青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

13節『届かない祈り』

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 「嘘だ……と?」
 「そうだ。その通り」

 両手を顔の前で組み、見えない素顔をさらに隠したまま王は言った。

 「我々と件の巫女が相容れない理由がこれでわかっただろう」
 「……そんなはずがない」

 数分前に牢屋から連れ出され、真実を教えてやると言われて聞いたが到底信じられなかった。――ここは塔の上層、数十人は入れるかという大広間。壁面に描かれた模様は豪奢だが、今はこの場に数人と兵士と僕と王だけだ。彼は一番奥で静かに僕を見つめている。大理石で作られた玉座に座り、ローブを床下まで垂らした姿は今までのどの姿よりも王らしい。

 「お前達の言う魅了されたという話も嘘だ」

 さらに彼は淡々と告げた。

 「実体を持たない我々だが怨霊のような力は持っていない。無論、呪いをかける力もない」
 「だが、雨宮雫は」
 「扉を開けようとして開けなかった、だろう。それはただの芝居だ。大方、自分の目的のためにお前達を最後まで利用しようとしたんだ」
 「それでも雫が嘘をついているそぶりはなかった。……はずだ」

 思い返せば彼女はいつも飄々としていた。つかみどころのない言葉を繰り返し、それでいて決して僕と目を合わせようとしなかった。

 「だが、まさか月の破壊なんて!」

 一体何のためにと詰め寄ろうとして、僕は前のめりに倒れ込んだ。両手足を拘束されているせいでバランスを崩したのだ。そばにいる兵士がその様子を見て、ふんと鼻で笑う。

 「お前が信じなかろうが、それが事実だ。第一、あの巫女は我々がこうして姿形を得たその日に襲撃してきた」
 「襲撃?」
 「結界を張る前のことだ。巫女は兵士達をあっという間に屠ると、女子供も構わず殺し尽くした。辺りは血の海に染まった。そうして、この玉座まで来ると私の首に刀を突きつけた」

 王は組んでいた手を解くと、自分の首を指でなぞった。

 「ふがいないが死ぬかと思った。だが、奴は一体何を思ったのか『気が変わった』と抜かして、その場で刃を収めた。今、お前に話したのはその後に聞いたことだよ」
 「なんで殺さなかった?」
 「私を殺しても氷見様が築いた世界は崩壊しないし、月も壊せない。怨霊が無駄に増えるだけと言って、勝手に帰っていった。ははは、なんという暴挙だ! あれが我々の子孫とは到底思えん!」

 そう自嘲するように笑い飛ばすと同時に彼は立ち上がった。

 「だから我々青い月の住民はあの女を憎み、氷見様の代わりになる者を望んだ! 巫女避けの結界を貼ったのも、数か月でここまで復興したのも一縷の希望が故だ! お前達がこの月にやってきたのを見て、正直胸が震えたぞ」

 そう言いながら彼は立ち上がると僕の前へと歩いてきた。

 「そこでだ。お前はあの少女と仲がいいように見える。彼女には氷見様の代わりとなるよう説得を願いたいが、どうか?」
 「は?」
 「だからお前に真実を話したのだ。いつまでもとは言わない。少しの間だけでもいい。市民が望む我々の悲願なのだ。この機会を逃せば次はもうないだろう」

 確かに仲がいいのは間違いないけど、僕が説得したところで聞いてくれない気がする。

 「ちなみに、なんで仲がいいと?」
 「女装を許す仲なのだろう? じゃなければ普通は怒るぞ」

 怒られていました。しかも、ドン引きまでされていました。
 ……とはいえ、それを正直に伝えるわけにもいかない。

 「聞いてみてもいいが、我々の悲願っていうのは何だ?」
 「かつての生活――思い出の追体験だ」
 「え? 肉体の獲得じゃないのか?」
 「それは怨霊だ。我々はもっと頭がいいし、平和主義者だ」

 そう言うと王はため息をついた。

 「そう誤解されるのも仕方がない。怨霊達も我々の同胞だが、彼らは恨みや憎しみでおかしくなっているのだよ。本来は私達と同じ思考だ」
 「ゾンビも元は人間ってことか」
 「ゾンビ? 何だそれは」
 「何でもない」

 失言だったと慌てて首を横に振る。すると、王は突然手を僕に向かって振り下ろした。殴られると顔を咄嗟にそむけたが、それが届くことはなかった。彼は僕の腕を掴むと、ゆっくりと立たせただけだった。

 「見せたいものがある。おい、そこの。足の拘束を解け」
 「え……」

 どうやら驚いたのは僕だけじゃなかったらしい。そばにいる兵士も王の言葉を聞いて、どよめいたような声をあげた。しかし、すぐに持っていた槍で縄を切ると王の後ろへと下がる。

 「これでいい。そのまま私に続いて、正面の扉から出よう。街の全景が一望できる。そこから、どうか自分の目で見てほしい」

 言われた通り、僕は王に続いて扉の外へと出た。すると、バルコニーのような場所から大理石の家々が広がっているのが見えた。建物はどれも白く、空の青と相まってエーゲ海の白い街並みを思い出させる。

 「そろそろ刻限だ。下をよく見てみろ。私の愛する人々が集まってきている」
 「みんな、王に会いに来ているのか?」
 「いや、この塔は王の居場所と同時に祭壇でもあるのだ。一日の終わりにはここに人々が集まり祈るのが慣習なのだよ」

 そういえば、雫も同じことを言っていた。月の世界には朝も夜もないが、祈ることで一日を区切っていると。
 王は手すりを掴むと、下にいる人々に手を振った。

 「彼らの祈りは皆、同じものだ。明日も変わらぬ日々を過ごせるように悠久の幸せを請い願う。現世に復活したといえど、我々は氷見様の記憶の残りカスにしか過ぎん。とても儚くもろいイメージには変わりないのだ」
 「もしかして、自分達でも姿形の判別がつかないのか?」
 「心で会話しているだけだからな。その意味では実体を得たいというのは嘘ではないが」

 彼は苦笑して言った。
 ……なんで笑っているんだろう、この人。

 「その願いは本当に叶うのか?」
 「お前は本当にぶしつけだな。確かにその通りだが……」

 王は少し言い澱み、間を空けると意を決したように言った。

 「この祭壇の地下には月の核がある。怨霊を無限に湧き出させる程度には壊れてしまっているが、我々はそれに向かって祈っている」
 「まさか、願望機か」

 人々が欲してやまない欲望を叶える器。ここで翁が言っていたことをまた思い出した。そして、雫が使っていた力。その源が僕の足元にあるだって?

 「あまり言いたくなかったが、我々は祈りを力として核に溜めているのだ。明日を過ごすだけでなく、いつか肉体を得て当時の生活をいつまでも繰り返したいと夢見てな」
 「それは……」

 雫は言った。死んだ者を生き返らせることはできないと。

 「当然、死者の妄想だ。そんなことはわかっている」

 僕が言いたいことを察したのか王が先に言った。

 「だが、元より我々は夢のようなもの。夢の住民がまた夢を見たっていい。月が正常だった頃、戦争が始まる前の平和だった頃、そして氷見様と共に過ごしたあの頃。全てが私の瞼の裏に焼き付いているのだ」

 彼はかぶっていたフードに手を添えると、それを下ろした。そこから現れたのは、わずかに顔に皺の刻まれた精悍な顔立ちの男だった。厳しくも優しい表情を浮かべたその顔に、ふと思う。もしかして、この王は本当は市民に愛されたいい王様だったんじゃないかと。

 「まあ、見ているといい。なかなかの絶景だぞ」

 そう言うと人々が祈り始めたようにじっと動かなくなった。手を合わせているのだろうかと思うと、すぐに異変が現れた。

 人々からうっすらと光の柱のようなものが立ち始めたのだ。それはきらきらと粒子をまといながら交じりあい、たなびく光の帯となって塔を包み始める。驚いて王を見ると彼もまた手を合わせて祈っていた。兵士も同じだ。全員から光が溢れ、塔を覆い尽くす。あっけにとられて見ていると、それはすぅと塔の中に吸い込まれて消えていった。

 「……どうだい。美しかっただろう」

 そう言って、手を離すと王は僕を見た。

 「あれが人々の祈りだ」
 「……」

 何て言えばいいのかわからなかった。光とか超常現象とか、そんなことじゃない。人の心があんなに綺麗なもののはずがない。なのに、今こうして見ると人の気持ちがわからない僕が全て間違っていたと思えてしまう。

 「気にする必要はない。現実の歴史では、彼らでさえ自分の欲望に身を任せたのだ」

 またも見抜かれたのか王は僕に優しく諭すように言った。

 「だが、簡単に願いを叶えられる物に頼るのではなく、自分で祈り努力し愚直にも歩み続けた者が本当の強さを手に入れられるものだ。だから、私はお前に命令をしない。ただ、彼らの願いにもしよければ応えてくれないかと望むのだ」
 「なるほどな……。それくらいなら雨宮も別に断ったりしないだろう」

 雫も王達のことを知っていれば、きっと乱暴を働いたりしなかったはずだ。

 「彼らが戻ってきたら話をしてみよう。どうせ、成功して帰ってくるはずだろうし」
 「それなら重畳だ」

 そう言って彼は微笑んだ。

 「なぁ、今ふと思ったんだが」

 その横顔を見ていると、どうしても聞きたくなってしまった。

 「……お前は氷見の記憶の中で最も印象に残っていた人だった。だが、ここは王の座と同時に祭壇で、巫女だった氷見と毎日一緒に働いていたんだろう。ということは王というよりも神主だ」
 「神主?」
 「神聖な社で一番偉い人のことだ。前に雨宮神社を調べた時に知ったんだが、そこは神主と巫女が代々夫婦であることが多くて……。もしかしてだけど、お前は氷見の、」

 その時だった。王が突然手すりを掴んで遠くを見やった。

 「待て。今、結界が」

 大きな声と同時にビュッと僕の顔に何かがかかった。視界が一瞬、潰され咄嗟に腕で顔を拭う。すると、自分の手や腕には赤い液体がかかっていた。すぐさま、前を向くと、

 王には首がなかった。

 さっきまであったはずの首はドサッという音とともに彼の足元に落ちていて、血を噴きながら手すりの隙間から落ちていった。

 「――――は?」

 声にならない。一体何が今起きたのかもわからない。自分の意識が一瞬で遠くに持っていかれるような、そんな気がした。でも、なぜか後ろは絶対に見ないといけないと心の奥底で本能が訴えていた。

 ぎこちない動作で振り向いた途端、僕も手すりから落ちるかと思った。

 「ごきげんよう」

 雨宮雫が刀と体を血に染めながら、兵士達の死体の上に立っていた。

 「いい夢、見られましたか?」
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