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第4話 最高の夕食を釣りあげろ!
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「仕事、終了」
いやぁ、今日も頑張った。封土の空が晴れてくれたお陰で、気持ちの方も晴れ晴れしていたが。実際は、そうは上手くいかない。自分の予想を何かしら超えてくれる。今日の場合も、その例外を引いてしまった。「商人の悪い商売」と言っていいのか、狡い商売がとにかくあったのだ。通常の何倍もの値段で、その相手に商品を売りつける。相手は商売の手法、そう言う手段に疎い人間だったから、当然のように引っかかってしまい。俺がその前をたまたま通りかからなければ、そいつはあらぬ損失を被るところだった。正に「良かった」としか言えない事態である。
商人は(俺の事も)ある意味で舐めていたが、俺がそう言う分野に明るかった事、「そんな手段は通じない相手だ」と分かると、今までの態度をコロリと変えて、「自分の損害を最小に抑えよう」と努めはじめた。それは、「大変申し訳御座いませんでした」の言葉からもうかがえる。商人は俺や獲物に何度か頭を下げると、周りの目を気にして、その場から逃げるように立ちさってしまった。俺は、その背中をじっと眺めつづけた。
「まったく。ああ言う輩がいるから、いつまで経っても詐欺が無くならないんだ」
人の倫理を破ってでも、自分の利益を得ようとする。自分の利益を得ようとする事自体は悪くないが、それはあくまでも決められた定め、商売倫理の範囲でやらなければならないのだ。その範囲を超えてしまえば、あらゆる秩序が無意味になってしまう。弱い者がひたすらに食われ、強い者だけが生きのこれる、弱肉強食の世界になってしまう。貴族の中には「それは、当然。俺達は強者の側で、奴隷達をいつでも食べられる立場にある」とか言う連中もいるが、自分の親から「人間は、知性の生き物。だからどんな人間に対しても、その敬意を払わなければならない」と教えられた俺にとっては、そんなのは単なる言い訳にしか聞こえなかった。
「自分は他人と違う、『特別な人間だ』と思う連中程、そう言う言い訳が出てくるんだ」
自分は、大した人間でないにも関わらず。そう言う人間は、往々にして傲慢なのである。
「さて」
こんな気持ちでずっといるのも嫌だから、自分の館にさっさと帰ろう。自分の館に帰り、そこで今日の昼飯を食べれば、あとは自由な時間なんだ。周りの誰にも怒られない、自分だけの時間が待っているのである。それを妨げられるのは、自分の財産を奪われるよりも許せない。だから自分の馬を走らせて、今日の昼食もさっさと食べおえてしまった。
「よし」
俺は口の汚れを拭って、自分の部屋に向かった。部屋の中には言わずもがな、様々な物が置かれているが……。それを見わたすのもまた、楽しい。ここ数日で楽しんだ趣味を思いかえすのも、記憶の日記帳をめくるようで、自分の心がどうしても踊ってしまった。「自分は今、自分の楽しんでいるんだ」と、そして、「そう思えるのもまた、最高の贅沢なんだ」と。自分の所有物を一つ一つ見わたしては、それをじっくりと確かめて、「今日は、何をしようかな?」と考えつづけたのである。その結果がこれ、俺の右手に持っている釣り竿だった。釣り竿の表面には傷がいくつか付いているが、その釣り竿を買いかえる程でもなく、それがむしろ味になって、釣りに必要な網や籠を持った時も、不思議な高揚感を覚えてしまった。
「最近は、なかなかできなかったからな。今日は、日暮れまでやろう」
本当は、夜釣りもしたかったが。今回はまぁ、仕方ない。夜釣りには、それなりの道具がいるからな。自分の周りを照らしてくれる道具、夜の小腹を満たしてくれる軽食も何かも必要になる。それらを今から揃えるのは、いろいろと面倒だからな。家の召使いを説きふせるのも面倒だしね? だから今回は、普通の釣りを楽しむとしよう。
「うん」
俺は釣りの道具を持って、封土の東側に行った。封土の東側には川が流れているが、そこの中流辺りが穴場で、釣りの初心者はもちろん、熟練者にも嬉しい獲物がばんばん釣られるのだ。釣り好きな領民達も、この穴場をよく使っている。俺達は互いの獲物を奪わぬように、あるいは、自分の気持ちを損なわないように、暗黙の決まりに従っては、人の少ない時間を見はからって、川の中に浮きを投げいれていた。今回の場合も……釣り人は俺だけだったが、川の中にそれを投げて、地面の上にゆっくりと座った。
俺は、水面の浮きをじっと見つづけた。水面の浮きは、なかなか沈まなかった。川の流れに合わせて動きはするが、それも風の影響を受けているだけで、実際はほとんど動いておらず、俺が右手の釣り竿を引いて、その疑似餌を確かめてみても、水中の魚がそれを突いた跡はおろか、水面のゴミすら付いていなかった。疑似餌の表面にも、その水滴しか付いていない。それの先に付いている物、返しのちゃんと付いた針にも。ただ、虚しい感覚が付いているだけだった。
「まぁいいか、釣りに焦りは禁物だし。ここは、じっくりと楽しもう」
俺は疑似餌の針を磨いて、川の中にそれをまた投げいれた。それから後は暇、なんて事はない。釣りには釣りのやる事が、いろいろとやるべき事があるからだ。水面の浮きをただ、ぼうっと眺めているだけではない。水中の疑似餌をどう動かすか? どう動かせば、生きた餌のように見えるか? 自分の両手を器用に使っては、それを上手く見せなければならないのだ。間違っても、暇人の遊びではない。「釣り」と言うのは、思った以上に忙しい遊びなのである。今回の場合もまた、その遊びに苦しめられていた。右手の釣り竿を上に下にと動かし、水中の魚を何とか引きよせようとする作業に。自然と人間の勝負に。俺は疑似餌の動きを思いうかべつつも、楽しげな顔で水面の浮きを眺めつづけた。
それが僅かに動いたのはたぶん、空の太陽が雲に少しだけ隠れた時。川の上流から不思議な風が引いてきて、それが俺の髪をなびかせた時だった。俺は、水面の浮きに目を見開いた。浮きは風の影響こそ受けたが、それが通りすぎた後も、水の中に一回、また一回と、小さな水音を立てて、浮いたり沈んだりを繰りかえしていたのだ。これには、思わず唸らずにはいられない。釣り竿から伝わってくる感触も、これまでの感触とは違った、生命の気配が感じられた。この気配は、間違いなく魚である。
「来た!」
そう叫んだ時にはもう、右手の釣り竿が強く引かれていた。コイツはもしや、大物かも知れない。小魚くらいの引きならそんなに驚かないが、この引きはまったく別の物、少しでも気を緩めれば、相手の逆襲を食らう次元だった。自分の釣り竿がしなっている様子からも、コイツが普通ではないのが分かる。コイツは、俺が思う以上の大物ようだった。
「だったら!」
絶対に釣りあげてやるぞ! ここの魚は(理由は分からないが)何故かとても美味く、館の料理長がこれを捌いてくれた時には、その味に思わず唸ってしまった程だった。その調理長は「刺身」とか言うほとんど切り身に近い料理を作っただけにもかかわらず、それを「醤油」とか言う調味料に付けただけで、最高の味を味わわせてくれたのである。あの味だけは、今でも忘れられない。普通の川魚は「体の中に寄生虫がいるから」と言うで、「焼いて食べるのが普通」と言うのに、料理人は「ここの水は綺麗だから、寄生虫はいない。あるいは仮にいたとしても、自分には『それ』を取りのぞく技術があります」と言って、その刺身とやらを作ってしまったのだ。何の手順書も作らず、ただの閃きだけで「それ」を作ってしまったのである。
「本当に凄い奴だよ、うちの料理人は」
そう言いはしたものの、今はそんな事を考えている場合ではない。その美味い料理を食べるためにも、目の前の獲物に意識を向けなければならないのだ。目の前の獲物は今も、俺の竿から逃れようとしている。水の中を上に下に、あるいは右に左に動いて、自分の食いついた疑似餌から必死に逃れようとしていた。
「そんな事は、させない! お前には、今夜の夕食になってもらう!」
俺は、魚との勝負に全力を掛けた。魚との勝負は、なかなか付かなかった。こっちも全力なら、向こうも全力。一瞬の有利が、すぐに引きもどされた。俺の竿も、今まで以上にしなっている。これでは、疑似餌の方も危ないかも知れない。アレは最近作ったばかりの試作品で、強度の方に僅かな不安があったからだ。返しの強度は上がっているものの、この状況ではいつ壊れてもおかしくない。
「不味いな」
俺は自分の釣り竿を上手く動かして、釣り竿への負荷を何とか減らそうとした。それが良かったのかは分からないが、魚の方は相変わらず食いついているものの、釣り竿への負荷は少しだけ減ったようで、そのしなりも少しだけ弱まったように見えた。
「よし!」
これならたぶん、大丈夫だろう。自分の所に大物が食いついたのはいいが、肝心の釣り竿が折れては話にならない。釣り竿は、釣り人が魚に挑める唯一の剣である。
「そいつを壊されるわけには、いかない!」
俺は額の汗を無視しつつ、夢中で水中の魚と戦いつづけた。水中の魚も俺と戦いつづけたが、それも長くは続かなかった。どんな心境の変化があったのは分からないが、どこからか拭いてきた風に川の水面が波立った瞬間、今までの抵抗をすっかり忘れて、急に大人しくなってしまったのである。
「なんだ?」
そう驚いて自分の竿を引いてみたが、すぐに「なるほどな」とうなずいてしまった。魚は何も、好きで大人しくなったわけではない。俺との勝負に根負けして、自分の命をすっかり諦めてしまったのだ。「自分はもう、助からない」と、そう勝手に思ってしまったのである。水の中から釣りあげられた魚、その悲しげな表情からは、それがはっきりと感じられた。
「まったく」
お前も自然の一員なら、もうちょっと頑張れよ。
「人間の俺なんかに負けないくらいにさ? それが『野生』ってもんだろう?」
そうは言ったが、気持ちとしてはやはり嬉しかった。何たって、こんな大物を釣りあげたんだからね。嬉しくない筈がない。籠の中にそいつを入れた時にはもう、釣りの事など忘れて、自分の館に帰っていた。俺は館の厨房に行き、厨房の料理人達を無視して、調理台の上に獲物を乗せた。
「凄いだろう! コレ、俺が釣ったんだ」
料理人達は、その言葉に驚いた。特に料理長はかなり驚いていたようで、周りの料理人達が俺に視線を戻した後も、黙って俺の獲物を眺めつづけていた。
「確かに凄いですね、コレは」
最高の言葉だった。他の料理人ならまだしも、料長にそう言われたら嬉しくない筈がない。俺は魚の体を叩いて、自分の功績を尚も叫んでしまった。
「かなり辛かったけどね? 最後は、神様が俺に味方してくれたんだ」
「そうですか。なら、魚を叩くのは止めてください」
「え?」
「せっかくの食材が傷んでしまいます。貴方も、美味い刺身を召しあがりたいでしょう?」
「そ、そうだな」
確かに。
「コイツの刺身は、とても美味そうだ!」
俺は「ニコッ」と笑い、目の前の料理長に「それじゃ、よろしく」と言って、厨房の中から出ていった。
「さて」
今夜は、最高の夕食が食べられるし。
「明日は、何をしようかな?」
いやぁ、今日も頑張った。封土の空が晴れてくれたお陰で、気持ちの方も晴れ晴れしていたが。実際は、そうは上手くいかない。自分の予想を何かしら超えてくれる。今日の場合も、その例外を引いてしまった。「商人の悪い商売」と言っていいのか、狡い商売がとにかくあったのだ。通常の何倍もの値段で、その相手に商品を売りつける。相手は商売の手法、そう言う手段に疎い人間だったから、当然のように引っかかってしまい。俺がその前をたまたま通りかからなければ、そいつはあらぬ損失を被るところだった。正に「良かった」としか言えない事態である。
商人は(俺の事も)ある意味で舐めていたが、俺がそう言う分野に明るかった事、「そんな手段は通じない相手だ」と分かると、今までの態度をコロリと変えて、「自分の損害を最小に抑えよう」と努めはじめた。それは、「大変申し訳御座いませんでした」の言葉からもうかがえる。商人は俺や獲物に何度か頭を下げると、周りの目を気にして、その場から逃げるように立ちさってしまった。俺は、その背中をじっと眺めつづけた。
「まったく。ああ言う輩がいるから、いつまで経っても詐欺が無くならないんだ」
人の倫理を破ってでも、自分の利益を得ようとする。自分の利益を得ようとする事自体は悪くないが、それはあくまでも決められた定め、商売倫理の範囲でやらなければならないのだ。その範囲を超えてしまえば、あらゆる秩序が無意味になってしまう。弱い者がひたすらに食われ、強い者だけが生きのこれる、弱肉強食の世界になってしまう。貴族の中には「それは、当然。俺達は強者の側で、奴隷達をいつでも食べられる立場にある」とか言う連中もいるが、自分の親から「人間は、知性の生き物。だからどんな人間に対しても、その敬意を払わなければならない」と教えられた俺にとっては、そんなのは単なる言い訳にしか聞こえなかった。
「自分は他人と違う、『特別な人間だ』と思う連中程、そう言う言い訳が出てくるんだ」
自分は、大した人間でないにも関わらず。そう言う人間は、往々にして傲慢なのである。
「さて」
こんな気持ちでずっといるのも嫌だから、自分の館にさっさと帰ろう。自分の館に帰り、そこで今日の昼飯を食べれば、あとは自由な時間なんだ。周りの誰にも怒られない、自分だけの時間が待っているのである。それを妨げられるのは、自分の財産を奪われるよりも許せない。だから自分の馬を走らせて、今日の昼食もさっさと食べおえてしまった。
「よし」
俺は口の汚れを拭って、自分の部屋に向かった。部屋の中には言わずもがな、様々な物が置かれているが……。それを見わたすのもまた、楽しい。ここ数日で楽しんだ趣味を思いかえすのも、記憶の日記帳をめくるようで、自分の心がどうしても踊ってしまった。「自分は今、自分の楽しんでいるんだ」と、そして、「そう思えるのもまた、最高の贅沢なんだ」と。自分の所有物を一つ一つ見わたしては、それをじっくりと確かめて、「今日は、何をしようかな?」と考えつづけたのである。その結果がこれ、俺の右手に持っている釣り竿だった。釣り竿の表面には傷がいくつか付いているが、その釣り竿を買いかえる程でもなく、それがむしろ味になって、釣りに必要な網や籠を持った時も、不思議な高揚感を覚えてしまった。
「最近は、なかなかできなかったからな。今日は、日暮れまでやろう」
本当は、夜釣りもしたかったが。今回はまぁ、仕方ない。夜釣りには、それなりの道具がいるからな。自分の周りを照らしてくれる道具、夜の小腹を満たしてくれる軽食も何かも必要になる。それらを今から揃えるのは、いろいろと面倒だからな。家の召使いを説きふせるのも面倒だしね? だから今回は、普通の釣りを楽しむとしよう。
「うん」
俺は釣りの道具を持って、封土の東側に行った。封土の東側には川が流れているが、そこの中流辺りが穴場で、釣りの初心者はもちろん、熟練者にも嬉しい獲物がばんばん釣られるのだ。釣り好きな領民達も、この穴場をよく使っている。俺達は互いの獲物を奪わぬように、あるいは、自分の気持ちを損なわないように、暗黙の決まりに従っては、人の少ない時間を見はからって、川の中に浮きを投げいれていた。今回の場合も……釣り人は俺だけだったが、川の中にそれを投げて、地面の上にゆっくりと座った。
俺は、水面の浮きをじっと見つづけた。水面の浮きは、なかなか沈まなかった。川の流れに合わせて動きはするが、それも風の影響を受けているだけで、実際はほとんど動いておらず、俺が右手の釣り竿を引いて、その疑似餌を確かめてみても、水中の魚がそれを突いた跡はおろか、水面のゴミすら付いていなかった。疑似餌の表面にも、その水滴しか付いていない。それの先に付いている物、返しのちゃんと付いた針にも。ただ、虚しい感覚が付いているだけだった。
「まぁいいか、釣りに焦りは禁物だし。ここは、じっくりと楽しもう」
俺は疑似餌の針を磨いて、川の中にそれをまた投げいれた。それから後は暇、なんて事はない。釣りには釣りのやる事が、いろいろとやるべき事があるからだ。水面の浮きをただ、ぼうっと眺めているだけではない。水中の疑似餌をどう動かすか? どう動かせば、生きた餌のように見えるか? 自分の両手を器用に使っては、それを上手く見せなければならないのだ。間違っても、暇人の遊びではない。「釣り」と言うのは、思った以上に忙しい遊びなのである。今回の場合もまた、その遊びに苦しめられていた。右手の釣り竿を上に下にと動かし、水中の魚を何とか引きよせようとする作業に。自然と人間の勝負に。俺は疑似餌の動きを思いうかべつつも、楽しげな顔で水面の浮きを眺めつづけた。
それが僅かに動いたのはたぶん、空の太陽が雲に少しだけ隠れた時。川の上流から不思議な風が引いてきて、それが俺の髪をなびかせた時だった。俺は、水面の浮きに目を見開いた。浮きは風の影響こそ受けたが、それが通りすぎた後も、水の中に一回、また一回と、小さな水音を立てて、浮いたり沈んだりを繰りかえしていたのだ。これには、思わず唸らずにはいられない。釣り竿から伝わってくる感触も、これまでの感触とは違った、生命の気配が感じられた。この気配は、間違いなく魚である。
「来た!」
そう叫んだ時にはもう、右手の釣り竿が強く引かれていた。コイツはもしや、大物かも知れない。小魚くらいの引きならそんなに驚かないが、この引きはまったく別の物、少しでも気を緩めれば、相手の逆襲を食らう次元だった。自分の釣り竿がしなっている様子からも、コイツが普通ではないのが分かる。コイツは、俺が思う以上の大物ようだった。
「だったら!」
絶対に釣りあげてやるぞ! ここの魚は(理由は分からないが)何故かとても美味く、館の料理長がこれを捌いてくれた時には、その味に思わず唸ってしまった程だった。その調理長は「刺身」とか言うほとんど切り身に近い料理を作っただけにもかかわらず、それを「醤油」とか言う調味料に付けただけで、最高の味を味わわせてくれたのである。あの味だけは、今でも忘れられない。普通の川魚は「体の中に寄生虫がいるから」と言うで、「焼いて食べるのが普通」と言うのに、料理人は「ここの水は綺麗だから、寄生虫はいない。あるいは仮にいたとしても、自分には『それ』を取りのぞく技術があります」と言って、その刺身とやらを作ってしまったのだ。何の手順書も作らず、ただの閃きだけで「それ」を作ってしまったのである。
「本当に凄い奴だよ、うちの料理人は」
そう言いはしたものの、今はそんな事を考えている場合ではない。その美味い料理を食べるためにも、目の前の獲物に意識を向けなければならないのだ。目の前の獲物は今も、俺の竿から逃れようとしている。水の中を上に下に、あるいは右に左に動いて、自分の食いついた疑似餌から必死に逃れようとしていた。
「そんな事は、させない! お前には、今夜の夕食になってもらう!」
俺は、魚との勝負に全力を掛けた。魚との勝負は、なかなか付かなかった。こっちも全力なら、向こうも全力。一瞬の有利が、すぐに引きもどされた。俺の竿も、今まで以上にしなっている。これでは、疑似餌の方も危ないかも知れない。アレは最近作ったばかりの試作品で、強度の方に僅かな不安があったからだ。返しの強度は上がっているものの、この状況ではいつ壊れてもおかしくない。
「不味いな」
俺は自分の釣り竿を上手く動かして、釣り竿への負荷を何とか減らそうとした。それが良かったのかは分からないが、魚の方は相変わらず食いついているものの、釣り竿への負荷は少しだけ減ったようで、そのしなりも少しだけ弱まったように見えた。
「よし!」
これならたぶん、大丈夫だろう。自分の所に大物が食いついたのはいいが、肝心の釣り竿が折れては話にならない。釣り竿は、釣り人が魚に挑める唯一の剣である。
「そいつを壊されるわけには、いかない!」
俺は額の汗を無視しつつ、夢中で水中の魚と戦いつづけた。水中の魚も俺と戦いつづけたが、それも長くは続かなかった。どんな心境の変化があったのは分からないが、どこからか拭いてきた風に川の水面が波立った瞬間、今までの抵抗をすっかり忘れて、急に大人しくなってしまったのである。
「なんだ?」
そう驚いて自分の竿を引いてみたが、すぐに「なるほどな」とうなずいてしまった。魚は何も、好きで大人しくなったわけではない。俺との勝負に根負けして、自分の命をすっかり諦めてしまったのだ。「自分はもう、助からない」と、そう勝手に思ってしまったのである。水の中から釣りあげられた魚、その悲しげな表情からは、それがはっきりと感じられた。
「まったく」
お前も自然の一員なら、もうちょっと頑張れよ。
「人間の俺なんかに負けないくらいにさ? それが『野生』ってもんだろう?」
そうは言ったが、気持ちとしてはやはり嬉しかった。何たって、こんな大物を釣りあげたんだからね。嬉しくない筈がない。籠の中にそいつを入れた時にはもう、釣りの事など忘れて、自分の館に帰っていた。俺は館の厨房に行き、厨房の料理人達を無視して、調理台の上に獲物を乗せた。
「凄いだろう! コレ、俺が釣ったんだ」
料理人達は、その言葉に驚いた。特に料理長はかなり驚いていたようで、周りの料理人達が俺に視線を戻した後も、黙って俺の獲物を眺めつづけていた。
「確かに凄いですね、コレは」
最高の言葉だった。他の料理人ならまだしも、料長にそう言われたら嬉しくない筈がない。俺は魚の体を叩いて、自分の功績を尚も叫んでしまった。
「かなり辛かったけどね? 最後は、神様が俺に味方してくれたんだ」
「そうですか。なら、魚を叩くのは止めてください」
「え?」
「せっかくの食材が傷んでしまいます。貴方も、美味い刺身を召しあがりたいでしょう?」
「そ、そうだな」
確かに。
「コイツの刺身は、とても美味そうだ!」
俺は「ニコッ」と笑い、目の前の料理長に「それじゃ、よろしく」と言って、厨房の中から出ていった。
「さて」
今夜は、最高の夕食が食べられるし。
「明日は、何をしようかな?」
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