ハゲワシと少女

燦閑詩厭

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ハゲワシと少女

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ーーーある日、"ハゲワシと少女"という一枚の写真が世界を震撼させ、一人の男の運命を変えた。
その写真には、そのタイトル通りハゲワシと少女が写っている。
ただ、それだけが映っている。
それは当時、アフガニスタンの深刻な飢餓を切実に訴えかける写真として、センセーショナルに取り上げられた。
後にメディアの姿勢を問う論争を巻き起こした問題作として後世にまで伝わる事になるであろう写真だ。
絶賛と批判がこの写真の当事者に容赦なく降り注いだ。
批判は、世界中に疑問を呼び、疑問は不信に変わり、不信は罵声の嵐となったのだ。
そして彼は、私の目の前でここを去った。
幸か不幸かこの写真は、世界全土で彼を一躍有名にし、そして矢面に立たせ、
最後には、ここを去る引き金となったのだ。ーーー



俺はジャ○○ンが大嫌いだ。

俺の名前は、的場由良助。
高校2年生の不良だ。
自他共に認める不良と自負している。

その決定打となったのは、
入学当初、宿題を忘れて担任に呼び出しを受けた俺の横で、テストのカンニング容疑をかけられ泣きじゃくるバレー部の女を怒鳴っている耳障りなハゲ散らかした豚饅頭に頭突きを食らわせた時だったか。

それとも、教育合宿で
「22時の消灯後は、たとえトイレであろうとも部屋から出ることを禁止する。人間は就寝してしまえばそういった機能は停滞するからだ。消灯以降部屋を抜け出した者は、すぐに帰ってもらうからな。」
とトンデモ理論を振りかざしてきたC級映画のエイリアンのような学年主任の下半身の機能を止めてやった時だったか。

記憶は曖昧だ。

とにかく、いつからか俺に対する不良という疑惑は確信に変わったようだ。
目つきの悪さは、生まれつきだが、それが拍車をかけ、気づけば忌避と嫌悪の対象として”ハゲワシ”という蔑称が付いてた。


『ワシは百歩譲って許そう。ハゲってなんだよぉ!。なめてんのかぁぁぁー!!!。』

俺は、目つきも人相も悪いが、決してハゲてはいない。
染髪に染髪を重ね、キューティクルは、死滅し髪はゴムのように謎の弾力と伸縮性を帯び、肌色とも白髪ともとれない色となっているが。
断じてハゲではない。
毛根は、決して死滅してはいない。


理由を聞くついでに、ナメたあだ名を命名した娑婆増を4分の3殺しに行く。


『なぁ!鶴!なんで俺がハゲワシなんだよ?』
「はっっっ!!ま、ま、的場さんっ。す、す、すいません。それは、ですねっっ、っヒ!!」

「あぅっっっ」

『おい。殴られたくなかったら、さっさと理由を吐いちまえよ。』

「もう殴ってます。っっヒィ!!」


「えっと……この前の合宿で的場さんが学年主任の局部を不能にしましたよね……。
局部を押さえてうずくまっている主任とそれを後ろから見下し睨みつけている的場さんの構図がハゲワシと少女という20年前にスーダンで撮影された有名な写真に酷似していたので、
つい口に出したら普及してしまって。」

との理由のようだ。
よくわからんが、癇に障ったのでお望み通り”少女”にしてやった。



話を戻そう。

俺はジャ○○ンが嫌いだ。

不良の風上にも置けない野郎だ。
不良が正当な評価を受けないのは、あの野郎のせいだ。


ジャ○○ンの法則というものがある。
もともと底辺の評価を受けている不良がちょっと良いことをすると好感度が急上昇し、
もともと普通の評価を得ている模範生は、たとえ良いことをしたところで好感度はたいして上がらないというものだ。
この精神的錯覚の典型が映画版でのジャ○○ンの男気のある大活躍だ。

俺は、そんな浮ついた地に足着いてないどっちつかずの周囲もジャ○○ンも嫌いだ。

俺は、全国の不良を代表して物申す。


『不良は良いことしないから不良なんだよ!』

河原に捨てられている犬に餌をやったりしねぇーし、
路肩でダンボールに入った子猫を拾ったりもしねぇー。
ましてや、迷子のガキを親元まで送り届けたりなんかしねぇーんだよ!!


『不良は良くないことするから不良なんだよ!』



ーーー”ハゲタカと少女”はある日本人によるものであり、彼は、私の友人だった。
彼は、ある事情によりフォトジャーナリストとなった。
そして私と共にアフガニスタンを担当することとなった。
当時のアフガニスタンは長い紛争や自然災害などが混沌状態を極め、内戦や飢餓、テロ、麻薬の渦中にあった。
激戦区での仕事を終えた帰路の途中であっても地獄のような光景は続いていた。
これは、その道すがらでおさめた奇跡的で衝撃的で悲惨な写真だ。
批判、中傷、罵倒の中で彼は、何を想ったのか。
報道か人命か。
真実か理想か。
倫理か人道か。
これは、今ここにいない彼が私たち全ての人類に提示した最終問題だ。ーーー



俺は、高校を退学となった。
驚くことは、何もない。
今までのツケを払うときがようやく来たというだけのことだ。

これまでの教師への反抗の集積に加え、学生への恐喝が決定打となったようだ。
俺をかばう人間は、もちろん一人もいなかった。
親は、俺に三下り半を叩きつけ実質的に勘当となった。
もとよりいていなかったような存在だ。
通帳にいたずらをするお化け程度の認識しかなかった。
義務さえ果たせばそれで親でいれたつもりだったのかね。

反吐が出そうだ。

そんなこんなで俺は、新設された高校では珍しい退学となった。

ま、いいや。


『年貢の納めどきだ。』



元からそうだったが俺は、さらに自由になった。
そして俺は、外地を拠点とするカメラマンとなった。
同僚は、フォトジャーナリストなどと気取った呼称をしているが、
つまるところ戦場カメラマンだ。
そっちの方がならず者の俺には、しっくりくる。

戦場カメラマンは、自身の体を顧みずに生きられる、いや死ねる俺には天職と言えた。
血で血を洗う戦場であってなんの躊躇も物怖じもしない捨身の俺は、重宝され、有能な戦場カメラマンとしてその業界で名を馳せた。
残酷かつ凄惨な写真ばかりが喜ばれることに疑問を抱き、苦悩する同業者は大勢いたが、
それが俺にとってプラスに働いた結果だろう。


山ができるほどの器を撮って来た。
海ができるほどの赤を浴びて来た。
砂漠ができるほどの弾を踏みつけて来た。
何も感じなかった。

それを才能と呼ぶ者もいた。
俺を見て辞職を選んだ奴もいる。
どうでもいいと思った。


ある日、同僚と二人で激戦区からの帰路につき、
その途中で一つの器を見た。

およそ10歳くらいか。
泥まみれのそれは、通常のそれとは、様相がまるで違う。
これが貧困、飢餓、旱魃の象徴だ。

俺は、いつも通りカメラを構える。
ズーム機能を使い、調整を加える。
うずくまる一つの背中が上下動するのを捉えた。


俺は、一人の少女を見た。
俺は、カメラから眼を外す。
違和感に気付く。


「的場さん……?」

違和感に気付いたのは、同僚も同じだった。
俺の違和感に気付いたのか。

動揺している自分に気付く。
躊躇している自分に気付く。
物怖じしている自分に気付く。

どれも初めての感覚だった。

カメラを持つ手が震えた。
シャッターをきる指が震えた。


少女は俺を見ていた。
少女が俺を見ていた。
少女はカメラを通した俺のカメラではなく俺自身を見つめていた。

氾濫寸前の涙を湛えた黒曜石のような透き通った瞳で。


俺は何を見ていた。
俺は何を見て来た。
俺の瞳は何を映した。



一瞬の静寂を否定するような突風が俺の肌を這いずり、少女の漆黒の長い髪を拐おうとする。
褐色の肌が露わになり、整った造形が恐怖と絶望を天秤にかける。

風に乗り音もなくそれは存在する。
何事もなかったかのように、初めからそれはあったように、当然のようにそれはいた。


ハゲワシが少女の後ろにいた。


少女を見ている。
それは少女以外を見ていない。
俺たちを完全に相手にしていない。

「的場さん!!カメラを!!」
「的場さん!僕らには、報道する責務があります。真実を伝える義務があるんです。」

そんなことは知っている。
この仕事に誇りなどはないが、意義くらいは把握している。

ただ、動けなかった。
だだ、怖いと思った。

『人間として、そんなことできるわけがねぇ・・俺たちは鬼じゃねんだぞ!!
お、お、おかしいだろう!
た、助けないと・・こんなに罪深い職業だったなんて……』

人間?鬼?罪深い?どの口がそんなこと言ってんだ。
自分がして来たこと、口にして来たことを忘れたのか。
今すぐ逃げ出したい。今すぐ目を背けたい。今すぐ帰りたい。


『どこに帰るんだ?……』


自分の消え入るようなつぶやきが乾きひび割れた大地に墜落したのが見えた。

「的場さん。僕たちはジャーナリストです。
倫理を遵守しなさい!!
僕たちは、この現状を、今の状況を僕たちの恣意的な正義感や一時の感情で変えることはできないという責任があります。
一度、自分でカメラを対象に向けたからには、あなたに責任があります。
今、このアフガニスタンの象徴を歴史に刻むことができるのはカメラを持っているあなただけです。
命を救うことは、あなたの仕事ではない!
務めを果たしなさい!!!!」


象徴?象徴とはなんだ。

俺が見て来たあいつらは、世の中の奴らにはただの象徴でしかないのか。
あの筋張った腕の細さも。
あの手の温かさも。
あの笑い声さえも。

全て。


差別?区別?分別?
権利?義務?自由?責務?

この少女とあいつら、何が違うんだ。
こいつらと日本の奴ら、何が違うんだ。
この少女を助けるなら、あいつらをなぜ見捨てた。


一人を助けたら次は100人を助けなくてはならない。
100人を助けたら次は1000人を助けなければならない。
1000人を見捨てるならその前に100人を見捨てなければならない。
100人を見捨てるならその前に一人を見捨てなければならない。


この少女を俺は、救えない。


怖い。
寒い。
痛い。


目の前に迫る絶対的な死が見える。
暗い暗い底のない沼を見ているようだ。
深淵が俺を嘲笑っている。

『やめてやる!こんなこと。や、やってられるか!!黙って俺にただ写真を撮ってろというのか!!』
「そうです。
的場さんは黙って子供が死んでハゲワシが少女の体をついばむところを見届けるんです。
そしてその写真を世界に、世の中に伝えるんです。
僕たちが見て来た惨劇を。
僕たちが触れた恐怖を。
あなたが感じた死を。
それが僕たちがここで唯一できる役目だ!!」

『ちょっと、待ってくれ……』


時間が欲しい。
少しだけ。
いや、少しじゃ足りない。
じゃあ、いったいいくらだ。
永遠だ。
永遠でも足りないくらいだ。


「目の前で起きていることから目を背けるな!!!
確信が持てないのなら何もするな!!
そこで指をくわえて見てればいい!!
誰もあなたを強制しない。
あなたはどうしたいんだぁぁぁぁ!!!!」



泣いてる。
誰の声だ。
汚らしく、惨めったらしく、情けなく泣くのは誰だ。
嗚咽が胸を脇腹を軋ませる。
区別のつかない液体が咳き込みを促す。


冷たい肢体を雲のように優しく抱きしめた。
滑らかな髪が頬を擽ぐった。
大きな瞳からの温かな滝が腕を伝った。



俺は泣いている。
少女は泣いている。
”俺と少女”が泣いている。



ーーー彼改めハゲワシは、真実を捻じ曲げたのだ。
世界の倫理を否定したのだ。
ハゲワシの行動原理については、多くの疑問が残る。
”ハゲワシと少女”は、2016年、国際的な栄誉ある賞を受賞した。
そして、この写真には、先述したように数多の絶賛と批判が寄せられた。
比率は五分五分だ。
だが、このネット社会における言葉や文章が厳しく管理されたご時世では、この割合は決して信頼性のあるものではない。
建前、体面、社会的立場を鑑みれば本来は、どちらが優勢か論ずるに値しないだろう。
「自然の摂理を崩壊させた男」
「カメラマンのエゴ」
「演出した事実」
「プロ失格」
「偽善者」
「芸術とジャーナリズムへの挑発」
「既往の傑作への冒涜」等々
挙げれば枚挙にいとまがない。
だが、どちらが正しいのかは、誰にもわからない。
答えは闇の中だ。
彼の言うように永遠でも足りない時間が知る上でも考える上でも必要なのかもしれない。
申し訳ないがこの場では保留にさせていただきたい。
レポートとしては、瓦解したものになったがそれで私はいいと思う。
これは、僕から彼へのささやかな嫌がらせだ。
賞を受賞した僕よりも話題をさらい時の人となった写真の中のハゲワシへの小粋な意趣返しなんだから。
何か不平がありましたら、ここにはいないハゲワシに直接聞いてみるといい。
僕もそのつもりだ。

   2024年6月11日 フォトジャーナリスト  鶴 悟  ーーー



「・・・的場さん、どうですか。そちらの様子は。」

『・・・鶴てめぇー!何度言ったらわかんだ!
いちいち生存確認に国際電話かけてくるんじゃねぇー。
こっちは個人負担なんだぞ。』

「・・・勝手にそっちに行ったのは、的場さんでしょう。
アフガニスタンも僕らの微力ながら確かな活躍が波紋を呼び、着実に改善されているとはいえ、まだまだ治安がいいとはいえませんからね。」

『・・・てめぇ~のわけのわからん写真で俺は、世界中からハゲワシと不名誉な蔑称で呼ばれ、様々な誹謗中傷を受けたせいだろうが!!あまつさえ、他人の作品を踏襲いや、踏みにじるような名付け方しやがって!』

「・・・素直じゃないですね。そう言うことにしといてあげますよ。高校時の的場さんの退学の4分の1ぐらいは僕のせいでもありますから。それに僕は、あの作品がずっと嫌いだったんですよ。あなたがジャ○○ンを嫌いな理由と似たようなものです。」

『・・・テメェーが4分の1?自己評価たけ~な!どうせ退学なるならマジで”少女”にしとけばよかったぜ。』

「・・・っっす、す、すいません」

『・・・ようがねぇーならもう切るぞ。こっちは忙しんだ。』

「・・・っっ待ってください。最後に聞かせてくださいよ。
僕のようなひ弱にあの人生の分岐点、土壇場、修羅場で命令され、混乱し、少女と一緒に情けなく僕の写真に収められてしまった当事者さんはあの時、何を思ったのですか。
これだけ、世間に叩かれて、僕や彼ら、または、自分に向けて何か物申したいことはないんですか。」


『・・・そんなの決まってんだろ!
『不良は良くないことするから不良なんだよ!』』



「…ユラスケ。マタ…ツル、カラ…?」

15歳前後の少女が俺の袖を引いて尋ねてくる。

『あぁ。あいつ、俺を苛立たせるポイントをピンポイントで突いて来やがる。ある意味才能だな。小学の頃からずっとああなんだ。』

「???」

ちょっと難しかったか。

『レイラそろそろ風呂入れよ。昨日、お前風呂入ってねぇーだろ。』

「ウゥ~オフロ。…ニガテ。…イッショニ」

『もうガキじゃねんだから一人で入れよ。』

「…イジワル。」

頬を膨らませ上目遣いで見つめてくる。
どこでそんな上等テクニックを覚えたのか。
こいつの将来がマジで心配になる。

将来有望なのは、認めるが魔性路線は回避願いたい。

『いつまでも俺がいるわけじゃないんだ。
成人したら一人でやっていけるようにしとけ。
お前は、将来有望だから嫁の貰い手には、困らないだろうからな。
それだけは、安心していいぜ。』

「……ズット、イッショ!ユラスケ、ト…イッショ!!」

『引っ張るな!伸びる!引っ張るな!!』

『治安が向上しているとはいえ、いつまでもここにいるわけには行かね~しな。
お前が成人したらどこかに引っ越すか。ここじゃなきゃ出来ない仕事でもねぇーし。』

「ユラスケ、ノ、……コキョウ二…ツレテケ」

『日本か……けど、親もいねぇーし、友達もいねぇーし、そもそも俺、何もねぇーからな。』

「ジャ○○ン、トモダチ。」

『あんなやつ。トモダチじゃねぇーよ。大っ嫌いだ。そもそもアニメだし。』

「ユラスケナラ、キット、イイトモダチ、ナレル。」

そうかな。まぁ、レイラが言うならそうなんだろう。
不良の風下くらいには置いてやってもいいかもしれない。

『けど、やっぱダメだわ。帰っても俺には何もねぇー。』

「レイラ、モ、……コジ、……ナニモナイ。」

褐色の頬に光がつたう。


『孤児? はっ!!たいして珍しくもねぇ~。それに俺がいる。』

ひまわりのような笑顔が溢れ出す。

「ウン。ユラスケ、ニモ、レイラ、ガイル。」

『でも、俺にとってもお前にとってもいい選択とはいえねぇーぞ』


「フリョウ、ハ、……イイコト、シナイ……カラ、フリョウ!!」

『こんな不良で本当にいいのか?』


そしてレイラは、黒曜石の瞳に涙を湛え、満面の笑顔を咲かせて言う。



「フリョウ? ハッ!!タイシテ、…メズラシクモ……ネェ~。」
                              【完】
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