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第4章 事件と運命(原点編)

22-署名

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 応接室で私とフェリは大量の書類に署名した。
 すべてを冷静に読み、謙虚に疑問について教えを請い、納得してから署名していった。

 ランスは署名された書類すべてに素早く目を通し、うなずいて執事に渡した。そして、すぐに婚姻届を出すよう指示した。

 執事が出て行くと、ランスは私たちに重々しく結婚の祝いを述べた。
 そして、続いて雰囲気を一変させ、からかうように私を見て朗らかに言った。
 
「今朝フェリに、『今日、結婚させる』と申し渡したら、当惑していたよ」

 ――当然の反応だろう。
 
 私は顔をさっと紅潮させたフェリを見て、柔らかくうなずき、そして真剣な思いを込めて答えた。
 
「突然で驚かれたこととでしょう。しかし、私は魔王の天賦魔法の対策を担当しておりましたので、公爵令嬢をお守りする者を即座に決めなくてはならないことは理解していました」
 
 私はフェリをしっかりと見つめて言った。

「お守りする役目を公爵閣下から仰せつかりましたこと、心から光栄に存じます。個人としても、うれしいです」

 ずっと心配していた。
 この「役目」を誰がやるのか。

 ***
 ランスは事件直後、フェリの側仕えからの知らせを受けて騎士団付属病院へ駆けつけた。暴れる被害者たちに混乱する騎士団付属病院の状況を利用して、詳細な検査が済んでいない妹を連れ帰った。

 フェリの顔は酷く傷ついていたが、身体の負傷はほとんどなかった。私が風魔法で衝撃を和らげていたからだ。しかし、公爵家の主治医は、「生殖機能に異常をもたらしかねない臓器への打撲が疑われる」という診断書を作成した。

 国王は老獪な君主だが、非常に臆病で、欠けたものや美しくないものを嫌う。そのことをランスは把握していた。
 国王は国母に傷物を望まない。ランスが既に申し出た婚約破棄の手続きは速やかに進むだろう。

 しかし、フェリには別の危険が迫っていた。
 先ほどの学長を交えた話し合いで、ランスがフェリの配偶者に至急私を指名する理由を説明した。
 
「おそらく、少し混乱がおさまったら、傷物のフェリを王家が召し上げる。王太子妃としてではなく、魅了影響解消のための助力者……生贄にする可能性が高い。陛下の最近のご判断は、滅茶苦茶なんだ」

 大学の病室でそう説明するランスの目をしっかり見て、私はきっぱりと言った。
 
「はい、そのことを拒否するために、妹君をお守りする役目を果たす配偶者を速やかに決める必要がありますね。改めて、謹んでお受けいたします」

 しかつめらしく述べたあと、心をこめて言い添えた。

「個人的に、とてもうれしいです。全力を尽くします」

 ***

 魅了の影響は死ぬまで残るとは限らない。解消が可能だ。

 私は以前、過去の記録を読んだとき、魔王の天賦魔法「魅了」の発現後の対策事例についてもまとめた。

 この魔法の影響を受けると、通常は自制心によって抑えられている本能や深層心理の「欲望」や「衝動」の制御が緩む。
 通常隠される感情や欲求が表面化し、制御が困難になる。
 要するにこの魔法は「人の隠れた本性」を明らかにする。

 今回の影響を受けた3人の状況について、大学の病室を出る前に、マイケルが説明してくれた。
 王太子がもっとも錯乱して、暴れているそうだ。
 強い麻酔薬を投与することで、ガスパールとレオパルドは落ち着いた。
 しかし、麻酔薬が切れると暴れ出す危険があり、監視は欠かせない。麻酔薬には副作用もあり、今後の人生に影響する障害が残る可能性が高い。
 
 一方で、麻酔薬の量を増やしても、王太子は激しく暴れている。
 光の騎士と呼ばれる近衛所属者が、結界魔法を使って封じ込めていた。そのやり方は、私たちが作った資料に基づいている。
 
 その資料は、魔術大学を忌み嫌う騎士団長に存在を知られないように、こっそりと騎士団や病院に渡していた。

 しかし。
 マイケルは私に事態の混迷を深めた事件について説明してくれた。

「ドナルドさんから聞いた話です」
 
 ***

「何をやっているんだ!」

 事件直後の騎士団付属病院に雷鳴のような怒号が響いた。騎士団長が手に資料の束を持っている。端正な顔が赤鬼のようにまだらに染まっている。
 強い怒りが大きな身体からほとばしるようで、騎士たちは身をすくめた。

「これは……」

 魔術大学から預かった資料が団長にバレた。

 そのあと、騎士団長は自分の流儀でやろうとした。

「騎士団長閣下が殿下の状況を魅了の影響と気付いたあと、独自の判断で動きました。未亡人たち……殿下を慰める女性たちを伴って不用意に殿下に近づきました。すると、殿下が閣下を突き飛ばした。閣下は頭を強く打ち……」

 騎士団長は現在も意識不明だ。容態はかなり深刻とのことだ。
 マイケルは痛ましそうに騎士団長の愚行を語った。
 そして、少し気を取り直したように付け足した。「ただ、他の者は巻き込まれなかったのが不幸中の幸いだった」と。

 私が聴取の席でドナルドに会ったとき、「騎士団は人手不足」と言っていたのはそういう事情だった。

 ***

 人手不足を解消するため、ガスパールとレオパルドは魔術大学で預かることになった。

 王太子と騎士団長だけの加療であれば、騎士団付属病院にも余裕が出来る。

 その件の話は、フェリには関係ない。
 今はフェリに集中しなくては。私たちは結婚したのだ。

 ***

 クレイドーレ公爵家の居間で、回想を打ち切った私は、先ほど妻になったフェリを見た。
 フェリの当惑した目に、私の「うれしい」という言葉のあと、新たに喜びの輝きが湧いた。
 それを見てとった私は、彼女の手を取って踊り出したくなる気持ちをこらえた。とてもきれいな目だ。もうこっそり見なくて大丈夫なのだ。

 公爵は朗らかに言う。
 
「相手は魔術大学のマクセルモア伯爵令息だと言ったら、フェリはとても喜んでいた。妃教育の弊害で、最近は無表情になりがちだったからな。素直に喜ぶ顔は久しぶりだった」

 そういえば、今日のフェリは子どものようにくるくる表情が変わる。鼻が痛いだろうに。目が雄弁だ。
 ――可愛い。
 
「もう『王妃の笑み』の修行は不要だからな。ジェレミーさんにデイグンド子爵位をフェリの命を救った報償で与え、傷物のフェリを娶らせる」

 そのあと、ランスは冷徹に私たちに命じた。
 
「明日までに夫婦である既成事実をきちんと整えるように。情報統制は自信があるが、最善を尽くしてあらゆる事態に備えておきたい」
「はい」
 
 照れを隠すため、必要以上に神妙な態度で答えた私に、ランスは柔らかく詫びた。
 
「申し訳ない。本当はこんなことを強いるつもりはなかったんだ。とはいえ、ジェレミーさんが義弟になって嬉しいよ」
「はい、私も公爵と公爵令嬢の……あ、前公爵令嬢?」
「名前で呼びなさい。フェリ。フェリ=ベアートリーチェ・デイグンド」

 フェリは照れくさそうな顔をしている。私も照れくさい。
 
「フェリは明日から念のため領地に向かわせる。ジェレミーさんは同行の必要はない」

 フェリはうなずき、ランスは訳知り顔で付け足した。

「明日は大学に行くだろう? ジグムンドさんの880年企画書の魔導具を応用して、重要なプロジェクトが始まっているらしい」
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