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第四話
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第二王子クローデル・リヴェル・レオンハート。
彼の母親である第二夫人は下級貴族の出自であった。
当然上級貴族とのまともな繋がりなどなく、ただ王に目を掛けられたというだけで妃になった彼女は、宮廷内で厄介者扱いされていた。
それは子息であるクローデルも同様であった。
下級貴族と恋愛結婚をした、王である父。
だが、彼は先に上級貴族の令嬢を正妻として娶り、第一子をもうけることにした。
そこに始まり、貴族の都合でどんどんと母を蔑ろにしていくようになったのだという。
貴族派閥の顔色ばかり窺う日和見主義は昔からだった。
クローデルは少しでも母の立場をよくしたいと幼少から知恵を巡らせ、父である王へと取り入ろうとした。
だが、結局はそれが災いし、クローデルの母は、クローデルを疎んだ宮廷内の血統主義者達の策謀で毒殺されることになった。
以来、クローデルは目的を失ったまま、それまで以前以上に権力に固執するようになった。
或いは、復讐がしたかったのかもしれない。
聖女リアが現れたとき、彼はこれを好機であると思った。
順当に行けば第一王子が次期王となるため、不確定要素であり少しでも宮廷内を引っ掻き回してくれるであろうリアの存在は、彼にとって都合がよかった。
兄のアズルが平民の出自を持つリアと婚姻すれば、上級貴族達を敵に回すことになる。
聖女であるリアとの婚姻が破綻すれば、王家の掟に背くことになる上に、教会派閥を敵に回すことになる。
どちらにしても責め入る隙になるのだ。
クローデルにはある秘密があった。
王家の生まれで濃い魔力を持つ彼は、固有魔法《マギア》を発現していた。
彼は猫に化けることができるのだ。
この力さえあれば、宮廷内で好きに情報を集めることができる。
王に黙っているのは謀反であり極刑を課されてもおかしくはないことだったが、彼はこの力を利用していた。
表立ってリアに接近して誑かそうものなら、それをアズルが見逃すはずがなかった。
だが、幸いリアには動物と心を通わせる力があった。
この力を使えば、誰にも気付かれずにリアと接触して情報を集め、孤独な彼女の心を好きに操ることができる。
黒猫が不吉だから殺されるかもしれないと仄めかしておけば、心優しいリアが自身のことを外に話さないことはわかっていた。
元より、話し相手の少ない彼女のことである。
隠し通せる自信はあった。
『ウィズも、ここに居場所がないんだね。私達、同じだね』
下級貴族の母を持つクローデルと、平民の出自を持つリア。
二人は不思議と似通っていた。
いつの日か、リアの許を訪れているときだけが、クローデルの心安らぐ時間となっていた。
そうして思い出したのだ。
自分は王になりたかったわけではない。
大切な人を守りたかっただけなのだ、と。
兄のアズルのことは嫌いだった。
だが、それでも、リアを幸せにしてくれるのならば、彼が王になってもいいのではないかと考えるようになっていた。
彼は母を死に追いやった貴族派閥と明らかに強く繋がっていたが、それに関しては自分も同じことであった。
各方面と要領よく繋がりを持っておかなければ、宮廷内では生きていけない。
しかし、それは幻想であった。
アズルは偽の聖女を立ててリアとの婚約を破棄し、彼女をリヴェル監獄塔へと幽閉してしまった。
クローデルが地方貴族の領地の視察へ向かっている間の出来事であった。
アズルは政敵であるクローデルを警戒していた。
クローデル不在の間に婚約破棄を進めて自身の弱みとなり得るリアを処分して、自身の地位をより盤石なものにしようと企てていたのだ。
実際、クローデル不在の間に事を進めたのは正しかった。
もし彼が夜会の場にいれば、我が身を顧みず、何としてでもアズルの凶行を阻止していただろう。
そうなれば王子と王子の衝突である。
ゲオルク王も安易にリアを監獄塔送りにすることはできなくなっていたはずだ。
クローデルは部下を率いて災厄の起こる地へと訪れていた。
リヴェル王国の中央寄りに位置するフォウンズ伯爵家領の大渓谷。
ここが予知夢の地であった。
既に王命を受けた兵士達が大勢集まっている。
「クローデル殿下……本当に、例の計画をなさるおつもりなのですか? 他に手立ては……」
クローデルの側近の部下が、彼へと声を掛ける。
「ない。父上へ直訴したが、跳ね除けられた。王が一度決めたことを覆せば、宮廷内は秩序を失い、大騒ぎになる。父上にそれをする勇気はない。兄上も、それを見越した上での行動だろう」
よくぞこんな馬鹿げた手に出てくれたものだと、クローデルはそう思う。
時間を掛けて粗を突いて広げれば、いずれはアズルを追い込めるネタが出てくるだろう。
確かに貴族派閥はアズルの味方に付いて彼を庇うだろうし、ゲオルク王もここを突かれるのは嫌うはずだ。
だが、元よりクローデルにとって、敵が多いのは慣れっこであった。
また、そうでなければアズルとは戦えない。
問題は、逃げられれば時間を稼がれて、リアが手遅れになることだ。
そうなってしまえば、もうクローデルにとっては何の意味もない。
「しかし、考え直してくださいませんか、クローデル殿下。これでは、クローデル殿下が……!」
そのとき、渓谷の奥底から、恐ろしい竜の咆哮が響いた。
同時に紫の体表を持つ、巨大なドラゴンがその姿を現す。
今この瞬間まで半信半疑の者が多かったようだが、周囲は悲鳴と怒号に覆われた。
「兄上め、ヘマをしたな。マリアンネ嬢の予知夢の倍近い大きさではないか」
クローデルはそう漏らした。
アズルは断片的にリアから聞いた話と、盗んだメモからの推測をマリアンネに教えていたのだろう。
だが、又聞きの形になっていたため細かいニュアンスを追えず、大きな間違いを犯していたのだ。
だというのに、具体的に話すことで、少しでも説得力を得ようとしていたのだろう。
その結果がこの大間違いである。
本当に予知夢で竜の姿を見ていれば、これほど大きさを取り違えるわけがない。
これほど巨大な竜であれば、今の戦力ではまるで足りない。
そしてそれ以上に、集まった兵達に覚悟ができていない。
魔弾の嵐が竜へと撃ち込まれる。
だが、竜はまるで堪えていなかった。
直後、竜は激しく尾を振るい、周囲の者達を吹き飛ばした。
人間に敵うわけがない。
その威容は正に災厄そのものであった。
ものの数秒でそれを理解した兵達は、我先にとこの場から逃げていく。
「父上……愚王への手紙は頼んだぞ」
クローデルは側近兵にそう零すと、愛馬を走らせて竜へと向かった。
弓を引き、その大きな眼へと毒を塗った矢を放つ。
「グゥオオオオオオオ……!」
竜が唸り声を上げ、クローデルを睨み付ける。
眼球が傷つき、赤くなっている。
だが、失明さえしていないようだった。
明らかに生き物としての格が違う。
「こっちだ、竜よ! リヴェル王国第二王子……このクローデル・リヴェル・レオンハートが相手してやる!」
クローデルは声を上げ、竜をそう挑発した。
兵の統率は取れず、聖女の力もない。
竜を王国外へと誘導することはできない。
おまけにここは王国中心部に位置する、フォウンズ伯爵家領である。
だとすれば、せめてできるのは、竜を人里離れた大森林へと誘導して被害を減らすことだけだった。
側近に渡した父である王への手紙には、母の事件を恨んでいることと、クローデルが幼少より固有魔法を隠していたこと、そしてそれによって聖女リアの内面を知っており、彼女の言葉が嘘でないと確証を持っていることを記している。
そして此度の竜を国から追い出すためには聖女リアの力を借りるしかなく、そのことは自身の死によって証明されるだろう、という内容である。
止めに、同様の手紙をしたためて宮廷内に隠していることまで仄めかしている。
聖女リアを動かすには、偽聖女騒動を明かにするしかない。
しかし、そうすればゲオルク王は王太子である自身の長子、アズルの廃嫡を避けられない。
偽聖女の擁立には多くの貴族も関与している。
彼らを断罪するとなれば、宮廷はとんでもない騒動になる。
ただ竜の討伐に一度失敗したというだけでは、優柔不断な王は自身の決定を覆して聖女リアを動かすことはできないに違いないと、クローデルはそう判断したのだ。
ゲオルク王がクローデルの言葉に耳を貸す様子を一切見せなかったのも、そこが大きいだろう。
ゲオルク王は貴族やアズルの処分を嫌って、消極的にリアを偽聖女と断じてこの騒動を終わらせるつもりなのだ。
だが、クローデルが既にリアから予知の続きを聞き出しており、現状に希望がないことを知ったという事実をゲオルク王に信じさせさえすれば、さすがに彼の考えを変えさせることができるはずであった。
しかし、ただ知らせただけでは、自分がアズルを蹴落とすために虚言を吐いているとして扱われかねない。
だからこそ、自身の悪事を手紙で告発し、かつ戦地で命を落とすことで、ただの策謀による虚言でないことを証明する必要があったのだ。
また、クローデルの勇姿はこの場にいた兵達に刻まれることとなった。
そのために大声で名乗りを上げたのだ。
クローデルは此度の騒動で、地味で陰険な第二王子から、貴い身分にして民のために犠牲となった英雄となったのだ。
しばらく彼の名は、社交界でも話題に上がることになるだろう。
そうなれば、クローデルの手紙を握り潰したことが明らかになれば、ゲオルク王は強い非難を浴びることを避けられない。
事情があった、では誤魔化しきれない。
おまけにクローデルは、宮廷内にもう一枚の手紙まで忍ばせていることを仄めかしているのだ。
ゲオルク王は全てを知っていて被害が大きくなるのを黙認していたことになる。
また、クローデルの行いと残した手紙に注目が集まれば、聖女の予言の一件についても広く周知されることになる。
そうなれば、偽聖女を擁立した貴族達も、都合のいい理屈を並べて自身らの正当性を訴えての悪足搔きをすることも難しくなる。
不当な判決だと挙兵を口にしても、まともに従う者はいないだろう。
ここまでされれば、臆病で優柔不断な王も、黙って知らない振りをすることもできない。
選ばないことを選ぶ必要が出てくる。
どう転んでも宮廷内の動乱と、責任を負うことからは逃れられない。
ならば犠牲を抑えることと真実の追究を選んでくれるはずだと、クローデルはそう考えたのだ。
母のことを記したのは、ゲオルク王の罪悪感や良心を突くためであった。
もっともクローデルは、こちらの効果などさして期待してはいなかったが。
竜が地面に降り立ち、剣の刃程はある巨大な爪を振るう。
クローデルの愛馬はそれに巻き込まれて呆気なく命を落とし、彼自身も地面へと投げ出された。
「まだ渓谷も抜けていないのか……」
クローデルは血塗れの身体で起き上がると、森の方角を向いた。
彼の身体は黒い体毛に覆われていき、一匹の黒豹となった。
まだ、こんなところで止まるわけにはいかない。
王国北部の僻地、大森林まで誘導するのでそこまで聖女リアを連れ出してこいと、手紙ではそう記していたのだ。
なんとかしてみせると、そうリアと約束したのだ。
彼女が竜の災厄から国を守ったとなれば、もう有名無実の平民聖女などと陰口を叩かれることもなくなるだろう。
『元気でな、リアよ……』
クローデルは真っ直ぐに疾走した。
その後を竜が執念深く追い掛けていく。
彼の母親である第二夫人は下級貴族の出自であった。
当然上級貴族とのまともな繋がりなどなく、ただ王に目を掛けられたというだけで妃になった彼女は、宮廷内で厄介者扱いされていた。
それは子息であるクローデルも同様であった。
下級貴族と恋愛結婚をした、王である父。
だが、彼は先に上級貴族の令嬢を正妻として娶り、第一子をもうけることにした。
そこに始まり、貴族の都合でどんどんと母を蔑ろにしていくようになったのだという。
貴族派閥の顔色ばかり窺う日和見主義は昔からだった。
クローデルは少しでも母の立場をよくしたいと幼少から知恵を巡らせ、父である王へと取り入ろうとした。
だが、結局はそれが災いし、クローデルの母は、クローデルを疎んだ宮廷内の血統主義者達の策謀で毒殺されることになった。
以来、クローデルは目的を失ったまま、それまで以前以上に権力に固執するようになった。
或いは、復讐がしたかったのかもしれない。
聖女リアが現れたとき、彼はこれを好機であると思った。
順当に行けば第一王子が次期王となるため、不確定要素であり少しでも宮廷内を引っ掻き回してくれるであろうリアの存在は、彼にとって都合がよかった。
兄のアズルが平民の出自を持つリアと婚姻すれば、上級貴族達を敵に回すことになる。
聖女であるリアとの婚姻が破綻すれば、王家の掟に背くことになる上に、教会派閥を敵に回すことになる。
どちらにしても責め入る隙になるのだ。
クローデルにはある秘密があった。
王家の生まれで濃い魔力を持つ彼は、固有魔法《マギア》を発現していた。
彼は猫に化けることができるのだ。
この力さえあれば、宮廷内で好きに情報を集めることができる。
王に黙っているのは謀反であり極刑を課されてもおかしくはないことだったが、彼はこの力を利用していた。
表立ってリアに接近して誑かそうものなら、それをアズルが見逃すはずがなかった。
だが、幸いリアには動物と心を通わせる力があった。
この力を使えば、誰にも気付かれずにリアと接触して情報を集め、孤独な彼女の心を好きに操ることができる。
黒猫が不吉だから殺されるかもしれないと仄めかしておけば、心優しいリアが自身のことを外に話さないことはわかっていた。
元より、話し相手の少ない彼女のことである。
隠し通せる自信はあった。
『ウィズも、ここに居場所がないんだね。私達、同じだね』
下級貴族の母を持つクローデルと、平民の出自を持つリア。
二人は不思議と似通っていた。
いつの日か、リアの許を訪れているときだけが、クローデルの心安らぐ時間となっていた。
そうして思い出したのだ。
自分は王になりたかったわけではない。
大切な人を守りたかっただけなのだ、と。
兄のアズルのことは嫌いだった。
だが、それでも、リアを幸せにしてくれるのならば、彼が王になってもいいのではないかと考えるようになっていた。
彼は母を死に追いやった貴族派閥と明らかに強く繋がっていたが、それに関しては自分も同じことであった。
各方面と要領よく繋がりを持っておかなければ、宮廷内では生きていけない。
しかし、それは幻想であった。
アズルは偽の聖女を立ててリアとの婚約を破棄し、彼女をリヴェル監獄塔へと幽閉してしまった。
クローデルが地方貴族の領地の視察へ向かっている間の出来事であった。
アズルは政敵であるクローデルを警戒していた。
クローデル不在の間に婚約破棄を進めて自身の弱みとなり得るリアを処分して、自身の地位をより盤石なものにしようと企てていたのだ。
実際、クローデル不在の間に事を進めたのは正しかった。
もし彼が夜会の場にいれば、我が身を顧みず、何としてでもアズルの凶行を阻止していただろう。
そうなれば王子と王子の衝突である。
ゲオルク王も安易にリアを監獄塔送りにすることはできなくなっていたはずだ。
クローデルは部下を率いて災厄の起こる地へと訪れていた。
リヴェル王国の中央寄りに位置するフォウンズ伯爵家領の大渓谷。
ここが予知夢の地であった。
既に王命を受けた兵士達が大勢集まっている。
「クローデル殿下……本当に、例の計画をなさるおつもりなのですか? 他に手立ては……」
クローデルの側近の部下が、彼へと声を掛ける。
「ない。父上へ直訴したが、跳ね除けられた。王が一度決めたことを覆せば、宮廷内は秩序を失い、大騒ぎになる。父上にそれをする勇気はない。兄上も、それを見越した上での行動だろう」
よくぞこんな馬鹿げた手に出てくれたものだと、クローデルはそう思う。
時間を掛けて粗を突いて広げれば、いずれはアズルを追い込めるネタが出てくるだろう。
確かに貴族派閥はアズルの味方に付いて彼を庇うだろうし、ゲオルク王もここを突かれるのは嫌うはずだ。
だが、元よりクローデルにとって、敵が多いのは慣れっこであった。
また、そうでなければアズルとは戦えない。
問題は、逃げられれば時間を稼がれて、リアが手遅れになることだ。
そうなってしまえば、もうクローデルにとっては何の意味もない。
「しかし、考え直してくださいませんか、クローデル殿下。これでは、クローデル殿下が……!」
そのとき、渓谷の奥底から、恐ろしい竜の咆哮が響いた。
同時に紫の体表を持つ、巨大なドラゴンがその姿を現す。
今この瞬間まで半信半疑の者が多かったようだが、周囲は悲鳴と怒号に覆われた。
「兄上め、ヘマをしたな。マリアンネ嬢の予知夢の倍近い大きさではないか」
クローデルはそう漏らした。
アズルは断片的にリアから聞いた話と、盗んだメモからの推測をマリアンネに教えていたのだろう。
だが、又聞きの形になっていたため細かいニュアンスを追えず、大きな間違いを犯していたのだ。
だというのに、具体的に話すことで、少しでも説得力を得ようとしていたのだろう。
その結果がこの大間違いである。
本当に予知夢で竜の姿を見ていれば、これほど大きさを取り違えるわけがない。
これほど巨大な竜であれば、今の戦力ではまるで足りない。
そしてそれ以上に、集まった兵達に覚悟ができていない。
魔弾の嵐が竜へと撃ち込まれる。
だが、竜はまるで堪えていなかった。
直後、竜は激しく尾を振るい、周囲の者達を吹き飛ばした。
人間に敵うわけがない。
その威容は正に災厄そのものであった。
ものの数秒でそれを理解した兵達は、我先にとこの場から逃げていく。
「父上……愚王への手紙は頼んだぞ」
クローデルは側近兵にそう零すと、愛馬を走らせて竜へと向かった。
弓を引き、その大きな眼へと毒を塗った矢を放つ。
「グゥオオオオオオオ……!」
竜が唸り声を上げ、クローデルを睨み付ける。
眼球が傷つき、赤くなっている。
だが、失明さえしていないようだった。
明らかに生き物としての格が違う。
「こっちだ、竜よ! リヴェル王国第二王子……このクローデル・リヴェル・レオンハートが相手してやる!」
クローデルは声を上げ、竜をそう挑発した。
兵の統率は取れず、聖女の力もない。
竜を王国外へと誘導することはできない。
おまけにここは王国中心部に位置する、フォウンズ伯爵家領である。
だとすれば、せめてできるのは、竜を人里離れた大森林へと誘導して被害を減らすことだけだった。
側近に渡した父である王への手紙には、母の事件を恨んでいることと、クローデルが幼少より固有魔法を隠していたこと、そしてそれによって聖女リアの内面を知っており、彼女の言葉が嘘でないと確証を持っていることを記している。
そして此度の竜を国から追い出すためには聖女リアの力を借りるしかなく、そのことは自身の死によって証明されるだろう、という内容である。
止めに、同様の手紙をしたためて宮廷内に隠していることまで仄めかしている。
聖女リアを動かすには、偽聖女騒動を明かにするしかない。
しかし、そうすればゲオルク王は王太子である自身の長子、アズルの廃嫡を避けられない。
偽聖女の擁立には多くの貴族も関与している。
彼らを断罪するとなれば、宮廷はとんでもない騒動になる。
ただ竜の討伐に一度失敗したというだけでは、優柔不断な王は自身の決定を覆して聖女リアを動かすことはできないに違いないと、クローデルはそう判断したのだ。
ゲオルク王がクローデルの言葉に耳を貸す様子を一切見せなかったのも、そこが大きいだろう。
ゲオルク王は貴族やアズルの処分を嫌って、消極的にリアを偽聖女と断じてこの騒動を終わらせるつもりなのだ。
だが、クローデルが既にリアから予知の続きを聞き出しており、現状に希望がないことを知ったという事実をゲオルク王に信じさせさえすれば、さすがに彼の考えを変えさせることができるはずであった。
しかし、ただ知らせただけでは、自分がアズルを蹴落とすために虚言を吐いているとして扱われかねない。
だからこそ、自身の悪事を手紙で告発し、かつ戦地で命を落とすことで、ただの策謀による虚言でないことを証明する必要があったのだ。
また、クローデルの勇姿はこの場にいた兵達に刻まれることとなった。
そのために大声で名乗りを上げたのだ。
クローデルは此度の騒動で、地味で陰険な第二王子から、貴い身分にして民のために犠牲となった英雄となったのだ。
しばらく彼の名は、社交界でも話題に上がることになるだろう。
そうなれば、クローデルの手紙を握り潰したことが明らかになれば、ゲオルク王は強い非難を浴びることを避けられない。
事情があった、では誤魔化しきれない。
おまけにクローデルは、宮廷内にもう一枚の手紙まで忍ばせていることを仄めかしているのだ。
ゲオルク王は全てを知っていて被害が大きくなるのを黙認していたことになる。
また、クローデルの行いと残した手紙に注目が集まれば、聖女の予言の一件についても広く周知されることになる。
そうなれば、偽聖女を擁立した貴族達も、都合のいい理屈を並べて自身らの正当性を訴えての悪足搔きをすることも難しくなる。
不当な判決だと挙兵を口にしても、まともに従う者はいないだろう。
ここまでされれば、臆病で優柔不断な王も、黙って知らない振りをすることもできない。
選ばないことを選ぶ必要が出てくる。
どう転んでも宮廷内の動乱と、責任を負うことからは逃れられない。
ならば犠牲を抑えることと真実の追究を選んでくれるはずだと、クローデルはそう考えたのだ。
母のことを記したのは、ゲオルク王の罪悪感や良心を突くためであった。
もっともクローデルは、こちらの効果などさして期待してはいなかったが。
竜が地面に降り立ち、剣の刃程はある巨大な爪を振るう。
クローデルの愛馬はそれに巻き込まれて呆気なく命を落とし、彼自身も地面へと投げ出された。
「まだ渓谷も抜けていないのか……」
クローデルは血塗れの身体で起き上がると、森の方角を向いた。
彼の身体は黒い体毛に覆われていき、一匹の黒豹となった。
まだ、こんなところで止まるわけにはいかない。
王国北部の僻地、大森林まで誘導するのでそこまで聖女リアを連れ出してこいと、手紙ではそう記していたのだ。
なんとかしてみせると、そうリアと約束したのだ。
彼女が竜の災厄から国を守ったとなれば、もう有名無実の平民聖女などと陰口を叩かれることもなくなるだろう。
『元気でな、リアよ……』
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