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この人はお金の先生だ(3時限目)

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いつもの時間にチャイムがなる。僕はこの日を待ち望んでいた。

滞りなく火災保険の手続きを終えた僕は、逸る気持ちを抑えるのに必死だった。

「前回、伊織さまは三大疾病の話をされましたね。そうなったら保険料は免除になると」
代々木さんは白紙とペンを取り出した。
「まずはがん。次に脳血管疾患、そして心疾患」
ちょっと待て、脳血管疾患?脳卒中じゃないの?心疾患?心筋梗塞じゃないの?
代々木さんと話しているといつもこうだ。僕の知識の斜め上の話題を振ってくる。
代々木さんはさらさらとペンを走らせる。

「確か伊織さまの保険はがん、脳卒中、急性の心筋梗塞、でしたね」
代々木さんは白紙に、
がん、脳血管疾患、心疾患。
がん、脳卒中、心筋梗塞を二手に分けて書いた。

「二つの違いはここ、心疾患と心筋梗塞、そして脳卒中と脳血管疾患ですよね。
例えば心筋梗塞は心臓の疾患の中でどのくらいの割合を占めているかご存知ですか?」
代々木さんはいつも持ち歩いている黒い大きなバッグから資料を取り出して僕に見せてくれた。
「これは2019年の物ですが、ここ、ここが心筋梗塞です。割合的には多いですがその他の疾患も結構ありますよね。狭心症、不整脈、他にもいろいろ。
伊織さまの今の保証はこの心筋梗塞のこの部分ですが、今回お持ちした保険は他の心疾患にも対応しています」
代々木さんは2種類のパンフレットを僕の前に出した。
今の保険よりも対応幅の広い内容ってことだ。
待っていました、この瞬間。僕は早く、早くと心の中で繰り返す。

「伊織さまにご説明するのはこちらの2社です。
まずがん保険ですが、がん保険もがんになったら保険料免除になる物もあるんです。
がんに罹ったら一時金で100万円。入院給付金はありませんが、伊織さまのがん保険と違うのは、もし同じがんが1年以上続いたとき、もう一度一時金で100万円受け取れます。それと前立腺がんの治療は手術の後、ホルモン療法を用いることが多いそうです。そのホルモン療法を受けた際1ヶ月10万円が受け取れます。入院の必要はありません。月に1度ホルモン治療のための薬をもらいに行っただけでも10万円もらえます。それが半年続けば半年間、毎月おります」

入院給付金がないのはいたいな。でも今のがん保険は同じがんだと翌年まで長引いても該当しないし。

「僕のがん保険もホルモン療法でお金が下りるはず」
僕は自分の証券をその場に広げた。僕はその時に気になったことはその場で解決する主義だ。代々木さんもそれをわかってくれて付き合ってくれる。

ホルモン剤(乳がん、前立腺がんの治療を受けた場合)25,000円、それ以外の抗がん剤治療50,000円と書いてある。期間も回数も書かれてないって事は1回ってことか。

僕は知っているようでただの知ったかぶりだった。

概ね納得した僕は医療保険の説明をお願いした。
「この保険の特徴は初期入院保障がついている点です」
それ、何?
入院給付金だって35,000円から15,000円にランクダウンだよ。
いやいや、代々木さんのことだ、僕の斜め上を行くに違いない。
僕は代々木さんの説明を待った。

「入院日数が短くなっているのはご存知ですよね?この初期入院保障は1日から9日までの入院でも必ず10日分もらえます」
じゃあさ、1日入院しても15万。9日入院しても15万来るの?

「もちろん、10日以上の入院も日額で支払われますよ」
それって凄くない?今時の入院って2、3日って聞くよ。
今の僕のだったら1日目に35,000円、2日目に70,000円、3日で105,000円だよ。

「そして残念なことに伊織さまは男性なので該当しませんが、女性疾病保障というものがあり、女性特有の疾病でなくても日額に上乗せされます。乳がんではなくても、子宮筋腫ではなくても。仮に伊織さまが女性だったら5,000円付けられるので、脳疾患で入院されたとすれば日額20,000円ですね」

「それってずるくないですか!」
僕はとっさに叫んだ。代々木さんがふっと笑った。
「私もこの保険に入っているんですが、本当に妻がうらやましいですよ」
代々木さんも残念そうだ。

持って生まれた性別にいまさらどうこういっても仕方がない。

「昔は入院で療養や介護できましたが、今や自宅で療養、介護の時代です。この保険はそういった時代のニーズを受けて初期入院保障を作ったのでしょうね」
確かにありがたい話だ。日帰り手術で15万あればとりあえず1ヶ月は働かなくても生活は出来る。でも・・・。

「介護、むずかしいですよね。
僕は自分がどんな病気になるのか本当に知ることが出来たなら、と思います。

僕の母は認知証になり僕が強制的に施設に入れました。そして2018年の1月に貧血で救急搬送。そこで胃がんとわかりました。認知症の人はがんに罹るとがんの進行が早いそうです。母も進行性でした。それまでは何とか母の年金で賄えていた母の生活費も、がんが発覚してからは施設費用、医療費、おむつ代のほかに介護用品のレンタル代、訪問看護の業者との契約と月々の費用、それ以外にも生活雑貨、消耗品、被服代、様々な費用が加わり、それを僕はずっと預貯金を切り崩しながら支払っていたんです。でも、僕の負担はお金だけだったことに感謝してます。母の面倒をいろんな方が看てくださったお陰です。

僕が3社も生命保険に加入し続けているのは不安だからです。そのうちの1社は介護状態になったら一時金が下りてくるものです。その保険も80歳で満了になるのを先週知った訳ですけど。
僕には頼れる親戚はいません。唯一、親交があるのは他県に住む叔父ですが、もう70歳を超え、介護を頼むわけにはいきません。僕がもし介護状態になったとき、僕が頼れるのは他人だけ。でも他人に頼ると言うことはお金が必要なんです。その為に入院したら入院給付金が多く受け取れるように。要介護になったら一時金で賄えるように。
そしてもし病気や怪我もなくうっかり90歳くらいまで生きていたときの為に個人年金にも加入しています。後でその内容も見てください。僕の個人年金が加入し続けた方がいいのかどうか。

保険料だけで月々5万以上の出費です。でも全てはあらゆる事態に想定して入ったんです。
母も妹も亡くなり、こうして代々木さんと知り合うことができたのは、それらの事を考えるチャンスを貰ったのだと思っています。ですから、僕はこの機会に僕の備えを全て見直ししたいんです」
思わず僕は力説してしまったが、代々木さんは黙って聞いてくれた。そして「後で、個人年金のくわしい内容を教えてください」そういった。

決めた。これにする。代々木さんを信じて間違いない。僕は即決した。


代々木さんの講義が始まる前に僕は個人年金の証書を代々木さんに渡した。

僕の個人年金はA社とT社。どちらも保険料は月々1万円。
A社は2003年9月加入。32歳から70歳まで払い、70歳から10年間 毎年525,050円をもらう物。
次にN社は2008年3月加入。36歳から60歳まで払い、60歳から10年間 毎年329,380円もらう物。どちらも加入したときはまだ金利も今よりは悪くなかったと思うけど。通信表を見せるみたいで緊張するな。代々木さんは、証券に記載の推移表を見ながら電卓を弾く。

「悪くないと思いますよ。今解約したとしても大体100%戻ってくるので。17年、12年払って解約金が100%は悪くないですよ。ただ、これらは確定型なのでこれ以上は増えませんね」
悪くない。その一言に僕はホッと胸を撫で下ろす。でも、これ以上は増えませんって言ったよね?だって確定型なんだから当然じゃないか。減らないんだよ。金額がわかって良いじゃないか。僕は何をわかりきった事を言っているんだろう?と不思議だった。


そしていつもの代々木さんのお金の講座が始まった。

「投資はギャンブルとは違うことを知っていますか?」
僕はしばし考えた。

「違うんですか?」
投資=ギャンブル。僕の中ではそのつもり。

「違いますよ。72の法則ってご存知ですか?」
なにそれ?
代々木さんは講義の際に必ず使用する白紙とペンを取り出した。

「72の法則は金利によって何年でお金が2倍になるかを出す計算式です。
例えば100万円を定期預金で200万円にするとします。
今の定期の金利を0.2%としましょうか。
72÷0.2=360。つまり360年かかります。生きてる間には無理ですね。
次に伊織さまがお子様の頃、30年くらい前は金利が7%はありました。
72÷7=10.2857・・・。10年、悪くはないですね。
では10%なら。
72÷10=7.2。7年ちょっとで2倍になります」

「その、72は何処から出た数字なんですか?」
僕は素朴な疑問を投げかけた。
「すみません。それは私もよくはわかっていないんです。ご興味がありましたら後で検索してください。ただ、金利が大事、と言うことだけわかってもらえれば」
珍しく代々木さんから別の答えが帰ってきた。
でも、それと投資はどういうことだ?

「次に、もし10,000円の手持があるとして商品を購入するとします。
その商品は1月目には5,000円、2月目には1,000円、3月目には3,000円に価格が変動します。
では1月目に10,000円全て購入した場合と、1月目に5,000円分、2月目に2,000円分、3月目に3,000円分購入するとしたら、伊織さまはどちらを選びますか?」
でた、代々木さんのお得意の質問タイム。
「僕なら後者を選びますね」
すると代々木さんは白紙に式を書き始める。

「1月目に全て購入したら2つ手に入ります。
では次に1月目に5,000円分購入すると1つ、2月目には2つ、3月目には1つ、合計4つ手に入ります。そしてそれが5,000円まで値上がりしたときに売ったとしたら利益が出るのは後者のほうですよね。
ここで言いたいのは数。数量ですね。どんなに安くても数が多いほうが利益は出ます」
代々木さんの言っていることはわかる。でも、何をいいたいのかが、わからない。

「次にこれを見てください」
代々木さんはバッグの中から横長のパンフレットを広げた。これは米国の投資会社であるK社の資産資料です。
ここ10年の推移を表しています。ところどころ下がっているところがありますね。
2008年、ガクンと半分くらいまで落ち込んでますね。これはリーマンショックです。でもそれから5年くらいで下がる前の資産まで持ち直してますよね。
わたしが言いたいのは、短い年月で見ると下がっていても長期的な目で見ると経済は右肩上がりになると言うことなんです。結果、この会社の資産も2019年には10年前の200%以上の伸びを記録しています」
確かにそうだ。グラフは45度に近い勢いで右肩上がりだ。

「今度はこちらです。
投資に関するデータです。このグラフの真ん中に横一直線引かれているのは、実際に株式を購入した額です。そしてその横線を突き破る棒グラフは利益が出た月。横線に届かなかったのが損益、つまり購入した金額を下回った月です。
どうです?利益が出たり下回ったり主に半々ですよね。
では3年後がこちらです。こちらもまだ利益が出たり出なかったりを繰り返していますが、1年目に比べたらちょっと利益の方が多いですよね。
そして5年目。ほら、利益が出ている月の方がほとんどですよね。
最後に10年目。損失はほとんどないでしょう?
株は短期よりも長期の方が利益が出るんです」
僕に株でもやれってか?保険屋が株を薦めるか?
やっぱり代々木さんの言いたいことがわからない。この人は何を僕に伝えたいのだろう。

「でも株と言ったって何を買ったらいいかなんてわからないじゃないですか」
僕はそろそろ代々木さんの真意が知りたい。

「そうですね。ですから投資会社を使うんですよ」
代々木さんがやっとその謎のヴェールの薄皮を剥いだ。

「日本国内の金利は既に利益と呼べる金利ではないですが、米国を含めた海外の投資会社は200%以上の伸びを示しています」
だから?それで?どんな商品?
僕の頭は???だらけ。さっさとわかりやすく説明してよ。良いもんだったら入るから!と言っても月々5万の保険料の他にはさすがにもう無理だけど。

その後も代々木さんは僕にそれ以上のヒントを与えず、講義は終了した。
いつもは、ずばずばと切り込んでくるのに今回の話だけはそれをしない。

唐突に感じた。この人はお金の先生だ。
教えるだけでなく僕にも考えろと言っているのか?
僕の闘争心に火が付いた。
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