青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青鷺編)

1節『叛逆する者』

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 車の窓は黒で塗り潰されている。周囲の様子は見えないが、ここは悪路なのだろう。道路が舗装されていないことから察するに、街の中心からはだいぶ離れたようだ。揺れがひどく、連動して俺の精神も荒れる。普通なら酔う。だが、俺はあえて携帯を取り出して画面を見た。

 「よくできるな……。しかも、その手で携帯を落とさずに」

 遠藤が言う声にも何も返さず、ただただ精神を集中させてチェスを進める。そこで、ふと本能的な悪寒がして右を見た。

 「笹本が吐きそうだ」

 笹本は顔を真っ青にして口を押えている。やけに静かだと思えば、そういうことか。俺は前の座席を隔てるガラスを軽く蹴とばして前の男に合図する。すると、助手席の黒服が振り返り睨み付けた。

 「車を汚すな」

 さも悪意を込めた目つきだ。こちらの人権は無視かと俺はため息をして返し、ならばと逆に笹本にタックルをかました。

 「おごごごごご」
 「悪い、揺れた揺れた」

 笹本が頬をハムスターばりに膨らます。そこでうまく肘を使って笹本の顔を隣にいる遠藤へ向けさせた。遠藤はひいと引きつり、全身を背けようとするがうまくいかない。なぜなら、四人も後部座席に押し込まれている上に手錠で手首を拘束されているのだ。身動きの取りようがない。

 「変な真似はやめろ」
 「なら窓くらい開けるんだな。御曹司も吐きそうだぜ」

 俺の左側にいる鏑木も顔が青い。目は虚ろで乗る前と比べて痩せこけたような感じさえする。偏見だが、この貧弱さはまさに金持ちのぼんぼんと言ったところだ。さすがに俺達と違って手錠はつけていないが。

 「聞けば鏑木家の当主はしばらく留守だそうだな。なら、こいつが今の当主代理だ。それをこの閉鎖空間に閉じ込めてゲロまみれにさせるつもりか? お前達の当主がそこまで指示する外道なら、今後は御三家も分裂だな」
 「口の減らないガキだな」
 「いいのか? 俺はこの携帯で写真を撮る。その一枚がお前達の家の名に泥、もといゲロを塗るぜ」

 男は舌打ちをすると、面倒そうに運転席のレバーを操作した。窓が下がって新鮮な空気が車内に流れ込むと、そこから見えた景色は俺の予想通り緑が広がっていた。俺は肘で鏑木の頭を窓に突っ込ませると声をかけた。

 「お前は望めば、別の車に乗れただろうに」

 下手に仲間意識を持つからこうなる。とはいえ、俺も樫崎に手なんか貸すからこうなった。

 「うぷぷ。これって、ばおばお連れてきたら許してもらえるかな……」
 「雨宮がいないところにあいつが来るかよ」
 「渡め……」

 遠藤さえ呪詛を込めて呟いた。

 「……クソ」

 鏑木邸での乱闘で彼を逃がしたことはまあいいだろう。殺人権がどうこうとか余計なことに巻き込まれたくなかったからだ。雨宮を助けるために青鷺に加担したこともいい。問題は落ち込む樫崎を励ましたこと。もちろん、俺は善人ぶるつもりはさらさらなかった。俺は単に楽しんでいた。人が己の掌の上で踊ることが好きだ。駒のように使い絶望を迎えられるようにするのはもっと好きだ。だから、後悔すべきはただ一点。

 この俺自身が駒にされたことだ。俺はただひたすら己の失敗を悔いていた。
 ――二時間前のことだ。樫崎が逃げ出した後の鏑木邸で俺達は後ろ手に拘束され、床に並べて座らされていた。左右に黒服が処刑人のように控え、俺達はさながら断頭を待つ死刑囚のようだ。神主と萩谷父は対応を決めるために、別の部屋で話し合っていた。

 「対応が決まった」

 やがて二人は俺達の前に現れて言った。

 「結論から言おう。これから、お前達にはある役割を担ってもらう。先の逃走は重大な過失だが翁の暴走を止め、この街の秘密を知った以上、お前達はもう無関係な一般人として処理できなくなった」
 「翁の背後にいた存在、氷見零に対抗してもらう」

 随分簡単に言ってくれると俺は心の中で思った。

 「奴の狙いも正体も不明だが、おそらくは『月』の解放だ。だが、おいそれと月の封印は解けないようになっている。今まで一度として封印を解いたものはいない」
 「鍵か」
 「そうだ。鍵は各々独自に管理されており、その在処は同じ御三家でも分からない。つまり、他人が守ろうにも守るべき場所が分からなくなっている。それこそが最大の防御だ」
 「だから我々は態勢を立て直し、氷見を追い詰めればいい。理論上はな」

 神主が重い口調で言う。

 「内部に裏切者がいる。氷見は的確にそこを突き、青鷺を瓦解させた。そして、他に氷見の息がかかっている者がもういないという保証はない。そこで霧寺の話に戻る。あの場でも話したがお前達に調査を頼みたい」
確かに完全に白といえるのは、青鷺と関係なく氷見と戦った俺達くらいなものだ。
 「完全に使い捨ての手駒か……」
 「何か言ったか」
 「いや」

 樫崎を転がしてきた結果、より大きな掌に俺が転がされる。今まで散々思考を重ねて学校では俺だけが治外法権の立場を築いてきたというのに、樫崎のストーカー気質を利用したせいで俺の立場は常識ごと狂ってしまった。
街の影では怨霊が跋扈し、暗躍する秘密組織まで存在する。俺達も拘束されて現在進行形で懲役中ときた。

 「切り替えていこうぜ。俺達はまともだ。おかしいのはこの状況とそれを作り出したやつだけだ。お前は何も悪くないぜ」

 俺は口角を上げて遠藤に発破をかける。さらに感情を煽ってやろうかと思ったが、まだそれは違うと思い直し携帯の画面へと目を落とす。チェスの攻防は俺の勝利へと傾いていた。

 「……うぷぷ。どなどな、それやるとあたち酔う」
 「お前は見るな」

 肘で笹本の顔を遠藤の方へ追い返しながら俺は言った。


 それから数分もせず、車は目的地に着いた。助手席にいた黒服がドアを開け、一人ずつ外へ出される。手錠は外され、笹本がうーんと伸びをした。そのままランニングポーズを取って俺に「逃げる?」と誰にも丸見えなジェスチャーを取った。

 「……言っておくが、敵前逃亡するなら事態が収束するまで監禁してやる」

 黒服が低い声で彼女に言って、顎で後ろを差した。見れば、車のすぐ脇で遠藤が運転手の男に立たされている。その手の手錠は外されていない。

 「人質だ。お前達が逃亡すれば、わかっているな?」
 「うわあ、遠藤豆くん!」
 「わかっている。予想通りだ」

 笹本の反応を無視して俺達は会話を続けた。遠藤も予想はしていたのか、何も言わずに暗い顔をして頷いている。

 「確認だが、俺達が霧寺家の当主に交渉し協力を取り付ければ晴れて自由の身ということだよな」
 「それが我らの首領と神主が出した条件だ」
 「わかった」

 成果を期待する、と男は言い残し遠藤は車の中に連れ込まれた。そしてすぐに車は今来た道を引き返して見えなくなる。すると、鏑木がはあとため息をはいた。

 「緊張した……」
 「お前の立場はあいつらより上のはずなのにな」

 青鷺はこの街限定で機能する超法規的組織だ。それも御三家の私的組織でもある。

 「いいんだ。僕は同時に君達の側の人間だからね」
 「お前が常識人なのは認めるよ。贖罪タイムを終わらせて、さっさと帰ろうぜ」
 「あたちは何も食べない」
 「食材じゃねえよ」

 とにかく、と俺は背にしていた屋敷に振り返った。湖から少し離れたところにある古めかしい日本家屋。立派は立派だが、辺鄙な場所にあるせいか寂れた印象を受ける。

 「霧寺、か」

 雨宮家を古くから支えた協力者。青鷺に属す退魔機関『鳥の声』のリーダー格だったそうだが、雨宮が持つ浄化の力の再現には至らなかったという。おまけに先代巫女が優秀過ぎたために今の霧寺家はさした活躍もなかったというが……。

 「まずは協力の前に、翁が起こした事件に加担したかを聞かないとね」
 「家を再興させるために翁と手を組んだと考えるなら辻褄はあう。あいつらはまがりなりにも怨霊を抑制する手段を身に着けていたしな。用心していこう」
 「万が一だけど、氷見とつながっている可能性もあるしね」

 警戒されないために一般人である俺達を交渉の材料にしたわけだが、同時に捨て駒でもあるってことだ。何かあっても責任を取るつもりはないだろう。

 「行こう。車にいるうちから俺は計画を立てていたんだ。二人にも役割がある」
 「まずは僕が挨拶しに行けばいいのかな」
 「違う。鏑木は後だ。先行は笹本。お前が行け」
 「あたち?」
 「そうだ。できる限り、いつも通り話せ。青鷺や雨宮のことは言うな。ご近所にお邪魔する隣人だと思え」
 「なんかよくわからないけど、わかった」

 笹本は首をひねったが、うんと元気よく頷いた。そのまま門の方へと歩き、勢いよく扉をどんどんと叩く。

 「どうして、笹本さんを?」
 「いくら子どもだろうと御三家の人間がここにいるのは相手に怪しまれる」

 鏑木は霧寺の当主に会ったことがないと言ったが、相手は知っているかもしれない。ここはあえて馬鹿を行かせることで相手になめてもらおう。

 「だからお前は一人で待っていろ。何かあればすぐ呼ぶ。俺はあの馬鹿が余計なことを言わないようについていく」
 「わかったよ」
 「すいませーん、誰かいませんか~。あたちだよ~、笹本彩香だよ~」

 隣人とは言ったが、相手は絶対にお前のことを知らないだろうが。
とにかく鏑木に最低限のことだけを伝えて俺も門へと歩く。インターホンを押して相手が出るのを待つと、

 「申し訳ありません。除霊をしてもらいたい女性がいるのですが」

 手っ取り早く告げた。

 「そちらは霊の専門家とお聞きしまして。ええ、どうしても」
 「え? どこどこ。どこに女の人がいるの?」

 お前だよ。その頭の悪さは何か憑いてるとしか思えん。
 すると、走り寄る音が屋敷の内部から響いた。扉が開くと出てきたのは街の高校の制服を着た女性だった。背中まで垂らしたロングの黒髪に、眼鏡をかけた姿が理知的な雰囲気を醸し出している。当主の娘だろうか。

 「あ、あたちはね、」
 「笹本彩香さんですね」
 「そう! なんで知ってるの?」

 さっき大声で名乗ったからだろうが。

 「ちょっとお邪魔しに参ったの」
 「ご用件は今のでお間違いありませんか?」

 俺に視線を向けて女性が聞く。俺が頷くと、しかし彼女はなぜか困った顔をした。

 「除霊であれば、神社へ行かれるのが一番かと思いますが」
 「残念ながら、少々事情がありまして。巫女も不在とかで」
 「確かにこちらでは巫術を利用したアイテムを多数用意していますが……」

 女性が笹本をじろじろと見る。笹本は「ふえ?」と言って首を傾げた。

 「ちなみに病院は既に紹介された後なので」
 「ああ、なるほど」

 納得したかのように女性が頷く。これで笹本の評価は落としきった。もはやオカルトに頼るしかない哀れな人間を演出した。後は当主にも取り入り、浄化の儀式なりをした後にそれとなく氷見のことを聞き出す。完璧な作戦だ。

 「わかりました。幸福の壺を買いに来たのですね」
 「……は?」
 「え、なになにそれ! あたちほしい!」

 予想外の言葉に面食らうと、女子高生が「これでしょう」と玄関のすぐ横を指さした。見れば、「幸福を呼ぶ幸福の壺発売中。満員御礼」と木の板に墨で書かれている。
 何だこれは。

 「絶対に効くと評判の幸福の壺の家へようこそ。ここでは大小様々、柄も様々な幸運の壺を取り揃えております。もちろん、全て当主の手作りです」
 「わあー、すごーい」
 「女性向きですと、こちら手のり壺なんていかがでしょう。小さくてかわいいと評判です」
 「おいくらなの?」
 「通常、五千六百円のところ初回のお客様には大サービス五百円でお買いいただけます。さらに今ならこちらの普通の壺もセットでお得。見かけも機能も普通ですが、ポイントが二倍。さらに次にお買い求めになる商品が――」
 「買う!」
 「おい待て」

 俺は笹本を押しのけた。

 「ここは霧寺家ですよね?」
 「はい」
 「…………」

 こんなオカルト詐欺めいた商売をしているのが、あの雨宮家を古来から支えた家だっていうのか!? 何かの間違いだろこれは。

 「特に幸運の壺では数多のお客様に愛用されております霧寺です。お客様もどうでしょう。ちょうど男性向けの壺、天狗壺が」
 「いいから当主を出せ」

 そう声音を低くして言うと、女子高生はすごすごと中へと入っていった。

 「ねえねえ、幸運の壺だって。どうしよう、お金足りるかな」
 「勝手に買ってろ」

 問題がある、という萩谷父の言葉を思い出して、こういう意味かと俺は頭を抱えた。いい加減にしてくれ。別の意味でオカルトマックスじゃないか。

 「何があったか知らないが、真面目じゃ食っていけなくなったんだな」
 「面白いねー」

 その時、女子高生が戻ってきた。応接間へどうぞと中へ案内される。とりあえず入ってみると、その先はいくつもの壺が並んでいる廊下だ。通された応接間も壺で囲まれている。しかし、誰もいない。テーブルの向こうには座布団が置かれているのみ。

 「今、当主を呼んできますので。ところで確認ですが本当に壺はいいんですか?」
 「帰りますよ」

 女子高生が引っ込んでいった。
 俺はうきうきする笹本を尻目に、携帯を取り出し鏑木へメッセージを送る。

 『どうでした?』
 「ひどいありさまだ。本当に滅茶苦茶だった」

 ただ、必要なことは一つだけ知れた。

 「巫女が不在と俺が言っても女は反応しなかった。当主じゃないから知らないだけかもしれないが」
 『異常にはまだ気づいてないのかもしれない』
 「ともかく、この後の展開が勝負だな。待っていてくれ」

 そう送って携帯を仕舞うと笹本がつんつんとつついてきた。

 「除霊、楽しみだね。どなどなもやってもらったら?」
 「言っておくが除霊は喜んでしてもらうものじゃないからな」

 逆にまともな人間を降霊させた方がこいつにはいいとさえ思えた。
 とにかく当主が現れるのを待つ。腕を組んだまま、じっと待っていると隣の笹本は足がしびれたのか立ち歩いて、置いてある壺の中に顔を突っ込んだりしていた。そのまま五分が経ち、さらに待っても誰もやってくる様子がない。それどころか女子高生がお茶すら運んでこない。俺は嫌な予感がしてきた。

 「ね、こんなに幸運の壺がたくさんあるってことは、この家はすごい幸運ってことだよね」
 「……」
 「どなどな?」

 俺はすっと立ち上がると、廊下の様子を見ようとふすまに手をかけた。だが、数センチ開けた時、

 「――マジかよ」

 思わず全開にしてしまった。廊下があったはずのそこは壁だった。慌てて反対側のふすまを開けるが、そこも同じ。壁、壁、壁――四隅が壁で囲まれている。

 「どうやら俺達はとんでもなく不運なようだ」

 触って叩いてもびくともしない。携帯を見ると電波は届いているようだが、ここは異界だ。

 「違う。結界か。閉じ込められたぞ、笹本。……笹本?」

 返事がなく振り返ると、笹本の姿も消えていた。

 「……こいつはひどいな」

 再び心が荒れるのを感じた。しかし、今こそ冷静さが必要だ。俺は鏑木に電話をかけた。幸い、電波は切れていないらしい。彼はすぐに出た。

 『どうしたの?』
 「聞いてくれ」

 俺は閉じ込められたことを説明し、外から中を伺えないか頼んでみた。電話越しに息を呑む様子が伝わり、すぐに「わかった」と返事が返ってくる。少しは肝が据わったじゃないか。

 「どうだ? 中に入れるか?」
 『玄関には鍵がかかってる。今、庭の方から回ってるけど、どこもちゃんと戸締りされてるみたいだ』

 片手に持った携帯から鏑木が走る音が聞こえる。俺は一旦、襖から戻り反対側の障子へと歩いた。

 「庭から壁は見えるか? 白い壁だ」
 『見えない。どれも普通の障子だよ。開けたいけど、障子の前にはガラス戸があって……そこも鍵がかかってる』
 「普通の障子、か……」

 ここを開ける前は障子から光が透き込んで見えていた。白い壁は開ける直前までなかったことになる。

 「やはりこれは結界に間違いない」
 『どうして、僕達の素性がばれたんだろう』
 「あるいはこちらの情報は筒抜けで本当に氷見と組んでいるか……」

 話しながら壺や部屋の中を漁ってみたが、結界を解くようなものはなかった。

 「内側からは無理だ。外側からこじ開けても開くかどうか。しかし、時間がない。笹本の様子が気になる」
 『どこかに囚われてるとか?』
 「どうせ生きているだろうが、いろんなことをべらべらと喋り倒すだろう」

 俺はまた廊下側の壁の前へと戻り、思考をフル回転させる。
 可能性としては時間稼ぎ。目的は情報収集、誘拐、鍵との交換。氷見と関わっていないとしても、ここは雨宮家と萩谷家両方に関与している霧寺家だ。自分の不始末で青鷺の動乱が起きたことを知っていれば、いくら警戒しても足りないと思っているかもしれない。

 「そうだ、電波が届くなら声はどうだ。鏑木、近くにいるなら今から俺の声が聞こえるか聞いてくれないか」
 『うん、わかった』
 「よし……おい! いるなら出てこい壺野郎!」

 そう大声で怒鳴る。その時、

 「呼んだ?」

 予想外の方から声が聞こえた。叫んだ直後に壁が消え、そこに壺を抱えた笹本が立っている。目をぱちくりさせたが、驚くのは俺の方だ。

 「……おい、お前。どこにいた」
 「さっき、どなどなが開けたとこから出てっただけだよ」
 「壁は?」
 「壁?」

 笹本は首を傾げると、

 「そんなのなかったよ。ところで、こんなの見つけたんだ。お札かな?」

 そう言って俺の目の前にぴらっと紙を見せる。白く細長い紙に墨で呪文のようなものが書いてあった。まさかと障子戸を振り返ると、そこにあった壁も消失している。向こうに鏑木の姿が見えた。

 「……まさか」

 白い札。なぜかすり抜けた笹本。それらが導く答えは……。

 「ひとまず鏑木と合流だ。それと壺は置いておけ」
 「買い置き?」
 「マジで欲しいのか?」

 俺は障子戸とガラス戸を開けながら言った。


 それから数分。話を合わせた俺達は屋敷の奥へと進むことにした。笹本によれば、中には人の気配はなく鏑木も外には誰もいなかったと言う。あったのは離れだけだったと。

 「もしこれがゲームならボスは一番奥だが」
 「遠藤くんならゲーム好きだったのにね」

 普段なら呑気なことを言っていると白けるところだが、俺の仮定通りならこちらには結界殺しがいることになる。

 「笹本、行ってこい」
 「りょーかいだよ! いくよ、みなのもの~」

 勇者のつもりか薄暗い廊下を歩いていく。すると、すぐさま前に壁が現れ塞がれた。しかし、笹本は臆さず歩いていき、そこをすり抜けた。

 「思ったとおりだ」

 そして、すぐに壁が消失する。奥にいる笹本が新たな札を持って、にかりと笑った。

 「どういう仕組みかわかったぞ。これは結界であり、人の視認をいじってるだけだ」

 さらに奥に進むと前から大玉が転がり、鎧武者が行く手を阻んだが笹本がハイキックを浴びせた瞬間に木のくずへと変化した。要は形を持った幻だ。笹本に見えない理由はわからないが、それが破れるなら大したことはない。
 俺は初めて笹本の有用性に気付いた。

 「でも、どこにも人の姿がない……」
 「人のいない忍者屋敷だな」

 結局、奥まで進んだが誰もいなかった。あるのは様々な形をした壺ばかりだ。霊能関係というよりは工芸関係じゃないのかと思った時、脳裏にひらめくものがある。

 「離れかもな。そこが壺を作る場所なら、この家の心臓部だといえる」
 「なるほど」

 鏑木に靴を取りに行かせて庭へと降りる。よく見れば、離れの裏には壺を焼く場所があった。そこで俺は再び笹本を先頭に立たせ、自分は鏑木の前に立つ。

 「相手はこちらを試している。自分だけが安全な場所にいて、俺達が慌てる様をじっと見ていたはずだ。にたにた笑いながらな。俺にはそれがわかるんだ」
 「桑谷くん?」
 「だが、こうも平然と突破されちゃ相手も出方を変えるだろう」

 離れの中は物理的な罠があるかもしれない。こっちに武器はないが、気を付けろと小声で言った。笹本は聞こえているのかいないのか、まっすぐ離れへと歩いて扉を開ける。俺は数歩離れてから後を追った。が、

 「この扉……」

 一瞬、目がくらんだように思えた瞬間、離れは変質していた。扉など開いてはいない。それどころか、そこは今俺が歩いてきたばかりの母屋だった。後ろを振り返れば、庭の奥に離れ。後ろをついてきた鏑木も、なぜかまるで違う場所から母屋へと歩いてきている。

 「しまった! 錯覚……」

 この幻覚はないものをあるように見せるのではなく、距離感を変質させるもの。そして、笹本がいないということはあいつだけが影響を受けずに離れへと入ったことになる。

 「引き返せ! 笹本!」

 だが、声むなしく離れの扉はたった今閉まる音を響かせた。
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