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第1章 雨宮凛

こうして彼女と結ばれた③

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「凛は?」

 訊いてみると、彼女は俯いて首を横に降った。考えてみれば、当たり前だった。そんな数週間で逃げきれる様な、浅い過去であるはずがない。最初よりはマシになったものの、今でも凛はこそこそと隠れて生活せざるを得ないのだ。

「でも」

 付け加える様にして、凛は顔を上げた。

「私がここに来た理由は……逃げる為だけじゃないから」

 泣きそうな笑顔と……何かを決意した瞳。

「え? それってどういう──」

 言い掛けたその時……すっと彼女が机に乗り出したと思えば──彼女は自らの柔らかな唇を、俺の唇に押しつけていた。

「──っ!?」

 あまりの唐突さに、反応が出来なかった。頭が真っ白になった反面、彼女の柔らかさと暖かさを唇だけが敏感に感じ取っていた。

「……こういう、事」

 ゆっくり唇を離して……呟く様な小さな声で言う。潤んだ瞳で今にも逃げ出したい様なその表情。何が起こったかいまいち解っていない俺は、未だ何も言葉を発せられなかった。

「嫌……だった?」

 消え入りそうな声。そこには先程教室で見かけたあっけらかんとして皆に頼られている凛の姿も、雑誌に自信満々の表情で写っていたRINの姿も無かった。
 これは……そう、何かに怯える様に不安で覆い潰されそうな、夏休みの最後の日に初めて会った凛だ。思わず守ってあげたくなるような……そんな女の子。
 彼女にどんな事情があったのかは知らない。彼女が言いたくないならば、知らなくていい。愛梨は色んな可能性を考えて凛を疑っていた。何か別の本音があると言っていた。
 でも、多分……誰も知っている人がいない土地に、俺を頼って逃げてきたのは……本当なんじゃないだろうか。
 たった一度、朝方に偶然出会って悩み相談をした人間に。職や地位も捨てて、新しい自分になりたくて……今までとは全く別の何かを求めて誰も知人がいない場所に来たんじゃないだろうか。
 そして俺は、その気持ちを痛い程知っているはずだ。
 凛はまだ不安気にこちらを見ていた。瞳に溜まった涙が、堪えきれずに頬を伝う。
 俺は彼女の事をよく知らない。愛梨が言う様な不安は残る。何かそれで今後傷つく事があるのかもしれない。
 それでも俺は……信じてみたかった。雨宮凛という、一人の女の子を、だ。
 凛の両肩をそっと掴んだ。相変わらず、細くて華奢な体だった。彼女は体をびくっと震わせ、不安気にこちらを見上げてくる。構わず俺は彼女を引き寄せ……先程の返事の代わりに、そっと彼女に口付けた。

「んっ……」

 驚いた様に彼女の口から声が漏れた。目を見開いているが、さっきあんな不意打ちをしといて驚くのは何か許せなかった。

「嫌だった?」

 さっきより少し長いキスを終えてから、訊いてやった。彼女は顔を赤くし、首をぶんぶんと横に振る。

「そういう事」

 言うと、彼女は鼻を鳴らし、そっぽ向いた。

「す、するならするって言ってよね……その、心の準備とか、いるんだからさ」
「それをお前が言うのか」
「ほら、私はいいの」
「なんで?」
「えっと。女の子、だから?」

 彼女はこちらを向いて綺麗な笑顔を見せてくれた。
 こうして、俺達は新しい時間を刻み始めた。まっさらな新しい時間を。
 でも、逃亡者に待ち受けていた未来は、あまりに困難が多かった。
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