瞼が閉じる前に

歩夢

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帳倶楽部

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 全き夜がこの限られた世界を塗りつぶしている。

 小さな部屋の一室で、妻と僕とが一つのベッドで眠っている。

 僕は落ち着かない気分で目を覚まし、傍の目覚まし時計に触れ、画面を点灯させ、時刻を確認する。

 午前零時。多くの生き物が活動を停止し、反対に多くの生き物が新たに生じ、活動を始める時刻。

 傍で眠る妻は、平穏な表情で涎を垂らしてさえいる。

 僕は一つため息をついて、ベッドから降りる。

 スリッパを履き、真っ暗な部屋の中を横切り、台所に向かう。

 青い灯りがカーテン越しに家の中に入ってきている。その光は闇の中ではあまりにも強く大きく、家の中を細部までくっきりと映し出してしまっている。

 僕はシンクの淵に手をかけて、水道の蛇口を捻る。

 濾過された綺麗な水が、清浄な美しさを伴って流れ落ちてくる。僕はその一部を片手で掬い、徐に顔に塗りたくった。

 ……冷たい。冷たかった。それはまさしく僕がまだ、生きている証と言えた。

 僕の頬から少しずつ透明な冷たい雫が降りているのが分かり、それがどうということでもない事も承知している。

 僕が毎日この国の中で繰り返している、平穏そのものの日常生活と同じように、何事もなく、正常だ。

 ふと、窓の外から大きな音が聞こえてくる。

 パトカーのサイレンの音だ。それも複数の。

 けたたましく深夜零時の街の中を轟音で切り裂きながら、あの白い車は何者かを捉えようと走り抜ける。

 その意思に疑いはなく、行動の中に迷いを感じさせる余地など微塵もなかった。

 徐々に音が遠ざかっていく。と、思っていたら、やがてサイレンは突如として鳴り止んだ。

 例の誰かは無事捉えられ、恐らくは今日は留置所で朝を迎えることになるのだろう。

 陽の登らない朝を、時計が示す時間だけを頼りに、確認して。

 巨大なドームに覆われた、『帳倶楽部』では、朝陽が登ることはない。

 太陽の光は、とうの昔に、夢の中の産物と化してしまった。

 僕は蛇口を捻り、出しっぱなしになっていた水を止め、洗面所に向かう。

 部屋の奥で眠る妻の姿を確認して、洗面所に入り、棚の一部を開け、それを取り出した。

 に頼らなければ眠れない日が、本当に多くなってきた。

 僕は黙って錠剤を呑み、舌の上で溶かした。

 するとまどろみが突如として訪れ、目の前の退屈で陰鬱な現実から自分を突き放してくれた。

 よろけながら部屋を横切り、妻の傍らに戻る。

 ベッドに仰向けになり、瞼の上に手を乗せ、眠った。

 遠くでまた、サイレンが鳴っているのが聞こえてきた。


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