上 下
43 / 64
ダストシティ

しおりを挟む

 宿の中は、外から入る寒々とした光に抗うような暖色の光が、天井から辺りを照らし出していた。

 奥には二階へと上がる小さな階段と、廊下があった。

 老婆に誘われるようについて行った先にあった部屋は、その廊下の奥にあった。

「オッグから話は聞いとる。まあ、ゆっくりして行きなさい。はい」

 皺くちゃな掌を差し出され、私は懐から硬貨の入った皮袋を取り出し、幾らか聞く。

「まあ、銀二枚ってところかな」

「いい商売してますね」

 皮肉を言い、私は袋から銀の硬貨を二枚取り出し、老婆の掌の上に乗せた。老婆は受け取ると、銀を慈しむように何度か撫で、それから白い歯を見せて笑った。

「じゃあ、これで。とりあえず三日は居ていいからね。十分な額だから」

「そうさせてもらうよ」

 老婆は部屋から出て行った。

 案内された部屋は、比較的大きく、整っていた。

 部屋の中央には大きな天蓋付きの貧民窟の宿には明らかに不釣り合いなベッドが置かれ、壁際には豪奢な装飾が施された鏡つきのクローゼット、奥には透明な丸テーブルと椅子が二脚あり、景色を別にすれば、少し値の張る宿の一室と言ってもおかしくはない装いだった。

 私は天蓋つきベッドの上に座り、靴を脱ぐ。ふかふかの絨毯に素足を下ろし、その感触を確かめるように踏む。

 バイクの荷台から荷物を解き、布を出し、足の裏を拭いた。

 水場は廊下の途中にあったトイレと、廊下の先の裏口にあるのだろう。外から水の音が聞こえる。

 足裏を丹念に拭く作業に没頭していると、扉の外に気配がして、それから躊躇いがちなノックの音がした。

 いいよ、と言うと、ノブに精一杯手を伸ばした姿の、先程の少女が立っていた。

 私が見ていると、扉を開いた少女は、振り返って何かを持ち上げ、それから部屋の中に入って、それを床に置いた。

 鈍色のポットと白いカップが二つ乗った、盆だった。

 私が顔を上げると、少女が言った。

「ばあばが、お茶をお出しなさいって。ねえ、いいでしょう?」

 いいでしょう? と問われて、何か分からなかったので、私は問い返す。

「……何が?」

「私も一緒に飲んでも」

 ああ、と得心が入って、私は足の裏を拭く作業に戻る。埃と砂がこびりついて中々落ちない。

 返事がわりに言う、

「勝手にしなよ。あと、そのポット使ってもいい?」

 瞬きした少女は、頷いて「いいよ」と言った。

 私はベッドから腰を上げ、ポットを掴み、それから布に向けて傾け、中のお茶を出した。暖かく湿った布で、再び足の裏を拭く。

「ねえ、ヴェロニカっていうんでしょう? 私、その名前、聞いたことある」

 私は顔を足に向けたまま答える。

「どこで?」

「えっとねー……忘れた」

 足の裏は少し綺麗になってきた。代わりに布が黒雲のような色に染まってしまう。苦笑して、小さく舌打ちをした。

「ねえ、旅の話をしてよ。何か面白いお話、知ってるんでしょう?」

 ちら、と目を落として少女を見て、私は言う。

「旅は面白い話ばかりじゃないよ。この子に跨って移動してる時間が殆どだしね。それでも聞きたいなら、話してあげてもいいけど。小さな話ばかりだけどね」

「聞きたい、聞きたい!」

 少女が瞳を輝かせるので、私はそちらを見ないように気をつけながら、足の裏を綺麗にしていく。

 布がどんどん黒く染まっていくのに反比例して、私の足は肌色の割合を大きくしていった。

 私は語り出した。

「そうだな、じゃあ……。ここから遠く、遠くの方にある場所に、海の底で暮らす偏屈な女性がいるんだ。その人は博士って呼ばれていて、密かにいろんな研究をしている……。その博士の相棒が、なんとでっかいイカで……」

 少女がふんふん、と鼻息を荒くさせながら話を熱心に聞いているのを肌で感じながら、私は顔を上げないようにするのに必死でいた。

 私は古くささやかな物語を、少女に語って聞かせた。



 話し終わると、少女は目を輝かせて、少し跳ねながら、興奮した様子で言う。

「すっごーい! ヴェロニカさん、面白い話、知ってるね! 私もその人に会ってみたいなあ」

「博士に? それは無理」

 私はすっかり黒色に変わってしまった布を置き、言う。

「その人は偏屈だからね。限られた人にしか居場所を教えないんだ。だから、君には無理だね」

「ええ、でも、ヴェロニカさんはその人と会ったことがあるんでしょう?」

 私は肩をすくめる。

「何度かね」

「いいなあ~。私もでっかいイカさんに会ってみたい」

 私はその言葉には答えず、新しい靴下を荷台から取り出し、黙って履いた。

 少女は私のその様子を観察しているようだったが、やがてお茶の入ったカップを置いて、言った。

「ねえ、私も旅に連れて行ってよ。一緒に!」

「それは無理」

 私は少女の方を見ずに一蹴する。そう言われると思っていたからだ。

 少女は明らかに不貞腐れた様子で、唇を尖らせて、ケチ、と言った。

 私は軽く笑いながら、布を振る。

「まあ、そう怒りなさんな。私だって仕事でやってるんだから。遊びじゃないんだよ。まあ、楽しいことも多いけど。さあ、これを洗いたいから、水場に案内してくれるかな」

 少女は尚も何かを言いたげに口を尖らせていたが、やがて仕方なさそうに「は~い」と言うと、ゆっくりと立ち上がって、扉を開く。

 ふと見えたその後ろ姿に、誰かの姿が重なりかけ、私は急いで目線を外した。

「どうしたの? こっちだよ」

 布を持って、私は立ち上がった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

太陽の花が咲き誇る季節に。

陽奈。
SF
日本が誇る電波塔《東京スカイツリー》 それは人々の生活に放送として深く関わっていた。 平和に見える毎日。そんなある日事件は起こる。 無差別に破壊される江都東京。 運命を惑わされた少女の戦いが始まろうとしている。

忘却の艦隊

KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。 大型輸送艦は工作艦を兼ねた。 総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。 残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。 輸送任務の最先任士官は大佐。 新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。 本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。    他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。 公安に近い監査だった。 しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。 そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。 機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。 完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。 意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。 恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。 なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。 しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。 艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。 そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。 果たして彼らは帰還できるのか? 帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?

「日本人」最後の花嫁 少女と富豪の二十二世紀

さんかく ひかる
SF
22世紀後半。人類は太陽系に散らばり、人口は90億人を超えた。 畜産は制限され、人々はもっぱら大豆ミートや昆虫からたんぱく質を摂取していた。 日本は前世紀からの課題だった少子化を克服し、人口1億3千万人を維持していた。 しかし日本語を話せる人間、つまり昔ながらの「日本人」は鈴木夫妻と娘のひみこ3人だけ。 鈴木一家以外の日本国民は外国からの移民。公用語は「国際共通語」。政府高官すら日本の文字は読めない。日本語が絶滅するのは時間の問題だった。 温暖化のため首都となった札幌へ、大富豪の息子アレックス・ダヤルが来日した。 彼の母は、この世界を造ったとされる天才技術者であり実業家、ラニカ・ダヤル。 一方、最後の「日本人」鈴木ひみこは、両親に捨てられてしまう。 アレックスは、捨てられた少女の保護者となった。二人は、温暖化のため首都となった札幌のホテルで暮らしはじめる。 ひみこは、自分を捨てた親を見返そうと決意した。 やがて彼女は、アレックスのサポートで国民のアイドルになっていく……。 両親はなぜ、娘を捨てたのか? 富豪と少女の関係は? これは、最後の「日本人」少女が、天才技術者の息子と過ごした五年間の物語。 完結しています。エブリスタ・小説家になろうにも掲載してます。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

メガマウス国の生物学 [ Biology of the Megamouth Shark Land ] 

二市アキラ(フタツシ アキラ)
SF
日本沈没、エクソダス先の旧日本・太平洋上に浮かぶメガフロート都市、海浮県海浮市メガマウスアイランド(推定人口4500万人)。 Bizzare Lollapalooza 奇妙でロラパルーザな奴らが、自らの"解放"をかけて、繰り広げる冒険活劇。

東からの侵略者

空川億里
SF
 21世紀前半。東欧の大国が、西にある小国に侵略するが……。

エロ・ファンタジー

フルーツパフェ
大衆娯楽
 物事は上手くいかない。  それは異世界でも同じこと。  夢と好奇心に溢れる異世界の少女達は、恥辱に塗れた現実を味わうことになる。

処理中です...