機械の国の異邦人

一歩

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少年

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 読む前から、僕は意識のどこかで、これが誰からの手紙なのか既に分かっていたような気がする。その手紙の畳み方や封筒の持っている雰囲気で、僕は既に察していたのだ。

 花澤 カレン。

「花澤 カレンって人から。知ってる?」

 僕がそう言うと、ガイルの顔から見る間に血の気が引いていった。目は見開かれ、信じられないとでもいうような目で僕が持つ紙を見てきている。

「ねえ、大丈夫?」

 紙をひらひらとさせながらもう一度聞くと、ガイルは瞬きをして「ああ」と言い、大丈夫だ、と言い、それからそっぽを向いてしまった。その時何かぶつぶつと呟く声が聞こえたが、何を言っているのかまでは分からなかった。

 僕は改めて紙を読んでいく。

 読み進めていく内に、どうやらこれは僕が読むべきものではないようだと思うようになった。

 花澤 カレン。どこかで聞いたことがあるような気がするけど、何だったかな。

 ガイルに渡す前に少しの間記憶の闇を探ってみたけれど、それらしい情報が見当たらなくて、すぐに諦めた。

 立ち上がって、ガイルに紙を渡す。

「これ、多分君宛だよ。僕じゃない。どうしてここに届いたんだろう?」

 ガイルは始め、受け取ろうとはしなかった。時間が経ってから、漸く伸ばされたその指は細かく震えていて、躊躇っていた。僕は最後の方に、押し付けるようにしてガイルに紙を渡した。

 ガイルは震えを隠すようなゆっくりとした動作で、紙を胸の前に持っていき、それから読み始めた。

 僕はガイルの読んでいる姿を見ながら、コップに入ったお茶を飲んだ。彼の横顔は血の気が引いていて、とてもまともには見えなかった。

 それを遠くから見ている僕ーー彼の頭の中では今、どういう動きが繰り広げられているのだろう? 驚き、欺瞞、喜び、悟り、そしてーー後悔?

 暫くして、ガイルは紙を折り畳んで僕の方に差し出した。僕は身を乗り出してそれを受け取り、もう一度開いて目を通した。と言うよりも、目を通す振りをした。視線はガイルの方に向けていた。

 ガイルは目を扉の方に向けて、投げやりな雰囲気を纏っていた。苦々しい色を口元に浮かべ、見聞きしたことを後悔した者の顔をしていた。

 目を落とし、文を読む。綺麗な字で、何故か少し濡れた後のようにたわんでいた。

『久しぶり。叔父さん。カレンです。覚えてますか? 私は覚えてます。忘れることなんてできないから。

 あなたが私達家族の元から、そして『箱庭』から外の世界に逃げていって、十数年が経ちました。ポチが死にました。母さんが部屋の隅で仏壇の前から離れなくなったり、まともに話すこともできなくなったり、色々ありました。

 今、私は高校生です。と言うより、かつてはそうでした。

 私は故あって、今はあなたと同じ身分です。そう、あなたがかつて残していた飛行機、旧式の、あれ、確かプロトタイプだったんでしょう? 一度だけ帰ってきたあの日、あなたが唯一残していった、物。それを駆って、私は日常から空の中に逃避してた。

 色々あって、私達の住んでいた箱庭は水没することになった。言わなくても分かるよね? そういうシステムになってるんだって、私は最近知ったけど。私の家も学校も、友達の家も皆沈んだ。

 雷の壁が薄くなっていて、そこから叔父さんの飛行機で外の世界に初めて出たんだ。丁度機械都市カザンが隣国アロディ国に攻め入っている所で、タイミングは最悪。飛行機は目立つからすぐに標的にされて、私は必死で逃げ回った。さすが機械都市カザンの飛行機って感じ。

 で、今は色々あって、手紙があなたのいる所に届くように手配できたの。あなたが今どこで何をしてるのかは分からないけど、場所だけは分かるって。物理的にしか送れないから、手紙にしたんだ。どういう形で届いてるかは分からないんだけど。

 こっちは女王統治歴……いや、もう書き直すのも面倒だからそのまま書くけど、もうそろそろこの暦も使われなくなると思う。女王が不在になるからね。詳しくは言えないけど。

 叔父さん、時の網にかかったんだってね。ある人が教えてくれたんだ。この手紙を送ることを提案してくれた人なんだけど。意外にドジだよね、叔父さんって。私と素麺食べた日のこと、覚えてる? 飛行機の操縦、少しだけ教えてくれたよね?

 私、今、やらなくちゃいけないことがあるんだ。大事なことなの。

 で、もしかしたら叔父さんの力も借りなきゃいけなくなるかもしれないと思ったから、こうして連絡した。

 飛行機、壊れたらしいね。ある人が教えてくれた。

 とりあえず、群青 茜っていう子を探して、その子の親戚に昔飛行機を作ってたっていう鍛治師がいるらしいから、その人に頼って。もしかしたらこの手紙、その子の所に届いてるかもだけど。

 この世界、色々あるけど、とりあえず死なないでね。

 また会える日が来るのを願ってる。

 花澤 カレン』

 読み終えて、ガイルの方を見る。ガイルはまだ扉の方を向いたままだ。手紙の余韻がまだ彼の中で続いていて、苦しいのか、表情も硬いままで、拳が強く握られている。

 僕は手紙を封筒の中に戻して、言った。

「ねえ、ガイル。花澤カレンって、誰?」

 彼はゆっくりと振り返り、僕の方を見た。その眼はギラリと鈍い光を放っていた。

 唾を飲み込みながら、僕はただ待った。

 そして、沈黙を続けていた彼が、ついに下を向いて、何事かを呟いた。逃げられんか、と聞こえた気がする。

 ガイルが顔を上げ、言った。

「こいつは、俺の姪だ。遠い国に置き去りにしてきてしまった、俺の……大事な、家族だ。詳しくは、話す気にはなれんのだが」

「それなら、別にいいよ」

「……そうか」

 僕は彼から目を逸らした。彼女の手紙の中で、気になる単語がいくつかあって、僕はその事も気になっていた。

 沈黙が流れる。時計の針が進む音だけがやけに大きく聞こえ、僕は耳障りに感じ始めていた。

 花澤 カレン。花澤 カレン……

 反芻していて、僕は思い出した。

「あ」

「あ?」

 僕は手を振り、ガイルに何でもないと身振りで伝え、それから机に肘をついた。
そうだ。図書館から借りた本に、彼女の名前があった。確か花澤 カレンで合っていた筈。でもそれは、空飛ぶ機械で旅をすることを禁ずる本で、禁忌を犯した存在として記されていたような……。

 何にせよ、もう一度彼女について書かれていた本を読んでみた方が良さそうだ。明日あたりに、図書館に行ってみよう。

 ガイルは……。

 ちら、と見ると、まだ彼は暗い顔で扉の方を眺めている。拳は解かれているが、依然として沈んだ雰囲気を漂わせている。

 僕はなるだけ明るい声を心がけながら、彼に向けて言った。

「……もし帰るなら、この手紙にあったように、茜の親戚に任せた方が良さそうだね。昔飛行機作ってたって書いてあるし、きっと上手くいくよ」

 僕が話している間、彼は身動き一つしなかったが、それでも暫くして、「そうだな」と言って、そのまま寝転んでしまった。どうやら布団も敷かずに寝るつもりらしい。

 どうしたものやら。彼から世界やこの国のことについて詳しく聞くつもりが、予想以上に面白い事になってしまった。

 布団を敷くために彼の所に行くと、彼はすうすうと微かな寝息を立てながら、丸くなって静かに眠っていた。余程疲れが溜まっていたらしい。酒の影響もあるだろうが。

 僕は小さく軽い彼の体をころんと横に転がして、彼の布団を敷いた。彼をその上に転がして、掛け布団をかけてやる。丁寧にしてやる必要はないだろう。

 その横に自分の布団を敷いて、電気を消した。

 気づけば十時を回っていたが、別にどうでも良かった。宿題が出ている訳でもない。明日茜に色々と話をしなければいけないのが少し面倒だということぐらいだ。

 隣から、小さな囁くような寝息が聞こえてくる。間断なく伝わってくる、生の気配。

 僕は考えるのをやめて、目を閉じた。

 遠くで雷が鳴る音が聞こえた。


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