盲目の人生

秋雨 空

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燃える太陽の瞳

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いつしか雨は動きを止め、ひっそりと黙し続けたまま空のわだかまりを抱いていた。

大きく波をうねって捩り交じるふたつの雨雲が、老人と子供の姿に重なって見える。

私は軒下から飛び出して、再び険しい坂道を登り始めた。

先程までの私なら気にも止めなかったそこら中に溢れている事物の在り方が、執拗なまでに知覚に入り込み、烈しく自己の主張を訴えてくる。

白黒で、音のない水面のような世界は著しく生まれ変わったのだ。

踏みしめる大地は躍動する脚の筋肉から力を伝え、湿り気を帯びた濡れ光る石畳へと反発を繰り返し、コートの両裾を強く引っ張る輝かしい風は、私と共に遥か僻地まで吹き飛んでいく心持ちでいた。

私の肉体はすっかり猛りたち、心は軽やかに舞い踊っていたのだ。

一足一足前進する度に、勇気や、誠実さが目に見えるように溢れ出て、いつしか煌めく白光へと転じ、私を纏う周囲の空間を引き裂いていった。

息も上がることなく坂の頂上まで、至極容易く登りきることが出来たのはきっとそのお陰だったのだろう。

坂の頂きは平坦に広がる青々としたブナ林となっていて、足元の草生えは程よく刈り込まれた芝生のように、人が進みゆく目的のために手入れが施され、林の手前からこっち、所々に腰丈程の薮が散在している。

まだ、霧が視界の大部分を奪いさるため、林の奥までは見透かせなかった。

辺りには漫然とした空気が流れていたが、今の私にはちっとも影響を及ぼさない。

それどころか一層心の奥に押し込まれ、隠されていた源からとめどなく活力が溢れてくるのだ。

その時不意に、近くの後ろから枯れ枝を踏みしめるような足音が聞こえた。

やにわに私は不安になった。

箍が外れて空回りし、プラスの源が一気に反転してマイナス方向へと加速し、抜け落ちて行った。

目的の方向性を失った活力は、倍加して私の気持ちを沈みこませて行った。

身体の震えが止まらなくなった。

寒い訳がないのに寒くてたまらない。

奥歯が、ガチガチと鳴り続け、右頬上部の筋肉が引きつったように痙攣を繰り返す。

私の、意識を支配することが出来ない。

1度そう思い込んでしまうと、更に焦りが募って落ち着かず、酷い頭痛まで始まってきた。

この症状まで出る時は不味い。

どんどん鼓動が早まっていく。

私は思わず叫んでしまった。

「誰か居るのか!姿を現せ!そっちがいつまでも隠れているつもりなら、こちらから探し出して殴りかかってやるからな!覚悟しろよ!」

するとややあって、前方の方角から、背の低い人型の黒い影が霧越しに浮かび上がってきた。

ゆっくりと、こちらを恐るように、影が近づいてくる。

その影が、すぐ目の前にも見える辺りで動きを止めたので、私はそいつをきつく睨みつけてやった。

しかし声は予想外に、私の真後ろから聞こえてきた。

「光のおじさんは何処へ行くの?」

私が驚いて声を上げ後ろを振り返ると、そこには濃い霧の中にいてもはっきりと分かる程、鮮やかな夕焼けのように燃える瞳の色をした少年が、私を推し量るように見つめて悠然と立ち尽くしていた。

恐怖心を悟られないように声の震えを出来るだけ抑えて、私はその少年に伝えた。

「なんだ、君だったのか。私はてっきり強盗か何かを働くつもりで近づいてきた悪人かと思ってしまったんだ。こいつはすまなかったね。ハハ。ところで以前、お会いしたことはあるかな?」

少年は少し時間をかけてから、首を横に振って答えた。


「そうか。そうだろうとは思ったがね。1度見かけた人なら────すれ違っただけでも決して忘れない才能を持っていてね。どうも怖いんだ、何かを忘れてしまうことが。それはそうと、名前はなんて言うんだい?」

私の問いかけに、先ほどよりも時間をかけて考えるように俯きながら、少年はまた首を横に振って答えた。

どうやらこの少年は時間の流れが、私のものよりも酷くゆっくり進んでいるようだ。

頭が弱そうなタイプの顔立ちではない。

それにこのように冴え渡る瞳を持つ少年が賢くないはずなどない。

白霧の覆いを受けてもひどく整った顔立ちなのが見て取れるが、あまりに瞳の存在感が際立っているためうっかりすると、他のパーツが霧の中へと完全に溶け込んで、まるで目だけと相対しているかのように錯覚してしまう。

くっきりとした二重瞼で、幅も広く、猛禽類を彷彿とさせるその瞳は、私を獲物のように捉えて離さずしっかりと見据えている。

「ええと────そうだな。君の質問は、なんだったかな?」

「光のおじさんは何処へ行くの?」

暫くぶりに少年は、口を開いた。

最初の質問の時から優に1時間は経っているように感じたが、あちらの世界ではまだ、5分と経っていないはずだ。

「それは、私の事かい?私はこれから、丘の見える公園に行くつもりなんだ。どうにも昼寝をするには寝苦しい日和だからね。昔よく通ったあの公園へと足を運んで、林檎狩りでもしようかと思い立ってね。どうだろう、良かったら君も美味しい果物を食べに行かないかい?」

私自身、自分が何の事を言っているのかてんで理解出来なかったが、少年は訳知り顔でじっとこちらを見て、黙って聞いてくれていた。

「そんなに────」

少年が、まるで夢うつつに語った。

「圧迫した心でも、何処かへ行けるものなの?地面を沈下させる程、重い体で歩けるの?それとも、光の粒子になって空を翔んでいくの?」

まさに、少年の言う通りだと私は思った。

こんなに揺れ、きつく狭められた心では指の先すら動かすことも叶わないだろうし、ひどく汗みずくになった、ずしりとはためく鉛の衣類が身体の周囲に巻き付いていては、足を持ち上げることすら出来ないだろう。

それでも私は、「必ず」そこへ行かなければならないのだと確信していた。

嵌った泥沼の中で唯一掴み取れる一筋のロープのような、川に溺れる小さな子供の元へ投げ込まれた救命袋のような、そのどちらにも似た希望を私はあの場所に抱いているのだ。

私を助け出すことが出来るのは、ロープでも浮き輪でもなく、ただあの場所しかないのだとそう信じ切っていた────


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