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破(青い月編)
12節『或る真相』
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――一体いつの頃だろう。
雨宮瞳は自身の小さい頃を夢に見ていた。神社の境内で和装に身を包み、手に木刀を持って素振りを繰り返していた。蝉の声が響く晴れた空の下のことだ。彼女のすぐそばには神主である父の姿。同じく木刀を持ち、厳しい目で彼女を見下ろしている。
「構えが崩れているぞ」
その言葉に彼女はもう一度、体勢を整え直す。そして、えいや! と勢いよく木刀を振り下ろす。
「まだまだだ。母のようになるのだろう」
「はい」
額から汗を垂らしながら彼女は言った。
――そうだ。母は強かった。青鷺との合同訓練の時に手合わせをする母を見て、私もああなりたいと思ったんだ。剣を持った母は凛々しく、そして美しかった。
「剣の達人二人の子だもの。きっとなれるわよ」
声とともに場面は飛んで、そこは夕陽で照らされた境内。西日と建物の影がそれぞれ赤と黒のコントラストに分かれている。その長い影の一隅に瞳は頭を垂れて佇んでいた。手には木刀。か細い手は赤く、皮がむけている。
「どうしても、母さんのようになれない」
「先を急ぎ過ぎよ。あなたの年じゃ、私だって無理だわ」
木刀を握りしめる瞳に雫は言った。とはいえ、瞳はもう知っていた。時の流れに身を任せたところで自分が母の技術に到達する時には、もう母はこの世にいないことを。
「いい、瞳」
小さい彼女に視線を合わせるようにしゃがみこみ、その頭をなでながら雫は言った。
「あなたは私を超える。私じゃ勝てない父にも勝てるようになる。私がそれを見ることができなくても必ず――」
だから、落ち着いてと。少し残念そうな語感を含ませながら笑顔で言った。
『失望した』
その顔に今の雫の声が重なり、瞳はうめき声をあげた。
「はっ――」
瞳が気付くと誰かに背負われている感覚があった。驚いて顔を上げると、岩山の崖を萩谷におぶわれながら降りている最中だった。
「起きたか。ちょっと待ってろ、気絶してたんだから暴れるな」
じたばたする瞳に萩谷が言うと、彼女はしゅんとして従った。
そのまま崖を下り、二人分は落ち着ける足場に着いてから解放される。憑依体との戦いで強い衝撃を体に受けたが、今は何ともなっていない。
「母さんは?」
「傷だけ治して、すぐに姿を消した。ついでに転移もしていってほしかったが……」
言いにくそうに萩谷は目をそらす。それを見て瞳も表情を曇らせた。
「私は不合格だったのね。母が期待するような剣術を得られなかったから」
「あの人が別格過ぎるだけだ。君は今のままでも十分強い」
「……」
萩谷は励ますが、瞳の表情は変わらない。追いつけない背中というのは、どうしてこうも遠いのだろうと感じていた。
「そういえば今朝、君の母親から預かったものがあるんだが」
彼は雰囲気を変えようと、荷物の中から四角いケースを取り出した。
「何?」
「……弁当なんだが」
瞳は視線だけで萩谷に拒否を示した。
「気分じゃないのはわかるが、あの戦いの後だし疲れているだろ? 食べよう」
そう言って開けてみると、中に入っていたのは一面が白い物。
「……」
ごはんと豆腐が一対一の割合で入っていたものを見なかったことにして彼は蓋を閉じた。
「これが二人分……生前もこうだったのか?」
「父がいれば違うわ。豆腐尽くしから抜け出すには父の力が必要不可欠よ」
「思っていたより重い話だな」
というかゴミじゃないかと彼は内心ツバを吐いた。その横で彼女はいつもなら苦笑して過ごせたはずなのにと過去に想いを馳せる。あの頃はよかったなと。苦しい鍛錬を経験しても父母と共に笑いながら食べる食卓は楽しかったな――そこまで彼女が回想した時だった。
ふとした引っ掛かりが生まれた。
よく考えなければ気付かなかっただろう疑問。思い過ごしのように見えて、すぐに聞かなければ忘れてしまうような違和感。何が変なのか言葉にしようとしても、うまく言い表せられない焦燥感。
雨宮瞳は湧き出してくる感情を抑え込むと、まず思いついたことを聞いた。
「ねえ、萩谷くん。どうして弁当があるの?」
「それはあの人が用意したかったんだろう」
「違うわ。作戦は王に取り入って終わりだった。今さっきもらったならともかく、こんな腐りそうなものが非常食としてある」
彼女が言いたいことを理解して萩谷は顔を上げた。
「それに今、二人分って言ったわよね? 樫崎くんの分は? 母は絶対に誰か一人を抜くなんてことはしないわ」
「捨ててきた」
「弁当箱ごと? 母さんが箱を返してと言ったら、どうするの? 嘘だ。世間へ向ける自分を完璧に作り上げた萩谷魁斗がそんな凡ミスをするはずない」
萩谷が黙ったまま髪をかく。苦笑いを取り繕っているが、感情がそこにないのは明らかだった。それを見て、さらに瞳はある事実に気が付く。
「そうだ……おかしいとは思ったけど、そうと考えれば、一つだけ納得のいくことがある」
雨宮は静かに彼から距離を取った。
「行方不明になった子どものことよ。女の人が探してくれと樫崎くんにすがりついたのは王に迫った直後だったわ。偶然にしては出来過ぎている。それにいくら怨霊に憑りつかれたと言っても、こんな月の世界の果てまで。しかも、最悪の敵となって!」
彼女は刀を持ち、構えた。
「萩谷くん――行方不明になった子どもはあなたがさらったのね」
「ふっ」
それを聞いた萩谷もまた同じように立ち上がった。苦笑のベールは脱ぎ捨て、境内で彼女を襲った時と同じ表情を向ける。
「あの場で王を唆したのも僕だからな。そのへんから気付くんじゃないかと思っていた」
「いつ実行したの? 母さんがあなたのことを止めないはずはないわ」
「おやおや? そこはまだ疑わないのかい?」
馬鹿にしたように萩谷が口の端を釣り上げる。
言われるまでもなく彼女にはもうわかっていた。ただ、信じたくなかった。
「あなたの拘束はずっと前に解かれていたのね。私と樫崎くんをくっつけようとしていたけど、その裏で母さんと二人で何かを企んでいた!」
「その通り」
「じゃあ、あなた達の目的は何!?」
「僕は欲しいものを手に入れ、いらないものを駆逐することだ」
はっきりと彼は言った。
「雨宮家を併合し鏑木家を傘下に収める。御三家を統一し、僕の欲望を満たすだけの権力と力を手に入れる。そのために、父親も樫崎も不要な奴らは全て潰すんだ」
「なんて――」
雨宮は驚愕するなり知った。三年前の彼はもう完全に死んだのだと。
「なんて浅ましさ!」
「全てを手に入れた者が勝つ!」
そう言った時だった。彼の体に向けて、崖上から白い冷気が凄まじい速度で降ってきた。一つではなく方々から突き刺すようにいくつも集ったそれは萩谷を取り囲み、獰猛な気配を発散させていく。
「憑依体!」
己の危険を悟った瞳は瞬時にその場から飛び降りた。その後を追い、凶戦士と化した萩谷も同じく飛び降りる――!
雨宮瞳は自身の小さい頃を夢に見ていた。神社の境内で和装に身を包み、手に木刀を持って素振りを繰り返していた。蝉の声が響く晴れた空の下のことだ。彼女のすぐそばには神主である父の姿。同じく木刀を持ち、厳しい目で彼女を見下ろしている。
「構えが崩れているぞ」
その言葉に彼女はもう一度、体勢を整え直す。そして、えいや! と勢いよく木刀を振り下ろす。
「まだまだだ。母のようになるのだろう」
「はい」
額から汗を垂らしながら彼女は言った。
――そうだ。母は強かった。青鷺との合同訓練の時に手合わせをする母を見て、私もああなりたいと思ったんだ。剣を持った母は凛々しく、そして美しかった。
「剣の達人二人の子だもの。きっとなれるわよ」
声とともに場面は飛んで、そこは夕陽で照らされた境内。西日と建物の影がそれぞれ赤と黒のコントラストに分かれている。その長い影の一隅に瞳は頭を垂れて佇んでいた。手には木刀。か細い手は赤く、皮がむけている。
「どうしても、母さんのようになれない」
「先を急ぎ過ぎよ。あなたの年じゃ、私だって無理だわ」
木刀を握りしめる瞳に雫は言った。とはいえ、瞳はもう知っていた。時の流れに身を任せたところで自分が母の技術に到達する時には、もう母はこの世にいないことを。
「いい、瞳」
小さい彼女に視線を合わせるようにしゃがみこみ、その頭をなでながら雫は言った。
「あなたは私を超える。私じゃ勝てない父にも勝てるようになる。私がそれを見ることができなくても必ず――」
だから、落ち着いてと。少し残念そうな語感を含ませながら笑顔で言った。
『失望した』
その顔に今の雫の声が重なり、瞳はうめき声をあげた。
「はっ――」
瞳が気付くと誰かに背負われている感覚があった。驚いて顔を上げると、岩山の崖を萩谷におぶわれながら降りている最中だった。
「起きたか。ちょっと待ってろ、気絶してたんだから暴れるな」
じたばたする瞳に萩谷が言うと、彼女はしゅんとして従った。
そのまま崖を下り、二人分は落ち着ける足場に着いてから解放される。憑依体との戦いで強い衝撃を体に受けたが、今は何ともなっていない。
「母さんは?」
「傷だけ治して、すぐに姿を消した。ついでに転移もしていってほしかったが……」
言いにくそうに萩谷は目をそらす。それを見て瞳も表情を曇らせた。
「私は不合格だったのね。母が期待するような剣術を得られなかったから」
「あの人が別格過ぎるだけだ。君は今のままでも十分強い」
「……」
萩谷は励ますが、瞳の表情は変わらない。追いつけない背中というのは、どうしてこうも遠いのだろうと感じていた。
「そういえば今朝、君の母親から預かったものがあるんだが」
彼は雰囲気を変えようと、荷物の中から四角いケースを取り出した。
「何?」
「……弁当なんだが」
瞳は視線だけで萩谷に拒否を示した。
「気分じゃないのはわかるが、あの戦いの後だし疲れているだろ? 食べよう」
そう言って開けてみると、中に入っていたのは一面が白い物。
「……」
ごはんと豆腐が一対一の割合で入っていたものを見なかったことにして彼は蓋を閉じた。
「これが二人分……生前もこうだったのか?」
「父がいれば違うわ。豆腐尽くしから抜け出すには父の力が必要不可欠よ」
「思っていたより重い話だな」
というかゴミじゃないかと彼は内心ツバを吐いた。その横で彼女はいつもなら苦笑して過ごせたはずなのにと過去に想いを馳せる。あの頃はよかったなと。苦しい鍛錬を経験しても父母と共に笑いながら食べる食卓は楽しかったな――そこまで彼女が回想した時だった。
ふとした引っ掛かりが生まれた。
よく考えなければ気付かなかっただろう疑問。思い過ごしのように見えて、すぐに聞かなければ忘れてしまうような違和感。何が変なのか言葉にしようとしても、うまく言い表せられない焦燥感。
雨宮瞳は湧き出してくる感情を抑え込むと、まず思いついたことを聞いた。
「ねえ、萩谷くん。どうして弁当があるの?」
「それはあの人が用意したかったんだろう」
「違うわ。作戦は王に取り入って終わりだった。今さっきもらったならともかく、こんな腐りそうなものが非常食としてある」
彼女が言いたいことを理解して萩谷は顔を上げた。
「それに今、二人分って言ったわよね? 樫崎くんの分は? 母は絶対に誰か一人を抜くなんてことはしないわ」
「捨ててきた」
「弁当箱ごと? 母さんが箱を返してと言ったら、どうするの? 嘘だ。世間へ向ける自分を完璧に作り上げた萩谷魁斗がそんな凡ミスをするはずない」
萩谷が黙ったまま髪をかく。苦笑いを取り繕っているが、感情がそこにないのは明らかだった。それを見て、さらに瞳はある事実に気が付く。
「そうだ……おかしいとは思ったけど、そうと考えれば、一つだけ納得のいくことがある」
雨宮は静かに彼から距離を取った。
「行方不明になった子どものことよ。女の人が探してくれと樫崎くんにすがりついたのは王に迫った直後だったわ。偶然にしては出来過ぎている。それにいくら怨霊に憑りつかれたと言っても、こんな月の世界の果てまで。しかも、最悪の敵となって!」
彼女は刀を持ち、構えた。
「萩谷くん――行方不明になった子どもはあなたがさらったのね」
「ふっ」
それを聞いた萩谷もまた同じように立ち上がった。苦笑のベールは脱ぎ捨て、境内で彼女を襲った時と同じ表情を向ける。
「あの場で王を唆したのも僕だからな。そのへんから気付くんじゃないかと思っていた」
「いつ実行したの? 母さんがあなたのことを止めないはずはないわ」
「おやおや? そこはまだ疑わないのかい?」
馬鹿にしたように萩谷が口の端を釣り上げる。
言われるまでもなく彼女にはもうわかっていた。ただ、信じたくなかった。
「あなたの拘束はずっと前に解かれていたのね。私と樫崎くんをくっつけようとしていたけど、その裏で母さんと二人で何かを企んでいた!」
「その通り」
「じゃあ、あなた達の目的は何!?」
「僕は欲しいものを手に入れ、いらないものを駆逐することだ」
はっきりと彼は言った。
「雨宮家を併合し鏑木家を傘下に収める。御三家を統一し、僕の欲望を満たすだけの権力と力を手に入れる。そのために、父親も樫崎も不要な奴らは全て潰すんだ」
「なんて――」
雨宮は驚愕するなり知った。三年前の彼はもう完全に死んだのだと。
「なんて浅ましさ!」
「全てを手に入れた者が勝つ!」
そう言った時だった。彼の体に向けて、崖上から白い冷気が凄まじい速度で降ってきた。一つではなく方々から突き刺すようにいくつも集ったそれは萩谷を取り囲み、獰猛な気配を発散させていく。
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