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最終話 新しい風(後篇)
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未来の風が優しいか?
それとも、厳しいか?
それは、実際に吹いてみないと分からなかった。
自分の中で「ああだこうだ」と考えても、結局はただの想像に過ぎない。想像は、現実の事象を超えられない。「自分の想像が役立つ事」と言ったら、そこにある程度の余裕を持たせる事だけだった。その余裕があれば、気持ちの方も落ちつく。それが決して完璧ではなくても、応接間の空気を和らげ、身体の緊張をほぐす程度なら、それなりの役目を果たしてくれる。俺が応接間の長椅子に腰かけ、相手がその真向かいに座った時も、それが働いてくれたおかげで、年相応の(だと思う)態度こそ見せたが、それ以上の醜態は晒さずに済んだ。
俺は真面目な顔で、正面の令嬢を見つめた。正面の令嬢は、話に違わぬ美少女だった。中身の方が少し明るくはあったけれど、あらゆる所作や口調に品位が見られ、俺に「初めまして」と微笑む顔や、「今日はどうぞ、よろしくお願いします」と言いながら頭を下げる動きからも、同年代とは思えない落ちつきが感じられた。俺は、その雰囲気に思わず驚いた。彼女はたぶん、こう言う席に慣れている。慣れていながら、それに緊張も覚えている。俺に照れくさく笑いかけた顔からは、それを示す雰囲気が感じられた。
俺は、その雰囲気に好感を覚えた。「恋愛」の域まではいかないが、それでも「好き」と感じてしまう感覚。つまりは、「友情」の愛を覚えたのである。友情の愛は、恋愛の愛よりもずっと清々しい。余計な疑心暗鬼や、狡猾な損得勘定がない分、その相手とも真正面から話せる。自分の本心をさらせる。相手の本心をすべて推しはかったわけではないが、彼女の微笑みから覚えた感覚は、それを推しはかれるだけの充分な証拠になっていた。この子の事はたぶん、信じても大丈夫だろう。世の中には嘘が上手い人、計算が速い人も多いが、彼女の態度からは、そう言う雰囲気が感じられなかった。
俺はその雰囲気に「ホッ」として、相手の目をまた見かえした。
「こらこそ、よろしくお願いします。セリアさん」
「セリアでいいよ?」
口調が砕けたのは、照れかくしか?
「その方がドキドキしないから。あたしも、貴方の事を『ザウル』って呼びたいし」
「分かった。君がそう言うなら、それでいいよ?」
「ありがとう、ザウル」
彼女は、嬉しそうに笑った。俺も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔を見あったが、双方の両親(俺の場合は、召使いだが)が妙な気を遣ったせいで、それまで見あっていた視線をすぐに逸らしあってしまった。
俺は、自分の召使いを思いきり睨んだ。
「ちょ、待てよ! そんな」
「事は、ありません。私達がいては、話せない事もあるでしょう。あとは、若い二人でお楽しみください」
召使いは「ニコッ」と笑って、応接間の中から出ていった。彼女の両親も、それにつづいて出ていった。彼等は(おそらくは、召使いの案内で)、館の中を歩きはじめた。その足音がここまで聞こえてきたが、自分の気恥ずかしさがそれに勝っていたせいで、足音の雰囲気は聴きとれても、それがどこに向かっているのかは分からなかった。それがやがて聞こえなくなった時も、同じような空気をずっと味わいつづけていた。彼等は(たぶん)俺の心情などまったく察しないで、「館の中がどうなっているのか?」を見つづけた。
俺は、その感覚に腹立った。本当に失礼な連中もとえ、召使いである。
「まったく」
目の前の少女も、その言葉にうなずいた。彼女もまた、俺と同じような気持ちを抱いていたらしい。
「本当だね、こっちはまだまだ」
少女は、その続きを飲みこんだ。それを発するのがたぶん、「恥ずかしい」と思ったのだろう。正確なところは推しはかれないが、自分の両足をフラフラとさせる動きや、俺の顔から何度も視線を逸らす態度からは、その何とも言えない気まずさが感じられた。彼女もまた、年相応の少女なのである。彼女は俺の顔に視線を戻して、照れくさそうに「ニコッ」と笑った。
「ごめんね、ザウル」
「いや。こっちこそ、ごめんね? セリア。何かこう、変な気を遣わせちゃって」
セリアは、その言葉に首を振った。それがとても可愛かったが、本人にはそれをあえて言わなかった。そんな事を言えば、相手はもっと困ってしまう。こう言う相手を困らせるのは、俺としてもあまり気持ちよくなかった。セリアは長椅子の上に視線を落として、その表面をじっと見おろしはじめた。
「ザウルは」
「うん?」
「ずっと一人で暮らしているの?」
俺は、その質問に眉を寄せた。その質問を聞いて、気持ちが暗くなったからである。
「まあね。昔は、自分の親がいたけれど。今はずっと、一人で暮らしている。領主の仕事も、基本的には一人でやっているし。それ以外の諸々も、必要とあれば」
「寂しくない?」
「え?」
「ずっと一人で頑張って、寂しくない?」
俺はまた、彼女の質問に暗くなった。だが、今回は違う。質問への返事に余裕が少しだけあった。
「寂しいよ? 寂しいけど、とても寂しいわけじゃない。俺には自分の好きな事、たくさんの趣味があるからね。それをやっていれば、その寂しさも感じなくなる。趣味は俺を救ってくれる物、その人生に生きがいを与えてくれる物だよ」
「そっか。それは!」
セリアは「ニコッ」と笑ったが、その目は何処か悲しげだった。たぶん、俺の話に胸を痛めたのだろう。表面上では穏やかに笑っていたが、俺が彼女に「ニコッ」と笑いかえすと、やはり悲しげな顔で、その目を静かに震わせていた。彼女は、テーブルの上に目を落とした。
「よかったね」
「うん」
「よかったけど、やっぱり辛いよ」
それで俺達が押しだまったのは、彼女のせいではない。俺達はそれぞれにテーブルの上を見つめたり、応接間の絵に目をやったりして、今の空気が消えるのをじっと待ちつづけた。俺は、彼女の顔に視線を戻した。「彼女にこれ以上、気まずい思いをさせてはならない」と思ったからである。
「ねぇ?」
「なに?」
「君は、何が好きなの?」
セリアは、その質問に唸った。質問の内容自体は難しくなかったが、それを答えるのにやや困るところがあるらしい。
「あたしは、何もないの」
「何もない? まさか!」
そんなわけがないよ、と、俺は言った。
「『趣味』とまでは、いかなくてもさ。好きな事の一つくらい」
「うんう、本当にないんだ。『楽しい』って思う事は、あるけど。『それが好きか?』と聞かれたら、すぐに『うん』とはうなずけない。あたしは一つ一つの出来事を楽しめるだけで、特定の物に打ちこめる……それこそ、ザウルみたいにさ? 『自分は、これが好き』って言う物がないの。だから、周りの人達に『好きな事をしろ』とか言われると困っちゃう。自分が何をしたいのか、それがまったく分からないからね」
「なるほど。それじゃ、今回の話も?」
セリアは、その質問に首を振った。それはもう、嬉しそうな顔で。
「この話だけは、別。これだけは、あたしの意思で決めたんだ。『この結婚はたぶん、あたしの人生を変える事だ』ってね。普段は働かない直感が、『ビビビッ』と走ったんだ」
「ふ、ふうん、そう。それで?」
「うん?」
「その直感は、正しかった?」
セリアはその質問に迷ったが、やがて「分からない」と笑いだした。
「だから、『それ』を確かめたいんだ。自分の直感が正しかったかどうか、を。この目で」
「その目で?」
「うん」
彼女は真剣な目で、俺の目を見つめた。
「ねぇ、ザウル」
「なに?」
「あなたの趣味を見せてよ?」
「俺の趣味を?」
「うん、貴方がずっと打ちこんでいる趣味を。貴方の人生を支えている、その生きがい達を。あたしは、自分の何かを見つけるために」
「分かった」
「え?」
「それなら見せる、俺の趣味を。君がそれで、自分の何かを見つけられるなら」
セリアは、その言葉に微笑んだ。またしても、嬉しそうな顔で。
「ありがとう。それじゃ、さっそく見せて!」
「分かった」
俺は応接間の中から出て、自分の部屋に彼女を連れていった。部屋の中には今までと同じ物が置かれていたが、例の記録器だけは別で、机の中に隠していた。あの中には、俺の初恋が入っている。形にしてはならない思い出が、そのままの状態で収められている。「記録器」の名前通りにね。それを現実にしてしまうのはたぶん、この子にとっても失礼だろう。
初恋の記憶は、大切だ。
大切だから、彼女の事も捲きこんでいけない。
思い出の海に彼女を沈ませてはならない。
彼女はあの子とは別で、あの子もまた彼女とは別なのだから。違う女性を同じようには愛せない。同じように「好きだ」と思う事も。俺が彼女達に見せられる敬意は、精霊との思い出を封じて、今の女性に誠意を見せる事だった。
「これが、俺の部屋だよ」
俺は部屋の道具を見わたして、それらの一つ一つを指さした。「そうすれば、彼女にも分かりやすい」と思ったからである。俺は彼女に道具の特徴を話して、「それがどんなに面白い道具か」を述べた。
「すべての物を上手く使えるわけじゃないけどね? それでも楽しい事には変わらないよ? 『今日は、何をしようか?』とか、『あの道具を使おうか?』とかさ。その迷いすらも、楽しみになる。一定の生活、単調な日々もいいけれどね? そう言う迷いも、また」
セリアは、その言葉に押しだまった。どんな気持ちかは分からないが、その言葉に色々と考えてしまったらしい。
「羨ましい」
「え?」
「『そう言う迷いがある』って言うのがさ、とても眩しく見える」
「そうかな?」
「そうだよ」
セリアは、部屋の椅子に目をやった。どうやら、「そこに座っていい?」との事らしい。
「ごめん」
「うんう、いいよ。嫌じゃなかったら、好きだけ座って」
「ありがとう」
彼女は「ニコッ」と笑って、椅子の上に座った。
「あたし達は、さ」
「うん?」
「変な言い方だけど、『自分』として生まれてきたじゃない? 『自分』と言う存在にさ、その身分を含めて。あたし達は、自分以外の何者にもなれない」
「う、うん、確かにそうだけど。それが?」
「ザウルは」
「うん?」
「貴族の家に生まれて、『よかった』と思う?」
「それは……」
分からない、と、俺は言った。
「でも」
「でも?」
「それが俺だからね。良いも、悪いもない。俺はどんな身分であろうと、俺以外の何者でもないから。セリアは、自分の存在に不満を抱いているの?」
今度は、彼女の方が押しだまった。彼女は部屋の中をしばらく見わたしたが、俺の顔に視線を戻すと、淋しげな顔で「クスッ」と笑いはじめた。
「不満はないけど、その代りにぼんやりしている。自分の前に見えない道を作られている感じでさ? あたしは、そこを無理矢理に歩かされているの。本当は、もっと違う道を歩きたいのに。自分でその道を歩きたいのに。見えない壁が、道の両端に伸びている」
「『せい』なのは、分かっている。分かっているけど、それが自分を同時に守っているのも事実」
「うん……。あたしは、自由に生きたい。自由に生きたいくせに『それ』が怖い。正反対の色がずっと、心の中を渦まいている。あたしは、自分が思う以上に臆病なんだ」
「臆病じゃない人間なんていないよ。俺だって」
「ザウルだって?」
「怖いモノは、怖い。今の生活が脅かされるような」
「そう。なら!」
「うん?」
「あたしの事もきっと、怖いんだね?」
俺はその言葉に眉を潜めたが、やがて「まさか」と笑いはじめた。
「それは、ありえない。君は俺にとって、新しい風だからね。新しい風は、新しい世界を呼んでくる。今まで見た事がない世界を、新しいドキドキを運んでくる。君は、そのドキドキを運んできた人なんだ」
セリアは、その言葉に赤くなった。そんなに照れられては、俺まで恥ずかしくなってしまう。
「やっぱり、正しかった」
「え?」
「この話を受けて、本当によかった」
「そ、そう?」
「うん!」
セリアは椅子の上に座ったまま、嬉しそうな顔で自分の足をパタパタさせた。
「貴方も、あたしの新しい風だから。あたしに素敵な世界を、趣味の世界を見せてくれる」
「そっか」
俺は、その言葉に笑った。彼女も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔をしばらく見あったが、やがてその視線を逸らしあった。たぶん、お互いの同じ事を考えたのだろう。相手のもう一度見あった視線からは、ある種の共鳴が感じられた。
俺は彼女の前に歩みよって、その目をじっと見はじめた。
「式の余興は、どうする?」
「そうだね。結婚式に余興なんて普通はしないから、ここは思いっきりやろう! この部屋には、そう言う事に使える物もあるかもしれないからね。あたし達は、あたし達の趣味を楽しめばいい」
「そう言う事」
俺は「ニコッ」と笑って、部屋の中を見わたした。部屋の中にはもちろん、趣味の品々が置かれている。
「さて。式の余興は、何をしようかな?」
それとも、厳しいか?
それは、実際に吹いてみないと分からなかった。
自分の中で「ああだこうだ」と考えても、結局はただの想像に過ぎない。想像は、現実の事象を超えられない。「自分の想像が役立つ事」と言ったら、そこにある程度の余裕を持たせる事だけだった。その余裕があれば、気持ちの方も落ちつく。それが決して完璧ではなくても、応接間の空気を和らげ、身体の緊張をほぐす程度なら、それなりの役目を果たしてくれる。俺が応接間の長椅子に腰かけ、相手がその真向かいに座った時も、それが働いてくれたおかげで、年相応の(だと思う)態度こそ見せたが、それ以上の醜態は晒さずに済んだ。
俺は真面目な顔で、正面の令嬢を見つめた。正面の令嬢は、話に違わぬ美少女だった。中身の方が少し明るくはあったけれど、あらゆる所作や口調に品位が見られ、俺に「初めまして」と微笑む顔や、「今日はどうぞ、よろしくお願いします」と言いながら頭を下げる動きからも、同年代とは思えない落ちつきが感じられた。俺は、その雰囲気に思わず驚いた。彼女はたぶん、こう言う席に慣れている。慣れていながら、それに緊張も覚えている。俺に照れくさく笑いかけた顔からは、それを示す雰囲気が感じられた。
俺は、その雰囲気に好感を覚えた。「恋愛」の域まではいかないが、それでも「好き」と感じてしまう感覚。つまりは、「友情」の愛を覚えたのである。友情の愛は、恋愛の愛よりもずっと清々しい。余計な疑心暗鬼や、狡猾な損得勘定がない分、その相手とも真正面から話せる。自分の本心をさらせる。相手の本心をすべて推しはかったわけではないが、彼女の微笑みから覚えた感覚は、それを推しはかれるだけの充分な証拠になっていた。この子の事はたぶん、信じても大丈夫だろう。世の中には嘘が上手い人、計算が速い人も多いが、彼女の態度からは、そう言う雰囲気が感じられなかった。
俺はその雰囲気に「ホッ」として、相手の目をまた見かえした。
「こらこそ、よろしくお願いします。セリアさん」
「セリアでいいよ?」
口調が砕けたのは、照れかくしか?
「その方がドキドキしないから。あたしも、貴方の事を『ザウル』って呼びたいし」
「分かった。君がそう言うなら、それでいいよ?」
「ありがとう、ザウル」
彼女は、嬉しそうに笑った。俺も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔を見あったが、双方の両親(俺の場合は、召使いだが)が妙な気を遣ったせいで、それまで見あっていた視線をすぐに逸らしあってしまった。
俺は、自分の召使いを思いきり睨んだ。
「ちょ、待てよ! そんな」
「事は、ありません。私達がいては、話せない事もあるでしょう。あとは、若い二人でお楽しみください」
召使いは「ニコッ」と笑って、応接間の中から出ていった。彼女の両親も、それにつづいて出ていった。彼等は(おそらくは、召使いの案内で)、館の中を歩きはじめた。その足音がここまで聞こえてきたが、自分の気恥ずかしさがそれに勝っていたせいで、足音の雰囲気は聴きとれても、それがどこに向かっているのかは分からなかった。それがやがて聞こえなくなった時も、同じような空気をずっと味わいつづけていた。彼等は(たぶん)俺の心情などまったく察しないで、「館の中がどうなっているのか?」を見つづけた。
俺は、その感覚に腹立った。本当に失礼な連中もとえ、召使いである。
「まったく」
目の前の少女も、その言葉にうなずいた。彼女もまた、俺と同じような気持ちを抱いていたらしい。
「本当だね、こっちはまだまだ」
少女は、その続きを飲みこんだ。それを発するのがたぶん、「恥ずかしい」と思ったのだろう。正確なところは推しはかれないが、自分の両足をフラフラとさせる動きや、俺の顔から何度も視線を逸らす態度からは、その何とも言えない気まずさが感じられた。彼女もまた、年相応の少女なのである。彼女は俺の顔に視線を戻して、照れくさそうに「ニコッ」と笑った。
「ごめんね、ザウル」
「いや。こっちこそ、ごめんね? セリア。何かこう、変な気を遣わせちゃって」
セリアは、その言葉に首を振った。それがとても可愛かったが、本人にはそれをあえて言わなかった。そんな事を言えば、相手はもっと困ってしまう。こう言う相手を困らせるのは、俺としてもあまり気持ちよくなかった。セリアは長椅子の上に視線を落として、その表面をじっと見おろしはじめた。
「ザウルは」
「うん?」
「ずっと一人で暮らしているの?」
俺は、その質問に眉を寄せた。その質問を聞いて、気持ちが暗くなったからである。
「まあね。昔は、自分の親がいたけれど。今はずっと、一人で暮らしている。領主の仕事も、基本的には一人でやっているし。それ以外の諸々も、必要とあれば」
「寂しくない?」
「え?」
「ずっと一人で頑張って、寂しくない?」
俺はまた、彼女の質問に暗くなった。だが、今回は違う。質問への返事に余裕が少しだけあった。
「寂しいよ? 寂しいけど、とても寂しいわけじゃない。俺には自分の好きな事、たくさんの趣味があるからね。それをやっていれば、その寂しさも感じなくなる。趣味は俺を救ってくれる物、その人生に生きがいを与えてくれる物だよ」
「そっか。それは!」
セリアは「ニコッ」と笑ったが、その目は何処か悲しげだった。たぶん、俺の話に胸を痛めたのだろう。表面上では穏やかに笑っていたが、俺が彼女に「ニコッ」と笑いかえすと、やはり悲しげな顔で、その目を静かに震わせていた。彼女は、テーブルの上に目を落とした。
「よかったね」
「うん」
「よかったけど、やっぱり辛いよ」
それで俺達が押しだまったのは、彼女のせいではない。俺達はそれぞれにテーブルの上を見つめたり、応接間の絵に目をやったりして、今の空気が消えるのをじっと待ちつづけた。俺は、彼女の顔に視線を戻した。「彼女にこれ以上、気まずい思いをさせてはならない」と思ったからである。
「ねぇ?」
「なに?」
「君は、何が好きなの?」
セリアは、その質問に唸った。質問の内容自体は難しくなかったが、それを答えるのにやや困るところがあるらしい。
「あたしは、何もないの」
「何もない? まさか!」
そんなわけがないよ、と、俺は言った。
「『趣味』とまでは、いかなくてもさ。好きな事の一つくらい」
「うんう、本当にないんだ。『楽しい』って思う事は、あるけど。『それが好きか?』と聞かれたら、すぐに『うん』とはうなずけない。あたしは一つ一つの出来事を楽しめるだけで、特定の物に打ちこめる……それこそ、ザウルみたいにさ? 『自分は、これが好き』って言う物がないの。だから、周りの人達に『好きな事をしろ』とか言われると困っちゃう。自分が何をしたいのか、それがまったく分からないからね」
「なるほど。それじゃ、今回の話も?」
セリアは、その質問に首を振った。それはもう、嬉しそうな顔で。
「この話だけは、別。これだけは、あたしの意思で決めたんだ。『この結婚はたぶん、あたしの人生を変える事だ』ってね。普段は働かない直感が、『ビビビッ』と走ったんだ」
「ふ、ふうん、そう。それで?」
「うん?」
「その直感は、正しかった?」
セリアはその質問に迷ったが、やがて「分からない」と笑いだした。
「だから、『それ』を確かめたいんだ。自分の直感が正しかったかどうか、を。この目で」
「その目で?」
「うん」
彼女は真剣な目で、俺の目を見つめた。
「ねぇ、ザウル」
「なに?」
「あなたの趣味を見せてよ?」
「俺の趣味を?」
「うん、貴方がずっと打ちこんでいる趣味を。貴方の人生を支えている、その生きがい達を。あたしは、自分の何かを見つけるために」
「分かった」
「え?」
「それなら見せる、俺の趣味を。君がそれで、自分の何かを見つけられるなら」
セリアは、その言葉に微笑んだ。またしても、嬉しそうな顔で。
「ありがとう。それじゃ、さっそく見せて!」
「分かった」
俺は応接間の中から出て、自分の部屋に彼女を連れていった。部屋の中には今までと同じ物が置かれていたが、例の記録器だけは別で、机の中に隠していた。あの中には、俺の初恋が入っている。形にしてはならない思い出が、そのままの状態で収められている。「記録器」の名前通りにね。それを現実にしてしまうのはたぶん、この子にとっても失礼だろう。
初恋の記憶は、大切だ。
大切だから、彼女の事も捲きこんでいけない。
思い出の海に彼女を沈ませてはならない。
彼女はあの子とは別で、あの子もまた彼女とは別なのだから。違う女性を同じようには愛せない。同じように「好きだ」と思う事も。俺が彼女達に見せられる敬意は、精霊との思い出を封じて、今の女性に誠意を見せる事だった。
「これが、俺の部屋だよ」
俺は部屋の道具を見わたして、それらの一つ一つを指さした。「そうすれば、彼女にも分かりやすい」と思ったからである。俺は彼女に道具の特徴を話して、「それがどんなに面白い道具か」を述べた。
「すべての物を上手く使えるわけじゃないけどね? それでも楽しい事には変わらないよ? 『今日は、何をしようか?』とか、『あの道具を使おうか?』とかさ。その迷いすらも、楽しみになる。一定の生活、単調な日々もいいけれどね? そう言う迷いも、また」
セリアは、その言葉に押しだまった。どんな気持ちかは分からないが、その言葉に色々と考えてしまったらしい。
「羨ましい」
「え?」
「『そう言う迷いがある』って言うのがさ、とても眩しく見える」
「そうかな?」
「そうだよ」
セリアは、部屋の椅子に目をやった。どうやら、「そこに座っていい?」との事らしい。
「ごめん」
「うんう、いいよ。嫌じゃなかったら、好きだけ座って」
「ありがとう」
彼女は「ニコッ」と笑って、椅子の上に座った。
「あたし達は、さ」
「うん?」
「変な言い方だけど、『自分』として生まれてきたじゃない? 『自分』と言う存在にさ、その身分を含めて。あたし達は、自分以外の何者にもなれない」
「う、うん、確かにそうだけど。それが?」
「ザウルは」
「うん?」
「貴族の家に生まれて、『よかった』と思う?」
「それは……」
分からない、と、俺は言った。
「でも」
「でも?」
「それが俺だからね。良いも、悪いもない。俺はどんな身分であろうと、俺以外の何者でもないから。セリアは、自分の存在に不満を抱いているの?」
今度は、彼女の方が押しだまった。彼女は部屋の中をしばらく見わたしたが、俺の顔に視線を戻すと、淋しげな顔で「クスッ」と笑いはじめた。
「不満はないけど、その代りにぼんやりしている。自分の前に見えない道を作られている感じでさ? あたしは、そこを無理矢理に歩かされているの。本当は、もっと違う道を歩きたいのに。自分でその道を歩きたいのに。見えない壁が、道の両端に伸びている」
「『せい』なのは、分かっている。分かっているけど、それが自分を同時に守っているのも事実」
「うん……。あたしは、自由に生きたい。自由に生きたいくせに『それ』が怖い。正反対の色がずっと、心の中を渦まいている。あたしは、自分が思う以上に臆病なんだ」
「臆病じゃない人間なんていないよ。俺だって」
「ザウルだって?」
「怖いモノは、怖い。今の生活が脅かされるような」
「そう。なら!」
「うん?」
「あたしの事もきっと、怖いんだね?」
俺はその言葉に眉を潜めたが、やがて「まさか」と笑いはじめた。
「それは、ありえない。君は俺にとって、新しい風だからね。新しい風は、新しい世界を呼んでくる。今まで見た事がない世界を、新しいドキドキを運んでくる。君は、そのドキドキを運んできた人なんだ」
セリアは、その言葉に赤くなった。そんなに照れられては、俺まで恥ずかしくなってしまう。
「やっぱり、正しかった」
「え?」
「この話を受けて、本当によかった」
「そ、そう?」
「うん!」
セリアは椅子の上に座ったまま、嬉しそうな顔で自分の足をパタパタさせた。
「貴方も、あたしの新しい風だから。あたしに素敵な世界を、趣味の世界を見せてくれる」
「そっか」
俺は、その言葉に笑った。彼女も、それに笑いかえした。俺達は互いの笑顔をしばらく見あったが、やがてその視線を逸らしあった。たぶん、お互いの同じ事を考えたのだろう。相手のもう一度見あった視線からは、ある種の共鳴が感じられた。
俺は彼女の前に歩みよって、その目をじっと見はじめた。
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「そう言う事」
俺は「ニコッ」と笑って、部屋の中を見わたした。部屋の中にはもちろん、趣味の品々が置かれている。
「さて。式の余興は、何をしようかな?」
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喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。
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偽物の侯爵子息は平民落ちのうえに国外追放を言い渡されたので自由に生きる。え?帰ってきてくれ?それは無理というもの
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サビオ・パッツィーニは、魔術師の家系である名門侯爵家の次男に生まれながら魔力鑑定で『魔力無し』の判定を受けてしまう。魔力がない代わりにずば抜けて優れた頭脳を持つサビオに家族は温かく見守っていた。そんなある日、サビオが侯爵家の人間でない事が判明した。妖精の取り換えっ子だと神官は告げる。本物は家族によく似た天使のような美少年。こうしてサビオは「王家と侯爵家を謀った罪人」として国外追放されてしまった。
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【完結】神スキル拡大解釈で底辺パーティから成り上がります!
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平均レベルの低い底辺パーティ『龍炎光牙《りゅうえんこうが》』はオーク一匹倒すのにも命懸けで注目もされていないどこにでもでもいる冒険者たちのチームだった。
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第16回ファンタジー大賞奨励賞受賞作です。
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