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第3章 大切なもの

天使の寝顔③

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 凛の家まで送り届けた事は何度もあるが、実際に中に入るのは初めてだった。
 街外れにある、古い家屋。
 凛のお祖父さんとお祖母さんが昔暮らしていた持ち家だそうで、長い間使ってなかったらしい。しかし、それも税金の無駄だということで借家として貸し出そうと、ちょうど昨年リフォームしていたそうだ。お祖父さんの本職が工務店なので、そのコネを使えばリフォームも難しくなかったのだろう。
 中に入ると、外観とは裏腹に、中は新しく、綺麗だった。

「お邪魔します」
「どうぞー」

 人の気配はなかった。
 凛がパチパチと電気のスイッチを入れると、玄関が明るくなった。

「へえ⋯⋯中に入ると全然普通の家だな」

 外から見ると、古めの二階建ての日本家屋。しかし、中はフローリングの洋室だった。押入れのところを無理やりクローゼットに変えた節が見られるので、和室のアパートを無理矢理洋室にしている感じが見て取れる。

「こんな場所だから借り手もつかなくて、どうしようかって思ってたところに私が来たから、ちょうど良かったんだって」

 彼女は困り顔で彼女はこう言った。
 うん、こういった時のその表情は好きだ。

「外から見る限り、お風呂は竈焚きとかなのかなって思ってた」
「そんなの毎日やってられないってば。ちゃんと自動お湯はり機能だってついてるよ」

 凛が呆れたように言った。

「あれ、そういえばお祖母ちゃんは?」
「今日は工務店のほう手伝ってるって言ってたから、遅くなるんじゃないかな? って言っても、最近は私ひとりのことも多いんだけどね」

 聞き捨てならない言葉が聞こえてしまった。
 どうしてひとりなのだろうか。というか、そんなの危ないんじゃないか? こんな田舎でも、何もないとは限らないし。そう言えば警備会社とは契約してると聞いた事があるけども。

「なんで一人なんだよ?」
「ん~⋯⋯お祖父ちゃんの方に居て欲しいっていう気持ちもあるけど、夜中まで大声で練習してるからさ。お祖母ちゃんからしたらうるさいだろうし、私も気遣っちゃうから、今は一人にしてってお願いしてる」

 大声で練習できるのって田舎の特権だよね、と凛は嬉しそうに言った。

「怖くないのか?」
「夜中に物音すると怖くなっちゃうかな。でも、セキュリティもしっかりしてるから、そんなに不安はないよ」

 彼女は俺の懸念を気にした様子もなく階段を上がっていったので、俺もついていく。

「もし、怖くなったり何かあったら、すぐに連絡しろよ?」
「うん。すぐに来てくれる?」
「ああ」
「玲華の時みたいに?」

 言って、凛は振り返って、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
 ぐっ⋯⋯一度やってしまったとは言え、このまま暫くこれをネタにいじられるのちょっと嫌だな。でも、これもあの日の俺の咎だ。受け入れるしかあるまい。

「⋯⋯玲華の時より早く。だから、夜中でもお構いなしに鬼電してくれ」
「期待してるね♪」

 俺の答えに満足したのか、凛は嬉しそうにまた前を向いた。

(てか、今2人きり、か⋯⋯1つ屋根の下で⋯⋯)

 ごくり、と唾を飲む。一昨日みたいな事を、ちゃんとしたベッドでできたり⋯⋯

(いや、でも凛は明日から撮影だしな。きっとそんな事を考えてる暇も余裕もないだろ)

 そんな事を思いつつも、期待してしまうのが男のサガである。
 変な妄想をしつつ──先を階段を上る彼女の太ももについ意識がいってしまっていることは内緒だ──2階に上がる。
 すると、突き当たりの部屋に、RINと札が掛けられたドアがあった。
 先に凛が部屋に入って、電気をつける。

「じゃあ、座って待ってて。お茶入れてくるから」

 そう言って凛はカバンだけ置いて、1階へパタパタと降りて行った。
 緊張した面持ちで、凛の部屋に入る。
 彼女の部屋は思ったより質素だったが、綺麗に片付けられており、どことなく女の子らしさも漂っている。
 ただ、ここの部屋にあるのは、生活をするにあたって最低限のものしかないようだった。彼女の私物はほとんど東京に置いてきたままなのだろう。

(あ、凛の匂いがする)

 部屋の主の香りが充満しているのか、空気をいつもより多く吸い込んでしまう。
 なんだか変態みたいだ。
 とりあえずカバンを置いて、部屋の真ん中に位置するテーブルの前に座る。かわいい動物のキャラクターが描かれているクッションもあった。
 そして、綺麗にシーツが敷かれたベッドに目が向かう。

(このベッドで毎日寝てるのか⋯⋯)

 ダイブしたい。
 そんな欲に駆られるが、きっとそんなことをしたら怒られる。いや、むしろ怒られてみるのもアリか。
 そんな事を考えていると、凛が戻ってきた。

「あ、紅茶でよかった?」
「お構いなく」

 トレイの上には、クッキーが何枚かとポッキーが綺麗に添えられたお菓子と、ティーパックの入った紅茶が乗っていた。
 それをテーブルに並べながら、

「⋯⋯なんか変なことしてないよね?」

 訝しむようにこちらを見てくる。

「あと1分くらい戻ってくるのが遅かったらベッドにダイブしようかなって思ってたところ」
「まあ、それくらいなら別に⋯⋯」

 ちょっと迷った様子で、ちらっとこちらを見る。

「じゃあ遠慮なく」

 鼻息荒く立ち上がってベッドに飛び込む準備をすると、

「あー、うそ! やっぱりやめて!」

 制御されてしまった。
 まあ、冗談なんだけども。と言いながら、止められていなかったら全力でダイブしていた。

「せめて枕の匂いだけでも!」
「だから、やめてって!」

 そんなどうでもいいやり取りをしながら、2人して笑い合う。
 その後もどうでもいい純哉の話などをしてお菓子を摘みながら、2人で談笑する。
 この2人きりで過ごす空間と時間に、幸福感を感じていた。誰からも邪魔もされず、誰からも干渉されない。もし、2人だけの世界で、この世界が成立したならば、どれだけ幸せだろうか。
 嫌なことも、面倒なことも、立ちはだかっている問題も、全部見なかったことにして、誰の目にもつかないところに行って。
 映画のことも、玲華のことも、全部目を閉じてなかったことにして。
 そうして2人だけで過ごすのは、きっと退屈だけど、それはそれで幸せなんだろうな、と思ってしまう。
 でも、それではきっとダメなのだ。
 逃げていると、人として成長の機会がなくなる。困難に立ち向かわないと、人は成長できないのだろう。
 なんとなく、ここ最近の凛や玲華を眺めていると、そう思うのだ。
 自分もここで変わらなければならない。
 焦燥感に駆られながらも、どうしていいのかもわからないけども、俺はこの期間に何とか変わらないといけない。
 それだけは分かっている。
 ここで変わらなければ⋯⋯きっと、彼女の、あの笑顔を失う。
 夜の丘で見せてくれた、ただただ純粋に嬉しそうな彼女の笑顔。俺は、あの笑顔を守るためにも、変わらなければならない。
 彼女の笑顔を眺めながら、そう決意を硬くするのだった。
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