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翌朝、目が覚めると、昨夜あれだけ集まっていた魔物はシロを残していなくなっていた。
そこで男性たちが目覚める前にシロをどうするか悩んだ。服の中にずっと隠しておくわけにもいかないだろう。僕の希望としてはいつも通り側にいてほしいし、シロだって離れたくないと思うが、そうなると魔物のことを説明しなければならなくなる。怪我人がいる今、ここが安全な場所だと思ってもらったほうが安心だろう。もしこの先、機会があれば打ち明けてもいいかもしれないが、今はしばらく魔物の存在は伏せておいたほうがいい。
とりあえず、シロは森で暮らしてもらう。この場所には近寄らせないようにする。
それをシロに伝えると、嫌がって僕から離れたがらなかったが、最終的には理解して何度も振り返っては小雨の降る中いやいやながらも森の中へと消えて行った。
森の中にはヒトツメが沢山いる。今はその中で暮らすしかない。
ベッドで眠っている男性は顔色が随分よくなり、静かに眠っている。ゲンタも昨夜は疲れたのか、まだ起きる気配がない。
外はずっと雨が降っていて、空には重い雲が一面に広がっている。青空は見えない。
いつもとは違う天気、いつもとは違う環境に少し不安になる。気持ちを切り替えるように「よし」と呟くと、身支度を整え、三人分の料理を作った。
ゲンタは昨夜たくさん食べていたから量は多めに、でもベッドで寝ている男性はあまり食べられないかもしれないから、消化がよく栄養がつくものを、僕の分は余ったものでいい。
料理の匂いにつられて、まずゲンタが目を覚ました。
ゲンタが顔を洗ったり体を拭いたりしている間に、テーブルの上に料理を並べた。
戻ってきたゲンタを椅子に座らせて、僕は立ったまま一緒に朝食をとる。
鍋から直接煮た南瓜を木の棒で刺して食べていると、ゲンタが食べるのをやめて他に木の棒はないかと訊いてきた。
昨日拾ってきた木の棒を手渡すと、何やら持っていたナイフで皮を剥いで薄く削っていく。先が細くなった木の棒を二本作ったゲンタは片手に持って動かした。
「箸だ。ロクショウ国の人間はスプーンやフォークより箸を使って食べることが多い。こうして二つを持って摘まむようにして持ち上げて食べる。これは俺が使うから、スプーンとフォークは返す」
木の棒から簡単にフォークやスプーンにかわるものを作ってしまうゲンタに、文化の違いと感じつつ、さっと作ってしまう器用さに感心する。
食事を再開すると、ゲンタが食べながら畑の様子や周囲にある果物の木を訊いてくる。畑で育てているものとか手入れ方法などを話していると、ベッドで寝ていた男性が目を覚ました。
「ここは……そうか……俺は怪我をして……」
ゲンタがすぐさま側に行く。
「目が覚めてよかった。体の具合は?」
「ああ、節々が痛いが昨夜ほど悪くない。喉が渇いた」
器に水を入れて少しずつ飲ませながら、ゲンタはどこが痛いのか痛みはどの程度なのか訊いていく。それからを聞きながら、僕は「足の状態をみてます」と告げて包帯を解いていく。
「君は……俺を助けてくれた子だね。ありがとう。それと面倒をかける」
ベッドで寝ている男性が軽く頭を下げる。
「足はまだ腫れていますね。昨日は赤かったものが紫色に変色しています。折れているかもしれません」
また添え木で足を固定し、新しい包帯をきつく巻く。
「戻って医者に診せるにしても歩けないし、ここまで馬車は入れない」
ゲンタが悩みながら、戻る方法を模索している。
「どうにもできないよね」
男性は焦った様子はなく、穏やかに微笑む。あまりにものんびりとした言いかたにゲンタは苛ついた様子で髪を掻いた。
「お前なあ。こんなところで呑気に休めるような身分じゃないだろう……それに仕事はどうする」
「ソウジがいるじゃないか。俺はあと少しで退くんだ。いい機会かもしれない」
にこにこと笑いながら言うものだから、ゲンタは余計に苛立ちをあらわに荒っぽく言い放つ。
「ああ、まったく! こんなことなら、世界樹を見たいと言ったお前を連れてくるんじゃなかったな。くそっ。しかもお前が帰ってこなかったんだ。みな死に物狂いで行方を捜しているはずだ」
男性は「ふむ」と顎に手を当てて考えていたが、すぐに口を開く。
「とりあえず、ゲンタは戻って俺が無事であることを伝えてほしい。信じてもらえない可能性もあるから一筆書くよ。紙とペンはあるかい?」
僕に向かって言われたのか一瞬わからなくて、慌てて「あります」と答えて、ペンはあったが紙がなかったので、日記帳の最後の頁を切り取って男性に渡した。
すらすらと文字を書く男性の手元に目を奪われていると、ゲンタは食べかけの料理を次々と口に詰めこんだ。書かれた手紙を受け取り丸めて懐に入れて、もうすぐに家を出ようとしている。
「医者も連れてこよう」
「あー……無理しなくていいよ。お医者さんだって、この森には足を踏み入れたくないだろうから。それに骨折ぐらい、そのうち治る」
「戻ってくるまで安静にしてろ」
「了解。ええっと、ごめんね……君には迷惑をかけるかもしれないけど」
男性はすまなそうに僕に謝った。こうなることは予想していたので快く承諾する。
「いえ、怪我が早く治るように僕も協力します」
「助かる。このかたのこと、ぐれぐれも頼む。それと朝食うまかった。ごちそうさま」
ゲンタは深々と頭を下げて家を出て行く。
「本当に迷惑をかけてごめん」
再度男性からの謝罪を受けて、僕は首を横に振って安心させるように笑みを作った。
「謝らないでください。元気になるよう頑張りましょう」
「ありがとう。紹介が遅れた。俺はカイだ」
包帯が巻かれた手を出されて、僕は優しく握り返した。
「レネです。あと……一緒にいるヴァンとフラムです」
振り返ると、黙ってこちらを見ていたヴァンはふらりと僕の側に寄って来て、フラムは我関せずといったつんとした態度でテーブルの上に乗っている。
「神獣様だね。はじめまして。申し訳ないが、こちらで世話になります」
丁寧に挨拶をする男性……カイにヴァンは鼻先を近づける。
「えっと俺も名前で呼んでもいいのかな。ヴァン様、よろしくお願いします」
カイは近づいてきたヴァンに興味津々な様子で掌を見せる。ヴァンはくんくん匂いを嗅いでいたが、カイがそっと手を伸ばすと体を躱して後ずさりする。嫌ってないが、そこまで親しくない相手には気安く触らせない、ということなのか……ヴァンは気のない様子でテーブルの下に座りこんだ。
「フラム様もよろしくお願いします」
フラムは完全に聞こえない振りだ。
「顔とか体、拭きますか? それとも食事にしますか?」
汗もたっぷりかいていたから、すっきりしてから食事をしたほうがいいだろうと思ったが、カイはお腹を摩る。
「昨夜からずっと何も食べてないからぺこぺこだ」
「今準備します」
「ありがとう」
僕は柔らかく煮た麦粥に薬草を混ぜたものを温めて差し出した。
包帯が巻かれた手ではスプーンが持ちにくいと思っていたが、普通に握って口に運んでいる。
「うん、おいしい。これは免疫力を高めたり体を丈夫にする薬草だね」
「わかりますか?」
「独特の味と匂いがするからね」
カイは麦粥をおかわりして食べたあと、林檎を一個丸々ぺろりと食べてしまった。食欲があることはいいことだ。体力もつけば早く回復に向かう。
それから、きつく絞った布で、カイの体を拭いていった。立派に鍛え上げられた体は触れると硬く、腕や胸にしっかりと筋肉がついている。腕や腰のあたりに刃物で傷をつけたような跡が残っていて、もしかしたら体を鍛えたり剣を振るったりする立場にいる人なのかもしれない。
貧弱な僕の体とは違い、大人の男性の体を目の前にして、目のやり場に困りながらも肌を滑らせるように拭いていく。
他人の体を拭くことも慣れなくて、力加減とかわからなかったが、カイは体がすっきりして気持ちよさそうにしていた。
「あの……僕の服でよければ貸したいんですが、多分入らないと……」
逞しい背中をちらちら見ながら声をかけると、カイは振り向いて苦笑した。
「そうだよね……ごめんね。なんか図体が大きい男がベッドを占領してしまって」
「いえ、それは怪我人なので……」
「いいよ。服は気にしない」
カイの目が僕の体を見るとはなしに見ている。視線を感じ、腕やひざの部分が擦り切れた服を隠すように手で撫でる。もし、彼の体に見合った服があったとしても、こんな服だったら着たくないだろう。
「上手に繕っているね。針仕事も自分で?」
カイはぼろぼろの僕の服を蔑むことなく、つぎ足して縫った部分をしげしげと見ている。
「はい」
「それは凄いね。料理もできるし薬草にも詳しい。なんでも一人でできるんだね」
感心しているカイに面映さを覚えながら、消え入りそうな声で答える。
「なんでも、ということはないんですが……ヴァンとフラムに協力してもらいながら暮らしています」
同じ服に袖を通しながら、カイは部屋の中をぐるりと見回している。
ここは本当に狭い家だ。長方形の一部屋だけの家の中は、ドアから最奥にあるベッドまで歩いても数歩ほど、かつて城の中で暮らしていた僕の部屋より狭い。窓際に水瓶やかまど、薪があり、反対側には薄い本棚と服などを入れている木箱、中央には小さなテーブルと椅子と、人間が必要最低限暮らせるものだけしかない。
昨夜雨漏りした屋根からは、微かに光が入ってきているし、風が強かったせいで、壁の隙間から土や埃が入りこんでいる。
カイは、ゆっくりと体をベッドに横たえた。手を貸しながら、人の世話をするのって、こんなにも気を使うし大変なんだなと感じた。僕の世話をしていたケイトはいつも笑って楽しそうにしていたから、こんなにも手間がかかるものだとは思わなかった。
「本がたくさんあるね」
ベッドに横になると、カイはふうっと息をついて瞼を重そうに瞬かせる。
「元々この家に暮らしていた人のものです」
「その人は?」
「ヴァンが言うには亡くなったそうです」
「そうか……」
カイの瞼がゆっくりと落ちていく。瞼が完全に閉じると、呼吸がゆっくりとしたものになり、胸が穏やかに上下している。
眠ってしまった顔を眺めて、僕はそっと家の中を片付けはじめた。
洗濯するものを部屋の隅に置いて、雨風が入った床を屈んで隅々まで水拭きする。雨の日に洗濯しても乾かないと思うが、あまり衣服の替えがないので洗濯物を持って外に出た。雨が降っている中、軒下に桶を置き、水を入れ、着ていた服やシーツ、包帯など洗うものを入れる。カイが着ていた服も持ってきたが、これは水洗いしてもいいものなのか悩む。
刺繍された群青色の上着には肘が擦れた跡や土もついている。軽く手で叩いて汚れを払い、きつく絞った布で上から押すように汚れをとっていく。
服を広げて見て、細かい刺繍が背中から前にかけて流れるように描かれていることを知った。これはなんの生物だろうか。見たことがない。蜥蜴のような姿に見えるが、体は蛇のように長い。だが体から足が四本生えていて爪が鋭く、口を開けた歯には肉食獣のような恐ろしい歯が並んでいる。
『青龍だな』
一緒に外に出たヴァンが服を見て呟いた。
「これが……?」
『長く伸びた髭、背に生えた鬣、頭に生えた二本の角。体のうねりから鱗までうまく姿を捉えている』
「どのくらいの大きさなの?」
『世界樹に巻きつけるほど大きい。これが空を飛ぶ』
「そんなにも大きいのに空を飛ぶの? 翼もないのに?」
『そうだ。悠然と空を飛ぶ姿は人々に畏敬の念を抱かせた。神獣といえば真っ先にその名があがるようになったのもそのせいだ』
「なんて綺麗なんだろう」
刺繍を指でなぞり、その雄々しい姿に感嘆して見ていると、ヴァンは不思議そうに言った。
『レネは我のこともあやつのことも綺麗と言う。人々は恐れおののくというのに』
「ヴァンだってフラムだってみんな本当に綺麗だよ。青龍もさぞ美しかったんだろうね。見てみたかったなあ」
ヴァンは降りしきる雨を眺めながらしんみりと呟いた。
『奴は人々の幸せを願い、最後の力を振り絞り祝福を与えて消滅した。人間をとても愛していた』
僕は思わず息を止めてヴァンを見つめた。消滅なんて悲しすぎる。
「消滅って亡骸も残らなかったの?」
「そうだ。そのかわり人間との間に子をもうけた……その噂も本当だったしな。その子供がロクショウ国を作ったとも聞く」
「そうなんだ……え、ちょっと待って……ということはカイはもしかしたら王族かもしれない?」
本人には訊いてないが、カイが青龍の血を引いている子孫だとゲンタが認めている。王族だとすれば、態度とか立場とか色々なことに気をつけなければならないわけで……仕方がないとはいえ、こんな所に置くような人ではないということだ。
『そうかもしれんが……青龍がおらぬなら些細なこと』
「僕にとって些細なことじゃないよ。そんな相手にどうすれば……?」
『誰であろうと関係ない。レネも王子だろう』
ヴァンもフラムも僕がブロン国の第二王子であることを知っている。ここに来た当初、自分はどこから来たのか、家族のことも侍女のことも色々なことを喋っていた。自分を知ってもらうためでもあったが、何を話せばいいのか悪いのか判断がつかず、幼かったこともある。
「ヴァン。誰にも言わないで」
ヴァンの目をじっと見据えて訴える。
『言わぬ』
「なんか大変なこと引き受けちゃったかも」
ヴァンの首に腕を回して顔をもふもふの体に埋めると、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸った。
『奴はずっといるわけではない。怪我が治ればいなくなる』
「そうなんだけど……」
それだけで終わりそうもない気がするのは、ただの考えすぎだろうか。言いようのない不安に襲われて、ぎゅっと目を閉じる。
カイが王族だとしても、僕とはなんの関係もないのに、昔のことまで思い出してしまう。
城に戻らずこの森で暮らすと決めたときから、王子ではなく普通の民になった。
世界樹の森というどこの国も属さないこの場所で、誰にも世話をされることなくただの一人の人間として自分の力で生きていく、それはもう王子でない。僕は自分からその選択肢を捨てたのだ。
深呼吸して何度もヴァンを撫でて気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと顔をあげた。
そこに、森からふわふわとシロが飛んできた。
「シロ」
僕の姿を見て出てきたのだろう。雨の中、まっすぐ僕に向かってくると、そのまま顔面にしがみついた。こんなことはじめてで、シロが寂しい思いをしていたのだと知る。一日中一緒にいる仲だ。僕だって寂しかった。
外なら家の中にいるカイに気づかれることはない。森を出て行ったゲンタは、少なくとも今日は帰ってこないだろう。
「ごめん。今日は外なら大丈夫だからしばらく一緒にいよう」
体を撫でると、シロは腕の中に移動した。もう離れないとでもいうように僕にしがみつく姿に愛おしさを感じ、気がすむまで体を撫でて慰める。
僕の未来はずっとここにある。今更森の外に出て人に紛れて暮らすなど考えられない。
多分、この先もヴァンとフラン、それからシロやダーク、メイといった魔物たちとずっと世界樹の森で生活をしていくだろう。
それこそ、老いて死ぬまで。なんの未練もなかったし、このときはそう信じていた。
そこで男性たちが目覚める前にシロをどうするか悩んだ。服の中にずっと隠しておくわけにもいかないだろう。僕の希望としてはいつも通り側にいてほしいし、シロだって離れたくないと思うが、そうなると魔物のことを説明しなければならなくなる。怪我人がいる今、ここが安全な場所だと思ってもらったほうが安心だろう。もしこの先、機会があれば打ち明けてもいいかもしれないが、今はしばらく魔物の存在は伏せておいたほうがいい。
とりあえず、シロは森で暮らしてもらう。この場所には近寄らせないようにする。
それをシロに伝えると、嫌がって僕から離れたがらなかったが、最終的には理解して何度も振り返っては小雨の降る中いやいやながらも森の中へと消えて行った。
森の中にはヒトツメが沢山いる。今はその中で暮らすしかない。
ベッドで眠っている男性は顔色が随分よくなり、静かに眠っている。ゲンタも昨夜は疲れたのか、まだ起きる気配がない。
外はずっと雨が降っていて、空には重い雲が一面に広がっている。青空は見えない。
いつもとは違う天気、いつもとは違う環境に少し不安になる。気持ちを切り替えるように「よし」と呟くと、身支度を整え、三人分の料理を作った。
ゲンタは昨夜たくさん食べていたから量は多めに、でもベッドで寝ている男性はあまり食べられないかもしれないから、消化がよく栄養がつくものを、僕の分は余ったものでいい。
料理の匂いにつられて、まずゲンタが目を覚ました。
ゲンタが顔を洗ったり体を拭いたりしている間に、テーブルの上に料理を並べた。
戻ってきたゲンタを椅子に座らせて、僕は立ったまま一緒に朝食をとる。
鍋から直接煮た南瓜を木の棒で刺して食べていると、ゲンタが食べるのをやめて他に木の棒はないかと訊いてきた。
昨日拾ってきた木の棒を手渡すと、何やら持っていたナイフで皮を剥いで薄く削っていく。先が細くなった木の棒を二本作ったゲンタは片手に持って動かした。
「箸だ。ロクショウ国の人間はスプーンやフォークより箸を使って食べることが多い。こうして二つを持って摘まむようにして持ち上げて食べる。これは俺が使うから、スプーンとフォークは返す」
木の棒から簡単にフォークやスプーンにかわるものを作ってしまうゲンタに、文化の違いと感じつつ、さっと作ってしまう器用さに感心する。
食事を再開すると、ゲンタが食べながら畑の様子や周囲にある果物の木を訊いてくる。畑で育てているものとか手入れ方法などを話していると、ベッドで寝ていた男性が目を覚ました。
「ここは……そうか……俺は怪我をして……」
ゲンタがすぐさま側に行く。
「目が覚めてよかった。体の具合は?」
「ああ、節々が痛いが昨夜ほど悪くない。喉が渇いた」
器に水を入れて少しずつ飲ませながら、ゲンタはどこが痛いのか痛みはどの程度なのか訊いていく。それからを聞きながら、僕は「足の状態をみてます」と告げて包帯を解いていく。
「君は……俺を助けてくれた子だね。ありがとう。それと面倒をかける」
ベッドで寝ている男性が軽く頭を下げる。
「足はまだ腫れていますね。昨日は赤かったものが紫色に変色しています。折れているかもしれません」
また添え木で足を固定し、新しい包帯をきつく巻く。
「戻って医者に診せるにしても歩けないし、ここまで馬車は入れない」
ゲンタが悩みながら、戻る方法を模索している。
「どうにもできないよね」
男性は焦った様子はなく、穏やかに微笑む。あまりにものんびりとした言いかたにゲンタは苛ついた様子で髪を掻いた。
「お前なあ。こんなところで呑気に休めるような身分じゃないだろう……それに仕事はどうする」
「ソウジがいるじゃないか。俺はあと少しで退くんだ。いい機会かもしれない」
にこにこと笑いながら言うものだから、ゲンタは余計に苛立ちをあらわに荒っぽく言い放つ。
「ああ、まったく! こんなことなら、世界樹を見たいと言ったお前を連れてくるんじゃなかったな。くそっ。しかもお前が帰ってこなかったんだ。みな死に物狂いで行方を捜しているはずだ」
男性は「ふむ」と顎に手を当てて考えていたが、すぐに口を開く。
「とりあえず、ゲンタは戻って俺が無事であることを伝えてほしい。信じてもらえない可能性もあるから一筆書くよ。紙とペンはあるかい?」
僕に向かって言われたのか一瞬わからなくて、慌てて「あります」と答えて、ペンはあったが紙がなかったので、日記帳の最後の頁を切り取って男性に渡した。
すらすらと文字を書く男性の手元に目を奪われていると、ゲンタは食べかけの料理を次々と口に詰めこんだ。書かれた手紙を受け取り丸めて懐に入れて、もうすぐに家を出ようとしている。
「医者も連れてこよう」
「あー……無理しなくていいよ。お医者さんだって、この森には足を踏み入れたくないだろうから。それに骨折ぐらい、そのうち治る」
「戻ってくるまで安静にしてろ」
「了解。ええっと、ごめんね……君には迷惑をかけるかもしれないけど」
男性はすまなそうに僕に謝った。こうなることは予想していたので快く承諾する。
「いえ、怪我が早く治るように僕も協力します」
「助かる。このかたのこと、ぐれぐれも頼む。それと朝食うまかった。ごちそうさま」
ゲンタは深々と頭を下げて家を出て行く。
「本当に迷惑をかけてごめん」
再度男性からの謝罪を受けて、僕は首を横に振って安心させるように笑みを作った。
「謝らないでください。元気になるよう頑張りましょう」
「ありがとう。紹介が遅れた。俺はカイだ」
包帯が巻かれた手を出されて、僕は優しく握り返した。
「レネです。あと……一緒にいるヴァンとフラムです」
振り返ると、黙ってこちらを見ていたヴァンはふらりと僕の側に寄って来て、フラムは我関せずといったつんとした態度でテーブルの上に乗っている。
「神獣様だね。はじめまして。申し訳ないが、こちらで世話になります」
丁寧に挨拶をする男性……カイにヴァンは鼻先を近づける。
「えっと俺も名前で呼んでもいいのかな。ヴァン様、よろしくお願いします」
カイは近づいてきたヴァンに興味津々な様子で掌を見せる。ヴァンはくんくん匂いを嗅いでいたが、カイがそっと手を伸ばすと体を躱して後ずさりする。嫌ってないが、そこまで親しくない相手には気安く触らせない、ということなのか……ヴァンは気のない様子でテーブルの下に座りこんだ。
「フラム様もよろしくお願いします」
フラムは完全に聞こえない振りだ。
「顔とか体、拭きますか? それとも食事にしますか?」
汗もたっぷりかいていたから、すっきりしてから食事をしたほうがいいだろうと思ったが、カイはお腹を摩る。
「昨夜からずっと何も食べてないからぺこぺこだ」
「今準備します」
「ありがとう」
僕は柔らかく煮た麦粥に薬草を混ぜたものを温めて差し出した。
包帯が巻かれた手ではスプーンが持ちにくいと思っていたが、普通に握って口に運んでいる。
「うん、おいしい。これは免疫力を高めたり体を丈夫にする薬草だね」
「わかりますか?」
「独特の味と匂いがするからね」
カイは麦粥をおかわりして食べたあと、林檎を一個丸々ぺろりと食べてしまった。食欲があることはいいことだ。体力もつけば早く回復に向かう。
それから、きつく絞った布で、カイの体を拭いていった。立派に鍛え上げられた体は触れると硬く、腕や胸にしっかりと筋肉がついている。腕や腰のあたりに刃物で傷をつけたような跡が残っていて、もしかしたら体を鍛えたり剣を振るったりする立場にいる人なのかもしれない。
貧弱な僕の体とは違い、大人の男性の体を目の前にして、目のやり場に困りながらも肌を滑らせるように拭いていく。
他人の体を拭くことも慣れなくて、力加減とかわからなかったが、カイは体がすっきりして気持ちよさそうにしていた。
「あの……僕の服でよければ貸したいんですが、多分入らないと……」
逞しい背中をちらちら見ながら声をかけると、カイは振り向いて苦笑した。
「そうだよね……ごめんね。なんか図体が大きい男がベッドを占領してしまって」
「いえ、それは怪我人なので……」
「いいよ。服は気にしない」
カイの目が僕の体を見るとはなしに見ている。視線を感じ、腕やひざの部分が擦り切れた服を隠すように手で撫でる。もし、彼の体に見合った服があったとしても、こんな服だったら着たくないだろう。
「上手に繕っているね。針仕事も自分で?」
カイはぼろぼろの僕の服を蔑むことなく、つぎ足して縫った部分をしげしげと見ている。
「はい」
「それは凄いね。料理もできるし薬草にも詳しい。なんでも一人でできるんだね」
感心しているカイに面映さを覚えながら、消え入りそうな声で答える。
「なんでも、ということはないんですが……ヴァンとフラムに協力してもらいながら暮らしています」
同じ服に袖を通しながら、カイは部屋の中をぐるりと見回している。
ここは本当に狭い家だ。長方形の一部屋だけの家の中は、ドアから最奥にあるベッドまで歩いても数歩ほど、かつて城の中で暮らしていた僕の部屋より狭い。窓際に水瓶やかまど、薪があり、反対側には薄い本棚と服などを入れている木箱、中央には小さなテーブルと椅子と、人間が必要最低限暮らせるものだけしかない。
昨夜雨漏りした屋根からは、微かに光が入ってきているし、風が強かったせいで、壁の隙間から土や埃が入りこんでいる。
カイは、ゆっくりと体をベッドに横たえた。手を貸しながら、人の世話をするのって、こんなにも気を使うし大変なんだなと感じた。僕の世話をしていたケイトはいつも笑って楽しそうにしていたから、こんなにも手間がかかるものだとは思わなかった。
「本がたくさんあるね」
ベッドに横になると、カイはふうっと息をついて瞼を重そうに瞬かせる。
「元々この家に暮らしていた人のものです」
「その人は?」
「ヴァンが言うには亡くなったそうです」
「そうか……」
カイの瞼がゆっくりと落ちていく。瞼が完全に閉じると、呼吸がゆっくりとしたものになり、胸が穏やかに上下している。
眠ってしまった顔を眺めて、僕はそっと家の中を片付けはじめた。
洗濯するものを部屋の隅に置いて、雨風が入った床を屈んで隅々まで水拭きする。雨の日に洗濯しても乾かないと思うが、あまり衣服の替えがないので洗濯物を持って外に出た。雨が降っている中、軒下に桶を置き、水を入れ、着ていた服やシーツ、包帯など洗うものを入れる。カイが着ていた服も持ってきたが、これは水洗いしてもいいものなのか悩む。
刺繍された群青色の上着には肘が擦れた跡や土もついている。軽く手で叩いて汚れを払い、きつく絞った布で上から押すように汚れをとっていく。
服を広げて見て、細かい刺繍が背中から前にかけて流れるように描かれていることを知った。これはなんの生物だろうか。見たことがない。蜥蜴のような姿に見えるが、体は蛇のように長い。だが体から足が四本生えていて爪が鋭く、口を開けた歯には肉食獣のような恐ろしい歯が並んでいる。
『青龍だな』
一緒に外に出たヴァンが服を見て呟いた。
「これが……?」
『長く伸びた髭、背に生えた鬣、頭に生えた二本の角。体のうねりから鱗までうまく姿を捉えている』
「どのくらいの大きさなの?」
『世界樹に巻きつけるほど大きい。これが空を飛ぶ』
「そんなにも大きいのに空を飛ぶの? 翼もないのに?」
『そうだ。悠然と空を飛ぶ姿は人々に畏敬の念を抱かせた。神獣といえば真っ先にその名があがるようになったのもそのせいだ』
「なんて綺麗なんだろう」
刺繍を指でなぞり、その雄々しい姿に感嘆して見ていると、ヴァンは不思議そうに言った。
『レネは我のこともあやつのことも綺麗と言う。人々は恐れおののくというのに』
「ヴァンだってフラムだってみんな本当に綺麗だよ。青龍もさぞ美しかったんだろうね。見てみたかったなあ」
ヴァンは降りしきる雨を眺めながらしんみりと呟いた。
『奴は人々の幸せを願い、最後の力を振り絞り祝福を与えて消滅した。人間をとても愛していた』
僕は思わず息を止めてヴァンを見つめた。消滅なんて悲しすぎる。
「消滅って亡骸も残らなかったの?」
「そうだ。そのかわり人間との間に子をもうけた……その噂も本当だったしな。その子供がロクショウ国を作ったとも聞く」
「そうなんだ……え、ちょっと待って……ということはカイはもしかしたら王族かもしれない?」
本人には訊いてないが、カイが青龍の血を引いている子孫だとゲンタが認めている。王族だとすれば、態度とか立場とか色々なことに気をつけなければならないわけで……仕方がないとはいえ、こんな所に置くような人ではないということだ。
『そうかもしれんが……青龍がおらぬなら些細なこと』
「僕にとって些細なことじゃないよ。そんな相手にどうすれば……?」
『誰であろうと関係ない。レネも王子だろう』
ヴァンもフラムも僕がブロン国の第二王子であることを知っている。ここに来た当初、自分はどこから来たのか、家族のことも侍女のことも色々なことを喋っていた。自分を知ってもらうためでもあったが、何を話せばいいのか悪いのか判断がつかず、幼かったこともある。
「ヴァン。誰にも言わないで」
ヴァンの目をじっと見据えて訴える。
『言わぬ』
「なんか大変なこと引き受けちゃったかも」
ヴァンの首に腕を回して顔をもふもふの体に埋めると、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸った。
『奴はずっといるわけではない。怪我が治ればいなくなる』
「そうなんだけど……」
それだけで終わりそうもない気がするのは、ただの考えすぎだろうか。言いようのない不安に襲われて、ぎゅっと目を閉じる。
カイが王族だとしても、僕とはなんの関係もないのに、昔のことまで思い出してしまう。
城に戻らずこの森で暮らすと決めたときから、王子ではなく普通の民になった。
世界樹の森というどこの国も属さないこの場所で、誰にも世話をされることなくただの一人の人間として自分の力で生きていく、それはもう王子でない。僕は自分からその選択肢を捨てたのだ。
深呼吸して何度もヴァンを撫でて気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりと顔をあげた。
そこに、森からふわふわとシロが飛んできた。
「シロ」
僕の姿を見て出てきたのだろう。雨の中、まっすぐ僕に向かってくると、そのまま顔面にしがみついた。こんなことはじめてで、シロが寂しい思いをしていたのだと知る。一日中一緒にいる仲だ。僕だって寂しかった。
外なら家の中にいるカイに気づかれることはない。森を出て行ったゲンタは、少なくとも今日は帰ってこないだろう。
「ごめん。今日は外なら大丈夫だからしばらく一緒にいよう」
体を撫でると、シロは腕の中に移動した。もう離れないとでもいうように僕にしがみつく姿に愛おしさを感じ、気がすむまで体を撫でて慰める。
僕の未来はずっとここにある。今更森の外に出て人に紛れて暮らすなど考えられない。
多分、この先もヴァンとフラン、それからシロやダーク、メイといった魔物たちとずっと世界樹の森で生活をしていくだろう。
それこそ、老いて死ぬまで。なんの未練もなかったし、このときはそう信じていた。
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「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」
「うん、クーちゃん」
「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」
これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。
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