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第4章 事件と運命(原点編)

21-糸を紡ぐ人たち

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 公爵家には、目立たない移動用魔導具で裏口から入った。万が一の妨害を考えてのことだそうだ。
 機能最優先なのだろう。のっぺりした照明が均一に殺風景で清潔な空間を照らしていた。「働きやすそうだな」と私は思った。
 天井の低いくすんだ色に囲まれた廊下を、ランスは鼻歌を歌いながら車椅子を押して進んでいく。迎えた使用人らしき者が笑顔で敬礼し、ランスも朗らかに応えた。

 いくつかの扉を抜け、ひときわ豪華な扉の中に一歩足を踏み入れると、突如として華やかに広がる空間が目を奪った。
 そこはもてなしの場所のようだ。公爵家の伝統と誇りに輝いている。この家族の格と歴史の深さに敬意を感じた。

 温かみのある白い天井は高い。隅々まで施された植物を模した彫刻が、日の光によって生き生きと浮かび上がる。昼下がりの光を受けて、陰影が絵画のように映し出されていた。
 天井には照明器具がなく、彫刻の美しさがより引き立つ。壁や床に置かれた器具が、必要に応じて明るさを提供するのだろう。
 天井と同系色の布壁紙のふっくらとした質感は部屋に暖かみを与えている。
 その壁に飾られた風景画や織物は、豊かで自然な色彩を室内に持ち込んでいた。
 上質で手入れの行き届いた伝統を感じさせる家具が丁寧に配置されている。古めかしい風情がありながらも、部屋の空気は清潔で新鮮だった。

 ――部屋全体の主題は「糸を紡ぐ人たち」かな。

 風景画は「蔦糸つたいと」と呼ばれるクレイドーレ公爵領特産品の材料畑の美しい緑の広がりを描いている。
 天井の彫刻のモチーフはつるに茂る大ぶりの蔦の葉や、過去の糸紡ぎの歴史を盛り込んでいるようだ。
 領主が領民を育み、熟練した技術を重んじ、領地の恵みに感謝し領地経営する家風がうかがえた。

 この部屋を満たす繊細な雰囲気に親しみを感じた。学校や図書館で短く対話したとき、心に刻まれたクレイドーレ公爵令嬢の優しさと聡明さが、部屋の隅々に宿っているかのようだったからだ。

 彼女に見せてもらったハンカチの刺繍や布の扱いの技術は見事だった。
 シンプルな図案と触感を良くする工夫。この家に生きる者たちの内に蓄えられた深い思慮と繊細な情緒を反映しているかのようだった。

 ランスが得意そうに言った。

「祖母がその壁掛けの刺繍の一部をしたのだ。滑らかで、柔らかな光を反射して、どんな宝石より美しいと私は誇らしい気持ちを持っている。我が領地で取れる蔦糸は知っているね。さまざまな質感を生み出す自慢の特産物だ」
「素材を活かす見事な技術です」

 私たちは微笑んで、しばらく壁掛けを鑑賞した。

 ――私は技術者だから、つい、布のあしらい……刺繍の入れ方や配置・構図に目が行ってしまう。でも、きれいだな。見るだけで、心を癒やしてくれそうだ。

 この壁掛けを見るとき、隣に居てほしいひとが私にはいる。
 そう考えていた私は、ランスが重々しく説明を再開したのに気づいた。慌ててそちらに集中した。

「私は前王の異母兄のひ孫に当たる。私の高祖父はそのときの王の第一子に生まれながら、権力争いに敗れる。しかし、うまく生き延び、クレイドーレ公爵家を創立した」

 若い夫婦の肖像画を指差したランスは、それが自分の祖父母と説明し、その夫婦について話した。

「公爵家の二代目である祖父と結婚した祖母はデイグンド子爵位を持って嫁いできた。祖父母は隣接するふたつの領地を治めた。この部屋はその頃作られた祖母の応接室だ」

 私は高位貴族ならではの情報量の多い説明を頭の中で整理しながら、興味深く聞き入っていた。

「祖母が亡くなった後、デイグンド子爵位はクレイドーレ公爵家、つまり私が預かっている状態だった。それを今回、妹の命を救った功績へのねぎらいとして、貴方が継ぐ手はずとなった」
「はい」

 私は緊張した表情で答えた。いろいろと不安だったが、使命感が先に立った。

「蔦糸を紡ぐ技法は、実はデイグンド子爵家の秘伝なんだ。蔦糸は、その柔らかな光沢としなやかな手触りだけでなく、細く撚っても丈夫なことが特徴で、細かな細工を施す繊維製品に最適だ」

 私は目を輝かせた。知らない技術の詳細は私をときめかせる。

「その独特の色合いと質感により、公爵家領の職人たちが撚る糸や織る布を最高級の逸品にしてくれる。美しいだろう。私は見るたびに見とれるよ」

 そう説明したランスは、辛そうな表情をした。

「服飾仕事全般を祖母に教わり、手仕事を楽しむ優秀な弟子に育った妹が、デイグンド子爵家を継ぐことを家族全員が望んでいた。しかし、王命は回避できず、それは叶わなかった」
 
 この男に似合わない気弱で切なそうな雰囲気。私は静かに相槌のように言った。
 
「そうだったんですか」
「貴族は上の者の意向に添う政略結婚しかできない不自由な階級だ」

 改めて、フェリの不遇を思い、私も切ない気持ちになった。
 
 ――豪奢なシャンデリアが飾られた王立学校の王族用談話室で、彼女はどれほど居心地が悪かったろう。こんな本物の質の良い高級さに包まれて育ったのに、彼女が持つ豊かな内面は、殿下の玩具になることで痛めつけられてきた。

 美しい部屋を見渡して、決意を新たにした。

 ――これからは、彼女がもっと豊かな人生を送れるように、寄り添いたい。

 そんな私に、公爵はからかうような口調で声をかけた。

「まあ、ジェレミーさんは、お飾りの子爵だよ。これも政略結婚だからね。貴方は調律魔術の研究に邁進すると良いよ」
 
 反論しようとしたとき、侍女が入室許可を求める声が扉越しに聞こえた。
 許可を得た侍女が扉を開き、フェリが入ってきた。もうひとりの侍女が車椅子を押している。
 
 骨の折れた鼻のあたりの歪みと痛々しい腫れがむごたらしかった。場所が場所だけに、覆うのが難しいのだろう。

 その姿は私が生まれてから見たものすべてのなかで、いちばん美しかった。
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