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ダストシティ
□
しおりを挟む宿の中は、外から入る寒々とした光に抗うような暖色の光が、天井から辺りを照らし出していた。
奥には二階へと上がる小さな階段と、廊下があった。
老婆に誘われるようについて行った先にあった部屋は、その廊下の奥にあった。
「オッグから話は聞いとる。まあ、ゆっくりして行きなさい。はい」
皺くちゃな掌を差し出され、私は懐から硬貨の入った皮袋を取り出し、幾らか聞く。
「まあ、銀二枚ってところかな」
「いい商売してますね」
皮肉を言い、私は袋から銀の硬貨を二枚取り出し、老婆の掌の上に乗せた。老婆は受け取ると、銀を慈しむように何度か撫で、それから白い歯を見せて笑った。
「じゃあ、これで。とりあえず三日は居ていいからね。十分な額だから」
「そうさせてもらうよ」
老婆は部屋から出て行った。
案内された部屋は、比較的大きく、整っていた。
部屋の中央には大きな天蓋付きの貧民窟の宿には明らかに不釣り合いなベッドが置かれ、壁際には豪奢な装飾が施された鏡つきのクローゼット、奥には透明な丸テーブルと椅子が二脚あり、景色を別にすれば、少し値の張る宿の一室と言ってもおかしくはない装いだった。
私は天蓋つきベッドの上に座り、靴を脱ぐ。ふかふかの絨毯に素足を下ろし、その感触を確かめるように踏む。
バイクの荷台から荷物を解き、布を出し、足の裏を拭いた。
水場は廊下の途中にあったトイレと、廊下の先の裏口にあるのだろう。外から水の音が聞こえる。
足裏を丹念に拭く作業に没頭していると、扉の外に気配がして、それから躊躇いがちなノックの音がした。
いいよ、と言うと、ノブに精一杯手を伸ばした姿の、先程の少女が立っていた。
私が見ていると、扉を開いた少女は、振り返って何かを持ち上げ、それから部屋の中に入って、それを床に置いた。
鈍色のポットと白いカップが二つ乗った、盆だった。
私が顔を上げると、少女が言った。
「ばあばが、お茶をお出しなさいって。ねえ、いいでしょう?」
いいでしょう? と問われて、何か分からなかったので、私は問い返す。
「……何が?」
「私も一緒に飲んでも」
ああ、と得心が入って、私は足の裏を拭く作業に戻る。埃と砂がこびりついて中々落ちない。
返事がわりに言う、
「勝手にしなよ。あと、そのポット使ってもいい?」
瞬きした少女は、頷いて「いいよ」と言った。
私はベッドから腰を上げ、ポットを掴み、それから布に向けて傾け、中のお茶を出した。暖かく湿った布で、再び足の裏を拭く。
「ねえ、ヴェロニカっていうんでしょう? 私、その名前、聞いたことある」
私は顔を足に向けたまま答える。
「どこで?」
「えっとねー……忘れた」
足の裏は少し綺麗になってきた。代わりに布が黒雲のような色に染まってしまう。苦笑して、小さく舌打ちをした。
「ねえ、旅の話をしてよ。何か面白いお話、知ってるんでしょう?」
ちら、と目を落として少女を見て、私は言う。
「旅は面白い話ばかりじゃないよ。この子に跨って移動してる時間が殆どだしね。それでも聞きたいなら、話してあげてもいいけど。小さな話ばかりだけどね」
「聞きたい、聞きたい!」
少女が瞳を輝かせるので、私はそちらを見ないように気をつけながら、足の裏を綺麗にしていく。
布がどんどん黒く染まっていくのに反比例して、私の足は肌色の割合を大きくしていった。
私は語り出した。
「そうだな、じゃあ……。ここから遠く、遠くの方にある場所に、海の底で暮らす偏屈な女性がいるんだ。その人は博士って呼ばれていて、密かにいろんな研究をしている……。その博士の相棒が、なんとでっかいイカで……」
少女がふんふん、と鼻息を荒くさせながら話を熱心に聞いているのを肌で感じながら、私は顔を上げないようにするのに必死でいた。
私は古くささやかな物語を、少女に語って聞かせた。
話し終わると、少女は目を輝かせて、少し跳ねながら、興奮した様子で言う。
「すっごーい! ヴェロニカさん、面白い話、知ってるね! 私もその人に会ってみたいなあ」
「博士に? それは無理」
私はすっかり黒色に変わってしまった布を置き、言う。
「その人は偏屈だからね。限られた人にしか居場所を教えないんだ。だから、君には無理だね」
「ええ、でも、ヴェロニカさんはその人と会ったことがあるんでしょう?」
私は肩をすくめる。
「何度かね」
「いいなあ~。私もでっかいイカさんに会ってみたい」
私はその言葉には答えず、新しい靴下を荷台から取り出し、黙って履いた。
少女は私のその様子を観察しているようだったが、やがてお茶の入ったカップを置いて、言った。
「ねえ、私も旅に連れて行ってよ。一緒に!」
「それは無理」
私は少女の方を見ずに一蹴する。そう言われると思っていたからだ。
少女は明らかに不貞腐れた様子で、唇を尖らせて、ケチ、と言った。
私は軽く笑いながら、布を振る。
「まあ、そう怒りなさんな。私だって仕事でやってるんだから。遊びじゃないんだよ。まあ、楽しいことも多いけど。さあ、これを洗いたいから、水場に案内してくれるかな」
少女は尚も何かを言いたげに口を尖らせていたが、やがて仕方なさそうに「は~い」と言うと、ゆっくりと立ち上がって、扉を開く。
ふと見えたその後ろ姿に、誰かの姿が重なりかけ、私は急いで目線を外した。
「どうしたの? こっちだよ」
布を持って、私は立ち上がった。
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