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連載
短編3-4
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ティアは家に帰ると、早速髪紐の製作に入った。生活魔法を色々やりくりすれば手をつかわなくても作れそうな気がしなくもないが、今回もそういった〝ズル〟はなしだ。もちろん組紐を作るなど初めてであるし、上手く作れる保証などない。しかし、自らの手で作ることに、意義を感じていた。
この贈り物はただ綺麗な完成品を贈ることが目的ではない。日頃の感謝を彼に伝えることこそが、この贈り物の意義だ。彼との出会いと日々の日常を思い返しつつ、紐を編む作業を進めていく。
今回ティアが作る編み方は、初心者向けのものだ。店主に初めて組紐を作ると言ったら、簡単な指南書も一緒にくれた。その指南書に沿って、円形に切り抜いた厚紙の台に刺繍糸を配置し、ひとつひとつの糸を丁寧に編み始める。ティアの指先は器用に動き、糸が絡み合いながら美しい模様を形作っていく。
部屋には穏やかな午後の日差しが差し込み、ティアの作業を優しく照らしていた。時折、エルディのことを思い浮かべながら、糸を編む手を止め、ほんの一瞬夢見るような表情を浮かべる。彼への気持ちを込めた髪紐は、少しずつ形を成していく。
(エルディ様、喜んでいただけるといいのですが……)
一抹の不安と期待を胸に、一本一本編み込んでいく。
紐を編む作業は単純だが、こうして取り組んでみると、瞑想の意味合いも強いなと思わされてしまう。雑念が入ったり、集中力が途切れると途端にミスをしてしまうし、手先に意識を集中しているとそれ以外のことは考えなくなる。そうしているうちに、自分の心の中で最も大切なものが浮き彫りになっていく。きっと、ただ完成品を贈っていたり、魔法を駆使して楽をしていれば、この感覚にも気付けなかっただろう。人間の文化とは実に凄いものである。
組紐を作りもそうだが、料理を含めても、今となっては当たり前になりつつある人間の生活も、天使からすれば非常に興味深い。他の動物のように狩って食すでもなく、ただ生えているものを食べるのでもなく、調理をする。こうした生地も、自分で作ってしまう。その過程には、美味しいものを食べたい、或いは誰かに喜んでほしい、といった、感情が伴っている。そしてその感覚は、より作業の精度を上げていく。実際にこうして体験してみると、それがよくわかる。誰だって、自分の作ったものを食べたり贈ったりすれば喜んでほしいのだから、当然だ。料理も商売も物作りも人間の文化として見ていたが、これらの感情曲線は空から〝観察〟しているだけでは到底見えまい。天使時代に自分が如何に視えていなかったのかがよくわかる。
そうして自らの過去を鑑みて今を見ていた時、ふと気付く。
(あれ……? そういえば私、エルディ様のことを何も知りません)
出会ってからのことは、知っている。どうして彼が孤独な身になってしまったのかも聞いていた。だが──それよりも前。彼が今に至るまでのことは、何ひとつ知らなかった。
彼は何故、冒険者になったのだろう? どうして〝マッドレンダース〟を結成したのだろう? そういえば、彼の両親はどんな人?
本人が言わないことは考えない方がいいとは思いつつも、一度気になってしまうと、なかなか頭が離れてくれなかった。
そうした思考に囚われつつも、夕方──
(……できました!)
髪紐は遂に完成した。思ったより時間が掛かってしまったが、店に置いてあるものと遜色ない出来栄えだ。赤系を主軸に色鮮やかな紐が組み込まれて、派手すぎず地味すぎず、とても良い塩梅な髪紐となっている。
組紐が完成してちょうどブラウニーにご飯を与えているところで、エルディが依頼を終えて帰宅した。いつもは特に何とも思わない彼の「ただいま」で、思わず胸がどきんと高鳴る。
「お、おかえりなさいませ、エルディ様。今日の指南は如何でしたか?」
「如何も何もねーよ。あいつら、悪ふざけばっかしやがって。やっぱ殴って聞かせなきゃダメだな、ガキンチョはよー」
「もう。そんな乱暴をしたらアリアさんに叱られてしまいますよ?」
「わかってるよ」
玄関まで彼を出迎え、いつも通りの会話をしているはずなのだけれど、どこか気持ちが落ち着かない。胸がどきどきして、ほのかに頬が熱い気がする。心臓もいつもより早く鳴っていた。
何だろう、これは。彼を見たいのに、何故か直視できない。
早く贈り物を渡したい気持ちがある反面、喜んでもらえなかったらどうしようという不安で一杯になる。
「ん? どうした?」
上着を衣紋掛けに掛けて振り向くと、エルディが怪訝そうにティアを見つめた。
後ろでもじもじしていたので、気になってしまったのだろう。
ティアは意を決して、顔を上げた。
「あの、エルディ様」
「ん?」
「実は、お渡ししたいものがありまして」
「俺に?」
彼の問いに、こくりと頷く。
言った傍から、胸が高鳴っていて、まともに彼を見れやしない。
怪訝そうにこちらを見て首を傾げているだけなのに、何だか妙な気分になってくる。きっと、『恥ずかしい』という感情が近い気がするのだけれど、それとも少し違う。
「あの。これを……」
ティアはおずおずと背に隠した髪紐を彼の前に差し出した。
「……髪紐? もしかして、作ってくれたのか?」
「はい。エルディ様と出会って、私、ずっと幸せです。それで、何か御礼ができたらと思って……受け取って──」
頂けるでしょうか?と繋げようと思った時には、視界が真っ暗になっていた。
「バカだな。そんな、気遣わなくていいのに」
後頭部にて、エルディのごつごつとした男らしい手。鼻を微かに掠めるのは、今ではティアが最も安心する香りだった。
ティアは自分の頭が抱え込まれるようにしてエルディの胸のあたりに押し付けられている状態であることを理解し、頭の中が真っ白になってしまった。
「あ、あの、エルディ様……っ」
胸の高鳴りが、先程とは比べ物にならないくらいに大きくなった。早鐘のごとく打ち鳴らされ、彼に聞こえてしまうのではないかという不安とともに、顔に熱を帯びていく。
それなのに、どうしてだろうか。高鳴りすぎて痛みさえ覚える胸は、どこか心地良く、幸せにも似た感情をティアに与えていた。
ひとりでどぎまぎしていると、はっと我に返ったような声が彼の口から漏れて、急に手が離れていった。
見上げたときに見えたエルディの頬は、心なしか先程よりも赤い。
「そ、そういえば、ティアって明日はカフェの仕事あったっけ?」
エルディが訊いた。視線は明後日の方向を向いており、今度は彼の方がどぎまぎとしている。
「い、いえ……明日はエルディ様がお休みと聞いていましたので」
空けてあります、と付け加えた。彼が離れて、少しだけ落ち着いてきた。
「そっか。じゃあさ、ちょっと明日は遊びにいこっか」
「明日ですか? それは、構いませんが……」
こういった誘いは初めてかもしれない。どこかに遊びに行く、という感覚はティアにはよくわからなかったが、お出掛けをすることを一般的には指すらしい。
「まあ、日帰りになるだろうけど、たまには息抜きでな」
そこまで言ってから、エルディは何かを思い出したように「あ、そうだ。ティア」とかティアの手元にある組紐に、自らの手を重ねた。
その声色はとても柔らかく、聞いているだけで耳が幸せになってくる。
「これで、俺の髪を結ってくれるか?」
「……はい。もちろんです」
エルディが床に座ってくれたので、ティアは膝立ちで彼の背後に回った。
ティアの髪とは真逆の漆黒の髪。冒険者生活が長い故に少し毛先は傷んではいるけれど、綺麗な髪艶をしている。ただ、それよりも、彼の髪に触れるだけで緊張が止まらなかった。以前彼の髪を洗った時にはなかった感覚だった。
「……できました」
何とか髪を緩くまとめて、髪紐を纏めた。髪紐がエルディにも見えるように、まとめた髪を肩から前に垂らしてみせる。
こうして結んでみると、ティアの髪紐は思った以上にエルディによく似合っていた。
「良い色だ。気に入ったよ」
エルディはにっと口角を上げて笑うと、髪紐の端っこを摘まんだ。
(……ああ、もう。どうしてこんなに胸がうるさいのでしょうか)
高鳴る胸に手を添えて、ぎゅっと服を掴む。
これまでになかった経験。いや、彼が近くにいるといつもこうして胸が高鳴る。でも、今日はいつもの比ではなかった。
「ありがとな、ティア。毎日つけるよ」
「は、はいっ!」
嬉しそうなエルディを見ていると、ティアも一緒に嬉しくなってしまう。でも、上手く言葉が出てこない。
ただ、きっと……満たされた気持ちというのは、こういったことをいうのだろう。何となくだが、ティアはそう思ったのだった。
この贈り物はただ綺麗な完成品を贈ることが目的ではない。日頃の感謝を彼に伝えることこそが、この贈り物の意義だ。彼との出会いと日々の日常を思い返しつつ、紐を編む作業を進めていく。
今回ティアが作る編み方は、初心者向けのものだ。店主に初めて組紐を作ると言ったら、簡単な指南書も一緒にくれた。その指南書に沿って、円形に切り抜いた厚紙の台に刺繍糸を配置し、ひとつひとつの糸を丁寧に編み始める。ティアの指先は器用に動き、糸が絡み合いながら美しい模様を形作っていく。
部屋には穏やかな午後の日差しが差し込み、ティアの作業を優しく照らしていた。時折、エルディのことを思い浮かべながら、糸を編む手を止め、ほんの一瞬夢見るような表情を浮かべる。彼への気持ちを込めた髪紐は、少しずつ形を成していく。
(エルディ様、喜んでいただけるといいのですが……)
一抹の不安と期待を胸に、一本一本編み込んでいく。
紐を編む作業は単純だが、こうして取り組んでみると、瞑想の意味合いも強いなと思わされてしまう。雑念が入ったり、集中力が途切れると途端にミスをしてしまうし、手先に意識を集中しているとそれ以外のことは考えなくなる。そうしているうちに、自分の心の中で最も大切なものが浮き彫りになっていく。きっと、ただ完成品を贈っていたり、魔法を駆使して楽をしていれば、この感覚にも気付けなかっただろう。人間の文化とは実に凄いものである。
組紐を作りもそうだが、料理を含めても、今となっては当たり前になりつつある人間の生活も、天使からすれば非常に興味深い。他の動物のように狩って食すでもなく、ただ生えているものを食べるのでもなく、調理をする。こうした生地も、自分で作ってしまう。その過程には、美味しいものを食べたい、或いは誰かに喜んでほしい、といった、感情が伴っている。そしてその感覚は、より作業の精度を上げていく。実際にこうして体験してみると、それがよくわかる。誰だって、自分の作ったものを食べたり贈ったりすれば喜んでほしいのだから、当然だ。料理も商売も物作りも人間の文化として見ていたが、これらの感情曲線は空から〝観察〟しているだけでは到底見えまい。天使時代に自分が如何に視えていなかったのかがよくわかる。
そうして自らの過去を鑑みて今を見ていた時、ふと気付く。
(あれ……? そういえば私、エルディ様のことを何も知りません)
出会ってからのことは、知っている。どうして彼が孤独な身になってしまったのかも聞いていた。だが──それよりも前。彼が今に至るまでのことは、何ひとつ知らなかった。
彼は何故、冒険者になったのだろう? どうして〝マッドレンダース〟を結成したのだろう? そういえば、彼の両親はどんな人?
本人が言わないことは考えない方がいいとは思いつつも、一度気になってしまうと、なかなか頭が離れてくれなかった。
そうした思考に囚われつつも、夕方──
(……できました!)
髪紐は遂に完成した。思ったより時間が掛かってしまったが、店に置いてあるものと遜色ない出来栄えだ。赤系を主軸に色鮮やかな紐が組み込まれて、派手すぎず地味すぎず、とても良い塩梅な髪紐となっている。
組紐が完成してちょうどブラウニーにご飯を与えているところで、エルディが依頼を終えて帰宅した。いつもは特に何とも思わない彼の「ただいま」で、思わず胸がどきんと高鳴る。
「お、おかえりなさいませ、エルディ様。今日の指南は如何でしたか?」
「如何も何もねーよ。あいつら、悪ふざけばっかしやがって。やっぱ殴って聞かせなきゃダメだな、ガキンチョはよー」
「もう。そんな乱暴をしたらアリアさんに叱られてしまいますよ?」
「わかってるよ」
玄関まで彼を出迎え、いつも通りの会話をしているはずなのだけれど、どこか気持ちが落ち着かない。胸がどきどきして、ほのかに頬が熱い気がする。心臓もいつもより早く鳴っていた。
何だろう、これは。彼を見たいのに、何故か直視できない。
早く贈り物を渡したい気持ちがある反面、喜んでもらえなかったらどうしようという不安で一杯になる。
「ん? どうした?」
上着を衣紋掛けに掛けて振り向くと、エルディが怪訝そうにティアを見つめた。
後ろでもじもじしていたので、気になってしまったのだろう。
ティアは意を決して、顔を上げた。
「あの、エルディ様」
「ん?」
「実は、お渡ししたいものがありまして」
「俺に?」
彼の問いに、こくりと頷く。
言った傍から、胸が高鳴っていて、まともに彼を見れやしない。
怪訝そうにこちらを見て首を傾げているだけなのに、何だか妙な気分になってくる。きっと、『恥ずかしい』という感情が近い気がするのだけれど、それとも少し違う。
「あの。これを……」
ティアはおずおずと背に隠した髪紐を彼の前に差し出した。
「……髪紐? もしかして、作ってくれたのか?」
「はい。エルディ様と出会って、私、ずっと幸せです。それで、何か御礼ができたらと思って……受け取って──」
頂けるでしょうか?と繋げようと思った時には、視界が真っ暗になっていた。
「バカだな。そんな、気遣わなくていいのに」
後頭部にて、エルディのごつごつとした男らしい手。鼻を微かに掠めるのは、今ではティアが最も安心する香りだった。
ティアは自分の頭が抱え込まれるようにしてエルディの胸のあたりに押し付けられている状態であることを理解し、頭の中が真っ白になってしまった。
「あ、あの、エルディ様……っ」
胸の高鳴りが、先程とは比べ物にならないくらいに大きくなった。早鐘のごとく打ち鳴らされ、彼に聞こえてしまうのではないかという不安とともに、顔に熱を帯びていく。
それなのに、どうしてだろうか。高鳴りすぎて痛みさえ覚える胸は、どこか心地良く、幸せにも似た感情をティアに与えていた。
ひとりでどぎまぎしていると、はっと我に返ったような声が彼の口から漏れて、急に手が離れていった。
見上げたときに見えたエルディの頬は、心なしか先程よりも赤い。
「そ、そういえば、ティアって明日はカフェの仕事あったっけ?」
エルディが訊いた。視線は明後日の方向を向いており、今度は彼の方がどぎまぎとしている。
「い、いえ……明日はエルディ様がお休みと聞いていましたので」
空けてあります、と付け加えた。彼が離れて、少しだけ落ち着いてきた。
「そっか。じゃあさ、ちょっと明日は遊びにいこっか」
「明日ですか? それは、構いませんが……」
こういった誘いは初めてかもしれない。どこかに遊びに行く、という感覚はティアにはよくわからなかったが、お出掛けをすることを一般的には指すらしい。
「まあ、日帰りになるだろうけど、たまには息抜きでな」
そこまで言ってから、エルディは何かを思い出したように「あ、そうだ。ティア」とかティアの手元にある組紐に、自らの手を重ねた。
その声色はとても柔らかく、聞いているだけで耳が幸せになってくる。
「これで、俺の髪を結ってくれるか?」
「……はい。もちろんです」
エルディが床に座ってくれたので、ティアは膝立ちで彼の背後に回った。
ティアの髪とは真逆の漆黒の髪。冒険者生活が長い故に少し毛先は傷んではいるけれど、綺麗な髪艶をしている。ただ、それよりも、彼の髪に触れるだけで緊張が止まらなかった。以前彼の髪を洗った時にはなかった感覚だった。
「……できました」
何とか髪を緩くまとめて、髪紐を纏めた。髪紐がエルディにも見えるように、まとめた髪を肩から前に垂らしてみせる。
こうして結んでみると、ティアの髪紐は思った以上にエルディによく似合っていた。
「良い色だ。気に入ったよ」
エルディはにっと口角を上げて笑うと、髪紐の端っこを摘まんだ。
(……ああ、もう。どうしてこんなに胸がうるさいのでしょうか)
高鳴る胸に手を添えて、ぎゅっと服を掴む。
これまでになかった経験。いや、彼が近くにいるといつもこうして胸が高鳴る。でも、今日はいつもの比ではなかった。
「ありがとな、ティア。毎日つけるよ」
「は、はいっ!」
嬉しそうなエルディを見ていると、ティアも一緒に嬉しくなってしまう。でも、上手く言葉が出てこない。
ただ、きっと……満たされた気持ちというのは、こういったことをいうのだろう。何となくだが、ティアはそう思ったのだった。
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短編も含めて、楽しくて2日で読みました。今後の2人の展開はあるのでしょうか。出来れば、読んでみたいです。宜しくお願いします。
【ネタバレ注意】
ネタバレするのですが、とても引っかかったので。
イリーナとフラウはエルディが死んだと思ってたはずなのに、ヒュドラ戦の後エルディを連れ戻す。
なんて発言が引っかかります。
>イリーナとフラウはエルディが死んだと思ってたはず
こちらですが、どこからそう判断されましたか?『残された者達の不安』というエピソードでは解雇と伝えられているので、エルディが死んだと思うはずがないのですが。