「追放」も「ざまぁ」も「もう遅い」も不要? 俺は、自分の趣味に生きていきたい。辺境領主のスローライフ

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第18話 病気から悟れる事

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「仕事、しゅう、りょう……」
 
 あれ? どうしたのだろう? 最後の部分が上手く言えなかった。頭の方もクラクラして、目の前の視界も何だかグチャグチャしている。せっかくの名画に絵具をまた塗りたぐって、その美を自分から壊したような光景だ。自分の周りから聞こえてくる音も、それが何なのかは分かるが、その細かい判別はもちろん、音の大小などもほとんど聴きとれなくなっている。何かの膜を通しているようだった。自分の背中に俺を乗せている馬も、それを何となく察しているようで、俺が馬の手綱を何度操っても、「俺に負担が掛かる」と思ったらしい時は、その指示にあえて逆らい、主人の俺が決して落ちないように勤めてくれた。正に「名馬」と言える対応。「主人思いの愛馬」と言った感じである。馬は俺の反応を伺いつつも、ある時は道の曲がり角を曲がり、またある時は少しの休憩を入れて、いつもの道を黙々と歩きつづけた。
 
 俺は、馬の首筋を撫でた。言葉の通じない彼には、こうするしか感謝の意が伝えられないからである。俺は馬が俺の手に首を動かした時も、穏やかな気持ちで彼の首筋を撫でつづけた。だが、それもすぐにできなくなってしまった。フラフラの頭が、その頭から発せられる熱が、思考と意識の糸を見事に切って、右手の動きをすっかり奪ってしまったからである。これには、本当に参ってしまった。「自分の右手が動かない」と言う事は、自分がそれだけ危ない状態にある」と言う事でもあるからね。それに不安こそあっても、安心なんてまったくないわけだ。仕舞いには、身体の節々も痛くなってくるし。自分の館へと帰った頃には、召使いが俺の異変に気づき、一流の気づかいを見せてくれなければ、もう少しのところで気絶、最悪は馬の上か落ちてしまうところだった。
 
 召使いは俺の身体を支えつつ、額の方にも手を当てて(彼曰く、「これは、相当の熱だ!」との事)、その部屋まで俺を連れていき、俺の衣服を脱がせて、ベッドの上に俺をゆっくりと寝かせはじめた。

「最近は、そこら中を走りまわっていましたからね。おそらくは、その疲れが出たのでしょう。疲れは、病気の親友ですからね。主人の人間が『疲れた』と思った瞬間、身体の中に病気を招いてしまうのですから。とんだ食わせ物です。コイツには、私もさんざん悩まされました。若い頃はもちろん、今現在もね? 今現在は、私よりも偉くなっています」

 本当に参ったモノですよ、と、彼は言った。

「領主様も、気をつけた方がいい。疲れは、年と共に強くなります。若年は『それ』を負かせていても、老年には平伏す事になる。これには、どんな強者も敵いません。老いは、人間に掛けられた呪いですよ」

 召使いは水の入った桶を持ってくると、そこに新しい布を浸け、布の中に充分な水を含ませて、それを何度も絞り、水気が程よく落ちたとこで、俺の額にそれをゆっくりと乗せた。

「どうですか?」

「ああうん、気持ちいいよ。頭の中が少しだけハッキリした」

 俺は布の冷たさに「ホッ」としたが、身体の熱にはやはり苛立ってしまった。その熱からどんなに逃れようとしても、熱の早さにどうしても追いつかれてしまう。召使いが俺の額から布を取り、また桶の中に布を浸して、その冷気をまた蘇られても、熱の力がやはり上まわってしまって、一分前には互角だった力が、二分後にはすっかり競りまけていた。

 俺は、その敗北感に涙した。本当は泣きたくなかったが、身体の熱が何度も襲ってくるせいで、「苦しい、苦しい」と泣いてしまったのである。「こんな病気は」
 
 召使いは、その言葉を遮った。俺の口に手を添えてね、俺に「お気持ちは、分かりますが。これ以上はただ、苦しいだけです」と笑いかけたのである。彼は口元の笑みを消して、俺の額から布を取った。

「熱は、自分の防壁ですからね。下手に逆らってはいけない。ここは、熱に従うのが吉です」

 俺は、その言葉にうなずいた。確かにそうかもしれない。医学の本によれば、「熱にはそう言う力がある」と言う。身体の中に入ってきた病気(「病原体」と言うらしいが)に対して、生来の防衛力を見せるのだ。病原体の活動を弱めつつ、自分の味方(これは、「抗体」と言うらしい)に力を貸す。味方はそれを受けて、ある物は病原体の正体を暴き、またある物は病原体をすっかり飲みこんでしまうのだ。

 それは人間の目では取れられない程に小さいらしいが、「そんな事が身体の中で起こっている」と思うと、「人間の身体とは本当に不思議であり、また同時に複雑怪奇な代物」のように思えてしまった。敵の剣に切られるだけで、腹心の部下に毒を盛られているだけで、その命を失ってしまう身体には、そう言う単純な殺人方法を越えて、緻密な設計がなされているのである。そう思うと、今回の病気も「凄い侵入者だ」と思ってしまった。今回の病気はたぶん、風邪だろうが。その風邪が、俺をこんなにも苦しめているのである。俺の喉を痛ませて、身体の防壁を閉めさせる。

 本当に厄介な代物だ。コイツ自体には力はあまりなくても、それにかかった人間はやはり辛い。出したくもない咳がどんどん出てくるし、それに伴って頭の方もガンガン痛くなる。挙げ句は、意識の方もぼんやりとしはじめた。自分の語感が、自分から離れていくような感覚。鋭い寒気が、俺の身体を裂くような感覚。それらの中には、病気の高笑いが潜んでいた。それは、俺の苦しみを笑い、罵り、蔑んでいる。俺の不幸を心から喜んでいる。俺の身体を覆っている寒気も、その喜劇に「クスクス」と笑っていた。彼等は俺がどんなに唸っても、楽しげな顔で俺の身体を蝕みつづけた。
 
 俺は、その辛さに涙を流した。どうして、こんなに苦しまなければならないのだろう? 俺は「自分が善人だ」とは思わないが、この苦しみはそれでもあまりに辛かった。

「ちくしょう! こんな」

「落ちついてください」

 召使いはまた、俺の額を冷やしはじめた。とても穏やかな表情でね、布の水気を補ってくれたのである。

「そう怒っては、相手の思う壺です。相手は、貴方の苦痛を楽しまれているのですから。それに負けては、病気にもずっと侮られたままです。ここは、堂々といきましょう。『病気なんかには、負けない』とね。私も、できる限りの事はしますから。医者の方も、すぐに呼んで参りますし。医者は、どんな兵士よりも強力ですよ?」

 確かにそうかもしれない、今の状況から考えれば。医者は「万能」とはいかないまでも、病気の専門家である。その治療法について、詳しくしっている専門家。専門家の知識は、素人のそれを遙かに超えているからね。自分の病人に与える助言もしっかりしているし、ここは「それ」に従った方がいいだろう。世話係の召使いも、それには「うんうん」と肯いている。召使いは布で俺の汗を拭きとり、部屋の中から出て、封土の医者を呼びにいった。

 封土の医者は、すぐにやってきた。召使いの馬が余程に速かったのか、それとも俺の意識がぼうっとしていただけなのか、俺が「う、ううう」と唸っている間に「失礼いたします」とやって来たのである。医者は召使いから今の状況を聞くと、そこからある程度の事を推しはかったらしく、俺の前に歩みよっては、召使いに「あとの事は、任せてください」と言って、その退室を暗に促した。「貴方も、病気に掛かられてはたまりませんからね」

 召使いは、その言葉にうなずいた。「病気に掛かられては」の部分には眉を寄せていたが、それ以外は特に怒る事もなく、部屋の扉をゆっくりと開けはじめてしまった。

「分かりました。では、よろしくお願いします」

「ええ、任せて下さい」

「それでは」

 召使いは医者に頭を下げて、部屋の中から出ていった。それから先は静かだったが、医者が俺にいくつかの質問を投げかけた事で、その静けさも数秒くらいで終わってしまった。召使いはたぶん、館の奥に消えていった。

 医者は俺の額に手を添えたり、脇の温度を確かめたりして、その病状がどれ程に悪いかを推しはかった。

「おそらくは、普通の風邪でしょうね。それ以外の症状は、特に見られませんし。意識の方もまだ、辛うじて保たれている。貴方としては、かなりお辛いでしょうが。『お薬を飲めば、二、三日中にはよくなる』と思いますよ?」

「そうですか。それは」

「ええ。でも、油断は禁物です。『風邪は、万病の元』とも言いますしね。そこからとんでもない病気を患うかもしれない。私は自分の風邪を侮り、それで亡くなった患者を何人も見てきましたから。彼等の死は、本当に悲しい。私は、貴方にはそうなってほしくありません」

 医者は「ニコッ」と笑って、俺の額をゆっくりと撫でた。たぶん、「俺の気持ちを落ちつかせよう」と思ったのだろう。清潔な布で俺の汗を拭った動きからも、その思いが感じられた。彼は自分の隣に布を置き、鞄の中から薬を出して、俺の口にそれをゆっくりと含ませた。

「お薬です。少し苦いですが、頑張って飲んで下さい」

 分かった、は、言わなかった。口の中に薬を含んでいたので、それを飲むのに精一杯だったからである。俺は医者の薬を飲みきると、真面目な顔でベッドの上にまた寝そべった。

「ありが、とう」

「いえ。今のお薬には、解熱の効果もあります。今はまだ飲んだばかりなので、効果の方は現れないと思いますが。じきに効きはじめますよ。熱が下がれば、今よりは少し楽なる筈です」

「ああうん、分かった。ありがとう」

「いえ。お薬は念のため、一週間分程出しておきます。朝昼晩、その食後に飲んでください。お薬を飲んでいる間は、無理を決してならさないように。お薬の効果が、薄くなってしまいます」

「わ、分かっているよ、それくらいは。俺も、趣味で回復薬を作っているし」

 医者は、その言葉に微笑んだ。その言葉にどうやら、ある種の感動を覚えたらしい。それがどう言う感動かは分からないが、俺に「結構」とうなずく様子や、日数分の薬を取りだす動きからも、その感動が窺えた。俺はベッドの脇から離れ、俺に「数日後にまたきます」と言って、部屋の中から出ていった。「それでは、安静に」
 
 俺は、その言葉に応えなかった。応える気力もなかったが、「安静に」の部分に妙な疲労感を覚えてしまったからである。俺は身体の疲労感に落ちこみながらも、真面目な顔で病気の事を考えはじめた。

「この病気は」

 うんう、別に特別ではない。人間がこの世に生きている以上、(余程の幸運でなければ)地上の病気からも決して逃げられないのだ。自分が天に召されでもしない限りはね、それはずっと関わってくる。それこそ、生命の大切さを訴えかけるように。病気とは、それを教える自然現象なのだ。人間の生命を脅かすモノではなく、それに命の尊さを教える存在。「人間が驕りたかぶらないため」の制御器。病気は人間の身体を苦しめる事で、その人間に「驕るな」と訴えているのだ。そう考えると、俺もやはり驕っていたのかもしれない。自分では気づいていなくても、言葉の端々や、態度の中で「それ」を表していたのかもしれないのだ。自分の趣味にみんなを付きあわせている態度から推しはかってみても、「それ」を否める証拠は何一つ持っていないのである。

「俺は謙虚に……いや、もう少し控えめになった方がいいかもしれない。今後の事を考えてもね、もっと」
 
 そう言いかけたが、やはり「うん」とはうなずけなかった。控えめになる必要はない。周りに迷惑を掛けるのは論外だが、そうでないのならもっと自由であるべきだ。自分の人生を楽しむためにも、ある程度は堂々としていた方がいいのである。

「自分の命を大事にするためにもね。変な謙虚を覚えちゃだめだ。謙虚は自分の心を戒めるモノであって、それを縛るモノではないからね。自分の心を縛るのは、この世で最も愚かしい事だ」

 俺は「うん」とうなずいて、快復後の事をそっと考えはじめた。

「今はまだ、辛いけど。それも、いつかは」

 うん……。

「さて。この病気が治ったら、その時は何をしようかな?」
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