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第1章 雨宮凛

雨宮凛②

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「悪いね、朝から相談に付き合わせちゃって」

 彼女は麦藁帽子を外し、照れくさそうにこっちを見た。
 横に並んでみると、彼女は俺より少し背が低いくらいの身長だった。百六十〇センチ前半くらいだろうか。本当に長身美形モデルという言葉が正しい。
 そして、そんな美人モデルみたいな人に正面から見つめられるのだから、これはこれで恥ずかしくなってくる。

「いや、まあ……いいけど。俺も久々に頭使ったし、楽しかった」 

 途端に視線が泳いで、どぎまぎする。

「それならよかった。こんなところに一人で来ておいて何だけど、ほんとは誰かに話したかったんだよね。私、滅多に人に弱み見せないから相談の仕方もわからなくて」

 彼女は照れくさそうにはにかんだ。その表情が、また格別に可愛かった。こんな美人に少しでも頼られたなら、それは男として誇るべき瞬間だろう。

「じゃあ、いこっか」

 そのまま彼女は背を向けた。ただ、俺はそれがなんだか名残惜しくて、気付けば彼女を呼び止めていた。

「あ、あの!」
「ん?」

 彼女は首をかしげる様にして、振り返った。いちいちその仕草も優雅で、きゅっと胸が締め付けられる。

「その、君の名前は?」
「あ、私?」

 コクリ、と頷く。君以外にいないだろう。
 それなのに、白ワンピのモデル風美女は、一瞬だけ、最初に出会った時の様な、寂しそうな笑みを浮かべたのだ。どうしてそんな顔をするんだろうか?

「雨宮凛《あまみやりん》。凛でいいよ」

 スッと彼女、凛が手を差し出した。その表情に、もうさっきの痛々しさはなく、にっこり笑っている。

「へ?」

 きょとん、とその手を見て固まる俺。

「へ、じゃな~いっ! 常識的に考えて握手でしょ!」
「あ、ああ⋯⋯握手ね」

 普段やり慣れない事だから、咄嗟に反応できなかった。
 そういえば握手っていつ以来だろう? そんな事を考えながら差し出された彼女の手をそっと握る。
 とても⋯⋯とても緊張した。握手が久々とかじゃなく、こんな美人の手を握る事にもの凄く緊張した。凛の手はひんやりとしていて、強く握ると壊れてしまいそうなくらい、柔かった。

「あははっ、緊張してる?」
「うるさい、慣れてないんだよ握手!」
「そういう事にしときますか!」

 凛は悪戯そうに笑っていた。

「えっと⋯⋯俺は相沢翔《あいざわしょう》」

 手を離して、どぎまぎしながら自己紹介をする。

「ちなみに、あそこに見える鳴那高校に通ってる二年」

 少し遠いが、ここから見える位置に学校があったので指さした。まだ手のひらには彼女の手の感触が残っていて、むずがゆい。

「二年生なんだ。私と同じだね」
「同い年? 雰囲気や風格からしててっきり年上かと思ったよ」

 率直な感想を言うと「よく言われる」と彼女は笑っていた。

「よろしくね、翔くん」
「ああ、よろしく。凛」

 彼女は最後にウィンクして、背を向けたので、俺もその後に続いた。
 彼女の歩き方はとても綺麗で、まるで足は一本のロープの上を歩いているかの様にまっすぐ歩いている。背筋もぴんと伸びていて、しかもスタイルも良いときてる。こんなに綺麗に歩く人を俺は初めて見たのかもしれない。

(いや……初めて、ではないか)

 もう一人だけいた。一年前に東京に置いてきた記憶の中に、一人だけいる。
 しかし、俺はそれを振り払う。思い出してもいいことなんてないのだから。

「なあに?」

 俺の視線に気づいたのか、凛が振り返ってにやにやしてくる。

「いや、別に」
「あ、わかった。『こいつすげー綺麗、惚れそう』とか思ってたでしょ?」
「ちげーよ!」
「それは残念っ」

 彼女は可笑しそうに笑っていた。でも……凛の言っていた事は、おおよそ正しい。俺はこの出会ったばかりの彼女に惹かれている自分がいたからだ。
 寺の石段を並んで降りたが、特に会話がなくても。彼女はとても新鮮そうに自然を見て楽しんでいた。そして、まるで異世界から現れたかのような彼女を見ていると、それだけでただの風景が絵になった。

「ねえ、また会えるかな?」

 階段を下りたところで、彼女は訊いてきた。

「まぁ、機会があれば会うんじゃないか?」

 俺はそんな心にもない事を言っていた。本当はまた会いたいくせに。だが、その可能性は低いと思っていた。彼女は東京暮らしみたいだし、ただ遊びにきているだけならそう何度も会う事はなかった。

「うん、そうだね⋯⋯じゃあ、またね」
「ああ。また」

 それが俺と凛の出会いだった。
 ここから暇だった日常が変わってしまうだなんて、誰が予想しただろうか。
 一度逃げてしまった過去からは、逃げられない──俺はそれを実感することになるのだった。
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