現代版 曲解【源氏物語】

伊織 蒼司

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【絵合】Eawase

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初出勤をした怜央はマフムードへの挨拶のためにマネージャー室へと向った。
コンコン。
「Come in」
ノックの音で中へ入ると、マフムードは見ていた書類から顔を上げて怜央ににこりと微笑んだ。
「お、おはようございます。昨日は僕の歓迎パーティを催してくださりありがとうございました。疲れからか早々に休んでしまい申し訳ありません」
昨夜のショックから立ち直っていない怜央は、顔を強張らせたままで挨拶をした。
「気にすることはない。昨夜は私も大いに楽しんだからね」

席を立ちマフムードがにやりと笑みを浮かべながら怜央に近づいた。いささか近すぎる距離まで怜央の傍に来たマフムードは、怜央の顔を覗き込むように身を屈めた。
「君の恋人は現総帥の右代 朱雀なのかい?何度も朱雀様と呼んでエクスタシーを迎えていたよ、君は」
そのマフムードの一言が怜央に昨晩の相手がマフムードであったのだと感づかせた。怜央はとっさに身を硬くした。

「おや、否定も肯定もしないのかな?もしかして君たちがゲイである事がバレる事を心配しているのだろうか」
マフムードがにやけた笑みで怜央を見据える。怜央は蛇に睨まれた蛙のように動くことが出来ずにいた。
「ああ、心配はいらないよ。君を抱いた時点で私も他人をとやかく言える立場ではないからね。でも、否定も肯定もしないと言う事は相手が現総帥であることは事実のようだね」
マフムードの言葉に怜央が一瞬で青ざめた。
「朱雀と言う名は決してポピュラーではないが、現総帥に限った名ではない筈だからね」
マフムードはしたり顔で怜央に伝えると、怜央はしまったという表情を浮かべた。
「君は嘘が苦手なようだ。直ぐに顔に出る」
何も言い返すことの出来ない怜央にマフムードが続ける。
「昨晩は、いや、今朝までか。君とのセックスが忘れられなくなってしまってね。
これっきりにしたくはないんだよ。ここに滞在中は私の相手をしてくれないかな」
マフムードの提案に怜央が何を馬鹿なという顔をした。
「ククク。本当に君はわかりやすい。いくら現総帥が寛大で慈悲深くとも他の男に身を任せたとしったらどう思うだろうね。それに、恋人の君をドバイくんだりまで移動させるくらいだ。君のことなどとうに見限っているのではないのかな?」
マフムードの言葉に怜央が下唇を噛み締める。
「やはり図星か。期待を裏切らないね、君は。でも、考えてもみるといい。決して悪い話ではないだろう。私はお互いの性欲処理をより最高の相手としようと言っているのだからね。だが、もし君が断ると言うのなら不本意ではあるが私にも考えがあってね」
マフムードが怜央の噛み締められた下唇を親指でそっとなぞる。
「君の性癖ともども、言い触らしてしまいそうだよ」
マフムードが怜央の耳元でそっと悪魔のように囁いた。
「尿道プレイと言うのだったかな?現総帥がどのように君のペニスを女に変えたのか興味心身なんだよ、私は。現総帥は実に優秀な手腕をお持ちのようだ。世の中の人間が知ったらさぞかし目を見張るだろうね」
マフムードが怜央の耳に触れるだけのキスをした。怜央はされるがまま、成す術もなくガタガタと体を震わせていた。
「捨てられたとはいえ、君は現総帥に未だにご執心のようだ。現総帥を守ることが出来るのは、君だけなんだよ」
マフムードはクククと怜央の耳元で笑い始めた。

「・・・わないで」
「何と言ったんだい?」
怜央の聞き取れないほどの声にマフムードが聞き返した。
「言わないで」
小さく呟いた怜央が零れ落ちそうなほど目に涙を溜め、マフムードを睨み見据えた。
「ククク。いいねえ。穢れのない今の表情の君と、男を銜えた時に見せる娼婦のようなギャップ。やはり君は私の理想だよ。商談成立だな、呼んだら直ぐに私の所へ来るんだよ、イラーハ」
目の前が真っ暗になった怜央は、青ざめたままマネージャー室を後にした。その姿を心配そうにカミールが見ていた。

カミールは怜央といれ違いにマネージャー室へと入った。

「ようやく仲間になる事を決心したのかな?」
マフムードの不適な笑みにカミールがコクリと頷いた。
「そうか。遅かったね。でもいい。早速だがお前にある人物との橋渡し役になって貰おうか」
マフムードは自席を立つとカミールに変わりに座らせてPCのあるサイトを立ち上げた。
「これは?」
カミールがマフムードの顔を見上げた。そのサイトはただの風景写真を集めたサイトだった。
「ここから入るんだ」
いくつかの画像の中の夕日の沈む海辺の画像にマフムードがカーソルを動かして波打ち際の流木のある一点をクリックした。
「これは」
カミールが驚きに目を見開いた。
「そうだここをクリックするとMr.Kanouとやり取りできる通信サイトに飛ぶのだよ」
マフムードが「奴は用心深いからね」とクツクツと笑った。


「六条、午後の予定はどうなってる」
大学在学中にミカド財閥に内定が決まった知らせを受けた雅の娘の凛を、ヒカルはCOOの力を使い第一秘書へと抜擢した。入社当初はひがみとやっかみが社内を渦巻いたが持ち前の芯の強さと有能さで自ら一掃していた。控えめで慎み深い凛は次第に社内の評価を上げていた。ヒカルもまた、凛を雅の娘としてではなく有能な秘書として信頼し始めていた。

「午後は一時から早瀬物産の早瀬様との御会食の後、七菱ホールディングスの石田様との商談、五輪モータースの視察と五輪様との業務提携の打ち合わせです。
それと、決裁書と稟議書などCOOが目を通す必要の無い物は私が既に他部署へ届けておきましたのでCOOはこちらの書類をお願いします」
淀みのない凛の説明にヒカルは「わかった」と一言告げるとヒカルはコーヒーカップを口元に運び書類に目を通そうとした。
「あ、あの」
凛の心もとなげな声にヒカルが書類から顔を上げた。
「何だ?」
不必要な発言をしない凛に不思議そうな面持ちでヒカルが尋ねると凛はおずおずと口を開いた。
「あの、不躾な事を質問させていただいてもよろしいでしょうか?」
ヒカルが小首を傾げたが「ああ」と答えると、凛は堰を切ったように口を開いた。
「せ、セックスをするって、相手をどう思ったときにセックスするものなんですか?COOにはその、男性のパートナーがいらっしゃると聞いてます。セックスは愛する人と、いえ、普通は異性とするものではないですか?」
凛の質問にヒカルが真顔で「本当に不躾だな」と溜息を吐いた。
「あ、も、申し訳ありません。雅ちゃん、いえ、父の事を棚に上げて不躾な事を聞いているのは判ってます。でも、私、その、誰ともセックス、したことないんです。父からセックスは軽々しくする物ではないと、生涯を共に歩きたいと思える人としかしてはいけない物だと子供の頃から言い聞かされていて。でも、友人たちにその事を聞くと引かれてしまって、父の教えがおかしいのだと笑われて」
凛は恥ずかしそうに俯いた。

ヒカルは大きく溜息を吐いた。
「俺は元々ノーマルだった。女としかセックスをしたことはなかった。男とするなんて考えもしなかったからな。だが俺をこっち側、ゲイの道に引き込んだのは雅、お前の父親だ。まあ、まだ女も抱けるから正確にはバイだがな」
ヒカルの告白に凛が息を飲んだ。
「俺にとってセックスは遊びだったからな。でも俺は紫上と出合った。だからこそ言える。雅はお前に幸せになって欲しいからそういったんだ。人にはそれぞれタイプがある。刹那的な遊びでセックスしていい人間と、そうじゃねえ人間と。お前は後者の人間だ。かつての俺や雅のような刹那的な遊びのセックスは、きっとお前は耐えられねえだろうな」
「でも、二十二にもなってセックスしたことがない人なんていないって皆が」
凛が感情のままに声を張り上げた。
「皆、か。セックスしたことがないから他とは違う。それがお前の不安か?なら、セックスすればいいだろう?お前なら誰でも言い寄ってくる男はいるだろ?」
椅子に腰掛けたヒカルが強い眼差しで凛を見上げた。
「誰でもは、ちょっと」
怯んだ凛が視線をカーペットに落とした。
「だろ?もう一遍いうぞ、お前は刹那的なセックスには向かない人間だ。もしそれを捻じ曲げてセックスしたら、本当に好きになれる相手と出会った時に後悔するだろうな」
ヒカルの言葉に凛が考え込むように眉根を寄せるとヒカルを真っ直ぐに見た。
「では、COOは後悔しているんですか?パートナーの方と出会って」
「だから言っただろう、俺は刹那的なセックスのできる人間だって。お前とは違うんだ」
ヒカルが再び溜息を吐いた。
「紫上はゲイじゃねえ。だが、こっち側に引きずり込んだのは俺だ。紫上が女を知る前にな。だから紫上は女を知らねえし、男は俺しか知らねえ」
ヒカルがすっかり冷め切ったコーヒーを啜った。
「紫上を見ているからこそ言えるのは、あいつは俺じゃねえとダメだってことだ。あいつは俺にだからこそ体を開くんだ。もし俺達が出会っていなければあいつは死ぬまで女も、男さえも知ることはなかっただろうな」
ヒカルが残りのコーヒーを飲み干した。
「それだけ、俺があいつにとって特別ってことだ。お前も、出会えばわかる筈だ」
ヒカルは空いたカップを凛に差し出して次の一杯を要求した。凛はそっと受け取ると執務室を後にした。


佐久間と惟光との電話の後掛けた電話の依頼報告書が探偵から届いた。一通り目を通したヒカルは、もう一本掛けた国際電話の主との会話を思い返していた。

『加納はある日、突然母が連れてきたんです。それまで浮いた話をしたことのない母がです。僕たちは当然驚きました。でも母の決めたことなので』
電話口の慧が苦しそうに吐き出した。
『待て、父親は?お前の父親はどうしてるんだ?』
『父は、いません』
『いないって。離婚とか死別とかか?』
『いえ、子供の頃何度か母に尋ねたことがあるんです。僕たちの父の事を。でもその度に母は悲しそうな顔をして父はいないのだと。僕はそんな母の顔を見るのが嫌でそれからは尋ねた事はありません』
『そうか。なら加納が現れたその前後に変わった事はねえか?』
ヒカルの質問に慧がそういえばと電話口で話し始めた。
『加納が来るまでは伯父がよく遊びに来てくれていたんですけど、いつの間にか来なくなりました』
『伯父?』
『そうです。母の兄にあたる人で僕たちをとても可愛がってくれました。僕たちは叔父が大好きで、来なくなったのはきっと加納が来たせいだと思い母に聞いたことがあります。母からは伯父は仕事で海外に行ったのだと聞かされています』
『海外?その伯父って奴は何をしている奴だ?』
『それまでは隣町で獣医を開業していました。馬の、特に競走馬が専門で海外にもよく行っていたので僕たちはとても残念に思っています。今は何処にいるのかも、わかりません』
慧の辛そうな声色がヒカルにもそれが真実であると告げていた。
『あっ』
慧の声の向こうから赤ん坊の泣き声がヒカルの耳にも届いた。ヒカルは『また連絡する』と言い残して電話を切った。

「概ね、調査の通りか」
ヒカルは報告書の【明石 慶吾】(Akasi Keigo)の項目を再び目を通した。
明石 慶吾:【明石 由紀】(Akasi Yuki)の兄、愛美、慧の伯父。米国ハワード大学を飛び級で卒業。医師、獣医師免許取得。専門は薬学。博士課程終了後帰国、日本で開業。現在は所在不明。
「薬学専門か」
ヒカルはリクライニングチェアに身を凭れさせ、しばし目を閉じた。


「いや、いやぁ」
鉤状にした人差し指でぐちゅぐちゅと尿道内を掻き回される怜央が、バスタブの縁にしがみ付きながら泣いていた。
「ああ、堪らないな。こんなのは女では決して味わえないよ」
バスルームで膝立ちの状態で後ろからガツガツと怜央を犯すマフムードが、荒い鼻息を繰り返す。
「やだ、やだぁ。もうこれ以上は」
怜央が泣き叫ぶが、それすらもマフムードにとっては快楽を助長させるエッセンスに過ぎなかった。
「いいよ、もっと泣きたまえ。君のペニスはもうこんなに溶けてとろとろだよ。ペニスは女になるとこんなにも柔らかく蕩けるのだね。まるで極上の決め細やかなクリームの中をかき回しているようだ。まだまだ私の仕込む余地があったようだ」
マフムードが怜央のまだ硬く締め付ける尿道口付近まで人差し指を引き出して、解すように関節を折り曲げる。
「痛い、痛いよぉ。もう止めてぇ」
組織の結合を壊される痛みに怜央がますます泣き叫び、体を無意識に捩って抜け出そうとする。
「いけない子だね、イラーハ」
マフムードが怜央の中の剛直を蠢かせると、中から沸き起こる快感に怜央の体から力が抜けた。
「あん、あんああん」
マフムードは空いたほうの手で怜央のペニスを包み込み、今度こそ怜央が抜け出さぬように固定した。
「私の邪魔はしてはいけないな。これから君のペニスは一生女としてしか機能しないように私が仕込んでいるのだからね」
マフムードが怜央の尿道口を重点的に責める。
「やだぁ、痛いよぉ。助けてぇ。朱雀様ぁ」
怜央が朱雀の名を無意識に呼ぶ。
「呼んでも君の王子様は助けには来ないよ、君は王子様に見捨てられたのだからね」
マフムードの言葉に怜央が絶望したように泣きじゃくる。
「逃げる気力さえもなくしてしまいなさい」
泣く事しか出来ない怜央のペニスをマフムードは壊すようにひたすらに溶かし続けた。

「ああこれだ。すばらしい。まるでふわふわのパンケーキの手触りだ」
悦に入ったようにマフムードが怜央のペニスの触り心地を確かめた。
「どれどれ、試してみようかな」
マフムードが怜央から剛直のペニスと指を引き抜いた。指を抜かれた怜央のペニスは腫れたように膨らんでいた。
マフムードは怜央の体を向かい合わせると互いの切っ先を合わせて怜央の尿道に向って射精した。怜央の尿道はマフムードの精液を溜め始め、限界を超えるとマフムードの手の隙間を伝って零れ落ちた。
マフムードは怜央のペニスから精液が零れぬように怜央のペニスの尿道口を指先で強く抑えた。
「いいね、興奮するよ。私の精液がこの中にあると思うと興奮で震えが止まらないくらいだよ。まずは私の精液を全て受け取れる位までにしてあげよう」
怜央のペニスは先ほどよりも僅かに膨らんでいた。それを凝視していたマフムードのペニスが再び剛直さを取り戻した。マフムードは指で怜央のペニスを押さえつけたまま再び怜央の中に後ろから押し入った。怜央の肩越しにマフムードの視線が怜央のペニスに突き刺さる。マフムードの興奮の熱が背中を通して怜央にも伝わるが、怜央の心は冷えていった。マフムードは怜央のペニスに再び人差し指を捻じ込み始めると、押し出された精液が怜央のペニスから溢れ出る。マフムードは怜央のペニスの中で指を鉤状に何度も動かすと、グチュリと音を立てて怜央のペニスから精液が溢れた。その度に怜央は泣声をあげた。
「ああ、どこもかしこもとろとろだ」
マフムードの剛直が怜央の中で大きさを増すと、怜央が「ああん」と一啼きした。マフムードは堪らず下肢を激しく突き入れる。それに呼応するように怜央は啼き続けた。
「ああ、ああ、こんなセックスは初めてだ。こんなにも興奮するセックスは」
マフムードの下肢が勢いを増し、怜央の中にいるマフムードが終焉を迎えるのが怜央には判った。
「止めてぇ、中には出さないでぇ」
怜央の叫びは空しくマフムードは怜央の中で果てた。一人置いてけぼりをくった怜央が「ううう」と呻いた。
「すまないね、私ばかりが先に。しかし今の私は一度や二度では終われないほどに興奮しているよ。君となら何度でもエレクトできる。安心しなさい、君を仕込んで最高のエクスタシーを得られる体にしてあげるからね。
そうだ、君のペニスに私のペニスを挿入れるのを最終目標にしよう。やはり女は男を受け入れてこそ女だからね」
マフムードの言葉が怜央の心に恐怖と共に突き刺さった。


「実に言いづらいことなんだけど」
中将がヒカルに電話で口ごもった。
「冷泉君のことなんだ。冷泉君は美少年と噂のようだね。
俺の娘が、その、冷泉君をいたく気に入ってね。誰に聞いたのかヒカルの親戚だと知ったみたいでね」
珍しく歯切れの悪い中将に電話の向こうでヒカルが片眉を潜めた。
「その、結婚したいって言い出したんだ」
ヒカルは驚いて耳を疑った。
「おい、何を言い出すんだ?冷泉はまだ十三だぞ?」
「わかってるよ。でもさ、ヒカルだって葵と婚約したのは十二の時じゃないか」
中将の言葉にヒカルは反論した。
「俺の時とは状況が違うだろ。俺の時は右代が絡んでいたから仕方なく」
ヒカルはそこまで口にすると、流石にハッとして口を噤んだ。
「わかってるさ。仕方なかったことだって。親ばかだと思われてもいい。冷泉君に一度聞いてみてはもらえないだろうか」
中将の粘りにヒカルは不本意なため息をついた。
「左代さん、親父さんはなんて言ってるんだ?」
ヒカルは左代の意向が気になった。
「父は本人同士に任せた方がいいといってる。君と葵のことがあるからね」
それを聞いたヒカルは、少し押し黙った。

「どうだろう?」
中将が申し訳なさそうに口を開いた。
「あんたがそこまで言うくらいだ。一度だけ、今回だけ冷泉に会うように段取る。ただし、結婚云々は冷泉が決めることだ。それだけは守ってくれ」

中将との会話を終えたヒカルは「ったく」と大きく溜息を吐いた。


「今晩、空いてるか?夕飯、一緒にどうだ?」
ヒカルの言葉に凛が目を見開いて驚いた。なぜならヒカルは誰かを誘う姿を見たことも、まして誘われたことも凛はなかったからであった。
「紫上がお前に会ってみたいんだと」
決して俺の本意ではないという空気でヒカルが補足した。先日のヒカルとの会話で紫上にも意見を聞いてみたいと思っていた凛は二つ返事で了承した。
「いいか、くれぐれも雅のことは言うんじゃねえぞ」
ヒカルの軽く切羽詰ったような発言に、凛は何となくヒカルと紫上の力関係を納得した。


「はじめまして。宮内 紫上です」
イタリアンレストランに少し遅れて登場した紫上が凛に挨拶した。
(なんて綺麗な人)
凛の紫上に対する感想だった。紫上に見とれていた凛は時が止まったように呆けていた。
「六条、おい六条」
ヒカルが凛になんとか言えと凛を呼んだ。
「え?あ、失礼しました。六条 凛です。COOの秘書をしております」
凛の自己紹介に紫上が「COO?ヒカルさんのこと?」とヒカルに同意を求めた。
「仕事のことはこいつには言ってねえ。ここではヒカルでいい」
ヒカルが凛の前で紫上に気遣いを見せた。
「も、申し訳ありません」
凛がすかさず頭を下げた。
「やめてください。ヒカルさんもそんな怖い口調で言わなくても」
紫上がその場をとりなすと「凛さんと呼んでもいいですか?」と紫上が柔らかな笑みを見せた。
「僕のことも紫上と呼んでください」
紫上の穏やかな空気が三人を包む。凛は紫上の持つ空気に触れ一気に紫上への信頼を深めた。三人は予めオーダーしていた食事をした。

「ちょっと一服してくる」
食後のデザートとコーヒーを待たずにヒカルが席を立った。

その場に残された凛は自分が今まで感じてきたことを聞く絶好の機会だと感じた。しかし他人のプライバシーに土足で踏み込むことが凛に口を開く勇気を与えなかった。

「男同士って変ですよね」
紫上が静かに話し始めた。
「僕もヒカルさんに会うまでは考えたこともありませんでした。十歳のときからヒカルさんと暮らし始めたんですけど、初めて会ったときから僕にとってヒカルさんは特別でした。それが好きだと自覚したのは十四歳の時です。僕が、ヒカルさんに抱いてくださいと頼みました」
紫上の告白に凛が目を見開いた。
「ヒカルさんには断られました。大人になるまでは何もしないと。でも、僕はそれが我慢できませんでした。ヒカルさんは何もいいませんがモテるのは知っていました。毎晩のように夜遅くに帰宅することも、僕の知らない匂いがすることも。だからあの時の僕は必死でした。ヒカルさんがどうしても欲しかった。誰を押しのけてもいい。僕だけのものにしたかったんです」
今までの穏やかな紫上からは考えられないほどの激情を凛は見ていた。
「そんな僕を、ヒカルさんは受け入れてくれました。そして今も大切にしてくれています」
紫上の空気が再び穏やかな物に変化した。
「世の中の常識では男同士は受け入れられません。でも僕は男だからヒカルさんを好きになった訳ではありません。ヒカルさんだから好きになったんです。この気持ちは喩え世間に顔向けできないとしても揺るぎはしないでしょう」
穏やかだが決して折れない紫上の強い心を見せつけられた凛は自分でも気がつかないうちに涙を流していた。そんな凛に紫上がそっとハンカチを手渡した。
「ありがとうございます。一つだけ、伺ってもいいですか?」
凛は最後にどうしても聞きたいことが頭を過ぎった。
「いいですよ。っていうか、凛さん僕より一つ年上なんですからそんなに丁寧に話さなくてもいいですよ」
紫上が穏やかににっこりと微笑んだ。
「もし、もしヒカルさんと出会わなかったら、紫上さんはどうしますか?」
凛の質問に紫上が「えっ?」と小さく声を上げて硬直した。

「考えたことありませんでした。ヒカルさんに出会わないなんて。でも、もし出会わなかったら」
紫上が少し押し黙り、答えを見つけたように凛に身を乗り出した。
「きっと誰とも付き合わずに一人でおじいさんになって死んでると思います」
紫上の無邪気な答えに凛の脳裏にヒカルの言葉が浮かんだ。
「一人でなんて寂びしいと思わないの?」
凛の問いかけに今度は間髪いれずに紫上が答えた。
「いいえ、僕は僕の欲しいと思った人としか一緒にはいられませんから」
迷いのない発言に凛は答えを見つけた気がした。

それから間もなく席に戻ったヒカルとデザートを平らげると、ヒカルが会計を済ませて三人は店を出た。
凛は二人の後姿をずっと見ていた。そしておもむろに空を見上げた。
(誰かを好きになるって、あんなにも激しく、強いものなんですね、お父さん)
凛は真っ暗な空を見上げたまま涙を流した。


籐子と冷泉とヒカルはミカド本社の会議室の一室にいた。そこにはなぜか凛の姿もあった。
『おまえも同席しろ』
ヒカルの有無を言わさない命令に凛は腑に落ちぬままに同席していた。

「ヒカル。僕この前中間テストで三番に入ったんだよ」
ヒカルの席の隣で冷泉がヒカルに纏わりつく。
「凛さんは勉強は好きでしたか?」
初めは人見知りのせいでヒカルの後ろに隠れた冷泉だが、よほどヒカルを信頼しているのかヒカルが凛を紹介すると、話しかけるまでに打ち解けていた。
「私はあまり好きではありませんでした。成績も中学までは中の上くらいで」
凛が過去を思い起こして冷泉に答えた。
「それなのに大学も卒業したの?」
ヒカルを小さくしたような冷泉が首をかしげた。
「それは、亡くなった父が女性も学歴が必要だとゆずらなくて」
凛が小さくなって下を向いた。
「凛さんのお父さんも死んでしまったの?僕のお父さんも死んじゃったんだ」
冷泉も悲しげに下を向いた。
「でも今はヒカルがいてくれる」
冷泉が喜々とした瞳で凛を見た。
(なんてCOOにそっくり。親戚ってこんなに似るものなのかしら)
親戚付き合いのない凛が心の中で思った。

「お待たせしたみたいだね、すまない」
突然ガチャリと開いたドアに驚いた冷泉がビクッと体を硬くして中に入ってきた人を見るなり死角になるようにヒカルの後ろへ逃げ込んだ。
「ヒカルの後ろにいる子が冷泉君だね」
入ってきた人物はヒカルの知り合いのようだった。
「遅かったな」
ヒカルがぶっきら棒にその人物を責めるように言い放った。
「すまない。弘美が洋服が決まらないと中々仕度が出来なくてね。紹介するよ娘の弘美だ。よろしくね、冷泉君」
その人物が弘美と紹介した同じ年頃の女の子の肩に手を置き、しゃがんで冷泉に目線を合わせたが、冷泉はヒカルの背に顔を隠したままだった。
「ずいぶん人見知りなんだね」
その人物は気分を害することもなくヒカルに向き合うと、ヒカルはその人物を籐子と凛に紹介した。
「申し訳ありません。冷泉は大人の男の方には特に人見知りが激しくて」
籐子が心苦しそうに中将に謝った。
「いえいえ、冷泉君は父親の存在を知らないんです。仕方ありませんよ」
中将が籐子にさわやかに答えた。

冷泉の態度でその場の空気は硬いままだった。大人たちは気にすることなく雑談を始めると、少しずつ慣れてきた冷泉がようやくヒカルの背に隠していた顔を見せた。
「冷泉君だ。本物だ」
弘美が突然はしゃぎ始めた。
「弘美ね、冷泉君のために弘美の取って置きの本を持ってきたの。今日は冷泉君のハートを掴むためのご本対決でしょ」
そう言って弘美が差出したのは大人気の恋愛漫画だった。冷泉はしぶしぶ受け取ってパラパラと捲ると、興味なさそうにテーブルに置いた。
「えー!面白いのに」
弘美が不満そうに叫んだが、冷泉は何の関心も持たなかった。
「おい、あれ出せ」
冷泉を膝に乗せたヒカルが凛に目で指示を出した。
「あれですか?」
凛が渋々バッグのか下からA四サイズの紙の束を出した。
「読んでみろ」
ヒカルはそれを冷泉に渡した。
「冷泉はめったに本を読まないのよ」
籐子の心配をよそに冷泉がそれを夢中になって読み進めた。
「信じられない」
籐子は初めて見る冷泉の真剣な眼差しに目を見張った。

「面白い。面白いよ、ヒカル。この冒険物語」
冷泉が目を輝かせてヒカルを見た。
「だろ?」
ヒカルはドヤ顔で冷泉に視線を送った。その様子を見ていた弘美が不満そうに冷泉から紙の束を奪うとそれを読み始めた。

「何よ、こんなの面白くも何ともないじゃない。ドバイで悪の秘密結社を倒すだけじゃない」
弘美の言葉にその場にいた中将と籐子が反応した。
「「ドバイ?」」
二人の視線がヒカルに向けられた。
「ああ。これは俺がドバイにいた時の事を元に大まかに話を作った」
ヒカルがこの話の種を明し始めた。
「話を作ったのは俺だが、纏めたのはここにいる六条だ。六条は大学で文学を専攻していたからな。子供向けに作ってもらったんだ」
ヒカルが凛の方を向くと、凛は恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「大学では作家のようなことはしてません。書いたのも初めてです。そんなに見ないでください、はずかしい」
皆の視線を浴びる凛がますます赤くなりとうとう下を向く。
「すごい。すごいです、凛さん」
その中で冷泉の尊敬の言葉と眼差しが凛に言葉に出来ない感情を芽生えさせた。
「ありがとうございます。冷泉君」
凛と冷泉はそのまま見つめあった。
「冷泉の気持ちはこれで判ったんじゃねえか」
ヒカルが中将と弘美に告げると、弘美が泣き出した。
「なによ、ちょっとかっこいいからって。弘美は負けてないもん。そうよね、パパぁ」
ついに弘美は中将にしがみ付き、ますます大声を張り上げて泣いた。
「これで弘美も諦めがつくよ。今日はすまなかったね、冷泉君」
中将は爽やかに微笑んだ。
「それにしても冷泉君は昔のヒカルに本当によく似ているね。桐生さんが言っていた通りだよ。といっても冷泉君が生まれたときの話だけど。
俺達はこれで失礼するよ。ほら弘美もいつまでも泣くんじゃない」
中将はしゃくり上げる弘美を抱いて会議室を出て行った。

「ヒカル、あれ僕が貰ってもいい?」
静けさを取り戻した会議室で冷泉が紙の束を指差した。
「ああ、お前のためだけに書かせたんだからな。最初からお前のもんだ」
ヒカルが柔らかな笑みで冷泉を包み込んだ。それを一部始終見ていた籐子は大きな喜びと同じ重さの罪悪感に苛まれていた。
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