青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

14節『優しさの崩落』

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 「お、お前……一体何をやってんだ!」

 気付けば僕は大声で叫んでいた。唇の端が震え、目の前の惨状に硬直して動けなかった。

 「何って遥か昔の霊を切っただけですよ」

 対する雫はいつものように言うだけだった。食卓で料理を振る舞った時のように微笑んでさえいた。しかし、決して僕とは目を合わせない。

 「もう既に王から話は聞いているでしょう? この作戦を立てた時から嘘が露見するとはわかっていたんです。でも、私避けの結界はないし何も隠す必要はない」
 「そうだ、なんでこの場で力を使えるんだ。どうやって転移してきたんだ」
 「ほら、これですよ」

 そう言って彼女は寸鉄を見せた。

 「これで集落を囲んでいたのは結界殺しの術式を作るためです。本当はほとんど完成してたんですけどね。ずっと機を伺っていました」
 「じゃあ、本当に王が言ったことは……」

 その時、下の方から悲鳴のような声が聞こえた。雫から目を離さないようにして、そっと下を見ると人もどきが蜘蛛の子を散らすように逃げていた。王の首が落ちたのを見てパニックになっているのだ。

 「大丈夫ですよ。夢はいつか覚めるものです。この悪夢も直に終わりますよ」
 「悪夢?」

 王は幸せな夢と言っていたのに?

 「さて、娘達も呼びましょうか」

 そう言って雫が指を鳴らす。すると、王の間に二人の人影が現れた。雨宮瞳と萩谷魁斗。彼らの服は薄汚れていて、今まさに向かい合う彼らはお互いに武器を構えて向かい合っていた。

 「転移した!?」

 瞳が叫ぶと、周囲をすぐさま目をやった。そして、血まみれの僕と雫を見て目を見開く。

 「どういうこと?」
 「そっちこそ萩谷が元に戻っている」

 状況が全く見えないが、これも雫の掌の上か? 
 驚く僕達を見て、くすくすと彼女が笑う。

 「みなさん、ありがとう。おかげで全てがうまくいきました」
 「母さん、これは一体どういうことなの」
 「月の全権を取り戻したんですよ」
 「雨宮、魅了の話は嘘だったんだ」

 僕は彼女に声をかけた。

 「寸鉄を打っていたのは結界を壊すためだ。今、君の母親は王を殺した!」
 「人もどきの子供をさらってきて辺境に追放したのも余計な手出しをされないためです。まあ、それ以外にも理由はあったんですけど」

 さらりと世間話をするように雫は言った。

 「月の核――いわゆる宝玉を完全に掌握するために氷見さんが仕掛けた封印を解除しなければいけなかったんです。ねぇ、樫崎さん。王はあなたにきっと耳障りのいい言葉をたくさんかけたと思うんですけど、真実はちょっと違います」
 「一体何だよ」

 「原初の巫女である氷見さんも完璧じゃない。月へ行ったのは彼女が人々を負の連鎖から守れず集落から追放されたから。その意趣返しとして核にかけられた封印は、氷見さんが犯した間違いをそのまま再現しないと解けないということ。氷見零になりきり失敗し、人もどきが彼女に与えたトラウマで平和な世界を現実に突き崩すのが瞳の役割だったのです」
 「そ、んな……」

 瞳が刀をわずかに下げた。絶望の表情に彼女はさっきまで戦っていたことさえ忘れているようだった。

 「ほら、これですよ」

 そう言うと雫の掌に宝石の欠片のような物が現れた。

 「これも取り出せないように隠されていたんです」
 「それは核か?」
 「青い月の核から削り取った石です。通称、宝玉といったところでしょうか。氷見さんが取り出し私に譲ったものです」

 青く輝くそれを雫は大切そうに掌で撫でた。

 「これを使って青い月をぶち壊します」
 「は?」

 瞳が掠れた声で言った。

 「壊す? 月を?」
 「ええ。全てを終わりにするための終局の一打。もちろん誰も困りませんよ。怨霊も遥か昔から続く家族の使命も打ち切ることができる」
 「なんで……なんで、どうして?」
 「だって、こんなこと終わりにした方がいいでしょう?」

 さも当然と応えた雫に瞳がすがるように叫んだ。

 「母さん! 私達の使命は月の封印、怨霊を倒し人々を守ること! そうして何代も何代も渡ってきたでしょう! なのに勝手に月を破壊するなんておかしいわ!」
 「気が変わったんです」

 雫は少しイライラしたようだった。

 「あなたも一度は思ったはずですよ。どうして自分の身をここまで犠牲にしなければいけないんだって。月なんかなければいいのにって」
 「それはそうだけど」
 「第一、ここまで戦い方を見てきましたが、あなたは勝てる相手にも敗れているじゃないですか。月に落ちてきたのもそれで死にかけたからでしょう。これでは何も救えない」
 「私は人を殺したくないだけ」
 「では自分は死んでもいいと?」
 「瞳は罪の意識に囚われているんだ!」

 思わず僕が叫んだ。萩谷が顔をしかめ、雫もやや目を細める。

 「瞳は母親を助けられずに死なせてしまったことをずっと後悔しているんだ。全てを贖罪だと割り切って! それを覚悟がないとは言えない。それは不殺の覚悟だ!」
 「ああ。そんなことですか。知っていますよ。あなたの挙動が暗いことも、気にしているのかと薄々考えていました」
 「そんなことって」
 「むしろ私を殺したことを誇りに思いなさい。私は気にしていません。むしろ怨霊ではなく娘に引導を渡されたことを良しとしたのです」

 雫ははっきりと断言するように言った。対する瞳は言葉を失い、茫然と立ち尽くした。

 「何の救いにもならない……」

 僕でさえ呟かずにはいられなかった。

 「これでも自分を責めるというなら切って捨てるしかありません。しかし、ここで問題があります。月を破壊するには氷見さんの力が必要なのですが、私は彼女のように肉体を得て外に出ることができません。誰かを依代にしないと」

 ぼやきながら説明する口調で彼女は言った。

 「あと、月の管理者がいなくなるとその時点で核が怨霊にのっとられかねないんですよね。そうなると外の世界も大変なことになるのですが……。まあ、おわかりですよね。人手がいるって私、言いましたものね」
 「もう黙れ、お前」
 「私の肉体の依代には瞳しかいません。依代になれば意識は消えます。それが救済になるでしょう」
 「だから黙れって」

 雫が一歩近づいた時、僕は今度こそ心の奥底から声を出した。

 「僕以外の人間が瞳を困らせるな」
 「何ですかそれ」
 「両親揃ってクソ野郎だ! 駆け落ちしてやる!」
 「行きなさい、傀儡」

 瞬間、今まで空気だった萩谷が動いた。手に構えた寸鉄を抉り込むように踏み込んでくる。かわそうとしても間に合わない。死ぬと思ったその時、

 「何!?」

 萩谷の周囲に何本もの剣山が出現した。彼が足を止めたのを好機に、その右頬を思いっきり殴りつける。しかし腕でガードされ、今度はカウンターのごとくもう片腕の拳が飛んできた。しかし、それも床から飛び出した巨大な針が止める。

 「これは――」

 その時、声が聞こえた。

 『お前に、託す』

 王の声だった。それと同時に体に何かが流れ込んでくる。不思議な感覚にふとイメージしたものを思い浮かべると、それは手に実体となって現れた。
 巨大な鋼鉄の盾だ。

 「造形能力? 全く余計な置き土産を」

 萩谷が銃を取り出し撃つが、それはどこかに跳ね返っていくだけだ。

 そこでテレビで見た記憶を頼りに盾の上にマシンガンを設置する。引き金を引いた途端に勢いよく弾丸が発射された。凄まじい衝撃に本体を持ち切れず、天井にまで弾丸が飛ぶ。辺りが土煙にまみれ前が見えなくなった。

 それでも萩谷は剣山に阻まれてかわせなかったはず。期待して土煙が収まるのを待つと、

 「失礼ながら――今、勝った気でいませんか?」

 萩谷の前の空間が歪み、弾丸を全て弾き落としていた。

 「私だって造形能力持ちですし、何より私は娘よりも強い」

 雫がくすりと笑った瞬間、彼女の刀が薄く藍色に光った。はっとする間もなく彼女は僕に踏み込み、マシンガンを切断した。そこでやっと後ろに下がろうとするが、

 「遅い」

 彼女の姿は早送りでもするかのように僕に追いつき一閃していた。

 「っ!!」

 体を押さえてうずくまる。しかし、痛みはいつまで経ってもやってこない。おそるおそる見ると、体には傷はなかった。
 わけがわからず混乱していると雫が言った。

 「切ったのはあなたの魂です」
 「魂だって?」
 「貴重な人柱候補を切って捨てるわけにはいきません。あなた達が降伏するまで魂を切り刻み、いつか真っ白な抜け殻になってしまった時が私の勝利です」
 「手をつけずに殺すつもりなのか!」

 体の底が一瞬にして冷えていく。勝てない、殺される、そんな絶対的恐怖に身がすくむ。

 「あなたが一息するまでに私は三度切れます。それで瞳を守るつもりなのですか?」
 「……僕は何の修行もしてない一般人だぞ」

 そうとしか言い返せなかった。再び雫が口の端を歪めて微笑む。

 「言ったでしょう。今後娘でも敵わない相手が出てきた時、それをあなたが代わりに倒したら娘の体を好きにしてもいいですよと。つまりはこういうことですよ」
 「……」

 それって、させるつもりがないじゃないか。

 瞳を見やると、彼女は茫然自失のまま立っているだけだ。このままでは駄目だ。だが、どうする。攻撃しようにも勝てる見込みがない。いっそのこと月を壊すという意見に賛同してみるか? 生き残るなら、それが一番いいのは確かだ。これ以上ない正解だ。

 「……だっていうのに」

 思えば。雨宮瞳の行動原理は母親への贖罪によるものだ。自身が破滅しても構わないというのも全てそうだ。それを克服するには今を逃せば二度とないだろう。彼女の願いを望むなら死ぬとしても僕も月を守るべきなのか――。自然と弱気になり、僕は奥歯を噛みしめた。

 違う。彼女の本意でも違う。嫌だ、断る。僕は僕のために、その願いを踏みにじる。

 「月は壊す」

 彼女を守ると言いつつも、全て自分の勝手だ。己の最低極まりない下衆な欲望だ。そのためだけに僕は生きて、死ぬために生まれたんだ。

 「だけど、瞳が瞳じゃなくなるなら月を壊しても意味がない」
 「矛盾してるわよ。どうするの?」
 「そんなの知るか! 瞳は瞳のまま手に入れて持って帰るだけだ! それで南極にでも連れていって抱いてやるよバーカ!」

 僕は叫び、銃を造形して連射した。雫は刀で弾丸を切り落とし、銃弾の嵐の中をかいくぐってくる。切られる前に瞳に発破をかけた。

 「戦え! 自分のために!」
 「っ!」

 同時に萩谷も跳ねるように動いた。寸鉄を構えて瞳へと投擲する。僕は切られながら彼女の前に壁を作った。

 「戦え、戦うんだ!」
 「――」
 「今戦わなければ、お前は何も救えないぞ!」

 後ろへと下がりながら僕はさらに叫んだ。銃声の最中に、ようやく瞳が僕に目を向ける。

 「刀を!」
 「でも!」

 あなたはどうするという声に「いいから!」と叫び返す。

 「行け! お前は自分と戦っていろ!」

 その言葉と同時に彼女は刀を構えて雫へと視線を向けた。雫もまた自分の敵が彼女だと知るや刀を構え直す。萩谷は僕に狙いを定めると寸鉄ではなく銃を取り出した。彼は容赦するつもりはないらしい。

 瞳とお互いに背に守るように立ち、己の敵に向かって走り出した。
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