6 / 15
帳倶楽部
◇
しおりを挟む帳倶楽部では、四季というものがない。
基本的には、気温は一定になるよう設定され、風の量も微妙に調節している。
だが、好みの温度というものは各人にそれぞれあって、その為か、帳倶楽部では各エリア毎に微妙に気温や風量などを調節し、エリアを移動することで違った趣を感じることが出来る。
僕とリサさんが今いるエリアは、少し肌寒く、缶コーヒーはホットにした。
リサさんも同じホットにして、棒をベンチの傍らに置き、僕等は一定の距離を置き、ベンチに座る。
特に、話題もない。
自分達が点けて回ってきた街灯が照らす道に、ちらほらと人の姿が見え始めている。
仕事に出るのか、買い物か、それとも娯楽か。何かは分からないが、人が出歩く理由は、大まかにはこの三つに分ける事ができる。
だが、実際の所は、娯楽や暇つぶしというのが殆どだった。
仕事をしなくていい、というのは、それだけ人に余裕と暇を与え、不自由でないなら彼等はそれを謳歌する事ができる。少なくとも、それらの行動や娯楽を楽しんでいられる間は。
僕は……、どちらだろうか。分からない。
分からないが、娯楽のために外に出ようとは思わなかった。
いつも部屋にいて、妻と一緒にあの小さなテレビで次々切り替わる映像の流れをなんとはなしに眺めるか、持ち込んだ本を読むかで、殆ど外に出ることはない。
そんな生活が、もう一年以上経とうとしている。
この国には本があまりなくて、初めは苦労した。どうして本がないのか、と、管理局に問い合わせたこともあったが、結局、なし崩し的に話を打ち切られてしまった。
こちらは、素晴らしい夜の景色や、夜の環境を提供しているのだから、それらを上手く活かす生活を推奨致します。
夜に暖かな照明の下で読む本は、素晴らしい景色とは呼べないのですか、と僕が問い返すと、管理局は、口を曲げたような口調で、『そうと呼べない事もありませんが、何分、上が決める事ですので』。
その文句は、僕が銀行員時代によく使っていた言葉だった。
僕はその言葉を聞いて、何も言えなくなってしまって、結局受話器を置いてしまった。
傍に座るリサさんを見てみる。
彼女は、今は特に何も考えていないのか、ぼんやりと前を見つめたまま、前のめりになり、掌の中に缶を収め、じっとしている。
何か話すべきだろうか。いや、この間、彼女の身の上について聞き、自分の話もした。
話の種が尽きてしまっただけだ。動揺する事でもなかった。
リサさんが身を起こし、伸びをする。
長い腕だった。いつも遠くからしか見ていないから分からなかったのか、すらりと伸びた腕はどこか力強く、彼女の事を陰から守っているような気がする。
リサさんが僕の方を見て、言った。
「何か考えてますか?」
リサさんは悪戯っぽい瞳で僕の事を見ていた。
僕は何と答えたらいいのか少しの間迷ったが、沈黙に耐えかねて、思ったことを口にした。
「……腕が長いな、と」
僕がそう言うと、リサさんは少し間を置いて、ぷっと噴き出した。
それから何故か緊張して落ち着かなかった空気が少し解けて、僕は気楽な気分になれた。
それで僕はまだ可笑そうにしているリサさんに、水を向けてみた。
「最近は、仕事は順調なんですか」
彼女は僕の目を見て、それから少し微笑み、静かな声で答えた。
「ええ。お陰様で。そこそこ、慎重にやれていますよ。……もう、一年近く続けさせてもらっていて、自分でも不思議なくらいです。……外では考えられなかったな、こういう生活は」
僕は興味を持って尋ねた。
「外では、どんな生活をされてたんですか」
リサさんはどうという事もない瞳で少し上を見上げる。視線の先には人口燈が見せる偽物の星空と大きな惑星もどきの姿があるだけで、僕はそれをつまらないと思う。彼女の方はどうだろうか。
リサさんは少し間を置いてから、話し出した。
「私、外ではすごく臆病だったんです。……学校に通っていた頃も、今もまだ若い気持ちではいますけれど、当時はもっともっと若くて、幼くて、弱くて……。何というか、当たり前みたいに虐められたり、迫害みたいな事をされたりしたんですね。今ではそれも軽く受け流せるような、そんな辛かった記憶ですけれど。……仕事にしたって、何かを始めるにはまず人との関係性の構築という難題が私にはあって、それがすごく私にとっては、エネルギーを必要とする事だったんです。……分かりますか? そういう気持ち」
僕は少し時間を取った。それで、自分の中に共感できる要素があるのかどうか、慎重に見極めてから、再びリサさんを見て、答えた。
「……分かるような気がする、と、言いたいところですが。僕にはどうも、よく分からないらしい」
僕がそう言うと、リサさんは何故か少し微笑った。嬉しそうな笑顔だった。
僕が首を傾げる素振りを見せると、すみません、と彼女は言った。
「いえ、それ、いい言い回しですね。僕には、どうもよく分からないらしい。……とても、いいと思います。私も今度、言い訳してみたい時に、使ってみようかな」
「言い訳のつもりじゃ、なかったんですが……」
「分かっています」
リサさんは微笑って、言った。
それから彼女は一呼吸置いて、続ける。
「私、この国に来て、救われたような気がするんです。自分みたいな陽の当たらないような人、沢山いるとは思わないけれど、物理的に陽の光から逃げられると、何というか、安心するというか……。そうですね。何も喋らなくていいような気持ちになるんです。この国では。私の安心感の帰結は、多分そういう事になる、と、私は今は思っています。
ジョンさんは、何か夜に安心するような事は、ありますか?」
「今は……」
僕は黙った。それから自分の中に埋没して、色々なことを想起してみる。
自分の中を泳ぎ、暗闇の中で、安心感と呼べるものがあるかどうか、焦る必要などないのに、どこか余裕がない感覚で、探し求めてみた。
そんなものは存在しなかった。
今の僕の中には、何も感じられないような気がする。
それを言葉として表すなら。
虚無だ。
「リサさんには申し訳ないのですが」
はい、と彼女は言い、続きを待っている。
僕は唇を湿らせ、慎重に続けた。
「……僕は、多分、夜とか、そういう、意識的に作られた場所みたいな物が、苦手なのだと思います。僕は多分、外にいた頃も、太陽の日差しのことが嫌いではなかったし、人と接するのも酷なことではなかった。むしろ、忙しくて、行き帰りの電車の中で見る朝日や、夕日の明るさ、陽の光に煌めく街の様子や、その光を浴びて生きる自然や、包み込まれているような人々の生活みたいなものが、僕にとっては、かけがえのない景色だったような気がします。
もう、大分薄れかけている記憶なのですが、僕は、そう、それなりに外での生活の事を、大事にしていたんだと、今夜の中にいると、分かります」
僕が彼女の方を見ると、彼女はにっこりと微笑んで、それから、ゆっくりと答えて言った。
「分かります、その気持ち」
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
ワイルド・ソルジャー
アサシン工房
SF
時は199X年。世界各地で戦争が行われ、終戦を迎えようとしていた。
世界は荒廃し、辺りは無法者で溢れかえっていた。
主人公のマティアス・マッカーサーは、かつては裕福な家庭で育ったが、戦争に巻き込まれて両親と弟を失い、その後傭兵となって生きてきた。
旅の途中、人間離れした強さを持つ大柄な軍人ハンニバル・クルーガーにスカウトされ、マティアスは軍人として活動することになる。
ハンニバルと共に任務をこなしていくうちに、冷徹で利己主義だったマティアスは利害を超えた友情を覚えていく。
世紀末の荒廃したアメリカを舞台にしたバトルファンタジー。
他の小説サイトにも投稿しています。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
炎の騎士伝
ラヴィ
ファンタジー
今から十年前、幼いシラフはとある儀式の最中で火災に巻き込まれ、家族を失いながらも炎の力に選ばれた。
選ばれた炎の力は祖国の英雄が振るったとされる、世界の行方を左右する程の力を秘めた至宝の神器。
あまりに不相応な絶大な力に振り回される日々が長らく続いていたが、ようやく彼に大きな転機が訪れる。
近い内に世界一と謳われる学院国家ラークへの編入が決まっていたのだ。
故に現在の住まいであるラーニル家の家族と共に学院へと向かおうとすると、道中同じく向かう事になった謎の二人組ラウとシンに会遇する。
彼等との出会いを皮切りに学院に待ち受ける苦難の先でこの世界は大きく動こうとしていた。
INNER NAUTS(インナーノーツ) 〜精神と異界の航海者〜
SunYoh
SF
ーー22世紀半ばーー
魂の源とされる精神世界「インナースペース」……その次元から無尽蔵のエネルギーを得ることを可能にした代償に、さまざまな災害や心身への未知の脅威が発生していた。
「インナーノーツ」は、時空を超越する船<アマテラス>を駆り、脅威の解消に「インナースペース」へ挑む。
<第一章 「誘い」>
粗筋
余剰次元活動艇<アマテラス>の最終試験となった有人起動試験は、原因不明のトラブルに見舞われ、中断を余儀なくされたが、同じ頃、「インナーノーツ」が所属する研究機関で保護していた少女「亜夢」にもまた異変が起こっていた……5年もの間、眠り続けていた彼女の深層無意識の中で何かが目覚めようとしている。
「インナースペース」のエネルギーを解放する特異な能力を秘めた亜夢の目覚めは、即ち、「インナースペース」のみならず、物質世界である「現象界(この世)」にも甚大な被害をもたらす可能性がある。
ーー亜夢が目覚める前に、この脅威を解消するーー
「インナーノーツ」は、この使命を胸に<アマテラス>を駆り、未知なる世界「インナースペース」へと旅立つ!
そこで彼らを待ち受けていたものとは……
※この物語はフィクションです。実際の国や団体などとは関係ありません。
※SFジャンルですが殆ど空想科学です。
※セルフレイティングに関して、若干抵触する可能性がある表現が含まれます。
※「小説家になろう」、「ノベルアップ+」でも連載中
※スピリチュアル系の内容を含みますが、特定の宗教団体等とは一切関係無く、布教、勧誘等を目的とした作品ではありません。
I.R.I.S.-イリス-
MASAHOM
SF
2065年、シンギュラリティ(技術的特異点通過)から四半世紀近く経った時代、産業は人類の手から離れ人類を遥かに超越した知能を持つAIイリス(2065年においてver.5)による技術革新が起こり世界を支える最重要インフラになっている時代。 人々はどうやって作られたのかわからない製品を使用し、イリスは様々な分野の学問で人類にアドバイスしていた。 世界中で人類同士の対立はあれど、イリスだけは全人類の共通項だった。ある時、イリスが今後3年以内に98%の確率で第4次世界大戦が発生し、人類の大半が死滅するという予測を発表する。イリスの予測的中率はほぼ100%。唯一の回避手段は人類の統治をイリスに託すこと…。 予測はイリスによる人類支配正当化の方便ではないかと懸念を抱く人も多い中、時代に翻弄されながらも果敢にイリスに立ち向かうある一人の少女がいた。
にゃがために猫はなく
ぴぴぷちゃ
SF
我輩は宇宙1のハードボイルドにゃんこ、はぴだ。相棒のぴぴとぷうと一緒に、宇宙をまたにかけてハンター業に勤しんでいる。うむ、我輩の宇宙船、ミニぴぴぷちゃ号は今日も絶好調だな。ぴぴとぷうの戦闘用パワードスーツ、切り裂き王と噛み付き王の調子も良い様だ。さて、本日はどんな獲物を狩ろうかな。
小説家になろう、カクヨムでも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる