瞼が閉じる前に

歩夢

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帳倶楽部

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 店は狭く、店内に所々に設置されている暖色灯が、目の頼りだった。

 お世辞にも掃除が行き届いているとは言えない店の中で、埃と紙の匂いが鼻の奥を刺す。

 一人だけいる、店員であり、店主でもある老人が、私達の事をカウンターの陰から、眼鏡越しに見つめていた。外にいる時からその視線は感じていたが、僕は顔には出さなかった。

 老店主は例の新聞を広げていた。

「こんにちは、ホンダさん」

 男はにこやかに微笑み、ホンダと呼ばれた店主に声をかけた。店主もまた、微笑み返し、嬉しそうな顔で答えた。

「ああ、来たね。表に置いてある方はいいのかい? まあ、安いもんしかないが」

 男はちらっと僕を透かして表を見たようだったが、やがて答えた。

「まあ、あちらはまた今度ということで。今度機会があったら、買っているかも知れない」

「買わないも買うも、客の自由。私は干渉致しませんよ。ごゆっくり」

 例の新聞の中に、老店主は顔を埋め、僕の角度からは見えなくなった。

 男は僕を振り返り、あの油断のならない瞳で見つめると、言った。

「じゃあ、各自好きなように見て回るという事で」

 僕は男から離れ、一人、いつもとは違った重苦しい気分で、本を眺めていった。

 別にラインナップに大きな変化はないようだった。

 だが、先程のワゴンの件もある。少なくとも前回見た時には、あんな本は置かれてはいなかった。

 嫌な気分がまた戻ってきたので、僕はあまり意識しないようにしながら、本を巡っていった。

 本棚を巡る内に、一冊の本の前で、目が止まった。
 僕は何故か辺りを警戒しながら、周囲を見回し、安全を確認してから、手に取る。

 古い文学作品だった。僕のよく読んでいる物の、更に古い時代の物だ。

 僕は主に娯楽ものの文学作品を読んでいて、これもその仲間のように思えたが、どうも毛色が違っているようだ。

 出版年が遥か彼方の年数で、ここに残っているのが不思議な程のかけ離れた古さだった。

 状態もそこまで悪くはない。珍しい、宝のような本で、僕はこれを買わずにおかずにはいられないだろうと思った。

 僕は本を手に持ち、カウンターに向かう。

 老店主が顔を上げ、油断なさげに僕の方を見た。僕は本をカウンターに上げた。

「これをお願いします」

「かしこまりました。袋はいるかね?」

 僕は一瞬考えたが、大丈夫と断った。

 帰りに読むかも知れない。別に手で持って帰っても良かった。

 男が傍から手を伸ばし、「僕はこれを」と言った。見ると、『拷問と心的経過について』と書かれていた。

 僕は自然と、男の横顔を見つめる。男は振り向かなかった。

 老店主は慣れた手つきで会計を済ませると、僕に本を手渡し、「大切にね」と言った。

 言われなくても、僕はこの本を大切にする事だろう。少なくとも、生きている間は。

 老店主は男には何も言わず、本を手渡し、それから小さく微笑み、また新聞に戻っていった。

 僕と男は、本屋を出た。

 全き夜の、偽物の光が、相変わらず世界の事を間断なく照らし続けている。

 僕は振り返り、男が僕に目を合わせてくる。

 僕は無言で男を見つめていたが、男は余裕を込めた笑みで、僕に言った。

「また会う機会があるでしょうか。点火士さん」

 僕は首を振り、無言で背中を向けた。

 もう会う事はない気がした。

 会うべきではないことも。そして、出会う事があるとしたら、それはもっと、僕にとって不味い事が起こった時であるだろうと思った。

 遠くでサイレンが鳴り、徐々に大きくなり、離れていく。

 男も今は、僕から遠く離れている事だろう。

 駅の改札を通る時、男の顔が誰かに似ている気がして、ふと立ち止まる。

 新聞の見出しに、男の顔がなかっただろうか。

 気のせいだと思い直して、僕は改札をくぐり抜けた。

 駅は閑散としており、僕は簡単に、帰りの電車に乗る事ができた。


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