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第15話 瞑想に酔う
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「仕事、終了」
ふう、今日も頑張りました。今日は早朝からの仕事だったので、「疲れ」よりも「眠気」の方が勝っていた。馬の上に乗っている時も、周りの景色をぼうっと眺める事はできたが、それがどう言う意味を表して、何を表しているのかは分からなかった。ただの流れる景色。時の流れに従った、景色の変容。自分の館に帰った時も、馬の上から降りる時は別として、館の食堂に入った時はもちろん、そこで今日の昼食を食べた時だって、「それが美味かった」と思う以外は何も感じなかったのである。
これには、俺自身も思わず笑ってしまった。朝が苦手な方ではなかったが、今日はどうも違うらしい。いつもはここで「これから何をしようかな?」と楽しくなるところだが、今日に限っては「それ」がまったく起こらなかった。不思議な安心感は覚えるが、それ以外は何も感じない状態。「虚無」と「安定」の間をふわふわしていたのである。そこには陰鬱な安らぎこそあったが、鮮やかな興奮はまったく見られなかった。
「本当、今日はどうしちゃったんだろう?」
別に疲れているわけでもないのに。あらゆる根気、やる気、集中力が削がれている。皿の上にナイフとフォークを置いた時も、何だか妙な気分に駆られてしまった。「自分は一体、どうしてしまったのだろう? 町の中に好奇心を置いてきてしまったのかな?」ってね。沈んだ気持ちになってしまったのだ。「こんな事は、滅多にない事なのに?」と、そう内心で思ってしまったのである。俺は椅子の背もたれに寄りかかって、食堂の天井をぼうっと見あげはじめた。
「はあ」
溜め息。
「はぁああ」
もう一発、溜め息。
「はぁ」
三発目の時には、流石の料理長も「どうしたのですか?」と訊いてきた。「そんなに溜め息ばかりついて。貴方の取り柄は、趣味への驚くべき回帰力でしょう?」
料理長は呆れ顔で、俺の横顔をじろじろ見た。
「それが、こんな?」
「う、うん」
俺は椅子の背もたれから背を離して、テーブルの上に両肘をつき、両手で自分の頭を支えた。そうしなければ、「今の体勢が保てない」と思ったからである。
「ああうん、ちょっとね? 気分がこう、優れないって言うか? 気持ちの方が、何だかモヤモヤするんだ」
「なるほど。それは、厄介ですね。私にも覚えがありますが、そう言う時は瞑想に限ります。自分の心を空にして、森羅万象の友人になる。疲れが眠気を制している時には、有効な手段ですよ?」
「瞑想、か。なるほど。それは、盲点だったね。何かに打ちこむ事、行動に示すだけが趣味じゃない。頭の空想に戯れるのもまた、一つの趣味だ。瞑想なら特別な道具も要らないからね」
料理長は複雑な顔で、その言葉に眉を寄せた。どうやら、その言葉に違和感を覚えたらしい。「う、ううん」と唸った声からも、その雰囲気が感じられた。料理長は世話係の召使いをチラッと見、俺の顔にまた視線を戻して、その目をじっと見つめた。
「いや、そうとも言えません。瞑想には、集中力が要りますからね。余計な雑念を抱いてはならない。雑念の中身を打ちはらう方法は、好い香りに鼻を休ませる事です」
「好い香りに鼻を休ませる?」
「そうです。例えば」
料理長はまた、世話係の召使いに視線を戻した。彼に何やら、言うつもりらしい。
「良い匂いのする蝋燭とか? そう言う蝋燭はもちろん、この館にもあるでしょう」
召使いの答えは、「ああうん」だった。
「領主様が以前……領主様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、怪しげな商人から買った蝋燭が数本。今は、館の倉庫に眠っているがね。『出せ』と言うのなら、すぐに出せる」
出すか? と、召使いは言った。
「お前さんのご要望通り。私には、普通の蝋燭にしか見えないがね。蝋燭の色も、至って普通だし。私としてはそんな物を使わなくても、『瞑想なんてすぐにできる』と思うが?」
「瞑想は、そんなに甘くない。アンタは分からないかもしれないが、『雑念』って言うのは本当に厄介なんだ。『それをどんなに払おう』と思っても、そいつの方からしつこく追いかけてくる。蝋燭は、そいつを巻くのにどうしても必要な道具なんだ」
「そ、そうか。そこまで言うのなら仕方ない。すぐに取ってくるから、待っていて下さい」
召使いは館の倉庫に走って、そこから何本かの蝋燭を取ってきた。それらの蝋燭が、今の話に出てきた物である。
「ほれ」
「ありがとう」
料理長は召使いから蝋燭を受けとって、俺の右手にそれらを渡した。
「蝋燭は、部屋の中を囲うように置いて下さい。間違っても、その近くに燃えやすい物は置かないように。貴方は蝋燭の中心に座って、自身の瞑想をはじめる。『胡座』の事は、ご存じですか?」
俺は、その質問にうなずいた。胡座の事は、異国の本から学んでいる。その本によると、胡座とは精神集中の方法であり、(上手く言い表せないが)両足を斜めに重ねながら座る事で、「仏」とか言う存在に近づく、あるいは、それ自体になる事を目的とした物らしかった。俺も実際に見たわけではないが、その本に書かれていた胡座は、こっちの文化ではほとんど見られない、神との対話とは違って、自然との会話、自分との対話のように思えた。まるで自分が自然と一つになっている……いや、「人間は、自然の一部である」と言う認識を思いださせるような感じだったのである。
そう言う感じは、こっちの文化ではあまり見られない。こっちの文化はあくまで自然と人間は別であり、人間が自然を認める事で、「その自然はそこにある」と言う感じだった。人間が目の前の自然を認めなければ、それがどんなにそびえ立っていても、「最初から無かった物」になってしまうのである。それが(俺にとっては)ある種の傲慢にも思えていたが、こちらの文化では「それ」が常識であり、また永久不変の真理でもあった。だから、人間は自然を配する。自然は、人間の所有物だから。いつでも使えて、いつでも費やせる、人類全体の財産だから。それ故に争いも起こる。「瞑想」と「座禅」は、それらの関係性を見なおす精神調整だった。
「もちろん、しっているよ。その意味も含めてね」
「そうですか。なら、話も早い。精神の眠気を払うにも、瞑想はいい方法です。なんたって、その眠気と友人になれますからね」
料理長は俺の顔から視線を逸らして、食堂の中から出ていった。「今のような時には、最高の方法です」
召使いは、その言葉に溜め息をついた。理由は分からないが、その言葉に呆れてしまったらしい。蝋燭の方に目をやった時も、何処か呆れ顔でそれを眺めていた。彼は蝋燭の表面をしばらく眺めたが、それも数分も経たぬうちに終わってしまった。
「領主様」
「ん? なんだ?」
「瞑想もいいですが、必要な注意も忘れないで下さい。館が火事になったなど、ご先祖の皆様に申し訳が立ちませんから」
「失礼な! それくらいの注意は、忘れないよ。俺も、自分の館を燃やしたくないからね」
「どうだか?」
俺は不機嫌な顔で、その言葉に溜め息をついた。その言葉に思わず苛立ってしまったからである。彼の心配も分かるが、そこはもう少し信じてもらいたかった。自分はここの主、その屋敷を燃やすわけがないだろう? 敵の襲撃で焼かれたなら仕方ないが、自分で焼くなどまずありえなかった。
「そんなに心配なら、部屋の外に控えていろよ」
俺は「ニヤリ」と笑って、食堂の中から出ていった。食堂の外は静かだったが、瞑想への期待が高まっていたせいで、自分の部屋に戻った時はもちろん、床の上に蝋燭を立てた時も、その静けさをすっかり忘れていた。それから蝋燭の先に火を点け、円の中心に自分が座った時も、蝋燭の火が作りだす妙な雰囲気に当てられてしまい、自分の呼吸に少し驚いた時以外は、不思議な気持ちで例の胡座をかきつづけていたのである。
「ふう」
俺は両目の瞼を閉じて、瞑想の世界に入りはじめた。瞑想の世界は穏やか、とは違うな。穏やかな雰囲気は漂っているが、それはあくまで雰囲気だけであり、その奥には神秘的な空気が漂っていた。まるで精神の一部が透けていくように、自分自身が透きとおっていくような感覚が渦巻いていたのである。これは、それを味わっている人にしか分からない。傍目からは眠っているようにしか見えないだろうが、自分としてはまったく起きているのだから。部屋の中に漂っている音はもちろん、窓の外から響いてくる音もしっかり聞こえている。が、それが意識に入ってこないのだ。音は「音」として分かっても、その間に遮る物があって、それ以外の諸々がすべて無くなっている。まるでこの世界から解きはなたれたかのようにね? あらゆる雑念がすっかり無くなっていた。
俺は「無我の境地」とも言える状態、その瞑想に精神を落としつづけた。精神の中には、だだっ広い空間が広がっている。空間の中には「宇宙」と呼ばれる真っ黒な場所があり、宇宙の中には恒星が、恒星の周りには惑星が、惑星の回りには衛星が飛んでいて、それらは俺のところにどんどん近づいていき、やがてはそれらの星々を形づくっている風景、風景の中にある生物界、生物界の中にある有と無、これらの根幹らしい原子までもがはっきりと見えはじめた。
原子は俺の細胞に訴えて、この世のすべてを語りはじめる。この世に生命が生まれて、それがどうして老いていくのか語りはじめる。「永遠の世界を作るためには、それ自体を永遠にできない」と言うふうにね。何だか分からない事を語ってくるのだ。「完全の正体が、不完全であるように」と言うふうに、今までの観念をすっかり覆してくるのである。これには、俺自身も思わず驚いてしまった。
「生きる事は」
すなわち、死ぬ事。
「生まれる事は」
すなわち、滅びる事。
「永遠を求める人の願望はすべて、終焉の現実に帰っていくんだ」
終焉の現実がなければ、誰も永遠を求めない。無限の生命を得ようともしない。俺達が「自分の命が惜しい」と思うのは、それが決して万能ではないからだ。万能の魂は、神の中にしかありえない。そして、俺達は決して神にはなりえない。神は無限の中を生き、俺達は有限の時を生きているからだ。有限の時間を生きている以上、その命にもまた限りがあるのである。そう思うと……。人の命は、儚いな。森の木々は、何百年も生きているのにね。人の命は、持っても百年ちょっとしかない。
こうして座禅を組んでいる俺もあと、何年生きられるのだろうか?
自分が自分として、この世に生きられるのだろうか? 今も減りつづけている、この命を……。
「はぁ」
俺は、瞑想の世界に溜め息をついた。瞑想の世界には、命の真実が潜んでいる。「命」と言うのは大きく、やがては「果てる」と言う真理を。そして、「その定めからは逃れられない」と言う宿命を。「座禅」を通して、俺に「それ」を伝えていた。「お前もいつかは、原子の世界に帰ってしまうのだ」と、そう静かに訴えていたのである。
「人間も、結局は原子の塊だからな。無数の原子が、結びついた集合体。瞑想は、それを気づかせる手段なんだ。あの夜空に広がっている宇宙も、そう言う類いの集まりでしかない。ようは、その大きさが違うだけなんだ。『集合体』と言う意味では、俺も宇宙と変わらない。俺の中にも、その宇宙が広がっている」
俺は自分の不思議さ、その神秘さにうなずきながらも、瞑想の世界に「クスッ」と笑って、明日の事をじっと考えはじめた。
「さて。明日は、何をしようかな?」
ふう、今日も頑張りました。今日は早朝からの仕事だったので、「疲れ」よりも「眠気」の方が勝っていた。馬の上に乗っている時も、周りの景色をぼうっと眺める事はできたが、それがどう言う意味を表して、何を表しているのかは分からなかった。ただの流れる景色。時の流れに従った、景色の変容。自分の館に帰った時も、馬の上から降りる時は別として、館の食堂に入った時はもちろん、そこで今日の昼食を食べた時だって、「それが美味かった」と思う以外は何も感じなかったのである。
これには、俺自身も思わず笑ってしまった。朝が苦手な方ではなかったが、今日はどうも違うらしい。いつもはここで「これから何をしようかな?」と楽しくなるところだが、今日に限っては「それ」がまったく起こらなかった。不思議な安心感は覚えるが、それ以外は何も感じない状態。「虚無」と「安定」の間をふわふわしていたのである。そこには陰鬱な安らぎこそあったが、鮮やかな興奮はまったく見られなかった。
「本当、今日はどうしちゃったんだろう?」
別に疲れているわけでもないのに。あらゆる根気、やる気、集中力が削がれている。皿の上にナイフとフォークを置いた時も、何だか妙な気分に駆られてしまった。「自分は一体、どうしてしまったのだろう? 町の中に好奇心を置いてきてしまったのかな?」ってね。沈んだ気持ちになってしまったのだ。「こんな事は、滅多にない事なのに?」と、そう内心で思ってしまったのである。俺は椅子の背もたれに寄りかかって、食堂の天井をぼうっと見あげはじめた。
「はあ」
溜め息。
「はぁああ」
もう一発、溜め息。
「はぁ」
三発目の時には、流石の料理長も「どうしたのですか?」と訊いてきた。「そんなに溜め息ばかりついて。貴方の取り柄は、趣味への驚くべき回帰力でしょう?」
料理長は呆れ顔で、俺の横顔をじろじろ見た。
「それが、こんな?」
「う、うん」
俺は椅子の背もたれから背を離して、テーブルの上に両肘をつき、両手で自分の頭を支えた。そうしなければ、「今の体勢が保てない」と思ったからである。
「ああうん、ちょっとね? 気分がこう、優れないって言うか? 気持ちの方が、何だかモヤモヤするんだ」
「なるほど。それは、厄介ですね。私にも覚えがありますが、そう言う時は瞑想に限ります。自分の心を空にして、森羅万象の友人になる。疲れが眠気を制している時には、有効な手段ですよ?」
「瞑想、か。なるほど。それは、盲点だったね。何かに打ちこむ事、行動に示すだけが趣味じゃない。頭の空想に戯れるのもまた、一つの趣味だ。瞑想なら特別な道具も要らないからね」
料理長は複雑な顔で、その言葉に眉を寄せた。どうやら、その言葉に違和感を覚えたらしい。「う、ううん」と唸った声からも、その雰囲気が感じられた。料理長は世話係の召使いをチラッと見、俺の顔にまた視線を戻して、その目をじっと見つめた。
「いや、そうとも言えません。瞑想には、集中力が要りますからね。余計な雑念を抱いてはならない。雑念の中身を打ちはらう方法は、好い香りに鼻を休ませる事です」
「好い香りに鼻を休ませる?」
「そうです。例えば」
料理長はまた、世話係の召使いに視線を戻した。彼に何やら、言うつもりらしい。
「良い匂いのする蝋燭とか? そう言う蝋燭はもちろん、この館にもあるでしょう」
召使いの答えは、「ああうん」だった。
「領主様が以前……領主様は覚えていらっしゃらないかもしれませんが、怪しげな商人から買った蝋燭が数本。今は、館の倉庫に眠っているがね。『出せ』と言うのなら、すぐに出せる」
出すか? と、召使いは言った。
「お前さんのご要望通り。私には、普通の蝋燭にしか見えないがね。蝋燭の色も、至って普通だし。私としてはそんな物を使わなくても、『瞑想なんてすぐにできる』と思うが?」
「瞑想は、そんなに甘くない。アンタは分からないかもしれないが、『雑念』って言うのは本当に厄介なんだ。『それをどんなに払おう』と思っても、そいつの方からしつこく追いかけてくる。蝋燭は、そいつを巻くのにどうしても必要な道具なんだ」
「そ、そうか。そこまで言うのなら仕方ない。すぐに取ってくるから、待っていて下さい」
召使いは館の倉庫に走って、そこから何本かの蝋燭を取ってきた。それらの蝋燭が、今の話に出てきた物である。
「ほれ」
「ありがとう」
料理長は召使いから蝋燭を受けとって、俺の右手にそれらを渡した。
「蝋燭は、部屋の中を囲うように置いて下さい。間違っても、その近くに燃えやすい物は置かないように。貴方は蝋燭の中心に座って、自身の瞑想をはじめる。『胡座』の事は、ご存じですか?」
俺は、その質問にうなずいた。胡座の事は、異国の本から学んでいる。その本によると、胡座とは精神集中の方法であり、(上手く言い表せないが)両足を斜めに重ねながら座る事で、「仏」とか言う存在に近づく、あるいは、それ自体になる事を目的とした物らしかった。俺も実際に見たわけではないが、その本に書かれていた胡座は、こっちの文化ではほとんど見られない、神との対話とは違って、自然との会話、自分との対話のように思えた。まるで自分が自然と一つになっている……いや、「人間は、自然の一部である」と言う認識を思いださせるような感じだったのである。
そう言う感じは、こっちの文化ではあまり見られない。こっちの文化はあくまで自然と人間は別であり、人間が自然を認める事で、「その自然はそこにある」と言う感じだった。人間が目の前の自然を認めなければ、それがどんなにそびえ立っていても、「最初から無かった物」になってしまうのである。それが(俺にとっては)ある種の傲慢にも思えていたが、こちらの文化では「それ」が常識であり、また永久不変の真理でもあった。だから、人間は自然を配する。自然は、人間の所有物だから。いつでも使えて、いつでも費やせる、人類全体の財産だから。それ故に争いも起こる。「瞑想」と「座禅」は、それらの関係性を見なおす精神調整だった。
「もちろん、しっているよ。その意味も含めてね」
「そうですか。なら、話も早い。精神の眠気を払うにも、瞑想はいい方法です。なんたって、その眠気と友人になれますからね」
料理長は俺の顔から視線を逸らして、食堂の中から出ていった。「今のような時には、最高の方法です」
召使いは、その言葉に溜め息をついた。理由は分からないが、その言葉に呆れてしまったらしい。蝋燭の方に目をやった時も、何処か呆れ顔でそれを眺めていた。彼は蝋燭の表面をしばらく眺めたが、それも数分も経たぬうちに終わってしまった。
「領主様」
「ん? なんだ?」
「瞑想もいいですが、必要な注意も忘れないで下さい。館が火事になったなど、ご先祖の皆様に申し訳が立ちませんから」
「失礼な! それくらいの注意は、忘れないよ。俺も、自分の館を燃やしたくないからね」
「どうだか?」
俺は不機嫌な顔で、その言葉に溜め息をついた。その言葉に思わず苛立ってしまったからである。彼の心配も分かるが、そこはもう少し信じてもらいたかった。自分はここの主、その屋敷を燃やすわけがないだろう? 敵の襲撃で焼かれたなら仕方ないが、自分で焼くなどまずありえなかった。
「そんなに心配なら、部屋の外に控えていろよ」
俺は「ニヤリ」と笑って、食堂の中から出ていった。食堂の外は静かだったが、瞑想への期待が高まっていたせいで、自分の部屋に戻った時はもちろん、床の上に蝋燭を立てた時も、その静けさをすっかり忘れていた。それから蝋燭の先に火を点け、円の中心に自分が座った時も、蝋燭の火が作りだす妙な雰囲気に当てられてしまい、自分の呼吸に少し驚いた時以外は、不思議な気持ちで例の胡座をかきつづけていたのである。
「ふう」
俺は両目の瞼を閉じて、瞑想の世界に入りはじめた。瞑想の世界は穏やか、とは違うな。穏やかな雰囲気は漂っているが、それはあくまで雰囲気だけであり、その奥には神秘的な空気が漂っていた。まるで精神の一部が透けていくように、自分自身が透きとおっていくような感覚が渦巻いていたのである。これは、それを味わっている人にしか分からない。傍目からは眠っているようにしか見えないだろうが、自分としてはまったく起きているのだから。部屋の中に漂っている音はもちろん、窓の外から響いてくる音もしっかり聞こえている。が、それが意識に入ってこないのだ。音は「音」として分かっても、その間に遮る物があって、それ以外の諸々がすべて無くなっている。まるでこの世界から解きはなたれたかのようにね? あらゆる雑念がすっかり無くなっていた。
俺は「無我の境地」とも言える状態、その瞑想に精神を落としつづけた。精神の中には、だだっ広い空間が広がっている。空間の中には「宇宙」と呼ばれる真っ黒な場所があり、宇宙の中には恒星が、恒星の周りには惑星が、惑星の回りには衛星が飛んでいて、それらは俺のところにどんどん近づいていき、やがてはそれらの星々を形づくっている風景、風景の中にある生物界、生物界の中にある有と無、これらの根幹らしい原子までもがはっきりと見えはじめた。
原子は俺の細胞に訴えて、この世のすべてを語りはじめる。この世に生命が生まれて、それがどうして老いていくのか語りはじめる。「永遠の世界を作るためには、それ自体を永遠にできない」と言うふうにね。何だか分からない事を語ってくるのだ。「完全の正体が、不完全であるように」と言うふうに、今までの観念をすっかり覆してくるのである。これには、俺自身も思わず驚いてしまった。
「生きる事は」
すなわち、死ぬ事。
「生まれる事は」
すなわち、滅びる事。
「永遠を求める人の願望はすべて、終焉の現実に帰っていくんだ」
終焉の現実がなければ、誰も永遠を求めない。無限の生命を得ようともしない。俺達が「自分の命が惜しい」と思うのは、それが決して万能ではないからだ。万能の魂は、神の中にしかありえない。そして、俺達は決して神にはなりえない。神は無限の中を生き、俺達は有限の時を生きているからだ。有限の時間を生きている以上、その命にもまた限りがあるのである。そう思うと……。人の命は、儚いな。森の木々は、何百年も生きているのにね。人の命は、持っても百年ちょっとしかない。
こうして座禅を組んでいる俺もあと、何年生きられるのだろうか?
自分が自分として、この世に生きられるのだろうか? 今も減りつづけている、この命を……。
「はぁ」
俺は、瞑想の世界に溜め息をついた。瞑想の世界には、命の真実が潜んでいる。「命」と言うのは大きく、やがては「果てる」と言う真理を。そして、「その定めからは逃れられない」と言う宿命を。「座禅」を通して、俺に「それ」を伝えていた。「お前もいつかは、原子の世界に帰ってしまうのだ」と、そう静かに訴えていたのである。
「人間も、結局は原子の塊だからな。無数の原子が、結びついた集合体。瞑想は、それを気づかせる手段なんだ。あの夜空に広がっている宇宙も、そう言う類いの集まりでしかない。ようは、その大きさが違うだけなんだ。『集合体』と言う意味では、俺も宇宙と変わらない。俺の中にも、その宇宙が広がっている」
俺は自分の不思議さ、その神秘さにうなずきながらも、瞑想の世界に「クスッ」と笑って、明日の事をじっと考えはじめた。
「さて。明日は、何をしようかな?」
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