私、婚約破棄からの純白の婚姻で溺愛され困っています。

雫石 しま

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僕のお嫁さんになって下さい

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8年後 フルメ男爵家 ガーデンテラス

 ヘルガとキエロの母は2人が5歳の頃にこの世の生を終えた。生涯を誓った妻を無くしたフルメ男爵は気落ちし、それを紛らわせようとヘルガはおどけて見せ、キエロはメイドと一緒に菓子を作り父に振舞った。2人の気質は真逆でヘルガは勝気で快活、キエロは思慮深くたおやかに成長した。

「ヘルガはまたやっとるのか」
「楽しそう」
「おお、キエロ、おまえはそのままアメリアの花のような可憐な娘でいておくれ」

 フルメ男爵とキエロがアフタヌーンティーを楽しむ目前でヘルガは直剣に見立てた木刀を振り回していた。

「ほら!脇を締めろ!」
「えい!」
「おつむがガラ空きだぞ!」
「えい!」
「ほれ!」

ペシッ

「痛っ!」

 膝までのワンピースの裾をひるがえし、ドロワーズ(下着)があらわになろうともお構いなし。7歳年上のハンネス・エロラに木刀で頭を小突かれていた。

「痛い!」
「おまえが俺に勝とうなんて10年早い!」
「クソジジィ!」
「なんだ、その言葉遣いは!キエロを見習え!」
「クソジジイ!」
「ヘルガ!」

 ハンネス・エロラはフルメ男爵家の遠縁に当たる青年だ。魔獣討伐の任務の合間にヘルガの剣の練習相手になっていた。

「お姫さんがそんなもん直剣振り回してどうするんだ」
「守るの!」
「誰をだよ」
「アルを守るの!」

 アルとはハネロン伯爵家のアルベルトの愛称だ。やがて10歳になるアルベルトは花や植物を愛で動物を慈しむ心優しい少年に育った。ただ気弱な気質で嫌なことを嫌と言えず魔法学校の同級生や上級生の言いなりで荷物を持たされたり時にはランチの順番の列に並ぶ事もあった。

「またアルが虐められてる」
「本当だ」
「ちょっと文句言って来る!」
「駄目だよ、こんなところで騒いだらアルベルトが恥ずかしい思いをしちゃうよ」
「そんなものなの?」
「たぶん」
「キエロは色々考えるんだね」
「ヘルガは考える先に身体が動いちゃうんだよね」
「それ、褒めてる?」
「ううん、ちょっと微妙」

 キエロに注意されてグッと堪えたヘルガだったがアルベルトが擦り傷や青あざを付けて屋敷に帰った時は堪忍袋の尾が切れ魔法学校の寄宿舎前で仁王立ちした。

「アルを虐めたのはあんたね!」
「アルって誰だよ!」
「アルベルト・ハネロンよ!」
「はっ、あの弱虫かよ」

 それは上級生だろうと男子学生だろうとお構いなしで木刀を振り回した。

「こんなチビに助けられるなんて本当にあいつは臆病者だな!」

 次の瞬間、教師が止めに入る間も無くヘルガの一太刀は上級生のすねを捉えていた。

「いてててててて!」
「そんなチビに負けるなんてあんたも大した事ないわね!」
「くっそ!」
「またアルを虐めたらぶちのめすからね!」

「ヘルガ・フルメさん!」
「あっ、先生ばばあ!」

 そこに立っていたのは魔女の帽子と呼ばれる女教師でヘルガは校長室で懇々こんこんとお説教を喰らった。フルメ男爵は頭を抱えた。こう度々魔法学校に呼び出されてはたまったものではない。

「ヘルガ、おまえには家庭教師を付ける!」
「ええええ、学校は!」
「10歳の中等科になったら通いなさい!それまで淑女の嗜みを身に付けなさい!」
「ええええ、楽しくなぁい」
「パパの言う事を聞きなさい!」

 大人しかったのはほんの1週間だった。ヘルガは習いたての<変わり身の魔法>を使ってバルコニーから逃走した。これには家庭教師もお手上げで、フルメ男爵の「木刀は持たない事!」という約束のもとヘルガは魔法学校に復学した。

「はぁ~退屈だった!」
「ごめんねヘルガ、僕が弱いから」
「良いんだよ!気にしないで!アルは大事な人だから!」
「大事な人?」
「うん?」
「どういう意味?」
「だって、いつかケッコンするんでしょ?」

 アルベルトの顔は真っ赤に色付いた。

「なに、顔が真っ赤だよオナラは我慢しちゃ駄目だよ」
「おっ、オナラじゃないよ!」
「じゃあなに?」
「なっつ、なんでもないよ!」
「へ~んなアル」

 ガーデンテラスでアルベルトを追いかけ回すヘルガの姿にフルメ男爵はため息を吐いた。


(・・・・ハロネン伯爵家に嫁ぐのはキエロで決まりだな)


 ところが晴天の霹靂へきれき、アルベルトは木刀を振り回したヘルガの前にひざまずくのだった。




それはよく晴れた日のことだった。

 アルベルトの10歳の誕生日、両家はハロネン伯爵家のホールに集っていた。窓から降り注ぐ柔らかな日差しの中マホガニーのダイニングテーブルは水を打ったような静けさに包まれていた。

「失礼致します」

 ワゴンには香ばしい匂いのクスグリのパイと白磁のティーポッド、6客のティーカップが並んでいた。サクサクとパイを切り分ける音にヘルガの脚はブラブラと揺れ、フルメ男爵に目配せされ不満げな顔をした。

(うわぁぁぁ、美味しそう!)

 目の前に配膳されたパイからはクスグリのジャムが溢れ、ヘルガの指先はそれをすくって手の甲を軽く叩かれた。

「ヘルガ!」
「・・・・」
「大人しくしなさい!」
「だってぇ」

 そこで壁にかけられた大人の背丈よりも高い大きな古時計が正午の時を告げた。

「アルベルト、お誕生日おめでとう」
「ありがとうございます」

 10歳の誕生日を迎えたアルベルトは仕立ての良い濃紺のスリーピースを着て青いネクタイを締めていた。

「アル、大人みたいだね」
「そうだね」

 勿忘草わすれなぐさ色のワンピースを着たヘルガとキエロは小声で話した。2人の内緒話にハロネン伯爵が咳払いをし、その場は静まり返った。

「アルベルト、未来の花嫁を選ぼう」
「花嫁」
「そうだ」

 アルベルトはヘルガとキエロを交互に見た。

「花嫁は伴侶はんりょとも言う。人生の連れ合いだ」
「連れ合い」
「アルベルトが守りたい女性を選びなさい」
「守りたい女性」

「ヘルガか、キエロか」

 ヘルガとキエロの頬は赤らみ、両家の大人たちは「アルベルトはキエロを選ぶだろう」と結果が決まっている話し合いの場を静かな面差しで見守った。アルベルトはテーブルの上の深紅の薔薇の花束を手に取ると、椅子から立ち上がりうやうやしくヘルガの前でひざまずいた。

「ヘルガ・フルメ嬢、私と結婚して下さい」

 想像の斜め上をゆく婚約の申し出に驚きの声が上がり、目を見開いたヘルガの人差し指はクスグリのパイの中に突っ込んだ。

「アルベルト、間違えていないか?」
「そうですよ、よく考えてね、ね?」
「アルベルトくん、大丈夫かね。熱でもあるのかね?」

 大人たちはアルベルトに思い止まるように促した。ヘルガは指についたジャムをペロリと舐めとりながらこう言った。

「良いわよ、アル。私と剣の試合をして私に勝ったらね」
「・・・・・試合」
「そう!アルが私に勝ったらお嫁さんになっても良いわ!」

 アルベルトは眉間にシワを寄せて困った顔をした。
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