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三日目(最終日)
◆
しおりを挟む「なんだ、その顔」
「何」
「そんなクマぁ抱えて、勝てると思ってんのか?」
目の前の霞んだライオンの顔に、ニヤニヤ笑いが浮かんでるのが見え、私は黙って階段を上がって行った。二階席まで落ちたとはいえ、梯子で上るより階段の方がまだ楽だった。その内に、檻の中に入っていく、同じく寝不足の彼女の姿が見える。背筋をきちんと伸ばした、紫色のドレスを着た、まるで王女のような身なりの彼女が。
「明日は、あの服で来てよ」
「あの服?」
私は恥ずかしさを堪えながら、何とか言った。
「あの、私とあなたが初めて会った時に着てた、あの服よ。私、あの服が好きなの」
前日、彼女に頼み込んだ、何年振りかの本気のお願い。王族に仕えるものが、王族より目立つ格好をするなどあってはならない。でも私は、王にすら見捨てられている、第九位の王族もどき。今更何を言われようとどうでも良い。
ヤルシンがゼニファーの後ろ姿を眺めながら言った。
「どうも、今日はあっちの姉さんの方が王族みたいに見えるな。どうしたんだ、その服? いつもの戦闘服はどうした」
私は席に着いてから、自分の服を見下ろし、言った。ヤルシンは何故かまだ一階にいて、腕を組んで私の事を見上げてきている。
「どうでもいいでしょう。急に奴隷の気持ちを知りたくなったのよ」
彼が口を開き、鋭い牙が見える。
「急にか」
私はぞんざいに頷きながら言う。
「急に、よ」
「そうか、それなら別にいい」
そう言いながら、ヤルシンは再び檻の中の彼女の様子を確認するように視線を投げかけた後、ゆっくりとした足取りで階段を登り始めた。彼の席のある、四階席の高さへと。
彼が階段を上がっていく度に、野蛮なギャラリー達の賑やかしがエクスの塔の内側に木霊していく。私は自分の着ている、斜めに掛けた薄い茶色の布の端を、ぎゅっと握り締めた。
階下を見やる。牢の内側で、捕えられた彼女が私を心配そうな目で見上げていた。でもそのクマの上にある瞳には、絶対的な信頼も宿っていた。私は彼女のことを見るのをやめ、透明な水瓶に目をやり、ギャラリーの賑やかしを聴きながら、間を見計らって天井を見上げた。
そこには、いざ『仮の』玉座に収まらんとする、大きな猫の姿の人間がいた。
ギャラリーは静まり返り、男は腰を下ろした。盤が私の所まで降りてくる。
私は水瓶をひっくり返し、駒を握った。
「休憩終了」
私は三日目、最初の一手を指した。
あの日の夜、私と彼女は話した。
確かにヤルシンは、本に書かれている棋譜通りに対局を進めてきていた。だが、私が打ったあの一手から先、次のページに書かれていた棋譜は、何も書かれていなかった。
その棋譜を見せながら、彼女は私に言った。
「あなたが指したあの一手によって、この棋譜に辿り着いたのです。勝敗付かずの、混沌の棋譜に。恐らくヤルシンも面食らった筈。今頃慌てて、いいえ、局面を見れば殆ど奴の勝ちです。でも、『呪い』の影響は届かない。あなたが勝てる可能性が、十分に残っているのです。
その為の作戦を練りましょう」
「分かったわ」
二人で練った作戦通りに、私は二日目に置いたアレクスの隣に、『砲台』を設置した。
「砲台?」
ヤルシンの驚いた声が頭上遠くから聞こえてくる。目が余程いいに違いない。私は指し終え、盤を離す。盤が音もなく上がっていく。
再び盤が降りてきた時、迷った末に指されたような場所に、工兵の駒が置かれていた。それは二日目に指していた城壁前の駒と似たような位置だった。
私は更に砲台を並べた。
上がってきた盤を見て、ヤルシンの口元は歪んだ。憎々しげに私の顔を見下ろしてきているが、私は知らん顔をしている。
戻ってきた盤には、業を煮やしたのか、城壁から強力な武将が広野に出てきていた。
私は黙って最後の砲台を置き、また盤を離した。
ヤルシンは何も言わず、今度見た時には他の将も城壁から離れ、アレクスの方へと歩き出していた。
私は思わず頬を緩め、そして、宣言をした。
「投了条件、変更。投了にはアレクスと砲兵両方の命を必要とする」
その後、私の砲台は、丁度真正面に位置している城目掛けて、弾を発射した。
中にいる将、王、女王達は皆、落命した。
「何がしてえんだ? そんなことをしても、お前の命はもうあと数手しかねえぜ」
私は頭上を睨み上げながら言う。
「私は別に勝ちに来たんじゃないのよ、『呪い』のヤルシン。私は、あなたの卑怯な『呪い』を打ち破るために来たのよ!」
「呪いだと? 笑わせるな嬢ちゃん。お望みとあらば殺してやるよ、今すぐにな」
そして、彼は一手を指した。
私がニヤッと口角を上げた瞬間、彼の姿は、私の目の前にあった。高速で落ちた座席の衝撃と理解のできない状況のせいで、彼は戸惑っていた。
何が起こったのか、まだヤルシンは分かっていないようだった。状況の把握の為に、慌てた様子で盤面を確認している。
私は彼に構わず、更に歩哨を砲台の周りに立てる。
「お前……ここに陣地を築くつもりか? よりによって、俺の城の前に」
「あなたの駒は全部出揃ってるじゃない? お城はとっても開放的で住みやすそうよ」
彼の出している駒は、どれも強力だった。余りにも強力過ぎた。その駒は確かに、一撃でいかなる将も討ち取ることができるが、その被害は後方にまで届いてしまう。
アレクスは最強の武将。今は王と女王の力を得たことで、どんな将の攻撃でも二撃までなら耐えられるようになった。そして、後方には彼の大事な大事な王と女王の住む城。砲兵とアレクスを同時に倒すには、将の力を全て出し切る必要があるが、もしそうした場合……後方の彼の城と王達はただで済むとは思えなかった。
「王と王妃は観戦するだけ、そんなんじゃつまらないでしょう。折角兵士達が血を流して戦ってるんだから、彼らにもその辛さを感じてもらわなきゃ」
ヤルシンは明らかに戸惑っていた。生まれて初めて、これからどう指していけばいいか、本気で分からなくなっていた。巨大な鬣に包まれた額には、幾つもの脂汗が浮かび、その顔は追い詰めている者の表情とはかけ離れていて、むしろ……。
「この棋譜は初めてだったようね、ヤルシン」
「俺が負ける訳がないだろう、お嬢様。どれだけ研究を積んだか知らねえが、俺は負けねえ。引き分けだって許さねえ。無敗のヤルシンは、絶対に『無敗』なんだ!」
そう叫び声を上げながら、彼の最強の武将が、アレクスと砲兵達の前までくる。私は今、目の前にいる、大粒の汗をかいている巨大な獣の顔を見た。その表情には最早余裕など微塵もなく、既にある者達と同じ顔色をしていた。
敗者達の顔色を。
「あなたが屠ってきた人達も、同じように感じていた筈よ。この呪いのゲームで、それでも熱心に研究を重ねてきた人達の努力を、あなたは別の力で踏みにじってきた。それが自分に返ってきただけなのよ、ヤルシン」
お嬢様……と声が聞こえた気がした。目の前のヤルシンから。いいや、階下の彼女の口から?
叫び声を上げるヤルシンの、鋭く光る爪を帯びた右腕が、自分の喉元へ向けて伸ばされてくるのを見た。
私は諦めて、目を瞑った。
「お嬢様!」
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