23 / 27
靄
○
しおりを挟む
可憐と私には、思えばそれほど共通点と呼べるものは多くない事を、私は既に知っていた。
可憐は甘い物が好きだが、私は辛い物が好きだ。
可憐は刺激的な音楽を好むが、私は穏やかな音色が好きだ。
可憐の家は円満で、母親も父親も仲が良く、一匹の大きなゴールデンレトリバーを飼っている。
私は昔、森で出会った傷付いたリスを助け、密かにガレージで飼っていた事があったが、元気になると一人で抜け出て、野生に帰っていった。
可憐は友達が多い。皆可憐の事が好きみたいだ。そういう風に私には見える。
けれど、心の深奥を少しだけでも覗かせてくれるのは、私だけのような、そんな特権めいた気持ちが自分の中にある事を、肯定しない訳にはいかなかった。
可憐を叔父の残した飛行機に乗せたのはどれくらいの数になるだろう。
可憐の朗らかな笑顔や歓声を空で聞いた事は。
私達の共通項は確かに多くはない。けれど、多くないからこそ、互いに気楽に接する事が出来たのかもしれない。
二人とも、空を飛ぶのが好きだった。
あの銀色に輝く翼を持った硬くて強い背中に乗るのが、面白くて仕様がなかった。
その事だけは、きっと本当の事で、嘘ではないと思う。可憐は空が好きだった筈だ。
あの日、私と可憐は、ガレージの外に出て、陰りを帯びた夕陽の光を何も言わずに見ていた。
話をするには、陽の光は強すぎたのかもしれない。
可憐はいつの間にか入れていた、飴玉を、口の中で転がして、歯とぶつかった時に奏でられる小気味の良いコロコロという音が時折聞こえてきた。
可憐は私の方を見ずに、黙って青い包紙に包まれた飴玉を差し出して、私はなにも言わずに受け取って、口の中に放り込んだ。
振り返ってみて思うのは、可憐がこの雷の走る壁に閉ざされた世界を去る事を決めたのは、あの瞬間だったのではないのか、という事だ。
理由は判然としない。けれど、あの日のあの時間が、可憐にとって、いや、可憐だけではなく、二人にとっても重要な意味を持つ沈黙だったのではないかと。
少し年を重ねて、見かけだけ大人になったような歳になってみても、その時の可憐の気持ちは推し量る事はできないのだけれど。
彼女の決断は、この世界の、あらゆる物からの逃走を意味していたのかもしれない。
可憐を残して一人、自分の部屋に戻って休んでいた間、恐らくイヴァンと二人だけで密かに話し合い、脱出の話を取り決めたに違いなかった。
機会はあの時を除いてなかったのだから。
私の責任といえば、そういうことに出来なくもなかった。
可憐は甘い物が好きだが、私は辛い物が好きだ。
可憐は刺激的な音楽を好むが、私は穏やかな音色が好きだ。
可憐の家は円満で、母親も父親も仲が良く、一匹の大きなゴールデンレトリバーを飼っている。
私は昔、森で出会った傷付いたリスを助け、密かにガレージで飼っていた事があったが、元気になると一人で抜け出て、野生に帰っていった。
可憐は友達が多い。皆可憐の事が好きみたいだ。そういう風に私には見える。
けれど、心の深奥を少しだけでも覗かせてくれるのは、私だけのような、そんな特権めいた気持ちが自分の中にある事を、肯定しない訳にはいかなかった。
可憐を叔父の残した飛行機に乗せたのはどれくらいの数になるだろう。
可憐の朗らかな笑顔や歓声を空で聞いた事は。
私達の共通項は確かに多くはない。けれど、多くないからこそ、互いに気楽に接する事が出来たのかもしれない。
二人とも、空を飛ぶのが好きだった。
あの銀色に輝く翼を持った硬くて強い背中に乗るのが、面白くて仕様がなかった。
その事だけは、きっと本当の事で、嘘ではないと思う。可憐は空が好きだった筈だ。
あの日、私と可憐は、ガレージの外に出て、陰りを帯びた夕陽の光を何も言わずに見ていた。
話をするには、陽の光は強すぎたのかもしれない。
可憐はいつの間にか入れていた、飴玉を、口の中で転がして、歯とぶつかった時に奏でられる小気味の良いコロコロという音が時折聞こえてきた。
可憐は私の方を見ずに、黙って青い包紙に包まれた飴玉を差し出して、私はなにも言わずに受け取って、口の中に放り込んだ。
振り返ってみて思うのは、可憐がこの雷の走る壁に閉ざされた世界を去る事を決めたのは、あの瞬間だったのではないのか、という事だ。
理由は判然としない。けれど、あの日のあの時間が、可憐にとって、いや、可憐だけではなく、二人にとっても重要な意味を持つ沈黙だったのではないかと。
少し年を重ねて、見かけだけ大人になったような歳になってみても、その時の可憐の気持ちは推し量る事はできないのだけれど。
彼女の決断は、この世界の、あらゆる物からの逃走を意味していたのかもしれない。
可憐を残して一人、自分の部屋に戻って休んでいた間、恐らくイヴァンと二人だけで密かに話し合い、脱出の話を取り決めたに違いなかった。
機会はあの時を除いてなかったのだから。
私の責任といえば、そういうことに出来なくもなかった。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
乙男女じぇねれーしょん
ムラハチ
青春
見知らぬ街でセーラー服を着るはめになったほぼニートのおじさんが、『乙男女《おつとめ》じぇねれーしょん』というアイドルグループに加入し、神戸を舞台に事件に巻き込まれながらトップアイドルを目指す青春群像劇! 怪しいおじさん達の周りで巻き起こる少女誘拐事件、そして消えた3億円の行方は……。
小説家になろうは現在休止中。
弁当 in the『マ゛ンバ』
とは
青春
「第6回ほっこり・じんわり大賞」奨励賞をいただきました!
『マ゛ンバ』
それは一人の女子中学生に訪れた試練。
言葉の意味が分からない?
そうでしょうそうでしょう!
読んで下さい。
必ず納得させてみせます。
これはうっかりな母親としっかりな娘のおかしくて、いとおしい時間を過ごした日々のお話。
優しくあったかな表紙は楠木結衣様作です!

夏と夏風夏鈴が教えてくれた、すべてのこと
サトウ・レン
青春
「夏風夏鈴って、名前の中にふたつも〈夏〉が入っていて、これでもかって夏を前面に押し出してくる名前でしょ。ナツカゼカリン。だから嫌いなんだ。この名前も夏も」
困惑する僕に、彼女は言った。聞いてもないのに、言わなくてもいいことまで。不思議な子だな、と思った。そしてそれが不思議と嫌ではなかった。そこも含めて不思議だった。彼女はそれだけ言うと、また逃げるようにしていなくなってしまった。
※1 本作は、「ラムネ色した空は今日も赤く染まる」という以前書いた短編を元にしています。
※2 以下の作品について、本作の性質上、物語の核心、結末に触れているものがあります。
〈参考〉
伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫)
ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(ハヤカワepi文庫)
堀辰雄『風立ちぬ/菜穂子』(小学館文庫)
三田誠広『いちご同盟』(集英社文庫)
片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館文庫)
村上春樹『ノルウェイの森』(講談社文庫)
住野よる『君の膵臓をたべたい』(双葉文庫)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる