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二日目
◆
しおりを挟むその棋譜と思われる、何かが刻まれた石板を描いたもの。その図がそのページには描かれており、丁度それは、私とヤルシンがこの二日間で織りなした対局の結果そのままのものだった。
ページを繰って、遡ってみる。
どのページにも、はっきりと見覚えがある。一時的にヤルシンが私よりも高くなった時、私の脳内に初めて敗北の文字がよぎった時、一日目、ヤルシンが休憩を宣言する直前の状況。どれも見た事がある。似ているどころの話ではない。私とヤルシンはまるで、この本の中で闘っているかのようだった。
この時代に描かれている対局も、二日から三日をかけて為された物らしい。よく見ると、石板の右上に『二』の文字が刻まれている。古代の言葉だったが、私はメイル・ノウトの文献を調べるうちに、古代語の幾つかを習得していた。
近くにゼニファーが立った気配がした。
無言の私を尻目に、彼女は静かに口を開いた。
「メイル・ノウトは幾つかの棋譜を残しました。数少ない彼の、いや、彼女かもしれませんが、対局の記録。その一つに、お嬢様とヤルシンの対局が酷似しているのです」
そう言われて初めて、私は顔を上げて声を出した。
「でも、何故?」
彼女の表情が、何故か曇りを帯びたもののように見えたのは、気のせいだろうか?
彼女は答えた。
「何故? それは、何故お嬢様とヤルシンの対局と、メイル・ノウトのそれとが酷似しているのか、ですか?
それとも、どうして私がその事実を既に知っているのか、でしょうか?」
そのどちらもよ、と私は言った。言ったような気がした。何故か私の声が、急激に掠れてしまったかのように、自分にすら聞き取れなくなっていたから。
「……どうして、そのことを知っているの? それとも、途中で気づいたの? 私と奴が対局を進めるにつれて、何か……」
彼女は今は、私と対面に向き直って、静かに憂いのある眼差しを向けてきている。黙ったまま。何? 彼女に何があったの? いつもの彼女はどこ?
彼女は静かに話し出した。まるで死刑囚に死刑と祈りの言葉を口にする宣教師のように。
お言葉にするのは本当に心苦しいのですが、と、彼女はらしくもない台詞を吐いた。
「お嬢様が今回のようにお指しになるのは、私には初めから分かっていたのです」
私はその言葉を聞いて、胸から心臓が飛び出すぐらい驚いた。
私は言った。
「どういうこと?」
彼女は珍しく溜息を吐き、話し始めた。
「事は、対局前に遡ります。
ある日、ある男が王宮を訪れました。その男はヤルシン。戦闘力と知性に秀でた餓狼族の、ジャガコンガにおける『無敗』の称号を持つ大男でした。その男が王宮に来るなり、言ったのです。この王宮にいる王女達を一人一人、なぶり殺しにしてやる、と。
当然、その場で取り押さえられるかに思われましたが、ヤルシンは衛兵の剣をいとも簡単に交わし、王の面前まで来ると、『それを避けたければ、ジャガコンガを指せる者を一人、連れてこい。この国に一つだけある、あの賭博場だ』と言い放ったのです。
その後ヤルシンは兵士たちの追跡を逃れ、広大なカナンの街に姿を暗ませました。そうして、一部の王族達と、国王と女王陛下は、頭を悩ませることとなったのです。
ジャガコンガは野蛮な者たちの間で流通する、下等な博打用娯楽。上達すればする程盤の数が増えていく特殊な競技で、闇のトップランカーとの勝負ともなれば、並大抵のプレイヤではとても刃が立たない。無惨に殺されるだけです。
悩んだ末に、王は一計を案じました。一人の頭の切れる、失っても痛くない王女を一人、プレイヤに仕立ててしまおうと。例え負けたとしても、その者の命を差し出せば、他の王女達の命は助かるかもしれないと。
……ジャガコンガは、若ければ若いほど上達が見込める競技。そこで白羽の矢が立ったのが、セシルお嬢様だったという訳なのです」
ゼニファーは静かにそう言ったが、私の頭は理解が追いつかなかった。ただただ呆然と聞いていることしか出来なかった。
白羽の矢が立った? 何が? 私に? ジャガコンガは……。だって、私は……。
彼女は静然とした口調で、さらに続けた。
「私は故あって、ジャガコンガに精通していたこともあり、その事を知った国王陛下は、私に、なんとしても王族の中から、ジャガコンガの腕の立つ者を一人作り出すようにと、そう仰せになりました。
幸い、最も頭の切れ、女王候補から最も離れた第九位のお嬢様が、自らジャガコンガに興味を持たれ、既に幾つもの研究を重ねておられましたから、私はその日が来るのを待つだけで良かったのです。お嬢様がジャガコンガのプレイヤとして成熟しさえすれば、あの無敗のヤルシンでさえも倒してしまうかもしれないと、大抵の者達はそう信じておりました。ですが実際のところ、本当に信じていたのは、私だけだったのでしょう」
自然と、私の視線は下に落ちていた。自分の両手が、細かく震えているのが見える。
「私が……自分から始めたと思っていたジャガコンガが、実際は、ヤルシンと勝負する為に必要なことだった、ってこと?」
「その通りでございます。お嬢様」
「その通り、じゃないわよ! だったらどうして、何も言わなかったの? あなた、私がエクスの塔であなたを賭けの道具にして、何人もならず者達と戦うのを、見てたでしょう? まだ私が、弱い時に! ……それとも、私が絶対に途中で負けたりしないように、対戦相手もでっち上げてた訳?」
彼女は視線を逸らした。
「お嬢様は時折、奇妙なことを仰います。私が何でもかんでもご用意できると思っていたら、大間違いですよ」
私は声を張り上げた。
「でも! もしヤルシンと闘う前に私が負けていたら、どうするつもりだったの? あなたも私も、奴隷になっていたかもしれないのよ? 目的の男と闘う前に!」
「私は」と言うと、ゼニファーは本棚の方に身を向けて、闇に包まれている古い本達を見つめていた。
「私はただ、あなたが負けるとは全く思っていなかった、というだけです」
私は立ち上がり、ゼニファーの左肩を掴む。思っていたよりもずっと華奢で、薄く骨ばっていた。無理やりこちらに向き直らせる。
彼女は少しばかり驚いた表情を見せていた。
「私が負けていたら、あなたも奴隷にされていたのよ? あなたを賭けの道具にしたのは、私なのよ? どうしてそこまで信じられるのよ! 私を!」
「お嬢様のことを、ずっとお側で見て来たのは、私ですから」
華奢な肩が、少し震えた気がした。私は目を伏せていて、何故か彼女の瞳を見返すことができなかった。
彼女の静かな、しかしか細くすら聞こえてくる声がした。
「私は、あなたが勝つといつも信じていました。時折見え隠れする傲慢な側面も、あなたが王宮のありとあらゆるジャガコンガの書物を読み漁り、棋譜を自分で並べ、研究を重ねてきた、その王族らしからぬ泥臭い努力の裏返しであると知っていました。ずっと見て来ました。
あなたが折れない限り、あなたが負けることは絶対にないと、私は陰ながら、ずっとそう信じてきたのです。
……現に、負けなかったでしょう?」
私はまだ顔を上げる事ができなかった。私は言った。
「……実際、ジャガコンガをプレイしていて分かったわ。あのエクスの塔で唯一と言っていいほど優遇された競技、ジャガコンガが、一体誰によって統治されているのか。いつも最上席に陣取っていた、化け物みたいな大男が、私のプレイを、私自身のことをずっと見て来ていた。あの男が、親玉なんだって、ずっと前から分かってた。
……でも、分かってなかったのは私だけだったのね。あの男も、あなたも、私がいずれあの男に挑戦するんだって、知ってたのね。
王は……父上は、私の事を死んでもいい対象にしてるって、言ってたわね」
静かな肯定の気配がした。頷くようなその気配だけで、今の私には十分すぎる程に、色々な事が伝わってきた。
「……じゃあ、もう、心置きなく、自分だけの為に闘えるわね」
「……ええ、お嬢様」
私が顔を上げた時、そこには自信満々な、明るい彼女の表情があった。いつもの優しげな、彼女の顔が。
「では、勝つ為のお話をしましょう」
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