上 下
13 / 15
初等部編

第13話 嘘の力

しおりを挟む
 場所は違っても、同じ時間を生きるのが人間である。Aの人間が勉強を頑張っている裏では、Bが愛する人と逢い引きしているのだ。勉強を頑張るAは、「知識」と言う恋人を得るかも知れないが、恋人との愛を育んでいるBには、「恋愛」の場面で結局負けてしまう。それがたとえ、悲哀に終わるモノであっても。「恋」が造りし人間の剣は、「知識」でこしらえた理性の盾よりもずっと強いのだ。
 
 オーガンは、その刃に心を惹かれるタイプだった。貴族としての教養は、一応学んでいても……「それ」を精神にまで昇華しようとは思わない。優れた教養は、人間の品位は上げても、その本質自体を磨くわけではないのだ。

 人の本性は、理性と本能の騙し合い。理性は人間に嘘を付かせるが、本能は人間を正直にさせるのだ。あらゆる嘘を叩き潰し、その奥にある感情を引っ張り上げる。オーガンの抱いた感情は、本能が訴える不安と恐怖の産物だった。

「なぁ、ネフテリア」

 周りに誰もいない、校舎の裏まで彼女を連れて行く。校舎の裏は静かで、木々に留まる小鳥の囀り以外は、何も聞こえて来なかった。

「なに?」の返事は、何処までも明るい。彼の抱く不安など、まるで気づいていない様子だった。オーガンには、その態度が少し腹立たしく感じられた。

「変な夢でも見たんだろうが。俺は、本当に病気になんて罹っていない。俺の身体は、健康そのモノだ。この間だって、俺に決闘を申し込んできた相手」

 の続きは、話さなかった。そんな事は別に言わなくても良い事だったし、何より目の前のネフテリアが何やら考えている(思い出している?)様子だったからだ。

 「ああ」と笑った顔からは、何の感情も読み取れない。彼女が「そんな事もあったわね」と呟いた理由も。
 
 オーガンは、目の前の彼女が……今までの彼女とは違う、まるで中身だけが入れ替わった人形のように感じられた。人形の中身に詰まっているのは、腐肉がさらに腐ったような物。漂う悪臭を芳香に変え、それで己の匂いを誤魔化す化け物のように思えた。

 オーガンは相手の目をじっと見つめながら、その視線で自分自身を必死に守りつづけた。病気の事は、何があっても知られてはいけない。自分の弱みを知られるのは、彼にとって苦痛以外の何ものでもなかった。

 オーガン・アガチは、常に強い男でありたい。特に好意を抱いている女性の前では……それがたとえ、叶わない恋であったとしても! 好きな相手には、格好良く見られたい。恋に不誠実な人には中々分からない事だが、恋に真っ直ぐな人間にとっては、「それ」が当り前の事だった。

「とにかく! 言いたい事は、それだけだ。お前は、色んな意味で有名だからな。周りに対する影響力が半端ない。変な噂が流れたら、俺が迷惑するんだよ!」

 少し強く言いすぎた。
 でも、これくらい言っておけば、大丈夫だろう。
 病気の事は、彼女の勘違いだった。
 そう周りに思わせておけば、あの事も勝手に収まって行くだろう。
 
 オーガンは地面の上に目を落とし、彼女の前から静かに歩き出した。

 だが、「待って」

 彼女の声が、それを許さない。折角歩き出した足が、三歩目の所でピタリと止まってしまった。「な、何だよ?」と言いながら、彼女の方をそっと振り返る。

「は、話しなら」

「まだ、終わっていない」

 ネフテリアは、彼の前に歩み寄った。最初は、何処か軽やかに。だが彼の前に止まった時は、笑顔の奥に鋭い刃を忍ばせていた。

 刃は、少年を震えさせる。

「オーガン」

 一瞬見えた彼女の涙は、幻だったのだろうか?

「私ね」

 信じられないかも知れないけど、と、彼女は言った。

「最近、予知夢を見るようになったの」

「予知夢?」

「そう。どう言う理屈かは、分からないけどね。予知夢を急に」

「嘘を付くな!」

 少年の怒声が響く。

「人間が予知夢を見るなんて。そんな事、あり得るわけねぇだろう? 大昔の伝説じゃあるまいし。お前が見た夢は」

 ただの夢。

 そう言いかけたオーガンだったが、内心では「それ」を信じかけた自分もいた。病気の事は、ごく少数の人間しか知らない。実家の召使い達はもちろん、彼の両親や医者などは知っていたが、それ以外は誰にも知られていなかった。アガチ家の没落を防ぐために。
 
 「貴族」と言う人種は、華やかな世界を生きる代償に、その体裁を守らなければならないのだ。「大事な息子が病気である」のを知られれば、それだけ周りの貴族達にも侮られる。彼らは、お世辞の裏に愉悦を忍ばせる人種なのだ。人の粗探しを生き甲斐にするように。

 目の前の少女も……。

「ただの夢じゃない」

 ネフテリアは、彼の手を握った。

「私の見た夢は、本物の予知夢なの」

 オーガンは、彼女の目を見返した。今の言葉を何とか否定しよう、と。

 だが……「くっ」
 
 反論の言葉が出て来ない。いくら反論しようと思っても、喉の辺りで「それ」がバラバラに砕け散ってしまう。頭の中では、「そんな事は、あり得ない」と思っているのに。彼女の言葉には、それを撥ね除けるだけの力があった。

 ネフテリアの手を放し、暗い顔で地面の上に目を落とす。
 オーガンは両手の拳を握り、彼女の顔をもう一度睨んでから、地面の上にまた視線を戻した。

「それなら」

「ん?」

「証拠を見せて見ろよ」

「証拠を?」

「ああ、お前の話が本当かどうか。話が本当なら、これから起こる事も」

「ええ」とうなずき掛けたネフテリアだったが、最後の部分は少しだけ言い淀んでしまった。

 この世界は、過去の世界とは似て非なる世界。

 世界に登場する人物は(彼女の知る限り)ほとんど同じだが、その人間関係には僅かながらに差異があった。フィリアの「アレ」を見ても分かるように。この世界には、彼女のいた世界とは違う時間が流れていた。

 違う時間が流れているなら、これから起こる事もまったく同じとは限らない。最悪、まったく違う流れが生じる恐れもあった。「本来なら死んでいる筈の人間」が、この世界では何事も無く生きているように。

 あらゆる可能性を考えれば、彼女の言った嘘……つまり「予知夢」は、「かなり幼稚」とも言える嘘だった。未来が変わるかも知れないのに、「未来が分かる」と言うのは、「おかしい」と言われても仕方ない。まともな人間からすれば「狂っている」としか思えなかった。

 ネフテリア自身も、その事は充分に分かっている。この嘘が、かなり危うい賭けである事も。だが……「分かるわ」

 今の彼女には、その可能性に賭けるしかない。自分の正体を知られないためにも。自分の正体が周りに知られれば、最悪(その内容はどうであれ)、あの悲劇をまた繰り返すかも知れなかった。

 最愛のエルス王子に刺し殺される。

 彼女の行動理念は、使える人間はボロボロになるまで使い、邪魔な人間は完膚なきまでに叩き潰し、甘えられる人間にはとことん甘え、騙せる人間は徹底的に騙す事である。

 オーガンは、その三つ……「使える」、「騙せる」、「甘えられる」が揃った人間だった。こんな素晴らしい人間を殺すわけにはいかない。彼女が彼を騙し、その嘘を信じさせる理由は(前述の理由もあるが)、「幼馴染を助けたい」と言う純粋な思いと、その先に待つ最終目的、エルス王子を手に入れるためだった。

 彼の腕に抱かれるためなら、どんな手段も厭わない。

「今から一週間後、私達と同じ初等部の娘がね。好きな男子と一緒に学校の窓から飛び降りるの」

「なっ!」

「『家同士の諍いが原因』でね。二人は幼いながらも、その事を真剣に悩んでいた。『自分達は、こんなに好き合っているのに?』って」

 オーガンは、その話に絶句した。

 その話がもし、本当だったら? と。
 ある意味で失恋を経験した彼には、その悲哀が溜らなく悲しかった。
 悲哀の悲しみは、失恋の何倍も悲しい。だからつい、「そいつらの自殺を、くっ! 『黙って見ていろ』って言うのか?」と叫んでしまった。

「指を咥えてよ?」

「いいえ」

 ネフテリアは「ニヤリ」と笑って、オーガンの顔を見かえした。

「二人の事を助けるわ。私には、『それ』ができる。未来の事が分かる私には、ね。オーガンも協力してくれるでしょう?」

 オーガンはその言葉に押し黙ったが、やはり男として曲げられないモノがあるのだろう。最初は曖昧だった返事が、最後には「ああ」の返事に変わっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】本当の悪役令嬢とは

仲村 嘉高
恋愛
転生者である『ヒロイン』は知らなかった。 甘やかされて育った第二王子は気付かなかった。 『ヒロイン』である男爵令嬢のとりまきで、第二王子の側近でもある騎士団長子息も、魔法師協会会長の孫も、大商会の跡取りも、伯爵令息も 公爵家の本気というものを。 ※HOT最高1位!ありがとうございます!

私が死んだあとの世界で

もちもち太郎
恋愛
婚約破棄をされ断罪された公爵令嬢のマリーが死んだ。 初めはみんな喜んでいたが、時が経つにつれマリーの重要さに気づいて後悔する。 だが、もう遅い。なんてったって、私を断罪したのはあなた達なのですから。

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持

空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。 その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。 ※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。 ※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

ざまぁはハッピーエンドのエンディング後に

ララ
恋愛
私は由緒正しい公爵家に生まれたシルビア。 幼い頃に結ばれた婚約により時期王妃になることが確定している。 だからこそ王妃教育も精一杯受け、王妃にふさわしい振る舞いと能力を身につけた。 特に婚約者である王太子は少し?いやかなり頭が足りないのだ。 余計に私が頑張らなければならない。 王妃となり国を支える。 そんな確定した未来であったはずなのにある日突然破られた。 学園にピンク色の髪を持つ少女が現れたからだ。 なんとその子は自身をヒロイン?だとか言って婚約者のいるしかも王族である王太子に馴れ馴れしく接してきた。 何度かそれを諌めるも聞く耳を持たず挙句の果てには私がいじめてくるだなんだ言って王太子に泣きついた。 なんと王太子は彼女の言葉を全て鵜呑みにして私を悪女に仕立て上げ国外追放をいい渡す。 はぁ〜、一体誰の悪知恵なんだか? まぁいいわ。 国外追放喜んでお受けいたします。 けれどどうかお忘れにならないでくださいな? 全ての責はあなたにあると言うことを。 後悔しても知りませんわよ。 そう言い残して私は毅然とした態度で、内心ルンルンとこの国を去る。 ふふっ、これからが楽しみだわ。

裏切られた令嬢は死を選んだ。そして……

希猫 ゆうみ
恋愛
スチュアート伯爵家の令嬢レーラは裏切られた。 幼馴染に婚約者を奪われたのだ。 レーラの17才の誕生日に、二人はキスをして、そして言った。 「一度きりの人生だから、本当に愛せる人と結婚するよ」 「ごめんねレーラ。ロバートを愛してるの」 誕生日に婚約破棄されたレーラは絶望し、生きる事を諦めてしまう。 けれど死にきれず、再び目覚めた時、新しい人生が幕を開けた。 レーラに許しを請い、縋る裏切り者たち。 心を鎖し生きて行かざるを得ないレーラの前に、一人の求婚者が現れる。 強く気高く冷酷に。 裏切り者たちが落ちぶれていく様を眺めながら、レーラは愛と幸せを手に入れていく。 ☆完結しました。ありがとうございました!☆ (ホットランキング8位ありがとうございます!(9/10、19:30現在)) (ホットランキング1位~9位~2位ありがとうございます!(9/6~9)) (ホットランキング1位!?ありがとうございます!!(9/5、13:20現在)) (ホットランキング9位ありがとうございます!(9/4、18:30現在))

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

処理中です...