瞼が閉じる前に

一歩

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予兆

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 誰かに肩を強請られて、目を覚ました。

 部屋の中は、相変わらず、夜の闇の中に沈んでいる。

 妻が、僕の傍で不安げにこちらを覗き込んでいる。

「どうしたんだ?」僕は言う。

 妻は、振り乱した髪を直そうともせず、僕の腕を握り、小さく震えながら、言った。

「下にパトカーが止まってるのよ。この階の人だわ。多分」

 僕は驚いて、窓の方を見遣り、カーテンを捲る。確かに下に、警戒灯を回しているパトカーが数台止まっていた。

 僕は妻に向き直って、聞く。

「なんで、この階だと分かるんだ。他の階の人かもしれないだろう」

 妻は、その時初めて気がついた。蒼白の顔で、小刻みに震えている。一気に年をとってしまったかのように、生気の失せた顔をしている。

 僕は華奢な妻の肩を抱き、大丈夫と、言い聞かせた。

「僕らじゃない。僕らは別に、悪いことなんでしていない。捕らえられるようなことなんてないんだ。安心していい」

「点火士の仕事は?」

 妻が余裕のない声で聞く。

「あなた、不自然な辞め方をしたじゃない。それはおとがめなし?」

「辞めるにも辞めないにも、不自然なことなんて何もないよ。大丈夫さ」

「じゃあなんでパトカーが来ているのよ」

 僕は玄関を見ながら、言った。人の気配はなく、いつも通り、小さくて、静かな玄関だ。

「あれは君が言ったように、他の人の家さ。何か、あったんだろう。よくない事だろうけど、じき収まるさ。……今は何時?」

 妻は僕の傍の時計を見て、頷きながら言った。

「まだ……二時半ね。午前の。暗いから、分かりにくいのよね、そう、それで私、朝の夢を見て、朝陽が綺麗で、鳥が鳴いてるの。それで……」

 僕は玄関に目を凝らし、妻の口を掌で塞いで言った。

「しっ。静かに。……誰かが歩いてる」

 誰かは歩くでしょう、と、妻が言っているのが手のひら越しに伝わってくるが、僕は黙っていた。

 玄関の外から、複数人が話し合いをしているような気配が伝わってくる。殺気だった気配。平穏な静寂を、今にも切り裂き破壊しそうな予感。

 僕は妻をその場に残し、音を立てないように歩いて、洗面所に向かった。

 扉を開け、あの錠剤を取り出す。ポケットの中に仕舞い、そして、洗面所の下部のボタンを押して、小さな扉を開かせた。

 その中にあった物を取り出し、妻の元に戻ってきた時、妻は思わず大きな声で囁いた。

「どうしてそんな物がうちにあるのよ!」

 僕は答えず、窓の外を見る。

 どこから集まってきたのか、野次馬のような連中がパトカー越しにこのマンションを取り囲み、群れを作っている。写真を撮っているものもいれば、互いに顔を合わせて会話している者達もいる。

 僕はそこで、これは自分達のことではないと悟った。彼等の視線が、自分のいる部屋の高さではなく、もっと遥か上に向けられている事に気付いたからだった。

 僕は取り出したモノを背中のズボンの隙間に差し込み、慎重さを保ちながら、玄関へと向かう。

 そして、一度大きく息を吸い、吐いた。少し、心が整う。

 僕は意を決して、扉を開けた。


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