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第11話 今日の趣味は?
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「仕事、終了」
疲れはそんなに感じなかったが、それでも気だるさは感じてしまった。ふと漏らしてしまった溜息からも、その雰囲気が感じられる。どうやら、かなり参っているらしい。封土の公共工事、特に橋の崩落を直す仕事は、職人との打ち合わせも含めて、かなりの大仕事だった。まったく、あんなところに橋があるなんて。驚きにも程がある。「先代(つまりは、俺の父親)から封土の中を教えてもらっていた」とは言え、誰も行かないような場所に橋が架けられていれば、その近くに住んでいる領民ならまだしも、封土のほぼ真ん中辺りで暮らしている俺には、まるで自分の土地でありながらそうでない土地のように思えてしまった。
事実、職人達の専門知識を借りている時にも、その使用頻度を考えて、「これは、壊した方がいいのでは?」と考えた程だった。誰も使っていない橋を残して置くのは、観光収入の点から考えても、あまり得策とは思えない。むしろ、負の遺産のようにも思える。「立ち入り禁止」の立て札を立てておく方法もあったが、「人間」と言うのは「それ」に逆らうモノなので、分別のつかない子どもや、怖い物しらずの若者などは、それを無視して、その橋を平然と渡ってしまうだろう。そうなれば、事故の確率があがってしまう。橋の強度も弱まって、いつかは川の中へと沈んでしまう。橋が川の中に沈んでしまえば、人間の損害はもちろんだが、封土全体にも何らかの問題が起こり、最悪は流民同士の争いが生まれてしまうだろう。「お前達のせいで、封土の中が乱れてしまった。責任を取れ!」とか言ってね。領民同士の殴りあいが起こるのだ。
それを止めるのは、かなりの重労働である。物事の道理が分かる人間、根の良い人間なら別だが、そう言う奴等の大抵は喧嘩っ早く、俺の言葉にも耳を傾けないので、流血事件はほぼ必至。最悪は、死人すら出るかもしれない。それだけの危険性を秘めているのだ。彼等は(一人一人の人間性は別として)基本的に良い人間だが、封土の全体を揺るがすような問題が起こると、今までの善良さを忘れて、ある者は狂気を、またある者は暴力を振りまいてしまうのである。まるで心の色がすっかり塗りかえられてしまうように。だからこそ、今回の事は真面目に打ちこんだ。いつもなら一日、どんなに長くても数日で終わってしまう仕事を、かなりの日数を掛けて、その仕事を何とかやりおえたのである。すべての仕事が終わって、職人達が「今夜は、打ちあげだ」と話していた時も、彼等の一人に「領主様もいかがですか?」と誘われたが、あまりに気だるかったので、その誘いにも「俺は、いいです。明日も、仕事があるので。今夜は、みなさんだけで楽しんでください」と断り、自分の館に帰った時にはもう、ベッドの上に寝そべっていた。俺は今の汚れた服も着がえないまま、間抜けな顔でベッドの上に寝そべりつづけた。
「はぁ」
溜め息。
「はぁ」
また、溜め息。
「しんどい」
俺は、自分の呟きに落ちこんだ。自分ではそれなりに自身があったが、本職の人間にはやはり敵わない。体力の質がまったく違う。彼等は自然相手に自分をいつも戦わせているせいか、年齢の力関係をすっかりひっくりかえしていた。それには、領主の俺も驚かざるを得ない。工事の道具を担ぎ、俺に「そうですか。それは、仕方ありませんね」と笑った顔からは、泥臭さに隠れる美しさが感じられた。
「彼等は自分の身体を汚す事で、その内面を綺麗に磨いている。『工事』と言う肉体労働を通して」
そう呟いた瞬間だったか? 自分自身がとても情けなくなってしまった。自分は確かに領主で、この封土を統べる責任者でもあるが。その力は、彼等に遠くおよばない。領主の服をまとわなければ、ただの小僧でしかなかった。自分だけでは何もできない、単なる子ども。貴族の血を受けついだだけのガキ。自分は自分が思う程の……いや、そんな事は前からずっと分かっていた。分かっていたからこそ、「自分は、大した人間ではない」と思っている。「『出世』なんて言葉は、自分とは無縁」と思っている。世の中の貴族には「それがすべて」と思っている者もいるが、そんな奴等はいつか誰かに潰されるだろうし、仮に潰されなくても、あるきっかけから落ちぶれてしまうだろう。俺もすべての貴族をしっているわけではないが、保守派の貴族達を見ていると、どうしてもそう思ってしまった。
「彼等は、『今の地位がずっとつづく』と思っている。まるで永遠と語りつがれる神話のように、自分達の世界も」
まあいい。そんな事を考えても、今の社会が変わるわけではないからね? 考えるのは大事だが、考えすぎるのは問題だ。考えなくてもいい事は、考えない方がいい。あるいは、無理のない程度に考えるだけでいい。自分はまだ、十七歳の子どもだけれど。その中で学んだ事は、「思考の力に頼りすぎない」と言う事、そして、「何事にも休息が必要だ」と言う事だった。自分の身体が癒やされなければ、その趣味だって思うように楽しめない。
「趣味は楽しく、ゆっくりと」
それが趣味のコツ、楽しい事をつづけるコツだ。
「うん」
俺は「ぐうっ」と背伸びして、自分の身体を休ませた。両目の瞼を閉じて、夢の世界にゆっくりと落ちていったのである。俺はその眠りから覚めるまで、自分の身体を休ませつづけた。その効き目は、絶大だった。眠る前には感じていた疲れが、今ではすっかり無くなっている。まるで背中に羽でも付いたかのように、あらゆる気分が晴々していた。ベッドの上から起き上がって、靴の中に足を入れた時も、その靴底に愛着こそ抱いたが、服の汚れには興味がまったくわかなかった。今の自分は、本来の自分。自分の好きな事に打ちこもうとする、ただの少年になっていたのである。部屋の中から出て、館の厨房に行った時も、料理長にその姿を呆れられこそしたが、それも数秒程で終わってしまった。料理長は俺の要望に応えて、今日の朝食(彼曰く、俺は丸一日眠っていたらしい)を作った。
「これもついでに飲んで下さい」
そう言って彼がテーブルの上に置いたのは、俺が前に作った例の回復薬である。回復薬の量はほとんど減っておらず、また飲み口に口を付けた後もなかったので、それがテーブルの上に置かれた時は、回復薬の入った瓶よりも、料理長の顔を思わず見てしまった。
「こ、これを?」
「そうです。今の貴方には、必要な物でしょう?」
「た、確かにそうかもしれないけど。ううん」
俺は困った顔で、目の前の瓶を眺めつづけた。「そうしなければ、このモヤモヤも消えてくれない」と、そう内心で思ってしまったからである。
「本当にいいのかな? これは、みんなにあげた物なのに?」
「別にいいでしょう? 貴方から頂いた物を差しあげたって。特におかしなところはない。あっしはただ、『貴方の厚意に応えたい』と思っているだけです。これは、その返礼」
「返礼……」
「はい。それ以上でもなければ、それ以下でもなく。貴方は最近、どうも頑張りすぎです」
「そう、かな?」
自分では、その意識はないけれど。第三者の目からすれば、そんなふうに映っているのかもしれない。俺は自分で思っているよりも、ずっと頑張っている。
「で、でも」
料理長は、その言葉に溜め息をついた。どうも、「イラッ」とする溜め息である。
「遠慮も度が過ぎれば、相手への失礼になりますよ?」
そう言われたらもう、何も言いかえせない。彼は(表情の方は無愛想だったが)、俺の事を本当に案じているようだった。それに応えないのは、文字通りの失礼だろう。俺は彼の厚意に甘えつつ、真面目な顔で瓶の中身を飲みほした。
「ううん、やっぱりいいね。今回の薬も、何とか上手くできたみたいだ」
「そのようですね」
料理長は、俺の隣に立った。その理由は分からないが、これも彼なりの厚意らしい。
「厨房の料理人達も、喜んでいましたよ。『たった一滴飲んだだけで、その魂が洗われたようだ』ってね。事実、彼等は一滴しか飲んでいませんが」
それは、彼なりの遠慮だったのだろうか? その理由は、いくら考えても分からなかった。
「貴方の世話係は?」
「部屋の前で寝ていたよ。起こすのが申し訳なかったから、そのまま素通りしちゃったけどね。今頃はたぶん、部屋の様子に驚いている筈だ。『うちの領主は、どこに消えたんだ』ってね」
料理長はまた、俺の言葉に溜め息をついた。今度も、かなり「イラッ」とする。
「あの人も、大変だな。あっしだったら三日で諦めます」
「そ、そんなに短い時間で?」
「当然でしょう? 貴方は領主でありながら、その実はちっとも領主らしくない。自分の趣味に夢中な点は除いてね? 真面目なのか、不真面目なのか、時々分からなくなります」
「う、ううん、で、でも!」
「はい?」
「悪い領主よりは」
「まあ、いいでしょうね? 少なくても、圧政を強いる領主よりは」
「だろう?」
「ただ」
「た、ただ?」
「ご自分の身分だけは決して、忘れないで下さい。貴方は、この世にただ一人しかいないのですから」
重い言葉だった。だが、同時に嬉しい言葉でもあった。自分は、この世にたった一人しかいない。「身分」の意味では代わりはいても、「自分」の意味では代わりはいないのだ。自分とよく似た人間、あるいは、自分以上の人間を探せたとしても、自分の代わりには決してなれない。ただの偽物で終わってしまう。偽物はどんなに頑張っても、本物以上の存在にはなれない。
「ご自分の命は、大切に」
「うん、分かっている。ありがとう」
「いや」
俺は「ニコッ」と笑って、今日の朝食を食べはじめた。今日の朝食は、いつも以上に美味しかった。館の料理人達がかなり頑張ったのか、あらゆる品が超一級に仕上がっていたからだ。コップの中に注がれた果実液も、それらの料理と負けず劣らずのできだったのである。俺は普段の礼儀作法を忘れて、主食の料理はガツガツと、副食の料理は少しずつ食べつづけた。
「ふう、ご馳走様」
料理長は、その言葉に目を細めた。
「満たされましたか?」
「ああ、とても満たされたよ。体中から力がみなぎるみたいだ」
「ほう、それはよかった。なら、今日のお仕事も頑張れますね?」
この瞬間、気持ちが落ちこんだのは言うまでもないだろう。俺はその一言で現実に引き戻され、挙げ句は食堂の中にも世話係が飛びこんできたので(どうやら、目を覚ましたらしい)、濃いままでの気分をすっかり忘れてしまった。
世話係の召使いは、俺の前に怒りながら歩みよった。
「貴方と言う人は、まったく! こっちは、眠りもしないで待っていたのですよ?」
「え? いや、普通に寝ていたじゃ」
「お黙り下さい」
り、理不尽だ。
「普通は、『おはよう』の一言くらいあってもいい筈です。ご自分の召使いに挨拶を」
「わ、分かったから。ごめんなさい、謝ります」
「まったく!」
召使いは不機嫌な顔で、服の中から手記を取りだした。その手記には、仕事の予定や備忘がびっしりと書かれている。
「私も忙しいので。貴方にも、貴方の勤めがおありでしょう?」
「わ、分かっているよ。そんなのは!」
そうは言ったものの、相手は未だに不機嫌である。こうなっては、自分の態度で示すしかない。俺は椅子の上から立ちあがると、自分の頭を掻いて、食堂の中からサッと出ていった。
「はぁ、仕方ない。今日も、仕事を頑張ろう」
そして、趣味はその後に。
「さて。今日は、何をしようかな?」
疲れはそんなに感じなかったが、それでも気だるさは感じてしまった。ふと漏らしてしまった溜息からも、その雰囲気が感じられる。どうやら、かなり参っているらしい。封土の公共工事、特に橋の崩落を直す仕事は、職人との打ち合わせも含めて、かなりの大仕事だった。まったく、あんなところに橋があるなんて。驚きにも程がある。「先代(つまりは、俺の父親)から封土の中を教えてもらっていた」とは言え、誰も行かないような場所に橋が架けられていれば、その近くに住んでいる領民ならまだしも、封土のほぼ真ん中辺りで暮らしている俺には、まるで自分の土地でありながらそうでない土地のように思えてしまった。
事実、職人達の専門知識を借りている時にも、その使用頻度を考えて、「これは、壊した方がいいのでは?」と考えた程だった。誰も使っていない橋を残して置くのは、観光収入の点から考えても、あまり得策とは思えない。むしろ、負の遺産のようにも思える。「立ち入り禁止」の立て札を立てておく方法もあったが、「人間」と言うのは「それ」に逆らうモノなので、分別のつかない子どもや、怖い物しらずの若者などは、それを無視して、その橋を平然と渡ってしまうだろう。そうなれば、事故の確率があがってしまう。橋の強度も弱まって、いつかは川の中へと沈んでしまう。橋が川の中に沈んでしまえば、人間の損害はもちろんだが、封土全体にも何らかの問題が起こり、最悪は流民同士の争いが生まれてしまうだろう。「お前達のせいで、封土の中が乱れてしまった。責任を取れ!」とか言ってね。領民同士の殴りあいが起こるのだ。
それを止めるのは、かなりの重労働である。物事の道理が分かる人間、根の良い人間なら別だが、そう言う奴等の大抵は喧嘩っ早く、俺の言葉にも耳を傾けないので、流血事件はほぼ必至。最悪は、死人すら出るかもしれない。それだけの危険性を秘めているのだ。彼等は(一人一人の人間性は別として)基本的に良い人間だが、封土の全体を揺るがすような問題が起こると、今までの善良さを忘れて、ある者は狂気を、またある者は暴力を振りまいてしまうのである。まるで心の色がすっかり塗りかえられてしまうように。だからこそ、今回の事は真面目に打ちこんだ。いつもなら一日、どんなに長くても数日で終わってしまう仕事を、かなりの日数を掛けて、その仕事を何とかやりおえたのである。すべての仕事が終わって、職人達が「今夜は、打ちあげだ」と話していた時も、彼等の一人に「領主様もいかがですか?」と誘われたが、あまりに気だるかったので、その誘いにも「俺は、いいです。明日も、仕事があるので。今夜は、みなさんだけで楽しんでください」と断り、自分の館に帰った時にはもう、ベッドの上に寝そべっていた。俺は今の汚れた服も着がえないまま、間抜けな顔でベッドの上に寝そべりつづけた。
「はぁ」
溜め息。
「はぁ」
また、溜め息。
「しんどい」
俺は、自分の呟きに落ちこんだ。自分ではそれなりに自身があったが、本職の人間にはやはり敵わない。体力の質がまったく違う。彼等は自然相手に自分をいつも戦わせているせいか、年齢の力関係をすっかりひっくりかえしていた。それには、領主の俺も驚かざるを得ない。工事の道具を担ぎ、俺に「そうですか。それは、仕方ありませんね」と笑った顔からは、泥臭さに隠れる美しさが感じられた。
「彼等は自分の身体を汚す事で、その内面を綺麗に磨いている。『工事』と言う肉体労働を通して」
そう呟いた瞬間だったか? 自分自身がとても情けなくなってしまった。自分は確かに領主で、この封土を統べる責任者でもあるが。その力は、彼等に遠くおよばない。領主の服をまとわなければ、ただの小僧でしかなかった。自分だけでは何もできない、単なる子ども。貴族の血を受けついだだけのガキ。自分は自分が思う程の……いや、そんな事は前からずっと分かっていた。分かっていたからこそ、「自分は、大した人間ではない」と思っている。「『出世』なんて言葉は、自分とは無縁」と思っている。世の中の貴族には「それがすべて」と思っている者もいるが、そんな奴等はいつか誰かに潰されるだろうし、仮に潰されなくても、あるきっかけから落ちぶれてしまうだろう。俺もすべての貴族をしっているわけではないが、保守派の貴族達を見ていると、どうしてもそう思ってしまった。
「彼等は、『今の地位がずっとつづく』と思っている。まるで永遠と語りつがれる神話のように、自分達の世界も」
まあいい。そんな事を考えても、今の社会が変わるわけではないからね? 考えるのは大事だが、考えすぎるのは問題だ。考えなくてもいい事は、考えない方がいい。あるいは、無理のない程度に考えるだけでいい。自分はまだ、十七歳の子どもだけれど。その中で学んだ事は、「思考の力に頼りすぎない」と言う事、そして、「何事にも休息が必要だ」と言う事だった。自分の身体が癒やされなければ、その趣味だって思うように楽しめない。
「趣味は楽しく、ゆっくりと」
それが趣味のコツ、楽しい事をつづけるコツだ。
「うん」
俺は「ぐうっ」と背伸びして、自分の身体を休ませた。両目の瞼を閉じて、夢の世界にゆっくりと落ちていったのである。俺はその眠りから覚めるまで、自分の身体を休ませつづけた。その効き目は、絶大だった。眠る前には感じていた疲れが、今ではすっかり無くなっている。まるで背中に羽でも付いたかのように、あらゆる気分が晴々していた。ベッドの上から起き上がって、靴の中に足を入れた時も、その靴底に愛着こそ抱いたが、服の汚れには興味がまったくわかなかった。今の自分は、本来の自分。自分の好きな事に打ちこもうとする、ただの少年になっていたのである。部屋の中から出て、館の厨房に行った時も、料理長にその姿を呆れられこそしたが、それも数秒程で終わってしまった。料理長は俺の要望に応えて、今日の朝食(彼曰く、俺は丸一日眠っていたらしい)を作った。
「これもついでに飲んで下さい」
そう言って彼がテーブルの上に置いたのは、俺が前に作った例の回復薬である。回復薬の量はほとんど減っておらず、また飲み口に口を付けた後もなかったので、それがテーブルの上に置かれた時は、回復薬の入った瓶よりも、料理長の顔を思わず見てしまった。
「こ、これを?」
「そうです。今の貴方には、必要な物でしょう?」
「た、確かにそうかもしれないけど。ううん」
俺は困った顔で、目の前の瓶を眺めつづけた。「そうしなければ、このモヤモヤも消えてくれない」と、そう内心で思ってしまったからである。
「本当にいいのかな? これは、みんなにあげた物なのに?」
「別にいいでしょう? 貴方から頂いた物を差しあげたって。特におかしなところはない。あっしはただ、『貴方の厚意に応えたい』と思っているだけです。これは、その返礼」
「返礼……」
「はい。それ以上でもなければ、それ以下でもなく。貴方は最近、どうも頑張りすぎです」
「そう、かな?」
自分では、その意識はないけれど。第三者の目からすれば、そんなふうに映っているのかもしれない。俺は自分で思っているよりも、ずっと頑張っている。
「で、でも」
料理長は、その言葉に溜め息をついた。どうも、「イラッ」とする溜め息である。
「遠慮も度が過ぎれば、相手への失礼になりますよ?」
そう言われたらもう、何も言いかえせない。彼は(表情の方は無愛想だったが)、俺の事を本当に案じているようだった。それに応えないのは、文字通りの失礼だろう。俺は彼の厚意に甘えつつ、真面目な顔で瓶の中身を飲みほした。
「ううん、やっぱりいいね。今回の薬も、何とか上手くできたみたいだ」
「そのようですね」
料理長は、俺の隣に立った。その理由は分からないが、これも彼なりの厚意らしい。
「厨房の料理人達も、喜んでいましたよ。『たった一滴飲んだだけで、その魂が洗われたようだ』ってね。事実、彼等は一滴しか飲んでいませんが」
それは、彼なりの遠慮だったのだろうか? その理由は、いくら考えても分からなかった。
「貴方の世話係は?」
「部屋の前で寝ていたよ。起こすのが申し訳なかったから、そのまま素通りしちゃったけどね。今頃はたぶん、部屋の様子に驚いている筈だ。『うちの領主は、どこに消えたんだ』ってね」
料理長はまた、俺の言葉に溜め息をついた。今度も、かなり「イラッ」とする。
「あの人も、大変だな。あっしだったら三日で諦めます」
「そ、そんなに短い時間で?」
「当然でしょう? 貴方は領主でありながら、その実はちっとも領主らしくない。自分の趣味に夢中な点は除いてね? 真面目なのか、不真面目なのか、時々分からなくなります」
「う、ううん、で、でも!」
「はい?」
「悪い領主よりは」
「まあ、いいでしょうね? 少なくても、圧政を強いる領主よりは」
「だろう?」
「ただ」
「た、ただ?」
「ご自分の身分だけは決して、忘れないで下さい。貴方は、この世にただ一人しかいないのですから」
重い言葉だった。だが、同時に嬉しい言葉でもあった。自分は、この世にたった一人しかいない。「身分」の意味では代わりはいても、「自分」の意味では代わりはいないのだ。自分とよく似た人間、あるいは、自分以上の人間を探せたとしても、自分の代わりには決してなれない。ただの偽物で終わってしまう。偽物はどんなに頑張っても、本物以上の存在にはなれない。
「ご自分の命は、大切に」
「うん、分かっている。ありがとう」
「いや」
俺は「ニコッ」と笑って、今日の朝食を食べはじめた。今日の朝食は、いつも以上に美味しかった。館の料理人達がかなり頑張ったのか、あらゆる品が超一級に仕上がっていたからだ。コップの中に注がれた果実液も、それらの料理と負けず劣らずのできだったのである。俺は普段の礼儀作法を忘れて、主食の料理はガツガツと、副食の料理は少しずつ食べつづけた。
「ふう、ご馳走様」
料理長は、その言葉に目を細めた。
「満たされましたか?」
「ああ、とても満たされたよ。体中から力がみなぎるみたいだ」
「ほう、それはよかった。なら、今日のお仕事も頑張れますね?」
この瞬間、気持ちが落ちこんだのは言うまでもないだろう。俺はその一言で現実に引き戻され、挙げ句は食堂の中にも世話係が飛びこんできたので(どうやら、目を覚ましたらしい)、濃いままでの気分をすっかり忘れてしまった。
世話係の召使いは、俺の前に怒りながら歩みよった。
「貴方と言う人は、まったく! こっちは、眠りもしないで待っていたのですよ?」
「え? いや、普通に寝ていたじゃ」
「お黙り下さい」
り、理不尽だ。
「普通は、『おはよう』の一言くらいあってもいい筈です。ご自分の召使いに挨拶を」
「わ、分かったから。ごめんなさい、謝ります」
「まったく!」
召使いは不機嫌な顔で、服の中から手記を取りだした。その手記には、仕事の予定や備忘がびっしりと書かれている。
「私も忙しいので。貴方にも、貴方の勤めがおありでしょう?」
「わ、分かっているよ。そんなのは!」
そうは言ったものの、相手は未だに不機嫌である。こうなっては、自分の態度で示すしかない。俺は椅子の上から立ちあがると、自分の頭を掻いて、食堂の中からサッと出ていった。
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