青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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破(青い月編)

プロローグ『サイコパス達の狂乱』

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 山の頂に静寂が満ちる。厳かな神域に社は守られ、龍の石像も何人たりとも邪まなものを寄せ付けまいと座している。だが、所詮はただの石だと蔑む者、その場に異物が飛び込んだ。

 銃声に空気が震える。何発もの銃弾が聖域を穿つ。神域の守りは何もなすことなく、傍らの少女も傍観しかできない。その凶行は雨宮瞳ですら予想していなかった。

 「行かせるわけにはいかない」

 境内の前に萩谷魁斗が立つ。手に握られた銃から、硝煙の匂いが風に乗って雨宮の元に届く。先ほど撃たれた弾は彼女の耳のすぐそばをよぎっていた。銃口が次は当てると正確無比な脅しをかける。

 雨宮は刀の柄に手を取った。

 「これでも行くつもりなのか」
 「萩谷くん……あなたのしていることはおかしいわ」
 「おかしい? ただ一人しかいない退魔の巫女が、その血を残さずに月に行くのを止めることのどこがおかしい。これは誰がどう見てもわかる合理的な行動だ」
 「いいえ。そもそも月に行くことが死につながるわけじゃない。なぜ怨霊が増えているのか、その原因を知るために随分前から考えてきたことなのよ」

 そうして雨宮は続けた。

 本来、怨霊を最低限に抑えるのは巫女が最期に果たす務め。月に赴き、自身の命と引き換えに救いのない魂を弔うもの。数週間に一、二度ではなくこうも大量に怨霊が出るのは月の中で何かがあったに違いない――そして、同時に怨霊を操る女が現れたのも、おそらく無関係ではない。

 「だが、もし先代巫女の力が尽きていたらどうする。そうなったら、君は自分を犠牲にするんじゃないのか」
 「……そんなこと、ないわ」
 「いいや、これでも幼馴染だ。最初から君の性格は知っているし、あの出来事の後のことを考えれば特にね」
 「……」

 その言葉に雨宮の表情が暗く硬くなる。それを言うのは逆に卑怯だと彼女は心で呟いた。

 「巫女だなんだと言いながら、君は本当は死にたがりなんじゃないのかい。屋上での戦いを見たけれど、戦闘訓練を積んだ僕からいえば、何かおかしい。いくら近接戦闘でも自分を前に出し過ぎている」
 「雨宮の剣術は怨霊を相手にした我流刀法よ」
 「確かに相手は靄だから突っ込んでも体に傷はつかない。だが、青鷺の鳥の目から聞いたことがある。怨霊に触れると傷がつくのは自分の魂なんだろう?」

 「――それは」
 「長年の調査から研究済みだ。父はあんなだったが、屋上では他の黒服は離れて戦っていただろう? それが本当の戦い方なんだ。怨霊に触れられれば魂の汚染、寿命が短くなることにつながる。全て考えれば、君が月に行こうとするのも君の喪失を目指した合理的な解決方法だ。でも、それは困る。おかしいといくら言われてもね」

 「確かに巫女は最後は魂が穢れて死ぬから月へ行くわ。でも、私はまだ義務を果たしていないし死にたいとも思わない……」
 「死にたくないわけがない。死地を何度も乗り越えて、単純に人を救いたいと思えるだけの聖人じゃないよ君は。君の願いは救えなかった重責と、それに乗じて死んで楽になりたいと思った末に出たものだ。無意識かもしれないけどね」

 その言葉に雨宮はきっと萩谷を睨んだ。

 「私のことを知らないくせに」

 だが、彼はひるまない。今更、外ヅラをよくしようとも思わない。

 「ジレンマか。なら、話を戻すついでに僕から提案しよう」
 「何」
 「君の代行さ。ずっと前から思っていたけれど、雨宮家の長い歴史の中で誰か一人くらい月に行く前に死んでいる人がいないかと思っていたんだ。病気や事故だってあるだろう? そこで、もしかしたら退魔の血はその時別の誰かに顕現するんじゃないかって」
 「まさか――」

 抜刀しようとした瞬間、彼女の右肩に銃弾が着弾する。

 「あ、あなたの――」

 目的は、と言おうとして激痛にくずおれた。言葉を出すことすらできない。

 「本当はこんなことしようとは思わなかった」
 「……らしくないわよ。父さんにどう説明するつもり?」
 「その父から君が月へ行くと連絡を受けたんだ。行ったことにすればいいじゃないか。誰も彼も鏑木家にいるし痕跡を消せば気付かない」
 「樫崎くんより相当ひどいわ、あなた」
 「過去の自分は死んだ。君だって、そうだろう? 三年前とは違う!」

 彼の名前を出されて血が登った彼は一歩踏み込んで刀を蹴飛ばした。仰向けに倒れた彼女に向かって銃を掲げる。

 「退魔の血を奪えたとしてどうするの。あなたの目的はまさかそれを利用して青鷺を復興させるつもり?」
 「そんなわけないだろう。君が僕のもとに戻ってきてくれるなら話は別だけど」
 「ありえないわ、この外道」

 彼は言い返すなんて冷静な判断は浮かずに真っ白な思考で引き金を押さえた。

 銃声がした。

 急に山が静かになる。雨宮は予想外の衝撃に目を見開いた。萩谷は途端に冷静になり、もはや手遅れな現状を見下ろした。そこに噴き出した大量の血が溢れ出ていた。

 それは自分ではなく、萩谷のものだった。

 「はぁ、はぁ……」

 萩谷の背後で銃を持った樫崎渡が息を切らす。

 「おま、」

 萩谷が何か言おうと振り返った時、彼は雨宮の横に倒れ込んだ。雨宮に注意を引き過ぎたと萩谷が気付いた時には整った石畳が血の海と化していた。

 「そうか……恋人の幼馴染は殺さないといけなかったんだ」

 樫崎渡は自分でも何を言ってるかわからなかった。急いで駆け付けたら、こんなことになっていて彼女が殺されそうだったから撃ってしまった。そんな言い訳が脳内を遅れて駆け巡る。

 「いや、いいのか? 正当防衛だろこれ」

 そう思って萩谷を見ると顔は土気色で目はあらぬ方向を向いている。

 「マジか?」

 まるで自分の胸に向けて銃を撃ったみたいだった。それくらい気持ちに穴が空いていた。

 「マジなの?」

 実感を確かめるようにもう一度言っても変わらない。

 「そうだ、雨宮。大丈夫か」

 現実から目を背けて隣にいた雨宮を起こし、その傷を確かめる。銃弾に穿たれたのは右肩だけだが、このまま治療しなければ出血死するだろう。

 「一刻も早く――いや」

 その時、彼にも考えが浮かんだ。いくら正当防衛でも殺人をしたら捕まってしまう。そうなったら雨宮とはもう会えない。だったら、このまま雨宮と一緒に月に逃げて一生をそこで終えればいいのだ。彼女をことは実際、愛しているし。

 「雨宮、立ってくれ!」
 「萩谷くんは!?」

 返事をせずに彼女を右側から担ぎ上げ、神社へと歩き出す。

 「僕は君の願いを叶える」
 「でも、萩谷くんが……」

 雨宮は彼が死んだことに気付いてないのか。彼女は再び何か言おうとするも傷のせいか彼女の顔も真っ青だった。

 「急いで月に行かないと。こんなことだったら恋人が銃に撃たれた時用の救護方法を学んでおけばよかった!」

 とはいえ世界の仕組みを変えるほどの力が月にあるなら傷だってなんとかなる。治らなかったら僕は君の死体だけでも愛すぞ。肉体を得ようとする怨霊と同じく、君の魂を僕の中で飼いならす。君は僕と一つになるんだ。

 「一体何言ってるの? 気持ち悪い」

 しまった、全部脳内で言ったことが外にだだ漏れていた。

 「さすがに落ち着かないんだ。ところで月はどこにある? 神社の奥か、それとも山の洞窟か?」
 「……」
 「なぁ、雨宮!」

 そう叫んだ時、突然石畳の床が光った。見下ろすと雨宮から流れた血が石畳の隙間に入り込み、まるで生きているかのように巡って僕と彼女を取り囲んだ。光っているのは血だ。

 あっけにとられていると完成した陣が輝き、雨宮の体が溶け込むように消え始めた。

 「な、なんだこれは!?」
 「まさか――」

 彼女ですら知らない、雨宮家が月の力を利用して作った術式。

 これこそ萩谷が言っていた、退魔の血を持つ者が生命の危険にさらされた時に発動するもの。だが、それは力を他人に移し替えるものではなかった。

 「おい、待て! 僕も連れていってくれ!」

 一分も経つ前に、彼女は粒子となって陣の中に吸い込まれた。光は消え、陣もなくなり樫崎だけがその場に取り残される。

 「最後の言葉が気持ち悪いとか、やめてくれよ! 雨宮!」

 そう叫ぶと彼は周囲を見渡した。そして神社に目を付けると蹴破って土足で入りこんだ。本殿へと上がり込み、神聖な場所を血で汚しながら奥へ進んでいく。

 「消えた先はきっと月だ」

 雨宮神社になら月への入り口はあるはず。そう思って手当たり次第に物をどかして、それらしい扉を探す。すると、木造に不似合な鉄製の重い扉が見えた。

 「これだ!」

 彼が思ったとおりだ。中に入れば、そこはもう建物の中ではなかった。山の中へと降りる洞窟。一息に彼が一番下まで降りていくと、目の前に巨大な岩盤が姿を現した。青銅色で鉱石にも見える。

 「これが……青い月?」

 しかし、それを触っても何も起きない。雨宮の巫女しか入ることができないとでも言うのだろうか。彼の額に冷や汗が伝う。

 「いいや、諦めるか!」

 服についた雨宮の血を手のひらでかきあつめ、それを舌でなめあげる。水分を含ませ、潤いを取り戻すと手を岩盤にぶつけるようにして叩いた。

 「さあ、開け!」

 すると、反応するかのように前の壁が光った。手を中心に青い光が洞窟を包み込み、壁が波のようにうねり消滅していく。

   風が溢れ吹き抜けると、光の中に腕を見た。迷わず白い細い腕をつかみ取ると不意にぐんと引き寄せられ、放り投げられるようなとてつもない衝撃が彼を襲う。しかし、叫ぶ間もなく彼の視界はブラックアウトした。
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