青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

4節『戦闘 vs人もどき』

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 そうして数分後。僕達は林の中で途方に暮れた。雫の話では、途中まで寸鉄が地面に打ち込んであると聞いたものの全く見当たらない。隙間なく打ってあるわけじゃないことに加えて、そもそも雑草に紛れてわからない。

 「草の根かき分けないといけないのか?」
 「なんだか母にしては要領が悪い」
 「そうなのか? 僕はまだよくわからないんだけど」
 「人もどきの人達に気付かれないようにするなら一応筋は通るわ」

 なるほどと言って僕は上を見上げた。木々は高く、その間から万華鏡の空が少しだけ覗ける。針葉樹なんだろうが、きっと古代樹の一種。葉っぱは見たことのない形をしている。

 「なんだかムラムラする」
 「っ」

 その言葉を聞いて、瞳がさっと距離を取る。

 「ごめん、間違えた。胸がザワザワする」
 「あなたも萩谷くんに一度殺されるといいわ」

 瞳は冷めた目をして言った。そして、寸鉄を取り出すと何もなかったかのように一人で地面に打ち付け始める。僕も手伝おうかと思ったが、他にやることがない。

 そもそも本当にここに打ち込んでいいんだろうか。

 「ところで萩谷と昔何かあったのか?」
 「ただの幼馴染よ。御三家同士で交流があっただけ」

 僕を見ずに彼女は言う。そんな瞳の視界に入ろうと、彼女の前の雑草を抜いていくことにした。

 「なんで、あんなに変わってるんだ?」
 「誰もあなたに言われたくないと思うわ。……彼は青鷺を率いる次の長として、小さな頃から訓練を積まされたの。戦闘にまつわるいろんな技術も。でも、彼自身はそれが嫌で三年前に街から去ったの。家庭の事情もいろいろあったというし」
 「家庭の事情?」
 「こんなことを話すのもどうかと思うけど……私と同じで母親がいないの。彼が小さな時に離婚したって聞いたわ」

 どうやら複雑な家庭だったらしい。瞳の父親もいかにも厳しめだし、その辺似通っているのかもしれない。

 「でも三年前まで私と会っていた時の彼は、今みたいな人じゃなかった。二枚舌でも暴力的でもなかった」

あるいは最初から仮面を被っていたかだ。

 「もし紳士的なままだったら、雨宮はあいつの――」

 告白を受けたかと聞こうとして思わず首を振った。一体、何を聞こうとしているんだ自分は。

 「何?」
 「いや、何でもない」

 だが、考えれば随分ありうる話だ。御三家同士の身分を考えれば周囲が反対する理由は何もない。肝心の瞳も使命だ何だと言って拒否しようとしなさそうだし。正直、今からでもなんとかなってしまいそうだ。

 「やはり萩谷は地に埋めとくべきでは?」
 「は?」

 瞳が呆れた声を出した。

 その時だった。はっと彼女が気付いて虚空を見上げる。同時に何かが近くの木に突き刺さった。見れば、それは矢。林の中から飛来した異物。

 「なっ?」
 「樫崎くん!」

 瞳が叫ぶ間もなく、第二陣が飛来する。突き飛ばされるようにしゃがみこむと、何本もの矢が木や地面に突き刺さっていく。そして、聞こえる複数の走る足音。

 瞳が鞘から刀身を抜く。

 「樫崎くん、合図をしたら走るわ」
 「どうする気だ?」
 「私が囮になって、敵を引き付ける」
 「馬鹿! それは僕の役目だ」

 しかし、こうも正体不明だと動くに動けない。敵の気配は近いが、走る音はせずじりじりと近づいてくる。

 「この感じ、普通の怨霊じゃない」
 「武装した人もどきに憑依してるわね、しかも何体も」
 「囲んでくるつもりか?」
 「もう囲まれているわ。私が戦うから、一点突破で走って」
 「冗談じゃない」

 僕は立ち上がり、木から飛び出した。

 「ちょっと!」

 言うが早いか、すぐに矢が飛んでくる。だが、こっちも無策じゃない。僕が囮になって敵を引き付けた方が瞳も動きやすいだろう。必死になって、そばの木の陰に隠れると次々と矢が降り注いだ。

 「今だ、来い!」

 足音が近づいてくる。こっちに武器がないとわかった彼らは弓を構えたまま僕を討ちに来る。そこを、

 「はっ」

 気配を消して隠れていた瞳が刀で一閃した。木の陰から覗けば、彼らは新たな敵に弓を構えようとして、その隙に倒されていた。飛ぶ矢も物ともせずに彼女は矢を切り落とし、古代樹の林を駆け抜ける。気配を伝い、敵が潜む場へと突っ込んでは切り捨てていく。

 「ん?」

 いや切られてはいない。倒れた男を見るに、その体は寸断されていない。彼女は敵を鞘で殴り倒しただけだ。刀は矢にしか使っていない。

 「雨宮の対人戦闘法か! だが、駄目だ!」

 学校での戦いとは違う。相手は憑依されている。なら、物理的な攻撃は効果がない。

 「優しすぎるぞ、雨宮。だが、いいさ。汚れ仕事は僕の出番だ!」

 実は武器がないわけじゃなかった。懐に隠し持っていたのを取り出して掲げてみる。それは雫の扇。彼女が萩谷を蘇生する間にかすめ取った魔術兵装。扇を開き、力任せに振り仰ぐと凄まじい雷気が木々を駆け抜けた。

 「っ!」

 視認できる人もどきは吹っ飛び、光の矢が僕の周りを駆け巡る。それは最後に近くの木にぶつかり、雷のような轟音とともに周囲が焦げ臭いにおいに溢れた。もう周囲の気配は瞳しかない。

 「何!? 何をしたの!」

 彼女は煙の中から現れた。

 「あやうく私まで巻き込まれるところだったわ。一体いつ、母さんの扇を手に入れたの!」
 「さっきだな。少し借りた」
 「峰撃ちでよかったのに!」

 そう怒りながら彼女は周囲を警戒する。しかし、動く影はなく代わりにあるのは焦げた人体だけだ。全員倒したわけじゃないだろうが、きっと逃げていったのだろう。

 「見て。あの人、まだ息をしている」

 彼女がそう言うのを見て近くに行くと、最後にぶつかった木の近くに人もどきの兵士が倒れている。怨霊は体から出ていったのか、憑りついている気配はなかった。彼か彼女だかは、僕達が近づくのに気付いて顔を上げる。

 「――、――、」

 しかし何を言っているかわからない。日本語でも英語でもない、遥か昔の言語か何かだろう。僕はお手上げで瞳を見ると、なぜか彼女は人もどきから視線を離せずにいた。

 「聞こえる……」
 「何が? 声がか?」
 「違うわ。何を言っているかわかる気がする。ほとんど感覚だけど……私を求めているような」
 「そりゃ、死にそうになったからだろ」
 「そうじゃないの。この人、もっと深いところから言っている」
 「おかしいな、それは」

 瞳にだけ聞こえるのも変だが、彼がそう言う理由もわからない。そもそも瞳は月に来て間もないわけだし、何か人違いでもされているのか? 彼らが過去の再現というならそれは――氷見か?

 その時、じわりと寒気がした。

 「雨宮」
 「ええ、わかっているわ」

 ぞっとするような冷たさが突然周囲に満ち、景色が変わらないのにまるで一変したかのような違和感が僕の視界を支配をする。

 「怨霊だ。しかも、今度は霊体の」

 数秒もなく足元どころか辺り一面から白い霧が漂っていた。世界を蝕むかのように、ゆっくりと着実に異形の姿が林の中で現れていく。

 「多いわ。今の雷撃で生まれた多くの死体と慚愧の念が数を増やして呼んだのよ」
 「だから峰撃ちだったのか」
 「まあ、そうね」

 なぜか濁すような口調で彼女は言う。しかし、その立ち姿に迷いは一切ない。今や鞘は捨て白銀に光る刀身のみを彼女は構えていた。

 「悪い。これは僕のミスだ」
 「仕方ないわ。ともかく、彼らがもう一度体を手に入れる前に片をつける」

 言って、彼女は飛び出した。霧が形を成すより早く、その影を一閃する。その場の霧が霧散し、刀が白い靄を抉り取った。彼女が駆ける度に太刀筋が空に刻まれていく。早く、美しく、鮮やかに。彼女のそれは蝶の舞のようだ。しかし、

 「多いぞ!」

 噴き出る霧に際限がない。いくら消滅させても次から次へと湧いてくる。

 「さすがは負の集積地帯か。この量は尋常じゃない、林を埋め尽くすぞ!」

 言うが早いが僕の前に怨霊が現れる。それを切り倒して、瞳が前に立った。もはや各個撃破できる量ではない。一か所に留まり、襲い来る敵をこの場で根絶させるしか手はない。

 「けれど――」

 瞳が戸惑うようにして何かを告げようとする。その時、僕も気付いた。死体だ。黒い煙をのぼらせながら、ゆらりと立ち上がってくる。彼女と話していた人もどきも再び顔を上げた。

 「死者が死者を手に入れた……ああなると切っただけでは除霊できないわよ」
 「もう一度扇を使うか?」

 いや駄目だ。消し炭に戻しても時間稼ぎにしかならない上に、瞳に当たっては元も子もない。いっそ木に登るかと思った時、声が聞こえた。

 『――瞳。戦いなさい』
 「母さん?」

 どこからか見ているのかと周囲を仰ぐ。姿は見えないがしかし、その瞬間辺りの雰囲気がガラリと変わった気がした。

 『ためらう必要はありません。彼らは最初から死者なのです』
 「けれど――」
 『多勢に無勢であろうと私達は最初から一人だけの巫女なのです。それを忘れてませんか?』

 まるで助ける気はないという声音。その言葉に瞳の刀を持つ手が強張る気がした。

 「わかった……わかりました。お母さん。そこで雨宮当代巫女の力を見ていて」
 『はい。そのつもりでしたが、たった今気が変わりました。ちょうど仕上がったので』
 「え?」

 僕も「はあ?」と声を上げる。

 何言ってんだと思った時、近くの空間が捻じれた。そこから何者かが姿を現す。それは両手を突き出すと、その場の霧を切り裂き彼のいる間だけを浄化した。

 「はっ――萩谷!?」

 それは萩谷だった。ボロボロになった学生服の代わりに道着のような物を着込み、呪文の書かれた護符が籠手に巻き付けられている。口元も同じ布で隠されていた。まるで忍者だ。

 「おいおいおい、嘘だろ」
 「やり過ぎよ、母さん! これじゃ改造じゃないの!」

 萩谷は手指の間に寸鉄を挟んでいる。爪のように操り、投擲すると周囲の怨霊が霧散した。

 そしてすぐに新たな寸鉄を装填し、彼は次なる敵へと飛び込んでいく。

 『さあ。これで少しは余裕ができるでしょう。このまま、怨霊を林ごと除霊してください』
 「無理よ!」
 『なぜです?』
 「死体を葬るのは――それに一人生きている! たとえ本来あり得ない存在でも、今だけは生きているのなら私は殺したくない!」

 瞳が宙へ向かって叫んだ。

 『生かしておいても追い詰められるだけですよ? ……しかし、まあわかりました。そもそも私は林ごと除霊してくださいと言っただけ。死体など関係なく、除霊することが可能だと見せてあげましょう』

 声が途切れると、まるで最初からそこにいたかのように雫が木陰から歩いて姿を現した。驚く僕らをちらりと見ると、すぐに怨霊に目をやった。新たな敵の登場に霊体も一斉に沸き上がって彼女に襲い掛かる。雫は寸鉄を手に構え投げつけると刀を取り出した。投げつけられ、ゆらりゆらめく怨霊に向かって剣戟を開始する。

 「いや待て。大きな口ぶりのくせに怨霊が消えないぞ」
 切られた怨霊は体が別れても元通りにくっついていた。
 「母さんじゃ無理よ!」
 「一体どういうことだ?」
 「霊力がないのよ。元から私と比べて浄化する力がないの!」

 何だそれは。確かに憑依体を切り刻んでも、あまりダメージを与えているように見えない。やがて切られた怨霊はアメーバのように集まりはじめ、巨大な化身と化していく。

 「瞳、助けろ!」
 「言われなくても――」
 「いいえ、そこで見ていなさい」

 その言葉に耳を疑う。どう考えても不利な状態なのに、何を澄ました顔で考えているんだ。釘を投げつけても開いた穴は小さくすぐに埋まり、もはや刀では切り倒せない。完全な巨体となった怨霊の手が鋭い刃となって雫へと襲い掛かる。

    なのに、ぴたりとその刃が雨宮雫の首筋で止まった。

 「そうか、寸鉄!」

 瞳の声に気付くと、雫の足元には大量の寸鉄が突き刺さり紋様を描いていた。彼女は戦いながら作り上げると同時に一か所に大量の怨霊を集めて罠に嵌めたのだ。

 「さて。これにてお仕舞です」

 刀を掲げ、止まった巨体を何重にも切り捌く。粉々になった怨霊は散り散りになって消えていき、最後に霧散した。

    ――あの夜に大勢の人間でやったことをたった一人でこなしてしまったのだ。

 「破格だ」

 思わず、そう呟かずにはいられなかった。

 「いいえ、まだ終わってはいませんよ」

 静かになった林の中で、憑依体が何体か生きている。そのうちの一体に萩谷が突貫し、相手取ると雫は残りに向かって刃を掲げた。

 「名も忘れられた者達、無へと還りなさい」

 そう言って彼女は空いた片手の中に寸鉄を生み出し、射出した。次々と突き刺さると、魔法陣の中心から閃光が走り外の寸鉄目掛けて光の糸を紡ぐ。瞬間、動けなくなった憑依体を彼女は一瞬で切り伏せ、一体以外を全て倒した。

 「さあ、これで終わりです。仕上げは瞳、あなたがやってください」
 「え――」

 残っているのは唯一息があった人もどきだ。相手は戦意を喪失したようだが、体から出て行こうとはしていない。むしろ逃げようと息も絶え絶えのようだ。

 彼女は逡巡するも、腹に向かって刀を突き立てる。その瞬間、人もどきから霧があふれ消えたのを見た。

 「……なんというか、問題外ですね」

 しっくりこない表情で雫が言う。そこに戦闘を終えて戻ってきた萩谷が言った。

 「仕方がありません。彼女はあなたの一件以来、人の生き死ににひどく敏感なんです」
 「それでは巫女として迷うでしょう」
 「むしろあなたの方が強すぎるのです。剣術においてさえも」
 「私は霊力が弱いので、小細工に頼るしかなかっただけですよ」

 萩谷の言葉にくすりと笑いながら雫は返す。「それよりも」と彼女は言った。

 「あなた達は弱すぎます。瞳はもっと覚悟が必要です。そして樫崎さん!」
 「はい?」
 「あなたは覚悟ばかりあって、戦う力がないです! まるでブレーキが壊れた車じゃないですか、もう。いい機会なので、私が今から基礎の基礎を教えて差し上げます。ちょっとついてきてください」

 それはそうかもしれないが、一体急にどうしたんだ。

 「寸鉄は?」
 「最悪、私が一人でやりますから大丈夫です」

 何だそれは。むっとしたが、うなだれている瞳に気付くと感情が収まっていくのを感じた。彼女は母に弱いと言われたことがショックだったらしい。

 「しかし、萩谷と二人にさせるわけには」
 「拘束があります。改造もしました。大丈夫です」
 「それはそうだが――」
 「そもそも、あなたは魁斗さんより強くないと瞳を守れないのでは?」

 うっ――。気付かないようにしていた真実を暴かれたような感覚に、僕は胸の内で熱いものを感じた。怒りか憎悪か、ならば殺せばいいと高を括る感情がほとばしる。しかし、騙し討ち以外じゃ僕は彼に敵わないと思うと、逆に氷のような冷たさに襲われた。

 駄目だ。やるしかない。僕は瞳を一瞥すると、「すぐに戻る」とだけ言い残して雫についていった。瞳は興味がなさそうに、僕を見るだけだった。
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