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本当のはじまり
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馬車を乗りつぎ、小さな村や町を移動しながら、やっと今日フェアリースノウに入った。
雪がちらついていて震えるほど寒いが、まだ積もってはいない。
すぐに行動してよかった。うかうかしていたらフェアリースノウに来られなくなるところだった。
一年の半分が雪で覆われる地域。秋になると雪が降りはじめて馬車が少なくなる。雪が積もったり吹雪いたりすれば通行できなくなることもあるらしく、行くなら急いだほうがいいと言われ、すぐに出るという馬車に乗った。
王都から直接フェアリースノウ行きの馬車があって助かった。ただ、進む速度はめちゃくちゃ遅かった。馬車は車のように速くない上、道路も整備されているわけではないから一日進む距離に限度がある。夜になる前に街に入り、宿を取って次の日の朝出る。そうやって夜盗やモンスターを避けながら進む。ときには車輪が壊れて二日経って出発とかざらにあった。有り金もつきそうになったころ、やっと着いたのだ。
ポータルでは一瞬なのに二十日はかかるかも、と言われ絶望を感じていたが、二週間ちょっとで着いたのはよかったのか……なんにせよ無事ついてよかった。
慣れない馬車の振動で尻だけなく体も痛かったし、風呂にも入ってない。宿屋で体を拭いたりしたものの体中から臭い匂いがする。でも他の人も一緒だ。
「お兄ちゃん、じゃあね」
途中で乗ってきた両親と一緒にいた小さな女の子が俺に向かって手を振る。
「ああ、じゃあな」
俺も手を振り、広場を見回した。
「やっとこの場所に戻ってきた」
呟いた息が白く、来る途中に買った厚手の手袋の中ですら手が悴んでいる。
山側の丘を見上げると、遠くに家が見える。
「よかった。建てた家はちゃんとある」
来る途中、もし家がなくなっていたらどうしようと不安に思っていた。ポータルもないしウィンドウ画面も開かないなら、俺が建てた家だってなくなっている可能性もある。
「お前さん……」
不意に声をかけられ、振り返る。大きな籠を背負ったおじいさんが立っていた。
この人は一度イベントで薬草を依頼されたことがある。
「こんにちは。あれから、お嬢さんの症状はいかがですか?」
挨拶をして気軽に声をかけると、おじいさんは顔を綻ばせて近づいてきた。
「それがすっかりよくなって。あのときは本当にありがとう」
「いえ。お元気になって何よりです」
「ところで、お前さんだったのかい。あの大きな家を建てたのは?」
おじいさんが指をさした方角には俺の家がある。
「はい」
「はー。凄いなあ。ここら辺では見ないような大きな家だ。噂になってるんだよ、お前さんがあの家を建てたって」
「そうなんですか?」
悪い噂になっていたらどうしようと思っていたら、おじいさんは意外なことを言い出した。
「でもあんな家を建てたのに姿が見えないから、お前さんが死んだんじゃないかって変なことを言う人もいてな……」
そんなことを言う人もいるのだと知り、俺は驚きつつも笑顔で答える。
「少し王都のほうに行ってたんです。でもこれからここに住むので戻ってきました」
「そうかい。それは嬉しいよ。この地域は雪が多くて誰も住みたがらないから人が増えるのは大歓迎だ。何か困ったことがあれば言ってくれ」
「ありがとうございます」
「そうだ。これ形が悪いけど美味しいから」
おじいさんは背負っていた籠をおろし、その中から林檎を二つ目の前に差し出した。
「うわ、いいんですか。いただきます」
イベントで依頼されたこともある人は名前が表示されているはずだが、今はそれがない。それでも名前は覚えていた。
「それじゃ、クリフトンさん、ありがとうございました」
「ああ、シノさんも体に気をつけて」
会釈をして立ち去る。おじいさん……クリフトンは俺の名前を憶えていた。
完全に切り離された世界ではなく、ゲームと繋がっている記憶がある。それは唯一の救いだった。
知っているはずのゲームの中は、現実になるとがらりと見方が変わった。水洗トイレもなければ風呂もない。着ている服もジャージなんて楽なものはなく、麻のごわごわとした服や動物の皮なんてものもある。食べるものも基本は硬いパンとスープ、あとは果物とか野菜。肉汁溢れるハンバーガーも舌が蕩けそうな甘いチョコレートもない。
移動は歩きか馬車。せめて自転車があればもう少し楽なのに。
社畜と言いつつ、現実の生活は快適なものだったと改めて気づく。
近くにはコンビニも病院もあり、食べるものも医療だって充実している。交通手段も電車やバスなど困ることはない。海を越えた遠い国だって飛行機に乗れば気軽に行ける。
それにスマホがない。どんな情報も検索すれば一発で知ることができる便利アイテム。
ここでは人に訊くか、人々が話している会話を耳にして知ることが多い。
はじめからここに暮らしているなら何も感じない不便さも、現代の日本で暮らしている俺にとっては苦労の連続だった。
だけど、この世界の人たちはみな温かい。
不思議に思っていることもわからないことも、訊けば誰でも答えてくれる。
ここに来るまでにたくさんの人と出会って別れた。彼らはこの世界でちゃんと生きている。決められた言葉を繰り返すだけのNPCとは動作が違う。今ではNPCではなく俺と同じ普通の人だと思うようになった。
スリとか盗賊とか当たり前のように犯罪が身近にあるし、モンスターも普通にいるが、時間や上下関係など制約が多い現代社会とは違いここは自由である。
ログアウトも強制終了もできない今、これからこの世界で暮らすしかないのだ。
雪がちらついていて震えるほど寒いが、まだ積もってはいない。
すぐに行動してよかった。うかうかしていたらフェアリースノウに来られなくなるところだった。
一年の半分が雪で覆われる地域。秋になると雪が降りはじめて馬車が少なくなる。雪が積もったり吹雪いたりすれば通行できなくなることもあるらしく、行くなら急いだほうがいいと言われ、すぐに出るという馬車に乗った。
王都から直接フェアリースノウ行きの馬車があって助かった。ただ、進む速度はめちゃくちゃ遅かった。馬車は車のように速くない上、道路も整備されているわけではないから一日進む距離に限度がある。夜になる前に街に入り、宿を取って次の日の朝出る。そうやって夜盗やモンスターを避けながら進む。ときには車輪が壊れて二日経って出発とかざらにあった。有り金もつきそうになったころ、やっと着いたのだ。
ポータルでは一瞬なのに二十日はかかるかも、と言われ絶望を感じていたが、二週間ちょっとで着いたのはよかったのか……なんにせよ無事ついてよかった。
慣れない馬車の振動で尻だけなく体も痛かったし、風呂にも入ってない。宿屋で体を拭いたりしたものの体中から臭い匂いがする。でも他の人も一緒だ。
「お兄ちゃん、じゃあね」
途中で乗ってきた両親と一緒にいた小さな女の子が俺に向かって手を振る。
「ああ、じゃあな」
俺も手を振り、広場を見回した。
「やっとこの場所に戻ってきた」
呟いた息が白く、来る途中に買った厚手の手袋の中ですら手が悴んでいる。
山側の丘を見上げると、遠くに家が見える。
「よかった。建てた家はちゃんとある」
来る途中、もし家がなくなっていたらどうしようと不安に思っていた。ポータルもないしウィンドウ画面も開かないなら、俺が建てた家だってなくなっている可能性もある。
「お前さん……」
不意に声をかけられ、振り返る。大きな籠を背負ったおじいさんが立っていた。
この人は一度イベントで薬草を依頼されたことがある。
「こんにちは。あれから、お嬢さんの症状はいかがですか?」
挨拶をして気軽に声をかけると、おじいさんは顔を綻ばせて近づいてきた。
「それがすっかりよくなって。あのときは本当にありがとう」
「いえ。お元気になって何よりです」
「ところで、お前さんだったのかい。あの大きな家を建てたのは?」
おじいさんが指をさした方角には俺の家がある。
「はい」
「はー。凄いなあ。ここら辺では見ないような大きな家だ。噂になってるんだよ、お前さんがあの家を建てたって」
「そうなんですか?」
悪い噂になっていたらどうしようと思っていたら、おじいさんは意外なことを言い出した。
「でもあんな家を建てたのに姿が見えないから、お前さんが死んだんじゃないかって変なことを言う人もいてな……」
そんなことを言う人もいるのだと知り、俺は驚きつつも笑顔で答える。
「少し王都のほうに行ってたんです。でもこれからここに住むので戻ってきました」
「そうかい。それは嬉しいよ。この地域は雪が多くて誰も住みたがらないから人が増えるのは大歓迎だ。何か困ったことがあれば言ってくれ」
「ありがとうございます」
「そうだ。これ形が悪いけど美味しいから」
おじいさんは背負っていた籠をおろし、その中から林檎を二つ目の前に差し出した。
「うわ、いいんですか。いただきます」
イベントで依頼されたこともある人は名前が表示されているはずだが、今はそれがない。それでも名前は覚えていた。
「それじゃ、クリフトンさん、ありがとうございました」
「ああ、シノさんも体に気をつけて」
会釈をして立ち去る。おじいさん……クリフトンは俺の名前を憶えていた。
完全に切り離された世界ではなく、ゲームと繋がっている記憶がある。それは唯一の救いだった。
知っているはずのゲームの中は、現実になるとがらりと見方が変わった。水洗トイレもなければ風呂もない。着ている服もジャージなんて楽なものはなく、麻のごわごわとした服や動物の皮なんてものもある。食べるものも基本は硬いパンとスープ、あとは果物とか野菜。肉汁溢れるハンバーガーも舌が蕩けそうな甘いチョコレートもない。
移動は歩きか馬車。せめて自転車があればもう少し楽なのに。
社畜と言いつつ、現実の生活は快適なものだったと改めて気づく。
近くにはコンビニも病院もあり、食べるものも医療だって充実している。交通手段も電車やバスなど困ることはない。海を越えた遠い国だって飛行機に乗れば気軽に行ける。
それにスマホがない。どんな情報も検索すれば一発で知ることができる便利アイテム。
ここでは人に訊くか、人々が話している会話を耳にして知ることが多い。
はじめからここに暮らしているなら何も感じない不便さも、現代の日本で暮らしている俺にとっては苦労の連続だった。
だけど、この世界の人たちはみな温かい。
不思議に思っていることもわからないことも、訊けば誰でも答えてくれる。
ここに来るまでにたくさんの人と出会って別れた。彼らはこの世界でちゃんと生きている。決められた言葉を繰り返すだけのNPCとは動作が違う。今ではNPCではなく俺と同じ普通の人だと思うようになった。
スリとか盗賊とか当たり前のように犯罪が身近にあるし、モンスターも普通にいるが、時間や上下関係など制約が多い現代社会とは違いここは自由である。
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