青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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22節『戦闘 vs???』

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 僕はひとまず拍手で彼女を讃えた。怨霊だけでなく対人戦でも彼女は無敵らしい。後から入り口から入って覗き見ていたが、僕の出る幕はまるでなかった。

 「すごい。とにかく圧巻だ。他に言葉がない。ところで、別に雨宮が黒服を襲う必要はないんじゃないか? 来いって言われたから来ただけだし、そこまで手荒な真似はしなかったと思うけど」
 「いいのよ。今の私はこんなことになった原因を作ったこの人達に怒っているの」

 ふう、と雨宮はようやく息をつく。

 「そんなことより学校に残っている人を逃がす役割じゃなかったの? 人払いが済めば、萩谷さん側の青鷺も突入できるのだけど」
 「そんなのは遠藤に任せた。僕は最初から雨宮についていくと決めていたから」
 「……私と一緒にいると怪しまれるから、その役割だったのに」

 彼女はすぐ足元の男の体をそっと足で小突いた。そこで僕は笑う。

 「でも、どうせ遠藤一人が人払いたって聞いてくれないよ。ここが悪の手先に落ちてるなんて信じるわけがない。萩谷や桑谷がいるだろうけど、無理だね」
 「それでも、それをしなければ何も始まらないわ」
 「なら、こうしよう」

 僕は壁際を伝い、消えた照明の中唯一赤く光るものへと触れた。「え?」と言う雨宮を横目にそれを押す。その途端、凄まじい警報が屋内にこだました。

 「これなら手っ取り早い」
 「止めて止めて止めて止めて!」

 ものすごい剣幕で怒られたが、僕は止める方法を知らない。

 「一体何をやっているの!? 侵入作戦なのよ!」
 「ここにいた黒服を全員倒した時点で終わりさ。すぐに定期連絡が来て、反応がないとわかれば確認しに来る。例えば、五分ごとにとかね」
 「これじゃ、一分もないじゃない! もう来る、まずい!」

 彼女は階段へと、ものすごい勢いで走り出した。

 ……ああ、怖かった。下手すれば僕も倒れている人間の仲間入りしそうな殺気があった。ともかく僕も行こう。その前に近くに転がっていた銃を拾ってと……。

 「後ろから僕がついてきていることほど、作戦が破綻することはないしな」

 すると、階段の上でやり合う音が聞こえる。異常を感知した黒服が次々と押し寄せてきているのだ。とはいえ、僕が行く頃には倒れている人がいるだけ。最上階までなんなく上がることができた。この先も普通に屋上へ向かうだけだが――なぜか、ぴたりと音が止む。見れば、何人も倒れた黒服を足元に敷きながら雨宮は廊下に立ち尽くしていた。

 「雨宮?」

 彼女は僕の声に応えず、廊下の奥を見ている。張り詰めた表情で、刀は既に抜き身。彼女の後ろから覗き込むと、前には黒い服を着た女がいた。たった一人で、冷たい眼差しを宿した女に思わず恐怖を抱いた。

 「おや、男も一緒か。雨宮の巫女にしては、やけに野性的じゃないか」

    女の口調に親しさは一欠けらもなかった。そこにあるのは獰猛な獣に似た響き。

 「あなたは誰。あなたは何」
 「私か。さっきの音に気付いて駆け付けた戦闘員風情だと言えばいいかな」
 「そうは見えないわ。第一、屋上をふさいだ理由がわからない」
 「実は翁についた青鷺も一枚岩ではなくてね。これでも君の代わりに人質を助けようと思っているんだ。私一人でなんとかするから、君は手を引いてほしい」

 人質を助ける……? どう見ても、ただならぬ気配があるのに?

 「とても信用できないわ。あなたの素性もわからないのに、そんなことをする理由はない。第一……」

 彼女はすっと人差し指を屋上へ続く階段に向けた。

 「あの結界は何?」

 そこでにやりと女が笑った。限りなく冷たい――その口はまるで蛇のよう。女は何も言わず、ただ左手を宙へと掲げる。その瞬間、廊下に寒風が吹きすさんだ。目を閉じて、次に開けた時には白い靄のようなものが女の前に現れ始めている。

 「怨霊!」
 「馬鹿な!」

 まさか怨霊を召喚したのか!?

 「雨宮! この女は危険だ。今すぐ屋上へ逃げるぞ!」
 「駄目よ。そこから上には私にもすぐには破れない結界が張られている。屋上に行くには、きっとこの女の奥にある階段から行くしかないわ」

 雨宮が刀を構え、言うが早いか前へともう飛び込んでいた。

 形を成した怨霊が彼女へと突っ込む。つま先から凍り付く感覚にやばいと叫びそうになるが、雨宮がそれを一閃した。霧散する怨霊と同時に凍り付く感覚も剥がれ去っていく。

 続いて、三体。女が人差し指を差すやいなや床から現れたそれが雨宮を取り囲む。だが、彼女は足を止めることなく切り捨てた。さっきの戦闘と何ら変わりなく、むしろこちらの方が簡単だと言わせるように。

 そして、雨宮は女へと直行する。切っ先を向けたその時、
 ガキィン!

 刃と刃がぶつかる音がこだました。いつ出したのか女はナイフを二本クロスさせて雨宮の真剣を受けきっている。直後、雨宮は凄まじい勢いで刀を振り仰いだ。一閃、二閃、三閃、幾重もの死線が女めがけてあらゆる角度で突撃する。だが、異常なのは女の方だ。二本のナイフを見えない手さばきで全てを受けきっている。

   再び音がこだまし、雨宮が距離を取る。

 一体何度切り結んだ? 凄まじい刀さばきだ。
 というかなぜ受けられる? まさか刀の軌線を読んでいるのか? それで雨宮よりも早くナイフを動かしているとでも?

 雨宮がわずかに乱れた息をつく。

 「あなた、何者?」
 「さあて。巫女の秘密を翁に知られたくない者とでも言うかな」

 今度は先に女が動いた。

 ナイフで挑むように切っ先をぶつけてくる。刀の方が間合いが長い以上、女は突っ込めないはずだが踏み込んでくるやいなや突き出してくる。雨宮が切って落とそうとした時、ナイフが消えた。

 「逆手!?」

 女は手の向きを逆にし、腕もくねらせすれすれで刀をかわす。直前に一歩戻り、再度間合いを詰めた。戻った切っ先を片方のナイフで受けると、反対側のナイフで雨宮に肉薄。彼女も間髪でそれをかわす。

 「フェイントだ! 押されてるぞ!」
 「くっ」

 再度距離を取るが、女のナイフさばきは自由自在だ。手首に加え腕も動かし、あらゆる動きに対応できる。一方、雨宮はおそらく性格的に、ああいう攻撃に対応できないんじゃないか? それに、そういえばここは屋内。狭い場所で長剣は不利だ。

 この勝負、絡め手で雨宮が敗北する!

 「駄目だ、撤退だ!」
 「いいえ! 笹本さんが」
 「彼氏の方が賢明ね。先代の巫女だったら、どんな異種戦にだって対応できた」
 「っ、あなた知っているの!?」

 その時、わずかに雨宮の刀が鈍った。女はそれを逃すことなく、ナイフで叩きつける。さらに二本目を加え、彼女の刀は床と平行線にまで抑えられた。がたがた震えるナイフ。雨宮は体勢を元に戻せない。膠着――

 「いや、そこまでだ!」

 萩谷父から教わった使い方が脳裏に蘇る。僕は銃を取り出し、女へと向けた。

 「撃――」

 撃つ直前、女の真後ろに白い霧が立つ。まさかと思った瞬間、それが飛び込んでくる。万事休すか、南無三!

 「まだよ!」

 瞬間、雨宮が刀を下げる。腕に全力を入れていた女は体勢を崩し、前のめりに。同時に飛び込んできた怨霊を雨宮はナイフごと吹き飛ばした。

 「今!」

 何も持たない女に雨宮が突っ込む。刀を水平に、切っ先を女の心臓目掛けて飛び込んだ。

 何もかもスローで目に見える。ふらつく女は、だが顔を上げると笑っていた。目じりを歪ませ口の端を曲げながら、腰からもう一本ナイフを取り出す。それで刀を弾いた。

 そして、落ちてくるナイフを片手でつかんで雨宮の腕に刺した。刀を持った腕から血の花が咲く。全て一瞬の出来事だった。

 「くっ!」
 「雨宮!」

 雨宮が手を押さえ、刀を落とす。

 「勝負あったね……」

 目の前の女が二本のナイフを持ち、彼女の前に立つ。そこに僕は無理やり割り込んだ。両手を広げ、彼女を守るように。

 「驚いた。よもやまさかそんな度胸のある男とは。でも、これ以上どうやって巫女を守る?」
 「……」

 僕は応えない。なぜか死を目前にして意識は遥かな場所へ飛んだ。充実感より先に彼女を奪われる悲しみがあった。これはきっと僕が望んでいた結末とは違う。

 「雨宮は――」

 目の前の女に言葉を投げる。それに女は目を見開くと――

 「いたぞ!」

 後ろから声が聞こえた。はっとして振り向くと、そこに走ってくる二人の男がいる。萩谷親子だ。父親が銃を撃ち、女が後ろへと下がる。そのまま彼は僕を追い越し自らもナイフを抜くと女に振りかぶった。切り結ぶがしかし、女の度量の方が上なのか彼もまたナイフを落とされる。だが、

 「ふん!」

 強い拳が女を吹き飛ばした。

 「ぐ――ナイフを落としたのは私の油断を誘うためか」
 「そうだ。氷見零、お前まで出てくるとはな」
 「萩谷さん――」

 雨宮が苦しい声で彼を呼ぶ。そこに息子の萩谷魁斗が駆け付けた。彼女に腕を回そうとしたのを、僕が突き飛ばして雨宮を担ぐ。

 「駄目。相手は怨霊を召喚できる。いくら強くても」
 「いや。対抗策はある」

 そこで萩谷父は服の内ポケットから帯を取り出した。そこに漢字のような模様が描かれている。それを腕に巻いた瞬間、周囲の空気が少しだけ和らいだ。

 「それは……?」
 「君の亡き母が遺していてくれたものだ」
 「雨宮、話は後だ! 今のうちに行くぞ!」

 落とした刀を持って萩谷魁斗が叫ぶ。僕達は彼の横を走り抜け、女を背に屋上につながる階段へと走り出した。

氷見零
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