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破(青鷺編)
4節『鍵探索』
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「鏑木家の御曹司が氷見に攫われただと」
「はい」
萩谷家に連絡して車を呼び出し、再び屋敷に戻ってきてから俺は事実をそのまま報告した。別に隠す必要などない。俺達の失敗としてぶちまけた。
「全ては私の責任です。氷見を捕縛一歩手前まで追い詰めたものの、予想以上の力の強さに敗北しました」
「ええ、事実です」
霧寺が営業モードで話すのに俺も口添えする。
「監視をしていた者から、既にそのように聞いている。当主にも報告済みだ。お前達の処遇は今後追って決まるだろう」
相手の黒服は淡々とそう応えた。老齢の見た目からして当主代行の幹部クラスと俺は見た。組織の頭が留守なら、付け入る隙はあるかもしれない。俺は霧寺に目くばせした。
「いいえ、待っておられません。一刻も早く私達も鏑木修太を捜索しなければ」
「既に我々が手を回している。霧寺はそれよりも――」
「氷見の行方はつかめているのですか?」
「捜索をしている」
これ以上は聞くなとばかりに断言される。
俺達に言う必要がないということだろうが、おそらくは氷見のことだ。大した戦闘力のない黒服など、とっくに撒いているだろう。
「鏑木修太は鍵の在処を知っています」
俺は嘘をついた。
「このままでは氷見にその所在を吐いてしまうでしょう」
「何を馬鹿な。鍵の在処は当主しか……」
そこで相手が言い澱んだ。その子供に伝えていないと確信が持てないのだ。
「とにかく今は霧寺の話を聞く方が先決だ」
「容疑については既に熟知しております。相手をよく見定めることなく札の類を売り渡してしまったことも私の責任です。しかし、決して加担したわけではありません」
「霧寺は窮地に陥った俺達をむしろ助けてくれました。笹本も同じように証言してくれるでしょう」
そう言って隣にいる笹本にも同意を促す。さっきから黙ったまま、ほとんど瞬きさえしない彼女がゆっくりと頷いた。
「というわけで話は終わりです。謀らずも翁の助力をした以上、私に氷見へのリベンジをさせていただきたいのですが、よろしくて?」
「待て待て、なぜそうなる」
「これ以上、話すことがないからですよ」
霧寺がにこりとした笑みを向けた。そして、持ってきたカバンの中から帳簿と書かれたノートを取り出した。
「ここに翁に売り払った札の仔細が書かれております。後は何にもありません」
「そんなこと信じられるか」
「しかし、翁も同じことを言っているのでは? これでは事実の確認をこれ以上しようがありません。それでも事実かどうか確認できる能力の巫術士の知り合いでもお持ちで?」
そこで苦い顔をして相手の男が押し黙った。彼は部屋の周囲にいる黒服に視線を向けるが、誰も何も応えない。反応のしようがないようだ。
「聞けば巫女は不在にして神主殿も多忙の身。落ちぶれた家業の身ですが、私にも巫術の心得があります。今、怨霊を相手に戦えるのは私ではないか、私一人ではないかと」
逃げてたくせにと思ったが俺も畳みかけた。
「霧寺は互角に戦っていました。失敗は氷見の力量を見誤ったこと。準備をしっかりと行っていれば、今度は」
「わかった……待っていろ。今、当主に連絡を取る」
そう言って男は携帯電話を取り出すと、その場を離れた。代わりに他の黒服達が俺達を逃がさないように、こちらを見つめてくる。
だが一度席を立ったなら、好都合だ。
「ところで、さっきから笹本がトイレに行きたいようなんだが?」
タメ口で言って隣の笹本を男達に指さした。
「この場で勝手に行動されると困る」
「おいおい、相手は女の子だぜ? もう少し融通きかないのかよ」
なぁと彼女に言うと、ゆっくりと頷いた。その様子に男達が訝し気な目を向ける。
「どうも笹本さんは鏑木くんが攫われたのを間近で見てショックを受けているようなの」
「カウントダウンが必要……」
「カウンセリングな」
思わず彼女の頭をはたきそうになった。
「俺も実はトイレを我慢していて。この期に及んで逃げないから頼むよ」
「……わかった。案内する」
一人の男がぶっきらぼうに言うと、ついてこいとばかりに先を歩き始めた。俺は笹本を立たせると支えるようにして、男についていく。すると、トイレはすぐに見つかった。
「俺はここで待っている」
「助かる」
そして笹本を女子トイレに突っ込むと俺も男子トイレの中に入った。
……やれやれ、あいつが中に入ろうとしなくて助かった。
「ねえ、どなどな! あたちをこんなところに入れるなんてひどいよ!」
「しっ!」
個室から出てきた笹本に向かって黙れとジェスチャーを送る。
「聞こえたらどうするんだ。今までの計画がパーだぞ」
「むぐぐ」
本物の笹本の口を押えながら入ってきたドアを見やる。……どうやら気付かれた様子はないみたいだ。
「それで遠藤は?」
「見つけた。ここにいるよ」
そう言って個室の奥を指さした。見れば、遠藤が疲れた顔でしゃがみこんでいる。
「ひどい目にあわされたって顔だな」
「狭い部屋に押し込まれて、トイレも何もさせてくれなかった。監視は最初いたんだけど、出て行ってから戻ってこないし腹は空くし」
もしかしたら遠藤の存在は忘れ去られていたのかもしれない。
「青鷺らしくないが、逆によかったな。笹本のことだから鍵を開けるにも強行突破するんじゃないかとひやひやしてたぞ」
「屋敷の中がドタバタしててさ。って、ちょっと待て。まだお前達も自由の身じゃないのか? 一体どうやって来た?」
「霧寺の力を借りた」
俺は簡単に今の作戦を説明した。
霧寺を連れて屋敷に戻ってきた俺達だが、同席していた笹本は霧寺が作り出したコピーだ。正体は紙でできた人型だが、認識を弄って普通の人間には笹本に見えるようにしているのだ。簡単な動作はできるし人型に書かれた言葉や命令は実行することができる。そして、本物の笹本は姿を隠す羽織を使って萩谷邸の中に侵入し、遠藤を助け出させた。
「そして、いなくなったと思われないように人型で作られた遠藤をそこに置いてくる。後は羽織に二人入って男子トイレで合流だ。偽物の笹本はトイレを流してから紙に戻って便器に落ちる。これで証拠隠滅だ」
「便利な能力だな……」
「青鷺の霊媒機関に参加するまでは、霧寺家は違う街でそういう研究をしていたらしい」
ところで、と俺は二人を見やった。
「あまり時間がない。遠藤は羽織に隠れて俺と一緒に外に出るぞ。笹本はしばらくここにいて、外に誰もいなくなった頃を見計らって出ろ」
「ええー」
笹本がげんなりとした顔を見せた。
「しょうがないだろ。女子トイレに入ったお前はもういないんだから」
「いや、今回は俺が悪かったってのもある……。どうしてももたなかったんだ」
「……え?」
少し耳を疑った。そういえば、遠藤はトイレも何もできなかったって言っていた。
「まさか、笹本の目の前で……」
「……」
「あたちは何も見なかったよ」
ぷいと笹本は顔をそらした。
ひとまず男子トイレから出ると、ちょうど霧寺もまた部屋を出てきたところだった。
「話がつきましたよ。火急の事態につき、協力を許可するですって」
「それはありがたい」
「もちろん、遠藤くんは置いていくそうですけどね」
その言葉に俺の後ろの空間がぴくりと揺れた気がした。
すると、トイレの前で待っていた男がドアの方を顎でさした。
「おい、女の子がトイレから出てこないが」
「そんな思慮の欠片もないことを言うものではないですよ。大体、男の方がトイレの前で待っているのはセクハラじゃないかしら」
「俺はただ仕事でやっているだけだ」
「そのうち出てきますよ。女の子はいろいろあるんです」
さらりと霧寺が言い返すと、行きましょうと俺に目くばせをした。そのまま屋敷の外へと出ると、黒服の男達は俺達を見送ることなく中へとすぐに戻っていく。
「監視の目はきっとついてるだろうな」
「ええ。遠藤くんはしばらく羽織の中に隠れて過ごすことになるでしょうね。それで……」
霧寺がかけていた眼鏡を外すと、さっと前髪をかき上げた。
「どうする? どこへ行くの?」
「行き先は考えてはある。ただ、その前に歩きながら情報の整理をしたいんだがいいか?」
「もちろん。大きな声で言わなければね」
「遠藤も加われ。お前にも聞きたいことがある」
「お、おう」
俺の隣で遠藤が囁くような声を上げた。
「お前はこの街に代々住んできた家系だったな。なら、鏑木家が司っていた街の役割にも詳しいはずだろ」
「そりゃ基本的なことだけは一応。でも、一体何を調べるつもりだ?」
「鏑木家が鍵を隠しそうな場所だよ。俺達は氷見の先回りをする」
「当主しか知らない場所を調べるっていうのか? 確かに修太も一緒にいるとは思うけど優介にしては発想が随分……」
安直だろうな。だが、一つ確信がある。
「いくら御三家といえど、鍵を別の家の管理下の近い所に隠すとは思えない。遠くても手が届くところのはずだ。氷見もきっとヤマを張って探している」
「桑谷くんには当てがあると?」
「ああ。俺は図書館で調べていた時に一つ思い当たることがあった。過去に、この土地は孤立してもなお外敵と戦い続けた歴史がある。このクレーターの土地でだ。簡単に籠城戦になることは予想がつく。ならば、どうやって物資を維持し戦い続けた?」
「月の力?」
「それはない。封印されてからずっと後の歴史だ。なら、考えられるのは一つ。物資調達の手段があった。特に湖付近の山間部には立ち入り禁止のトンネルがある」
「地下道か。外につながっていたと」
「そして、物流を支えていたのは鏑木家だ。鍵はおそらく――」
「ちょっと待って」
霧寺が手を挙げた。
「鏑木邸にあるってことはないの? 私の想像だと赤外線でがちがちに固められた先にある金庫の中って感じがするんだけど」
「それは俺も一番に考えた。だが、それだと俺の手に負えない。氷見が制圧するのを黙って見ているしかない」
「じゃあ、駄目じゃないか」
「可能性はあるだろう。だが、もしそこじゃなかった時、どこだと考えると地下道だ。あると思える場所になければ、普通はそこでお手上げだ」
「裏をかく、と?」
俺は頷いた。
「それに金庫なら今頃、氷見がその目の前にいるんじゃないか?」
「…………」
そして、青鷺の連中もそこに向かっている。確認するには行ってみるしかないが、結局遅れを取ることになる。青鷺をたきつけて地下道に鍵を探しに行かせた方が効率的だが、できることなら彼らには隠しておきたい理由があった。
「確かに街の外に鍵は絶対にないわけだから、その線は正しいのかもしれない。実は俺、実は子どもの頃にその辺の山奥で不気味な像を見たことがあるんだ」
「像?」
「地蔵って感じじゃなかったな」
「道しるべか何かを差す目印ってとこか」
俺は携帯の画面にこの街の地図を呼び出し、遠藤が言った場所を拡大した。
「鍵が鏑木家の勢力圏にあるとして、地下道はこの辺りまで張り巡らされているのかもしれない。それだけでも範囲が相当広いが、遠藤が像を見た場所を中心に調べてみれば何かわかるかもな」
「それで鍵を見つける。あるいは見つける前に氷見と鉢合わせるかもね」
「そうなった時は今度はお前が頼りだ。聞いてなかったが、あいつの正体に心当たりがあるんだろう?」
そう霧寺に聞くと「まあ」と彼女は頷いた。
「たぶん、あれは青い月からやってきたんじゃないかって」
「青い月? 中に人が住んでいるのか?」
「そういう意味じゃない。青い月の力で生み出されたものってこと。外側の体は作り物で中身は怨霊。最初は生身の人間に怨霊が憑りついた憑影ってやつだと思ったんだけど、あの理性的な言葉遣いや身のこなしを見ているとただの憑依体じゃない。むしろ新しい生物」
「おいおい、待ってくれ。それなら、氷見が巫術士って線の方がずっと現実的だぞ?」
「雨宮家や霧寺家でもない第三の巫術機関が堂々と関与してるわけじゃないなら、そんな力を使う人は存在しない。絶対に青い月の情報は街の外には漏れないわけだし、そのための御三家であり大昔からの情報包囲網だから」
つまり、誰かが聞きつけて外からやってくることはないということか。
「誰かが街に呼んだわけでもないってのは確認したのか?」
「さっきみんながトイレに行った時になんとか。青鷺の黒服は萩谷家が管理してるセキュリティ会社の中から選ばれてるけど彼女も一構成員だったってね。それ以前の経歴は調べたら全部嘘。ただ、とにかく優秀で一年も経たずに採用されただとか」
「雑草みたいにその辺から生えてきたんじゃないの?」
遠藤が笹本のようなことを言った。
消去法でもあるが、確かに辻褄は合う。怨霊が大量に発生している事態といい、同時期に怨霊召喚術を使う氷見が出てきたことは無関係とは思えない。大体、氷見の目的が青い月の解放ならそれをして得をするのは誰かって話だ。
「なぁ二人とも。それで一体どうするんだよ。黙り込んじゃって」
「お前があまりにも突拍子もないこと言うから呆れてただけだ」
「ははっ、ナイスジョーク」
俺は遠藤を無視して霧寺を見やった。
「今からこいつに地蔵まで案内してもらうとして、その間に氷見をどうするか考えよう」
「笹本さんはどうする?」
「携帯で連絡しておけば後から来るだろ。ほら、やってくれ遠藤」
「あれ? 俺ってもしかして、ただの便利屋?」
遠藤も真実に辿り付いたようだったが、俺は応えなかった。
とはいえ一時間後、俺達は山を舐めていたことに気付いた。
次第に傾斜が増す獣道。生い茂った草むら。頭にかかる木の枝。初夏のせいで蒸し暑く、歩けば歩くほど疲労がたまる。おまけに、いつどこで誰に遭遇するか警戒までしなきゃいけない。青鷺も氷見も出てくる様子はなかったが、次第に全員口が重くなる。
「この辺なんだよな。遠藤」
「ああ。たぶん……」
先頭を行く遠藤が周囲の雑草をかき分けながら言った。
「あの像がどこにあったか、これじゃよくよく見ないとわからないぞ」
「携帯で見た地図もこの辺をさしていたが……」
あいにくもう圏外だ。俺も周囲をかき分けるが見つからない。まだ先なのか、あるいはそもそも、この山で合っているのか。霧寺も汗をぬぐう。
「一歩先んじるまではよかったけど、このままだとまずいって。夜になる前に引き上げた方がいい。熊とか猪とかもいるかもしれない」
「それにどんなに頑張っても俺達は家に帰らなくちゃならないからな。遅くなったら親に怒られる」
「親か……」
こんな異常事態に呑気なものだ。そういえば、遠藤はともかく事件に関わった連中の多くは平凡な日常とはまるで縁がない。御三家のやつらはそうだし樫崎は常識が狂ったストーカーだ。笹本は存在自体がよくわからないし。
「少しくらい平気だろ」
幸せな家庭を想像して、沸き上がった不快な思いを振り払うように俺は傾斜を登った。前を阻む枝を折って草を踏みつける。その時だった。
「おーい」
「笹本?」
どこからか彼女の声が聞こえて俺は周囲を見回した。しかし、どこにもいない。
「今の聞こえたか?」
「聞こえた」
すると、また「おーい」と声がする。耳を澄ましてみると、その声は木々の中よりも近くの岩の下から聞こえてきた。遠藤が慌てて岩をどけるも、そこには湿った土があるだけだ。
「いや? これはもしかして……」
屋敷の時と同じだ。霧寺と目を合わせると、彼女も頷いた。
「だったらこの私、メイガスの出番ね」
霧寺が自信満々に言うと鞄から何かを取り出して宙に掲げた。細い指につままれた方位磁石らしき物が針をくるくると回転させる。
「何だそれは?」
「これは『霊位磁石(ソウルストーン)』。霊力を探る物。屋敷で別れる前に笹本さんに護符を持っておいてもらったの。どこに行ってもわかるようにってね」
「手際がいいな」
「私を誰だと思ってるの。亜流にして万能の巫術士、霧寺飛鳥よ」
霧寺が霊位磁石を掲げると回転していた針がぴたりと止まった。針が指し示す方向へと行ってみると斜面をやや下ったところに着いた。その部分だけ雑草が生えずに山肌を露出している。
「ここだ」
霧寺が手をそこに突き出すと、景色が歪み洞窟が現れた。人一人分が入れそうなくらいの入り口の向こうに奇妙な形の像が立っている。そして、その隣にいたのは四つん這いになって倒れていた笹本だった。
「何してんだ、お前」
「何もしてないよ。ただ、山に向かって走ってたら吸い込まれて像にぶつかったの」
「優介、通訳してくれ」
「なんで俺が。お前の役目だろ、それは」
ともかくと遠藤が倒れていた笹本を引っ張り上げる。彼女の額が赤く腫れているあたり、像と正面衝突したんだろう。
「でも、助かったね。彼女の特異体質で結界の在処がわかったじゃない」
「これも人の認識に作用するタイプの結界か」
「子供の時の俺は偶然、ここに迷い込んだんだな」
俺は奇妙な像をまじまじと見た。地蔵というよりは埴輪みたいだ。胴体がやけに膨らんでいる。
「とにかくビンゴだぜ! きっとこの先に鍵がある」
「外部との運搬通路にしては入り口が狭すぎるが、フェイクじゃないだろうな」
「そんなの、行ってみればわかるよ!」
興奮した遠藤に加えて笹本も洞窟の中を駆けていった。さっきまで倒れていたのに、もう元気なのか。俺も後を追いかけようとすると、霧寺が「これ見て」と霊位磁石を見せた。
「針がくるくる回って止まらなくなった。この像を通り過ぎた途端に」
「街の下にある青い月に反応でもしてるのか?」
「上下にもカタカタ揺れてる。ちょっとやばい」
そう言う霧寺も興奮気味のようだ。普段は冷めてるくせにニッチな分野で新しい発見をした時の文系女子……そんなイメージが今浮かんだ。俺の周りは変人ばかりだ。
「おーい、早く来てよー」
「待ってくれって」
二人を追いかけて奥へと進んでみると次第に下に潜るようになっていく。携帯でライトをつけて進むと道が二つに分かれていた。迷わないように壁に印をつけてから中に入ると、その先にはまた分かれ道。
「ただの運搬通路がこんなふうに入り組んでいるわけがない」
「きっと鍵を隠すために迷路にしたんだよ! というわけで次はこっちに行こう」
「ちょっと待て。いくら何でも直感過ぎるぞ」
「え? あたちにはどう見ても、こっちにしかつながってないように見えるよ。あっちの奥にはトゲトゲがあるし、向こうには呪いのお札みたいなのがある。触っただけで死にそう」
その言葉に俺は遠藤と霧寺を見やった。「もしかして」と彼が顔を近づけて小声で言う。
「霊的耐性がある笹本には別のものが見えてるんじゃないか?」
「どうなんだ、メイガス。結界はお前の専門だろ?」
「……ごほん。ちょっと私、目が悪くて」
そう言いつつ眼鏡を取り出して、かけずにレンズの奥を見つめる霧寺。
「ああ、ダメだ。暗い上に光が乱反射して何も見えない」
「ダメイガス」
「今何つった」
本気でキレ始めた霧寺から逃げつつ俺達は笹本を追った。
道を抜けた先にはさらに分かれ道があったが、それもまた迷いなく選んでいく。何度目かの分岐を超えると、一本道の通路へと入り込んだ。
「何だろ、風がする」
「俺は感じないけど」
笹本の呟きに遠藤が返す。同じく俺も感じない。
「だが、笹本の直感は当たるからな」
そう言った矢先、ライトが奥にある何かを照らし出した。天井にぶら下げられたあれは……しめ縄か? その向こうにぽっかりと開けた空間が広がっている。
「あった!」
全員が思わず走り出していた。見れば、十人は入れる大きさの空間。中央には台座があり、その上に小さな欠片がある。間違いない、あれは雨宮父が首から下げていたものと同じもの。
「鍵だ!」
「これが……!」
霧寺が感嘆とした声を出す。俺は早速それを取ろうと手を伸ばした。その時、
「待って!」
笹本が叫んだ。彼女の視線が今歩いてきた地下通路に向いているのを見て俺も振り返る。そこから新たな光と足音が近づいてきた。
「風が……」
ようやく俺も感じた。肌を舐めるような悪寒がする風。この冷たさは知っている。
「よく見つけ出せたわね。褒めてあげる。案内ご苦労」
「氷見……!」
ライトが氷見を照らし出す。光が陰影を浮き彫りにした、その姿はひどく不気味だが恐怖よりも凄みを感じさせる。まるで蛇が得物を狙うような気迫だ。
「いつからついてきた」
「あなた達が入り口を探していた時から」
「それはまた随分早いな。鏑木邸には寄らなかったのか?」
そう返しながら思考を回す。俺達は今、袋小路だ。戦えそうなのは霧寺だけだが物理には歯が立たない。しかし、苦労して見つけた鍵を手渡すのは癪だ。俺は後ろ手で鍵を掴むと、わずかな可能性に賭けた。
「寄る必要はなかった。御曹司が屋敷にはないと喋ってくれたからね。あのガキ、最初は抵抗する気だったけど、ちょっとどついただけで言ってくれたわ」
「鏑木を拷問したのか?」
俺はぞくりと心が波打つのを感じた。
「屋敷じゃないなら、どこにあるってちょっと脅して聞いただけよ。まあ、あの様子じゃ嘘はつけないでしょうね。そこで、地下道のどこかに当たりをつけて探しに来たら、あんた達もいたってわけ」
「どうやら俺達は山の中で迷い過ぎたみたいだな」
「で、今掴んだ物を渡してくれたら、あんた達も痛い目を見なくて済むわよ」
「嫌だと言ったら?」
氷見が銃を取り出す。表情も声音も瞬間的に強張った。
「時間稼ぎはしないで渡しなさい。あと、そこの女も余計な真似はしない」
そう言って霧寺にも銃を向ける。彼女も何か出そうとしていたようだが気取られたようだ。俺は手に持った鍵を前に出すと、それを氷見の前に掲げて見せる。
「渡してもいい。だが、お前の目的は何だ? 何のために月の封印を解く?」
「この私に取引を持ちかけるの? 今まさに撃たれようとしているのに?」
その言葉におそらく嘘偽りはない。相手はやる女だ。さすがに俺も恐怖で心がひるみそうになる。今だけは樫崎の無神経さがうらやましくなった。
「……知的好奇心だ。やはりお前は本当の肉体が欲しいだけか?」
「え?」
氷見が怪訝な表情をする。
「ゾンビ映画ではよくあるだろ。生きていることがうらやましい。もう一度あの姿に戻りたい。だけど、腐りきったその体と脳じゃ、相手を食らうことしかできない」
「あっはっはっは!」
唐突に氷見が笑いだした。
「何それ。頭がいいと聞いていたけれど、所詮その程度? 私をそこまで測り間違えるなんて滑稽にも程がある。ちょっと、いらっとくるくらいにね!」
片手で頭を抱えるかのような仕草を取る。そこで相手が油断したと思った俺は遠藤へと目くばせした。彼は同時にズボンの裏ポケットからエアガンを取り出し、氷見を撃った。
「あら?」
破裂音がして弾が銃を持つ氷見の手に当たる。彼が魔改造したエアガンには銃を落とさせるぐらいの威力があった。
「あらあら、小癪な真似を」
氷見はすぐさまナイフを取り出すも、その隙に俺は携帯のライトを消した。何も見えなくなる視界。ダッという走る音。いくつもの発砲音の後、ナイフで空を切る音がし――
「うっ!」
どんっと押し倒す音がする。そこで再びライトをつけると笹本が氷見の足に組み付き、暴れる彼女を押しとめようとしていた。間髪入れずに俺も飛びかかり、ナイフを持つ腕を全体重で抑えつけた。
「霧寺!」
「言われなくても!」
彼女も飛びこみ、氷見の頭に札を貼り付けた。
「退魔の札だ。失せろ、亡霊!」
「く……」
途端に氷見が暴れるのをやめ、急におとなしくなる。その目が閉じられていく。笹本が力を緩めると、ゆっくりと体を彼女に預けた。
「終わった……?」
俺はしかし嫌なものを感じた。この冷たい感覚がなくなっていない。むしろ悪寒が膨れ上がっていく。これは何だ!
「笹本! フェイクだ!」
叫ぶが遅い。氷見は目を見開くと笹本を足で瞬時に突き飛ばした。その勢いのまま立ち上がると、間近にいた俺の首を掴んだ。
「私に一芝居打たせたというのだけは褒めてあげる。全く、子供のお遊戯に付き合うなんて私も優しいわね」
「お、まえ……」
凄まじい力に首の骨がみしみしといった。鍵を持ってない方の手で氷見の手を離そうとするも、びくともしない。
「桑谷!」
遠藤が叫んで再びエアガンを向けた。その時、氷見が空いた片手で指を鳴らすと彼が見えない何かに弾き飛ばされたかのように地面に転がった。
「悪いけど、こっちも万が一の用意はしてたのよ。ロンリーウルフなこの私が生身の部下を連れてね」
すると、ばらばらと何かが空中から現れて落ちていく。よく見ると、それは札のようだ。落ちてきた場所には人影が次々と現れてきていた。人間だ。だが、生気がなくゾンビのようなうめき声を上げる。
「憑依体……本物の憑影か」
「その通り。あんたの友達もいる」
見ると、遠藤を襲っていたのは鏑木だ。あいつも憑りつかれたのか。遠藤は相手が相手のせいか撃てずに一方的に殴られているだけだ。
「霧寺さん、なんとかしてくれ!」
「わかってる」
霧寺は札を周囲にばらまくが、なぜかあまり効果がないのか憑影の動きが多少鈍くなるだけだ。そのうちに彼女も周囲を憑影に囲まれ、何もできずに壁際に追い込まれる。
「結界は作れないのか?」
「囲まれた状態じゃ無理よ!」
「無惨ね」
氷見が冷たく言い放つ。再び指を鳴らすと広間の壁から巨大な手が出現し、霧寺に襲い掛かった。
「きゃあ!」
高い声を上げてしゃがみこんだ。見れば、その手は無数の怨霊の集合体だ。
「やらせない!」
その時、憑影の集団を突破して霧寺の前に現れたのは笹本だった。彼女は右足を大きく掲げると、腕に向かって突き落とす。怨霊が振りほどけるようにして周囲へと霧散すると、今度は氷見に向かって腕を構えた。
「どなどなを離せ!」
「人質が見えないの?」
氷見は俺の首を掴む力を強くした。ダメだ、窒息する。視界の焦点が合わなくなる。
「とりゃあ!」
しかし、笹本は何も見えなかったらしい。俺が持っていた鍵を蹴り飛ばした。
「あんた、バカなの!?」
同時に俺はその場に放り出された。絞められた首が痛み、解放された衝撃で大きく咳き込む。それでも笹本はと前を見ると、彼女に向かって怨霊が渦のように放たれていた。しかし、絶対霊的耐性を持つ笹本には効果がない。
彼女は飛ばされた鍵を走って取ると、「取ったど!」と飛び上がった。そのまま二つ折りにするかのように鍵を両手で掴んで力を込める。
「よーし、こんなものぶっ壊して」
「それはやめろ、馬鹿!」
俺が叫んだ時、笹本の後頭部を憑影の一人が思いっきり殴りつけた。「ふぎゅう」という声とともに彼女が前のめりに倒れる。すると、その手から離れた鍵がカララと音を立てて地面の上を滑っていく。俺が取ろうと手を伸ばすが、その先にいたのは霧寺だった。
「それを渡しなさい」
氷見がいつの間に拾ったのか、銃を彼女に向けている。
「あんたは利口よね。今の状況なら私に従うことが一番賢いって」
俺はばれないように回り込もうとするも、冷たい風を背中に感じて動きを止めた。笹本はのびていて、遠藤はあいかわらず鏑木に殴られ続けている。後はもう打つ手がない。とはいえ、ここまで粘ったんだ。俺達への監視の目が生きているなら、そろそろ青鷺の連中が助けに来てもいい頃だ。
「さあ、早く」
周囲がしんと静まり返る。霧寺は張り詰めた顔をして、おずおずと鍵を掲げた。氷見は反対に余裕ありげな表情をしている。
「……はい」
「霧寺!」
俺は叫んだが彼女はそのまま鍵を氷見へと手渡した。ぱっと氷見は取ると、
「上出来」
とだけ言って、すぐに出口に向き直る。しかし、思い出したようにこちらを振り向いた。
「ああ、お礼ではないけれど、その人達は置いていってあげるわ。お友達と仲良く」
それだけ言って暗い洞窟の中を走り去っていった。後には憑影達が騒ぐ音が響くだけだ。俺はすぐに霧寺に駆け寄ると、「おい」と声をかけた。
「やらなきゃいけない状況だったってのはわかる。だが、もう少し時間稼ぎを、」
「大丈夫よ。この私を一体誰だと思ってるの」
彼女は大きなため息をつくと、ゆっくりと足を動かした。見れば、そこに今氷見に渡したはずの鍵が靴の下から出てきた。
「適当にその辺にあった石に札を貼って誤認させたの。これも霧寺流巫術よ」
「一体いつの間に……」
「一番最初。あんたの背中で鍵が隠れた時に咄嗟に入れ替えた」
「……驚かせるなよ」
じゃあ、取り合っていたのは偽物だったのか。はああと大きなため息が出て、その場に座りこむ。
「だけど、気付くのは時間の問題だ。ばれる前に今から急いで逃げよう」
「そうだな。電波がつながる場所に出たら、すぐに青鷺を呼ぶぞ。それに、この事後処理も頼む必要がある」
「私も『鳥の声』に戻って巫術道具を揃えるわ。さっきは失敗したけど、今除霊できるのは私以外にはいないんだし。まあ、それより先に彼らだけど」
そう言って台座の周囲を見やる。笹本は泡を吹いて倒れていて、遠藤はまだ殴られている。俺はため息をしつつ、霧寺に笹本を任せると遠藤を助け出しに行った。
「にしても……何か変だな」
俺が全てを操ってやると思ってから起きた出来事の数々。氷見の動きが早いことや正体が予想と違ったことは仕方ない。俺も計画のピースが全て揃っているわけじゃない。だが、不思議とこうまでうまくいかないのかと思った。間が悪かったといえば、それまでだが。
その後、洞窟から出た俺達は黒服に保護され、後を追いかけてきていた憑影どもも霧寺の主導で鎮圧された。
「はい」
萩谷家に連絡して車を呼び出し、再び屋敷に戻ってきてから俺は事実をそのまま報告した。別に隠す必要などない。俺達の失敗としてぶちまけた。
「全ては私の責任です。氷見を捕縛一歩手前まで追い詰めたものの、予想以上の力の強さに敗北しました」
「ええ、事実です」
霧寺が営業モードで話すのに俺も口添えする。
「監視をしていた者から、既にそのように聞いている。当主にも報告済みだ。お前達の処遇は今後追って決まるだろう」
相手の黒服は淡々とそう応えた。老齢の見た目からして当主代行の幹部クラスと俺は見た。組織の頭が留守なら、付け入る隙はあるかもしれない。俺は霧寺に目くばせした。
「いいえ、待っておられません。一刻も早く私達も鏑木修太を捜索しなければ」
「既に我々が手を回している。霧寺はそれよりも――」
「氷見の行方はつかめているのですか?」
「捜索をしている」
これ以上は聞くなとばかりに断言される。
俺達に言う必要がないということだろうが、おそらくは氷見のことだ。大した戦闘力のない黒服など、とっくに撒いているだろう。
「鏑木修太は鍵の在処を知っています」
俺は嘘をついた。
「このままでは氷見にその所在を吐いてしまうでしょう」
「何を馬鹿な。鍵の在処は当主しか……」
そこで相手が言い澱んだ。その子供に伝えていないと確信が持てないのだ。
「とにかく今は霧寺の話を聞く方が先決だ」
「容疑については既に熟知しております。相手をよく見定めることなく札の類を売り渡してしまったことも私の責任です。しかし、決して加担したわけではありません」
「霧寺は窮地に陥った俺達をむしろ助けてくれました。笹本も同じように証言してくれるでしょう」
そう言って隣にいる笹本にも同意を促す。さっきから黙ったまま、ほとんど瞬きさえしない彼女がゆっくりと頷いた。
「というわけで話は終わりです。謀らずも翁の助力をした以上、私に氷見へのリベンジをさせていただきたいのですが、よろしくて?」
「待て待て、なぜそうなる」
「これ以上、話すことがないからですよ」
霧寺がにこりとした笑みを向けた。そして、持ってきたカバンの中から帳簿と書かれたノートを取り出した。
「ここに翁に売り払った札の仔細が書かれております。後は何にもありません」
「そんなこと信じられるか」
「しかし、翁も同じことを言っているのでは? これでは事実の確認をこれ以上しようがありません。それでも事実かどうか確認できる能力の巫術士の知り合いでもお持ちで?」
そこで苦い顔をして相手の男が押し黙った。彼は部屋の周囲にいる黒服に視線を向けるが、誰も何も応えない。反応のしようがないようだ。
「聞けば巫女は不在にして神主殿も多忙の身。落ちぶれた家業の身ですが、私にも巫術の心得があります。今、怨霊を相手に戦えるのは私ではないか、私一人ではないかと」
逃げてたくせにと思ったが俺も畳みかけた。
「霧寺は互角に戦っていました。失敗は氷見の力量を見誤ったこと。準備をしっかりと行っていれば、今度は」
「わかった……待っていろ。今、当主に連絡を取る」
そう言って男は携帯電話を取り出すと、その場を離れた。代わりに他の黒服達が俺達を逃がさないように、こちらを見つめてくる。
だが一度席を立ったなら、好都合だ。
「ところで、さっきから笹本がトイレに行きたいようなんだが?」
タメ口で言って隣の笹本を男達に指さした。
「この場で勝手に行動されると困る」
「おいおい、相手は女の子だぜ? もう少し融通きかないのかよ」
なぁと彼女に言うと、ゆっくりと頷いた。その様子に男達が訝し気な目を向ける。
「どうも笹本さんは鏑木くんが攫われたのを間近で見てショックを受けているようなの」
「カウントダウンが必要……」
「カウンセリングな」
思わず彼女の頭をはたきそうになった。
「俺も実はトイレを我慢していて。この期に及んで逃げないから頼むよ」
「……わかった。案内する」
一人の男がぶっきらぼうに言うと、ついてこいとばかりに先を歩き始めた。俺は笹本を立たせると支えるようにして、男についていく。すると、トイレはすぐに見つかった。
「俺はここで待っている」
「助かる」
そして笹本を女子トイレに突っ込むと俺も男子トイレの中に入った。
……やれやれ、あいつが中に入ろうとしなくて助かった。
「ねえ、どなどな! あたちをこんなところに入れるなんてひどいよ!」
「しっ!」
個室から出てきた笹本に向かって黙れとジェスチャーを送る。
「聞こえたらどうするんだ。今までの計画がパーだぞ」
「むぐぐ」
本物の笹本の口を押えながら入ってきたドアを見やる。……どうやら気付かれた様子はないみたいだ。
「それで遠藤は?」
「見つけた。ここにいるよ」
そう言って個室の奥を指さした。見れば、遠藤が疲れた顔でしゃがみこんでいる。
「ひどい目にあわされたって顔だな」
「狭い部屋に押し込まれて、トイレも何もさせてくれなかった。監視は最初いたんだけど、出て行ってから戻ってこないし腹は空くし」
もしかしたら遠藤の存在は忘れ去られていたのかもしれない。
「青鷺らしくないが、逆によかったな。笹本のことだから鍵を開けるにも強行突破するんじゃないかとひやひやしてたぞ」
「屋敷の中がドタバタしててさ。って、ちょっと待て。まだお前達も自由の身じゃないのか? 一体どうやって来た?」
「霧寺の力を借りた」
俺は簡単に今の作戦を説明した。
霧寺を連れて屋敷に戻ってきた俺達だが、同席していた笹本は霧寺が作り出したコピーだ。正体は紙でできた人型だが、認識を弄って普通の人間には笹本に見えるようにしているのだ。簡単な動作はできるし人型に書かれた言葉や命令は実行することができる。そして、本物の笹本は姿を隠す羽織を使って萩谷邸の中に侵入し、遠藤を助け出させた。
「そして、いなくなったと思われないように人型で作られた遠藤をそこに置いてくる。後は羽織に二人入って男子トイレで合流だ。偽物の笹本はトイレを流してから紙に戻って便器に落ちる。これで証拠隠滅だ」
「便利な能力だな……」
「青鷺の霊媒機関に参加するまでは、霧寺家は違う街でそういう研究をしていたらしい」
ところで、と俺は二人を見やった。
「あまり時間がない。遠藤は羽織に隠れて俺と一緒に外に出るぞ。笹本はしばらくここにいて、外に誰もいなくなった頃を見計らって出ろ」
「ええー」
笹本がげんなりとした顔を見せた。
「しょうがないだろ。女子トイレに入ったお前はもういないんだから」
「いや、今回は俺が悪かったってのもある……。どうしてももたなかったんだ」
「……え?」
少し耳を疑った。そういえば、遠藤はトイレも何もできなかったって言っていた。
「まさか、笹本の目の前で……」
「……」
「あたちは何も見なかったよ」
ぷいと笹本は顔をそらした。
ひとまず男子トイレから出ると、ちょうど霧寺もまた部屋を出てきたところだった。
「話がつきましたよ。火急の事態につき、協力を許可するですって」
「それはありがたい」
「もちろん、遠藤くんは置いていくそうですけどね」
その言葉に俺の後ろの空間がぴくりと揺れた気がした。
すると、トイレの前で待っていた男がドアの方を顎でさした。
「おい、女の子がトイレから出てこないが」
「そんな思慮の欠片もないことを言うものではないですよ。大体、男の方がトイレの前で待っているのはセクハラじゃないかしら」
「俺はただ仕事でやっているだけだ」
「そのうち出てきますよ。女の子はいろいろあるんです」
さらりと霧寺が言い返すと、行きましょうと俺に目くばせをした。そのまま屋敷の外へと出ると、黒服の男達は俺達を見送ることなく中へとすぐに戻っていく。
「監視の目はきっとついてるだろうな」
「ええ。遠藤くんはしばらく羽織の中に隠れて過ごすことになるでしょうね。それで……」
霧寺がかけていた眼鏡を外すと、さっと前髪をかき上げた。
「どうする? どこへ行くの?」
「行き先は考えてはある。ただ、その前に歩きながら情報の整理をしたいんだがいいか?」
「もちろん。大きな声で言わなければね」
「遠藤も加われ。お前にも聞きたいことがある」
「お、おう」
俺の隣で遠藤が囁くような声を上げた。
「お前はこの街に代々住んできた家系だったな。なら、鏑木家が司っていた街の役割にも詳しいはずだろ」
「そりゃ基本的なことだけは一応。でも、一体何を調べるつもりだ?」
「鏑木家が鍵を隠しそうな場所だよ。俺達は氷見の先回りをする」
「当主しか知らない場所を調べるっていうのか? 確かに修太も一緒にいるとは思うけど優介にしては発想が随分……」
安直だろうな。だが、一つ確信がある。
「いくら御三家といえど、鍵を別の家の管理下の近い所に隠すとは思えない。遠くても手が届くところのはずだ。氷見もきっとヤマを張って探している」
「桑谷くんには当てがあると?」
「ああ。俺は図書館で調べていた時に一つ思い当たることがあった。過去に、この土地は孤立してもなお外敵と戦い続けた歴史がある。このクレーターの土地でだ。簡単に籠城戦になることは予想がつく。ならば、どうやって物資を維持し戦い続けた?」
「月の力?」
「それはない。封印されてからずっと後の歴史だ。なら、考えられるのは一つ。物資調達の手段があった。特に湖付近の山間部には立ち入り禁止のトンネルがある」
「地下道か。外につながっていたと」
「そして、物流を支えていたのは鏑木家だ。鍵はおそらく――」
「ちょっと待って」
霧寺が手を挙げた。
「鏑木邸にあるってことはないの? 私の想像だと赤外線でがちがちに固められた先にある金庫の中って感じがするんだけど」
「それは俺も一番に考えた。だが、それだと俺の手に負えない。氷見が制圧するのを黙って見ているしかない」
「じゃあ、駄目じゃないか」
「可能性はあるだろう。だが、もしそこじゃなかった時、どこだと考えると地下道だ。あると思える場所になければ、普通はそこでお手上げだ」
「裏をかく、と?」
俺は頷いた。
「それに金庫なら今頃、氷見がその目の前にいるんじゃないか?」
「…………」
そして、青鷺の連中もそこに向かっている。確認するには行ってみるしかないが、結局遅れを取ることになる。青鷺をたきつけて地下道に鍵を探しに行かせた方が効率的だが、できることなら彼らには隠しておきたい理由があった。
「確かに街の外に鍵は絶対にないわけだから、その線は正しいのかもしれない。実は俺、実は子どもの頃にその辺の山奥で不気味な像を見たことがあるんだ」
「像?」
「地蔵って感じじゃなかったな」
「道しるべか何かを差す目印ってとこか」
俺は携帯の画面にこの街の地図を呼び出し、遠藤が言った場所を拡大した。
「鍵が鏑木家の勢力圏にあるとして、地下道はこの辺りまで張り巡らされているのかもしれない。それだけでも範囲が相当広いが、遠藤が像を見た場所を中心に調べてみれば何かわかるかもな」
「それで鍵を見つける。あるいは見つける前に氷見と鉢合わせるかもね」
「そうなった時は今度はお前が頼りだ。聞いてなかったが、あいつの正体に心当たりがあるんだろう?」
そう霧寺に聞くと「まあ」と彼女は頷いた。
「たぶん、あれは青い月からやってきたんじゃないかって」
「青い月? 中に人が住んでいるのか?」
「そういう意味じゃない。青い月の力で生み出されたものってこと。外側の体は作り物で中身は怨霊。最初は生身の人間に怨霊が憑りついた憑影ってやつだと思ったんだけど、あの理性的な言葉遣いや身のこなしを見ているとただの憑依体じゃない。むしろ新しい生物」
「おいおい、待ってくれ。それなら、氷見が巫術士って線の方がずっと現実的だぞ?」
「雨宮家や霧寺家でもない第三の巫術機関が堂々と関与してるわけじゃないなら、そんな力を使う人は存在しない。絶対に青い月の情報は街の外には漏れないわけだし、そのための御三家であり大昔からの情報包囲網だから」
つまり、誰かが聞きつけて外からやってくることはないということか。
「誰かが街に呼んだわけでもないってのは確認したのか?」
「さっきみんながトイレに行った時になんとか。青鷺の黒服は萩谷家が管理してるセキュリティ会社の中から選ばれてるけど彼女も一構成員だったってね。それ以前の経歴は調べたら全部嘘。ただ、とにかく優秀で一年も経たずに採用されただとか」
「雑草みたいにその辺から生えてきたんじゃないの?」
遠藤が笹本のようなことを言った。
消去法でもあるが、確かに辻褄は合う。怨霊が大量に発生している事態といい、同時期に怨霊召喚術を使う氷見が出てきたことは無関係とは思えない。大体、氷見の目的が青い月の解放ならそれをして得をするのは誰かって話だ。
「なぁ二人とも。それで一体どうするんだよ。黙り込んじゃって」
「お前があまりにも突拍子もないこと言うから呆れてただけだ」
「ははっ、ナイスジョーク」
俺は遠藤を無視して霧寺を見やった。
「今からこいつに地蔵まで案内してもらうとして、その間に氷見をどうするか考えよう」
「笹本さんはどうする?」
「携帯で連絡しておけば後から来るだろ。ほら、やってくれ遠藤」
「あれ? 俺ってもしかして、ただの便利屋?」
遠藤も真実に辿り付いたようだったが、俺は応えなかった。
とはいえ一時間後、俺達は山を舐めていたことに気付いた。
次第に傾斜が増す獣道。生い茂った草むら。頭にかかる木の枝。初夏のせいで蒸し暑く、歩けば歩くほど疲労がたまる。おまけに、いつどこで誰に遭遇するか警戒までしなきゃいけない。青鷺も氷見も出てくる様子はなかったが、次第に全員口が重くなる。
「この辺なんだよな。遠藤」
「ああ。たぶん……」
先頭を行く遠藤が周囲の雑草をかき分けながら言った。
「あの像がどこにあったか、これじゃよくよく見ないとわからないぞ」
「携帯で見た地図もこの辺をさしていたが……」
あいにくもう圏外だ。俺も周囲をかき分けるが見つからない。まだ先なのか、あるいはそもそも、この山で合っているのか。霧寺も汗をぬぐう。
「一歩先んじるまではよかったけど、このままだとまずいって。夜になる前に引き上げた方がいい。熊とか猪とかもいるかもしれない」
「それにどんなに頑張っても俺達は家に帰らなくちゃならないからな。遅くなったら親に怒られる」
「親か……」
こんな異常事態に呑気なものだ。そういえば、遠藤はともかく事件に関わった連中の多くは平凡な日常とはまるで縁がない。御三家のやつらはそうだし樫崎は常識が狂ったストーカーだ。笹本は存在自体がよくわからないし。
「少しくらい平気だろ」
幸せな家庭を想像して、沸き上がった不快な思いを振り払うように俺は傾斜を登った。前を阻む枝を折って草を踏みつける。その時だった。
「おーい」
「笹本?」
どこからか彼女の声が聞こえて俺は周囲を見回した。しかし、どこにもいない。
「今の聞こえたか?」
「聞こえた」
すると、また「おーい」と声がする。耳を澄ましてみると、その声は木々の中よりも近くの岩の下から聞こえてきた。遠藤が慌てて岩をどけるも、そこには湿った土があるだけだ。
「いや? これはもしかして……」
屋敷の時と同じだ。霧寺と目を合わせると、彼女も頷いた。
「だったらこの私、メイガスの出番ね」
霧寺が自信満々に言うと鞄から何かを取り出して宙に掲げた。細い指につままれた方位磁石らしき物が針をくるくると回転させる。
「何だそれは?」
「これは『霊位磁石(ソウルストーン)』。霊力を探る物。屋敷で別れる前に笹本さんに護符を持っておいてもらったの。どこに行ってもわかるようにってね」
「手際がいいな」
「私を誰だと思ってるの。亜流にして万能の巫術士、霧寺飛鳥よ」
霧寺が霊位磁石を掲げると回転していた針がぴたりと止まった。針が指し示す方向へと行ってみると斜面をやや下ったところに着いた。その部分だけ雑草が生えずに山肌を露出している。
「ここだ」
霧寺が手をそこに突き出すと、景色が歪み洞窟が現れた。人一人分が入れそうなくらいの入り口の向こうに奇妙な形の像が立っている。そして、その隣にいたのは四つん這いになって倒れていた笹本だった。
「何してんだ、お前」
「何もしてないよ。ただ、山に向かって走ってたら吸い込まれて像にぶつかったの」
「優介、通訳してくれ」
「なんで俺が。お前の役目だろ、それは」
ともかくと遠藤が倒れていた笹本を引っ張り上げる。彼女の額が赤く腫れているあたり、像と正面衝突したんだろう。
「でも、助かったね。彼女の特異体質で結界の在処がわかったじゃない」
「これも人の認識に作用するタイプの結界か」
「子供の時の俺は偶然、ここに迷い込んだんだな」
俺は奇妙な像をまじまじと見た。地蔵というよりは埴輪みたいだ。胴体がやけに膨らんでいる。
「とにかくビンゴだぜ! きっとこの先に鍵がある」
「外部との運搬通路にしては入り口が狭すぎるが、フェイクじゃないだろうな」
「そんなの、行ってみればわかるよ!」
興奮した遠藤に加えて笹本も洞窟の中を駆けていった。さっきまで倒れていたのに、もう元気なのか。俺も後を追いかけようとすると、霧寺が「これ見て」と霊位磁石を見せた。
「針がくるくる回って止まらなくなった。この像を通り過ぎた途端に」
「街の下にある青い月に反応でもしてるのか?」
「上下にもカタカタ揺れてる。ちょっとやばい」
そう言う霧寺も興奮気味のようだ。普段は冷めてるくせにニッチな分野で新しい発見をした時の文系女子……そんなイメージが今浮かんだ。俺の周りは変人ばかりだ。
「おーい、早く来てよー」
「待ってくれって」
二人を追いかけて奥へと進んでみると次第に下に潜るようになっていく。携帯でライトをつけて進むと道が二つに分かれていた。迷わないように壁に印をつけてから中に入ると、その先にはまた分かれ道。
「ただの運搬通路がこんなふうに入り組んでいるわけがない」
「きっと鍵を隠すために迷路にしたんだよ! というわけで次はこっちに行こう」
「ちょっと待て。いくら何でも直感過ぎるぞ」
「え? あたちにはどう見ても、こっちにしかつながってないように見えるよ。あっちの奥にはトゲトゲがあるし、向こうには呪いのお札みたいなのがある。触っただけで死にそう」
その言葉に俺は遠藤と霧寺を見やった。「もしかして」と彼が顔を近づけて小声で言う。
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「どうなんだ、メイガス。結界はお前の専門だろ?」
「……ごほん。ちょっと私、目が悪くて」
そう言いつつ眼鏡を取り出して、かけずにレンズの奥を見つめる霧寺。
「ああ、ダメだ。暗い上に光が乱反射して何も見えない」
「ダメイガス」
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本気でキレ始めた霧寺から逃げつつ俺達は笹本を追った。
道を抜けた先にはさらに分かれ道があったが、それもまた迷いなく選んでいく。何度目かの分岐を超えると、一本道の通路へと入り込んだ。
「何だろ、風がする」
「俺は感じないけど」
笹本の呟きに遠藤が返す。同じく俺も感じない。
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全員が思わず走り出していた。見れば、十人は入れる大きさの空間。中央には台座があり、その上に小さな欠片がある。間違いない、あれは雨宮父が首から下げていたものと同じもの。
「鍵だ!」
「これが……!」
霧寺が感嘆とした声を出す。俺は早速それを取ろうと手を伸ばした。その時、
「待って!」
笹本が叫んだ。彼女の視線が今歩いてきた地下通路に向いているのを見て俺も振り返る。そこから新たな光と足音が近づいてきた。
「風が……」
ようやく俺も感じた。肌を舐めるような悪寒がする風。この冷たさは知っている。
「よく見つけ出せたわね。褒めてあげる。案内ご苦労」
「氷見……!」
ライトが氷見を照らし出す。光が陰影を浮き彫りにした、その姿はひどく不気味だが恐怖よりも凄みを感じさせる。まるで蛇が得物を狙うような気迫だ。
「いつからついてきた」
「あなた達が入り口を探していた時から」
「それはまた随分早いな。鏑木邸には寄らなかったのか?」
そう返しながら思考を回す。俺達は今、袋小路だ。戦えそうなのは霧寺だけだが物理には歯が立たない。しかし、苦労して見つけた鍵を手渡すのは癪だ。俺は後ろ手で鍵を掴むと、わずかな可能性に賭けた。
「寄る必要はなかった。御曹司が屋敷にはないと喋ってくれたからね。あのガキ、最初は抵抗する気だったけど、ちょっとどついただけで言ってくれたわ」
「鏑木を拷問したのか?」
俺はぞくりと心が波打つのを感じた。
「屋敷じゃないなら、どこにあるってちょっと脅して聞いただけよ。まあ、あの様子じゃ嘘はつけないでしょうね。そこで、地下道のどこかに当たりをつけて探しに来たら、あんた達もいたってわけ」
「どうやら俺達は山の中で迷い過ぎたみたいだな」
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氷見はすぐさまナイフを取り出すも、その隙に俺は携帯のライトを消した。何も見えなくなる視界。ダッという走る音。いくつもの発砲音の後、ナイフで空を切る音がし――
「うっ!」
どんっと押し倒す音がする。そこで再びライトをつけると笹本が氷見の足に組み付き、暴れる彼女を押しとめようとしていた。間髪入れずに俺も飛びかかり、ナイフを持つ腕を全体重で抑えつけた。
「霧寺!」
「言われなくても!」
彼女も飛びこみ、氷見の頭に札を貼り付けた。
「退魔の札だ。失せろ、亡霊!」
「く……」
途端に氷見が暴れるのをやめ、急におとなしくなる。その目が閉じられていく。笹本が力を緩めると、ゆっくりと体を彼女に預けた。
「終わった……?」
俺はしかし嫌なものを感じた。この冷たい感覚がなくなっていない。むしろ悪寒が膨れ上がっていく。これは何だ!
「笹本! フェイクだ!」
叫ぶが遅い。氷見は目を見開くと笹本を足で瞬時に突き飛ばした。その勢いのまま立ち上がると、間近にいた俺の首を掴んだ。
「私に一芝居打たせたというのだけは褒めてあげる。全く、子供のお遊戯に付き合うなんて私も優しいわね」
「お、まえ……」
凄まじい力に首の骨がみしみしといった。鍵を持ってない方の手で氷見の手を離そうとするも、びくともしない。
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遠藤が叫んで再びエアガンを向けた。その時、氷見が空いた片手で指を鳴らすと彼が見えない何かに弾き飛ばされたかのように地面に転がった。
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「その通り。あんたの友達もいる」
見ると、遠藤を襲っていたのは鏑木だ。あいつも憑りつかれたのか。遠藤は相手が相手のせいか撃てずに一方的に殴られているだけだ。
「霧寺さん、なんとかしてくれ!」
「わかってる」
霧寺は札を周囲にばらまくが、なぜかあまり効果がないのか憑影の動きが多少鈍くなるだけだ。そのうちに彼女も周囲を憑影に囲まれ、何もできずに壁際に追い込まれる。
「結界は作れないのか?」
「囲まれた状態じゃ無理よ!」
「無惨ね」
氷見が冷たく言い放つ。再び指を鳴らすと広間の壁から巨大な手が出現し、霧寺に襲い掛かった。
「きゃあ!」
高い声を上げてしゃがみこんだ。見れば、その手は無数の怨霊の集合体だ。
「やらせない!」
その時、憑影の集団を突破して霧寺の前に現れたのは笹本だった。彼女は右足を大きく掲げると、腕に向かって突き落とす。怨霊が振りほどけるようにして周囲へと霧散すると、今度は氷見に向かって腕を構えた。
「どなどなを離せ!」
「人質が見えないの?」
氷見は俺の首を掴む力を強くした。ダメだ、窒息する。視界の焦点が合わなくなる。
「とりゃあ!」
しかし、笹本は何も見えなかったらしい。俺が持っていた鍵を蹴り飛ばした。
「あんた、バカなの!?」
同時に俺はその場に放り出された。絞められた首が痛み、解放された衝撃で大きく咳き込む。それでも笹本はと前を見ると、彼女に向かって怨霊が渦のように放たれていた。しかし、絶対霊的耐性を持つ笹本には効果がない。
彼女は飛ばされた鍵を走って取ると、「取ったど!」と飛び上がった。そのまま二つ折りにするかのように鍵を両手で掴んで力を込める。
「よーし、こんなものぶっ壊して」
「それはやめろ、馬鹿!」
俺が叫んだ時、笹本の後頭部を憑影の一人が思いっきり殴りつけた。「ふぎゅう」という声とともに彼女が前のめりに倒れる。すると、その手から離れた鍵がカララと音を立てて地面の上を滑っていく。俺が取ろうと手を伸ばすが、その先にいたのは霧寺だった。
「それを渡しなさい」
氷見がいつの間に拾ったのか、銃を彼女に向けている。
「あんたは利口よね。今の状況なら私に従うことが一番賢いって」
俺はばれないように回り込もうとするも、冷たい風を背中に感じて動きを止めた。笹本はのびていて、遠藤はあいかわらず鏑木に殴られ続けている。後はもう打つ手がない。とはいえ、ここまで粘ったんだ。俺達への監視の目が生きているなら、そろそろ青鷺の連中が助けに来てもいい頃だ。
「さあ、早く」
周囲がしんと静まり返る。霧寺は張り詰めた顔をして、おずおずと鍵を掲げた。氷見は反対に余裕ありげな表情をしている。
「……はい」
「霧寺!」
俺は叫んだが彼女はそのまま鍵を氷見へと手渡した。ぱっと氷見は取ると、
「上出来」
とだけ言って、すぐに出口に向き直る。しかし、思い出したようにこちらを振り向いた。
「ああ、お礼ではないけれど、その人達は置いていってあげるわ。お友達と仲良く」
それだけ言って暗い洞窟の中を走り去っていった。後には憑影達が騒ぐ音が響くだけだ。俺はすぐに霧寺に駆け寄ると、「おい」と声をかけた。
「やらなきゃいけない状況だったってのはわかる。だが、もう少し時間稼ぎを、」
「大丈夫よ。この私を一体誰だと思ってるの」
彼女は大きなため息をつくと、ゆっくりと足を動かした。見れば、そこに今氷見に渡したはずの鍵が靴の下から出てきた。
「適当にその辺にあった石に札を貼って誤認させたの。これも霧寺流巫術よ」
「一体いつの間に……」
「一番最初。あんたの背中で鍵が隠れた時に咄嗟に入れ替えた」
「……驚かせるなよ」
じゃあ、取り合っていたのは偽物だったのか。はああと大きなため息が出て、その場に座りこむ。
「だけど、気付くのは時間の問題だ。ばれる前に今から急いで逃げよう」
「そうだな。電波がつながる場所に出たら、すぐに青鷺を呼ぶぞ。それに、この事後処理も頼む必要がある」
「私も『鳥の声』に戻って巫術道具を揃えるわ。さっきは失敗したけど、今除霊できるのは私以外にはいないんだし。まあ、それより先に彼らだけど」
そう言って台座の周囲を見やる。笹本は泡を吹いて倒れていて、遠藤はまだ殴られている。俺はため息をしつつ、霧寺に笹本を任せると遠藤を助け出しに行った。
「にしても……何か変だな」
俺が全てを操ってやると思ってから起きた出来事の数々。氷見の動きが早いことや正体が予想と違ったことは仕方ない。俺も計画のピースが全て揃っているわけじゃない。だが、不思議とこうまでうまくいかないのかと思った。間が悪かったといえば、それまでだが。
その後、洞窟から出た俺達は黒服に保護され、後を追いかけてきていた憑影どもも霧寺の主導で鎮圧された。
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