
何なんだよ、ばか朱雀。
ちゃんと説明しろよ。
秘書まで解任されたら傍にもいられないじゃないか。

もしかして僕のせい?
僕があの時ヒカルに連絡したからそれで怒った?
もうヒカルとはなんでもないって言っただろ。
でも、だからそのおしおきがこれなのか?
たかがそれだけでなんでおしおきなんだよ。
なんで結婚なんかするんだよ。
意味わかんねえ。
あんなに愛してるって言ったくせに。
あんなに毎日僕のこと抱いたくせに。
プロポーズまでしたくせに。
契約不履行じゃないか。
お前が先に僕に執着したんだろ。
僕は後腐れなかったらそれで良かったんだ。
なのにお前のせいだろ。
僕がこんなに弱くなったのは全部お前のせいじゃないか。
なのになんで僕を捨てるんだよ」
答えのない問答に月夜の目から涙が溢れる。
「ばか朱雀。ばか朱雀。ばか朱雀。ううう、ちくしょう」
身を守るように体を縮こまらせて月夜は泣き続けた。
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