人気俳優と恋に落ちたら

山吹レイ

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藍が好きな人

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 いつもなら五日で終わる発情期が一週間経っても終わらない。おかしいと思いながらもさらに二日過ぎた頃、やっと体調がよくなってきた。それに今回の発情期は特に苦しかった。
 期間中の性欲には波があり、すごくしたい、出したいという昂りが過ぎ去れば、疲れた、眠い、腹が減ったという他の欲求が強まって、その間は比較的落ち着いて他のことをしていられる。それが過ぎ去ればまた性欲は戻ってくるが、ピークはだいたい二日目で、三日目を過ぎれば波はもっと緩く次第に弱まってくる。
 それなのに、今回はずっと性欲が昂った日々が続き、波はおろか出しても出してもまだ出したりない日々が途切れず、食事も睡眠もろくにとれなかった。
 発情期を終えた俺を迎えに来た加賀が、やつれ具合を見て驚いたほどだ。いつもとは違い発情期間中が長かったこともあって、加賀は一度病院に行ったほうがいいと提案してくれたが、一週間以上休んでしまったし、迷惑をかけた分仕事も溜まっている。これ以上は休めないとすぐにメンバーと合流し雑誌の撮影があるスタジオに向かった。
 為純のことについては発情期が終わった後も色々考えた。自分がオメガであると明かす気持ちは、今も変わりない。次に会ったときにちゃんと言う。罵られてもいい、拒否されてもいいから、謝罪して本当のことを明かすつもりだ。
 為純は東京に来た翌日にはまた京都に戻って行ったらしく、会う機会はない。それでも、多分そう遅くないときに訪れるだろうと予感はしていた。
 発情期が終わって二週間が経ち、体調も万全に戻りつつある頃、その日は早めに仕事が終わる予定だったため、藍と一緒に食事をする約束をしていた。外で会ってもいいが藍が話したいことがあるというので俺の部屋で過ごすことになった。
 藍と会うのは夏のコンサートのとき以来で、ゆっくり一緒に食事をするのもかなり久しぶりだ。
 手料理を作って藍をもてなしてあげたい気持ちはあるが、生憎俺ができるのは目玉焼きだけだ。そう目玉焼きだけは片面焼きも両面焼きも完璧に作ることができる。これでも作れるように練習していた。でも、為純に食べさせてあげる日は来ないかもしれない。
 そんなことを考えているとチャイムが鳴った。藍は相変わらずのボーイッシュな格好で、今日は伊達眼鏡をかけている。手には大きな袋をぶら下げていた。
「行理くん、久しぶり」
 満面の笑顔の藍は、持っていた袋を床に置いて、俺の手を握り締めて上下にぶんぶん振った。
「久しぶり。どうぞ、入って」
 スニーカーを脱いだ藍は、帽子を取って伊達眼鏡を外して中に入ってきた。
「めっきり寒くなったよね。この時期何を着るのか悩む」
「藍ちゃん、今日は全身黒づくめなんだ」
「ふふん、闇に紛れるようにジャケットも黒にしたの」
 人目につかないように考慮しているのだと思うが、闇に紛れるのは少し違う気がする。でも藍は得意げにジャケットの姿を見せつけてくるから、なんにせよ楽しんでいるのならいい。
 藍が持ってきた袋の中を覗くと、タッパーに詰められた惣菜が入っている。
「え、これ作ってきたの?」
「そう、だって行理くんのうちにはフライパンすら……え、あるし」
 キッチンに入ってきた藍はフライパンや鍋が揃っているのを見て目を丸くしている。
「あーこれね……」
 為純がここに来たことをあまり言いたくなくて口ごもっていると、藍は興奮して口早にまくしたてる。
「もしかして、あの人が来て作ってるの!? うっそー料理できるの!? あの顔で料理できるとか卑怯じゃん! というか、ここに来て手料理とか……甘々らぶらぶ」
 信じられないものを見るような目つきで、まな板や、出しっぱなしにしていたお揃いの食器などを眺めている。
「いや、まあ、その……そういえば、藍ちゃん、話したいことがあるんだって?」
 俺は居たたまれなくなって急に話を変えた。すると藍はくるりと振り向いて、頬を染めて言いにくそうにもじもじしている。
「うん。そのことなんだけど……まずはご飯にしない? お腹空いたでしょ」
 言われて、今日ろくに食事をとっていないことを思い出した。移動中におにぎり食べたのと、撮影の合間に差し入れのお菓子をつまんだくらいだ。
 小さなテーブルの上に藍が持ってきたタッパーの蓋を開けて並べた。藍は皿に出すと言ったが、面倒だしこのままだと洗い物も少なくていい。
 自分の取り皿に食べたいものを少しずつとって、俺の仕事のこととか藍の学校での出来事など二人で他愛もないことを話した。
 だいたい食べ終えた頃に、藍が実は……と改まった態度で話しだした。
「えっと……はじめて彼氏ができました」
「え、まじ!? おめでとう。よかったね!」
「うん……ありがとう。まだ付き合って一週間も経ってないんだけど……」
 照れて顔を真っ赤にして俯く藍から、幸せそうな雰囲気が漂っている。
「藍ちゃんに彼氏か……あ、加賀さんはもう知ってるよね。俺に何も言ってこなかったなあ」
 すると幸せそうだった表情が一転して渋い顔つきになる。
「お兄ちゃんは、すごい剣幕で怒ってて……まだ早いとか、今年受験だからそんなことよりすることがあるんじゃないかって煩くて……あんま口をききたくない」
 口を尖らせて喋る藍は、怒っていながらもどこか悲しそうにも見える。当然兄も一緒に喜んでくれると思っていただろう。だから反対されてショックだったのだ。
 俺は藍の気持ちも、加賀の気持ちもわかる。藍ははじめて彼氏ができて、本当に嬉しくて俺に直接報告してくれるほど舞い上がっている。対して加賀は心配でならないのだろう。オメガで苦しんでいる姿を見ているだけに、付き合う相手を慎重に選んでほしいと思っている。大切な妹に何かあれば気が気ではないのだろう。
「加賀さんは藍ちゃんのことを本当に大切に思ってるからね。心配なんだ」
「わかってるけど、お兄ちゃんは過保護っていうか……もう子供じゃないんだし、彼氏だってできたっていいじゃん」
 いじけている藍は、加賀が心配する理由もちゃんと理解しているのだ。それがわかっているなら心配ない。それに藍は美人で気立てがよく、告白されたことも何度かあると言っていた。そのときは付き合わなかったのだから、ちゃんと人を選んでいる。
「相手はどんな人?」
 何気に訊くと、急に藍がそわそわと落ち着かない様子で指を組んだりしている。
「同じクラスメイトの男子でベータなんだ。周りの騒いでいる男子とは、なんか違ってて……落ち着いて大人びて、周りのことをよく見て行動できるいい人。行理くんほど背も高くないし格好よくもないけど、一緒にいて安心できるっていうか……」
 言っててよほど恥ずかしいのか、藍はもじもじして目を伏せている。
「藍ちゃんがそこまで言うんだから、本当にいい人なんだね」
「うん。オメガってこと知ってても、嫌なこと絶対言ってこないし、すごい普通に接してくれるの。オメガって可哀想とか淫乱とか言われること多いじゃん? でもほんと普通」
「普通に接してくれるって嬉しいよね」
「やっぱ、行理くんもわかる? 友達でもさ、大丈夫? とか、辛くない? とか過剰に心配されるとうざったいときもあるから、そういうの助かる」
 聞けば聞くほど、藍はいい人を選んだと感じる。
「まだ付き合って日が浅いから……って、お兄ちゃんからだ」
 藍は急に携帯電話を取り出して画面を見る。すると俺の携帯電話も反応した。
「あ、俺にも加賀さんからきたよ。藍ちゃんが迷惑かけてないか心配してる。加賀さんにここに来ること言ってないの?」
「言ってないよ。あんまいい顔しないんだもん。なんで今日に限って実家に来てんの?」
「今日は俺たちが早めに終わったから、加賀さんも早めに仕事を終わらせて行ったんじゃない?」
 加賀の仕事は俺たちに付き添うことだけではない。事務所で色々と仕事もあるだろうし営業もしていると言っていた。俺たち以上に忙しいのだ。
「迷惑だから帰って来いだって」
 藍は頬を膨らませて、怒りを露に文字を打っている。
「心配されてるよ。じゃあ片付けて送ってくよ」
 そう言って立ち上がると、藍は悲しそうに声を張り上げた。
「ええ!? もう帰んなきゃいけないの? もうっ!!」
 そう言いつつ一緒にテーブルの上を片付けている。タッパーを洗おうとすると「そのままでいいよ」と藍がさっさと袋に入れてしまった。
 まだ話し足りない、もっと一緒にいたい、と愚痴る藍に、また今度ゆっくり食事でも行こうと話しながら部屋を出て、一緒にエレベーターに乗る。
「だって行理くん忙しいし、なかなか会えないでしょ」
「時間作るよ」
 スケジュールを頭に思い浮かべながら、当分は無理だろうなと思う。少なくとも年内は仕事で埋まっていて、休みの日はないのだ。
「いいの。そんなことしなくて。私だけの行理くんじゃないんだし、お仕事頑張ってくれたらそれでいい」
 先ほどまで愚痴っていたとは思えないほど、藍は諦めにも似た笑みを浮かべている。
 藍は俺が輝いている姿が一番好きだという。最初会ったときから、彼女は俺を一途に応援してくれていた。売れるようになって、誰よりも嬉しいと喜んでくれたのは藍だった。
 エレベーターを降りてエントランスに出ると、歩いて駅に向かうという藍とタクシーを呼ぶ俺とでちょっとした言い合いになった。まだそんなにも遅い時間じゃないから電車で帰るというが、あまり夜一人で出歩かせたくないし、家に着くまで心配でならない。
 結局タクシーを呼ぶと言い聞かせて、二人で外で来るのを待った。
 藍が寒そうに腕を摩ったので、俺は着ていたカーディガンを脱いで彼女に渡した。ジャケットの下に着たら温かいだろうと思ってのことだが「いいよ。大丈夫」と言って首を横に振る。
「行理くんは本当に優しいよね」
 目元を赤くして言った藍は「ほんとはね……」と言いにくそうに俺の顔を見上げる。
「ほんとは私、行理くんのことが好きだったの」
 俺は驚きすぎて咄嗟に反応ができなかった。
 藍は「やっぱり気づいてなかったんだね……」と切なげに微笑んで続ける。
「行理くんは私が出会った中で一番優しかったし、きらきらしていて目が離せなかった。本当に王子様みたいって思ったの。同じオメガなら辛さも分かち合えるし、一緒にいても大丈夫な相手って考えたら余計好きになっていって……でも行理くんは……」
「その女とどういう関係?」
 いきなり怒りをこめた低い声が割りこんできた。
 俺も藍もはっとして動きを止める。ゆっくりと近づいてきたのは、一瞬誰か認識できなかったが黒く髪を染めた為純だった。
 どうして京都にいるはずの為純がここにいるのか……それよりも今の話をどこまで聞かれてきたのかと不安に駆られる。だが、慌てても余計怪しまれると思った俺は、気を取り直して、なんでもない風を装った。
「彼女は加賀さんの妹で、ほらコンサートのときにもいた子だよ。為純はどうしてここに?」
 何も後ろめたいことはないと精いっぱいの笑顔を浮かべて向き合えば、為純は睨み付けていた目をそのままに、吐き捨てるように言った。
「驚かせようと思って来てみれば……女を部屋に呼んでいたなんて」
 やはり藍との仲を誤解されていた。
「彼女とはなんでもない」
 それに対して返事はなく、為純は俺の話を信じていないようだった。
 ちょうどタクシーが来たので、すぐに藍を促す。
「ど、どうしよう。行理くん、私、悪いこと……」
 藍はタクシーに乗りながら、俺たちの仲を拗れさせたと思ってパニックになっている。
「大丈夫。大丈夫だから。気を付けて帰って」
 安心させるように微笑んで、藍に一万円札を渡してタクシーの運転手に出るように言った。藍を見送った後、俺は怯える心を叱咤して、為純の前に立つ。
 為純の顔は今まで見たことがないほど冷たく、全身から怒りのオーラが立ち上っている。
「で、お前がオメガだというのは本当か?」
 俺は絶望的な気持ちで為純のその言葉を聞いた。
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