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異常事態
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体が痛い。
そんなことを思いながら俺は目を覚ました。
目を開けると汚れた天井が目に入る。
あれ? と違和感を覚えて、もう一度目を瞬かせる。
一瞬遅れて自分の部屋ではないと気づき、ここはどこだと慌てて体を起こそうとしたが……裸で寝ていたことに驚いた。
それと尻に何か挟まっているような異物感。
恐る恐る周囲を見回して、隣に同じように人が裸で寝ているのが目について、誰だ!? と叫びそうな声をすんでのところで堪える。
最初女性かと思ったが、背を向けた背中のラインや肩の滑らかさが違う。筋肉で張りつめた太い腕にベッドからはみ出た大きな足。明らかに男だった。
そっと顔を上から覗き込めば、男は寝息を立てて眠っている。乱れた黒い髪が浅黒い肌にはりついて汗がにじんでいる。
脱ぎ捨てられた服と乱れたシーツ、体を見下せば赤い跡がてんてんとついていて、下半身には精液がこびりついている。そして尻の痛み。
別に同性愛について否定的ではないし、オーバーレイオンラインもプレイヤー同士の同性婚も可能だった。ただ、俺自身は恋愛も性欲も女性にしか感じなかった……はずだ。
そういえば、眠る前に酔って男に抱き上げられて宿屋に行って……まてまてまて、それはゲームの中の話だ。そもそもこれは現実なのか?
ゲームからログアウトできたのか?
痛む体を動かしベッドから下りて服を探る。これは俺がゲーム中に着ていた上着とズボン。ポケットを探れば、そこには葉っぱのようなもので包まれた干し肉と瓶に入った水、それと麻袋にはお金が入っている。俺がアイテムボックスから取り出した金額と一緒だ。ということはこの水もハーブ水なのだろう。
未だゲーム中であることに驚きを隠せないまま、服を身に着け、よれよれと部屋を出る。
ゲームの中では18禁に関する行為はできないし、禁じられている。それなのに、男とセックスしたのか? しかも服を着るって……そんな動作はなく、踊る衣装に着替えるときも一瞬だったはずだ。
階段をおりていくと、一人の女性と目が合った。宿屋のカウンターにいつもいる人だ。
「あら、おはよう。早いのね」
にっこりと笑いかけられて俺は戸惑いながら挨拶を返す。
「……おはよう……ございます」
「今日もいい天気ね」
「……そうですね」
俺は見られていることを意識しながら、ドアに向かって歩いた。
意を決してドアを開ける。
石畳の狭い道路を馬に乗った甲冑を身に着けた男の人が通り過ぎていく。どの家も木の質素な作りで、まっすぐな通りに見えるのは馴染みのなる王都の広場。
アスファルトの道路もビルも車もない、ゲームの世界が広がっていた。
「だから……なんだよこれ。なんでログアウトできないんだ?」
困惑しながら、乱暴にウィンドウを開こうとする。
「出ない。出ない出ない出ない。なんでだ?」
自分のステータスとかインベントリーを開こうとしてもできない。
ゆっくりと足を踏み出して、見かける人、一人一人姿を確認する。プレイヤー名は出ない。
強制終了を思い出して、手順を頭の中で反芻する。本当はしてはいけないのだが、万が一システムがエラーになったり、ログアウトできない場合にのみ使用してくださいと書かれてあった方法だ。
人差し指でタップするのではなく、パソコンのコントロール・オルト・デリートのように両手を使い同時に指で宙を長押ししてみる。
十秒待っても二十秒待っても、なんなら一分待ってみても、何度試してみても、画面は切りかわらなかった。
「なんでだ? サーバーが落ちたのか? でもそれならゲームも消えるはず」
体に痛みを感じる時点でもうおかしいのだが、認めたくない。
「なんらかの原因でゲームの世界に残されたとか? 俺だけ? あんなにたくさんのプレイヤーがいたのに?」
こうして人が歩いている姿を見たり、風に揺れる草花を見ていると、ゲームの世界から出られないというより、ゲームの世界が現実となったような感覚。
試しに広場まで歩いて行く。すれ違う人に必ず目を向けて確認しながら、どこからか漂うパンが焼ける匂いに鼻をくんくんさせる。
「匂いもあるとか……ゲームじゃないじゃん」
噴水の前まで来て、揺れる水面に映った自分の顔を確認した。
銀色の髪、大きな青い目、小さな鼻に、弧を描く柔らかな桃色の唇。男性なのに身長もそれほど高くない。しなやかで細い体。踊り子を意識して中性的に見えるように作ったのだ。まぎれもなくゲームの中のシノ。日本に住むサラリーマンの篠塚千早ではない。
「これからどうしよ……」
ゲームの中から出られないのはわかった。それと今の時点で俺以外のプレイヤーの姿がないことも理解した。
このままログアウトを試しながら他のプレイヤーを探すか……でも、この広場はいつ来ても必ずプレイヤーがいた。いないなんてあり得ない。
だとすれば闇雲に他のプレイヤーを探し回ったりするより、この先どうやって生きていくか考えなければならない。
オーバーレイオンラインは二年間遊んでいるのでそれなりに詳しい。
ただし、ゲームの知識というだけで、実際NPCの人たちがどうやって暮らしているかなんて知らない。
「どうすればいいんだ?」
呟いて天を仰ぐ。青い空はどこまでも遠く、雲は風に乗って気持ちよく流れていく。
ぐーと腹が鳴った。
こんな深刻な状況にもかかわらず、喉が渇いて腹が減ってきた。
噴水の前のベンチに腰かけて、ポケットから取り出した干し肉を齧ると、少し獣臭いがビーフジャーキーの味がする。ハーブ水も飲んでみると花の香りがした。
「痛みも感じる。味もする。匂いもする」
ぎゅっと目を閉じて、混乱している思考を止める。恐怖で動けなくなりそうだった。
そう、俺はこのゲームの中で生きているのだ。
二年間ずっと遊んだ世界は知っているのに、ここはまるで知らない場所のようだ。
何度も通った場所、何度も戦った場所。
「はじめてボス戦に挑んだときはこてんぱんにやられたなあ。俺はソロだったし、武器もよわよわだったし……。いろんな場所に行って薬草も摘んで……そういえば、俺家建てたじゃん!」
はっと我に返り、立ち上がった。
通りすがりにNPCたちが怪訝な目で俺を見ていたが、気にならないほど希望が見えてきた。
ゲームの中の世界で暮らすにしても、お金は必須。寝る場所も働く場所も必要だ。
職業は踊り子なので働く場所はあるが、俺には家がある。自分で建てた大きな我が家が。そこに行けばアイテムもお金もしまってある。
「ポータルがあれば……」
慌てて広場を見回した。石畳に描かれた青く浮かびあがるポータルは広場で一番目につくはずだが……ない。どこにもない。
「そんな便利なものが現実にあるわけがないって?」
自分で言っておきながら頭が混乱する。ゲームの中なのに現実ってなんだ?
「ないものは仕方ない。他にフェアリースノウに行く方法があれば……」
広場を歩き回っていると、東へと向かう大通りから馬車がやってきた。たくさんの人が乗っていて「やっとついた」などと言って、荷台から下りている。
俺は駆け寄って一人のNPCに声をかけた。
「あの……フェアリースノウ行きの馬車ってありますか!」
そんなことを思いながら俺は目を覚ました。
目を開けると汚れた天井が目に入る。
あれ? と違和感を覚えて、もう一度目を瞬かせる。
一瞬遅れて自分の部屋ではないと気づき、ここはどこだと慌てて体を起こそうとしたが……裸で寝ていたことに驚いた。
それと尻に何か挟まっているような異物感。
恐る恐る周囲を見回して、隣に同じように人が裸で寝ているのが目について、誰だ!? と叫びそうな声をすんでのところで堪える。
最初女性かと思ったが、背を向けた背中のラインや肩の滑らかさが違う。筋肉で張りつめた太い腕にベッドからはみ出た大きな足。明らかに男だった。
そっと顔を上から覗き込めば、男は寝息を立てて眠っている。乱れた黒い髪が浅黒い肌にはりついて汗がにじんでいる。
脱ぎ捨てられた服と乱れたシーツ、体を見下せば赤い跡がてんてんとついていて、下半身には精液がこびりついている。そして尻の痛み。
別に同性愛について否定的ではないし、オーバーレイオンラインもプレイヤー同士の同性婚も可能だった。ただ、俺自身は恋愛も性欲も女性にしか感じなかった……はずだ。
そういえば、眠る前に酔って男に抱き上げられて宿屋に行って……まてまてまて、それはゲームの中の話だ。そもそもこれは現実なのか?
ゲームからログアウトできたのか?
痛む体を動かしベッドから下りて服を探る。これは俺がゲーム中に着ていた上着とズボン。ポケットを探れば、そこには葉っぱのようなもので包まれた干し肉と瓶に入った水、それと麻袋にはお金が入っている。俺がアイテムボックスから取り出した金額と一緒だ。ということはこの水もハーブ水なのだろう。
未だゲーム中であることに驚きを隠せないまま、服を身に着け、よれよれと部屋を出る。
ゲームの中では18禁に関する行為はできないし、禁じられている。それなのに、男とセックスしたのか? しかも服を着るって……そんな動作はなく、踊る衣装に着替えるときも一瞬だったはずだ。
階段をおりていくと、一人の女性と目が合った。宿屋のカウンターにいつもいる人だ。
「あら、おはよう。早いのね」
にっこりと笑いかけられて俺は戸惑いながら挨拶を返す。
「……おはよう……ございます」
「今日もいい天気ね」
「……そうですね」
俺は見られていることを意識しながら、ドアに向かって歩いた。
意を決してドアを開ける。
石畳の狭い道路を馬に乗った甲冑を身に着けた男の人が通り過ぎていく。どの家も木の質素な作りで、まっすぐな通りに見えるのは馴染みのなる王都の広場。
アスファルトの道路もビルも車もない、ゲームの世界が広がっていた。
「だから……なんだよこれ。なんでログアウトできないんだ?」
困惑しながら、乱暴にウィンドウを開こうとする。
「出ない。出ない出ない出ない。なんでだ?」
自分のステータスとかインベントリーを開こうとしてもできない。
ゆっくりと足を踏み出して、見かける人、一人一人姿を確認する。プレイヤー名は出ない。
強制終了を思い出して、手順を頭の中で反芻する。本当はしてはいけないのだが、万が一システムがエラーになったり、ログアウトできない場合にのみ使用してくださいと書かれてあった方法だ。
人差し指でタップするのではなく、パソコンのコントロール・オルト・デリートのように両手を使い同時に指で宙を長押ししてみる。
十秒待っても二十秒待っても、なんなら一分待ってみても、何度試してみても、画面は切りかわらなかった。
「なんでだ? サーバーが落ちたのか? でもそれならゲームも消えるはず」
体に痛みを感じる時点でもうおかしいのだが、認めたくない。
「なんらかの原因でゲームの世界に残されたとか? 俺だけ? あんなにたくさんのプレイヤーがいたのに?」
こうして人が歩いている姿を見たり、風に揺れる草花を見ていると、ゲームの世界から出られないというより、ゲームの世界が現実となったような感覚。
試しに広場まで歩いて行く。すれ違う人に必ず目を向けて確認しながら、どこからか漂うパンが焼ける匂いに鼻をくんくんさせる。
「匂いもあるとか……ゲームじゃないじゃん」
噴水の前まで来て、揺れる水面に映った自分の顔を確認した。
銀色の髪、大きな青い目、小さな鼻に、弧を描く柔らかな桃色の唇。男性なのに身長もそれほど高くない。しなやかで細い体。踊り子を意識して中性的に見えるように作ったのだ。まぎれもなくゲームの中のシノ。日本に住むサラリーマンの篠塚千早ではない。
「これからどうしよ……」
ゲームの中から出られないのはわかった。それと今の時点で俺以外のプレイヤーの姿がないことも理解した。
このままログアウトを試しながら他のプレイヤーを探すか……でも、この広場はいつ来ても必ずプレイヤーがいた。いないなんてあり得ない。
だとすれば闇雲に他のプレイヤーを探し回ったりするより、この先どうやって生きていくか考えなければならない。
オーバーレイオンラインは二年間遊んでいるのでそれなりに詳しい。
ただし、ゲームの知識というだけで、実際NPCの人たちがどうやって暮らしているかなんて知らない。
「どうすればいいんだ?」
呟いて天を仰ぐ。青い空はどこまでも遠く、雲は風に乗って気持ちよく流れていく。
ぐーと腹が鳴った。
こんな深刻な状況にもかかわらず、喉が渇いて腹が減ってきた。
噴水の前のベンチに腰かけて、ポケットから取り出した干し肉を齧ると、少し獣臭いがビーフジャーキーの味がする。ハーブ水も飲んでみると花の香りがした。
「痛みも感じる。味もする。匂いもする」
ぎゅっと目を閉じて、混乱している思考を止める。恐怖で動けなくなりそうだった。
そう、俺はこのゲームの中で生きているのだ。
二年間ずっと遊んだ世界は知っているのに、ここはまるで知らない場所のようだ。
何度も通った場所、何度も戦った場所。
「はじめてボス戦に挑んだときはこてんぱんにやられたなあ。俺はソロだったし、武器もよわよわだったし……。いろんな場所に行って薬草も摘んで……そういえば、俺家建てたじゃん!」
はっと我に返り、立ち上がった。
通りすがりにNPCたちが怪訝な目で俺を見ていたが、気にならないほど希望が見えてきた。
ゲームの中の世界で暮らすにしても、お金は必須。寝る場所も働く場所も必要だ。
職業は踊り子なので働く場所はあるが、俺には家がある。自分で建てた大きな我が家が。そこに行けばアイテムもお金もしまってある。
「ポータルがあれば……」
慌てて広場を見回した。石畳に描かれた青く浮かびあがるポータルは広場で一番目につくはずだが……ない。どこにもない。
「そんな便利なものが現実にあるわけがないって?」
自分で言っておきながら頭が混乱する。ゲームの中なのに現実ってなんだ?
「ないものは仕方ない。他にフェアリースノウに行く方法があれば……」
広場を歩き回っていると、東へと向かう大通りから馬車がやってきた。たくさんの人が乗っていて「やっとついた」などと言って、荷台から下りている。
俺は駆け寄って一人のNPCに声をかけた。
「あの……フェアリースノウ行きの馬車ってありますか!」
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