青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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20節『加速する狂気』

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 車で急行すると、既に日は落ちていた。いつもなら何ら変わりない黄昏時は、今だけは不気味な夜を連想させる。
 
 「まさか、ここなのか!?」

 影に落ちた建物を前に遠藤が言う。間違いない、そこは僕達が通う学校だった。既に明かりは落ちるも、風に乗せられて中から声が聞こえてくる。教師や部活をしている生徒達だ。

 「待って、まだ車から降りないで」

 正門近くに車を止めようとする運転手に鏑木が言う。
 
 「たぶん、ここからでは見えないけれど、すぐそこに青鷺がいるはずだ。噂通り、完全になりふり構っていない。普段の彼らなら絶対にこんなところに陣を構えない」
 「そうなのか?」
 「青鷺は表には出てこない組織だよ。それが今、堂々と。そうでしょ、雨宮さん」
 「そうね。或いは萩谷家側に残った青鷺が手を出してこないように、あえてここを選んだのかしら。あらかじめ結界のようなものを呪符で作って隠れていたのね」

 感情をあまり感じさせない声で彼女は言った。落ち着き払っているように見えるが、余計なことを考えないようにしているのかもしれない。彼女の視線は虚ろだが、まっすぐ窓の向こうに注がれている。

 「っ」

 その時、雨宮の視線が横にそれた。彼女を見つめていた僕も、合わせて視線を変えると知らぬ間に初老の男が窓のすぐそばにいる。闇に染まる黒い服装に一瞬たじろぐが、

 「萩谷さん」

 彼女が声をあげる。運転手が窓を下げると、

 「久しぶりだな――」

 表情の硬いその男に雨宮が挨拶した。鏑木も会釈する。おそらく、この男が青鷺の首魁にして萩谷の父親だろう。萩谷魁斗とはまるで印象が違う。

 「萩谷さん、そちらの陣に車を止めます」
 「いや、ここに来た時点で手遅れだ。戦況は更新されてしまった」
 「どういうことです?」
 「奴らの陣はここの屋上に構えていた。特殊な結界を構築し、霊力のない者から見えなくし鳥の目さえ欺いた。おそらく、近くに高い建物がなく半径数キロを俯瞰できるためだろう。私や君達の車は既に特定されている」

 初夏にしては肌寒い空気と緊張感が車内に流れ込んだ。

 「突破できぬ上に完全に後手に回された。ただ、手掛かりはある。まずは車を数キロ戻した後に雨宮瞳、君が先行しろ」
 「どういうことだ?」
 「……君が噂の樫崎渡か。君の父親から話は聞いている。同行の許可をもらったようだが、戦略的に必要ではない。むしろ邪魔だ」

 唐突に切り捨てられた。僕はすぐさま彼を睨み付けるが、萩谷父もまた虚ろな目で僕を見下す。

 「しかし、現状お前がいる方が事は有利に進むかもしれん」
 「どういう意味だ」
 「不審な黒服が今さら侵入しても迎撃されるだけだが、お前は顔も割れていない。ただの生徒にしか見えない。そして、ここは学校だ。お前なら侵入も容易だろう」
 「そんな」

 雨宮が表情を変える。

 「萩谷さんまで一般人を巻き込むことを許すのですか」
 「これも戦略的要素だ。場を先に抑えられた以上、我々は正面衝突どころか人払いもできない。それに敵がどう出ようが、我々の流儀として派手に事を構えるべきではないしな。そもそも人質は君の友人と今学校にいる全ての一般人だ」

 そう聞いて雨宮は悔しそうな顔をする。だが、僕にとってはむしろ好都合だ。雨宮を守れるし、他人が死ぬことはさして問題じゃない。雨宮と一緒にいられるなら、それでいい。

 「既に息子が侵入している。桑谷といったか君の友人も同行した」
 「優介が……?」

 遠藤が驚きの声をあげる。

 「そうだ。笹本彩香を助けに行った。彼女は屋上にいると敵は知らせに来ている。そこに雨宮瞳を一人でよこすようにと添えてな」
 「もしそれを破れば」
 「人質を処刑する。また、今後予告なく君の友人を抹殺するとのことだ」

 その言葉に雨宮は目を見開いた。そして、持っていた木箱がかたかたと震えだす。

 「雨宮――」

 遠藤が声をかけるが、彼女は唇をきつく噛んだまま何も言わない。

 「ってか、せめて俺達がここに来るまで待ってくれれば――」
 「駄目だ。最初から要求を通すことはできない。あの翁に我々が守ってきたものを知られるわけには――」
 「どうでもいい」

 僕は言った。雨宮を除く全員が僕を見る。

 「早くしよう。急ぐんだろ」

 この件について、僕にデメリットはない。たとえ、侵入が露見して自分が殺されても実感がない。むしろ翁が勝った方が今より状況は改善されるだろう。

 ただ、今それを言って萩谷父に殺されるほど僕は馬鹿じゃなかった。

 「だが、結界はどうする? 一般人には見えないんだろう」
 「それなら対抗策は打ってあるんだ」

 意外なことに鏑木が手を上げた。

 「僕のもとに結界を破る呪符を作ったと名乗る人から電話があった。お守りが送られて、今ここにある」
 「なんで鏑木のところに?」
 「さあ……?」

 送るなら雨宮家か萩谷家にするはずだが。そもそもなんで送ってくる必要がある?

 「霧寺の娘か――おそらく事態の深刻さに気付いたのだろう。金銭に頓着するからだ」
 「いわゆる御三家の協力者よ。この件は話すと長くなるわ」
 「わかった。とにかく結界破りを渡せ。それと武器がほしい。遠藤が持ってるゴム弾より強いやつ」

 鏑木からお守りのようなものを受け取ると同時に萩谷父が頷いた。

 「いいだろう。刻限は人が完全にいなくなる午後九時までだ。それを過ぎれば人質は死亡し、翁側の青鷺はヘリで移動する。だが、さすがに巫女姿の雨宮と同行すればお前も不審に思われるぞ」
 「だとすると、三人ばらばらで侵入するのか」
 「そうだ。学校内部で合流するのも悪手だ。君達二人には最終下刻時間よりも早く教師と生徒を学校外へと退避させることが急務だ。敵の陣地は屋上である以上、我々が下から攻めれば彼らは袋の鼠となる」
 「そして、私が笹本さんを助ければ――」
 「相手の要求を呑むことなくな。それができなければ、わかっているだろう?」
 「――はい」

 雨宮の表情が少しだけこわばる。最低限の犠牲、という言葉が僕の脳裏にも浮かんだ。

 「なお無線は使えない。君達の連絡は息子に一任してある。携帯電話を使ってメッセージを彼に送ってほしい」
 「わかった。なら、作戦開始だ」
 「……俺も行くことになってるのか?」

 遠藤がなぜかとぼけた声を出す。

 「協力するって言ってなかったか?」
 「言ったけど、戦うとは……」
 「あ、車を戻した後、鏑木はもう帰っていいぞ。むしろ邪魔だ」
 「え、あ、……そう」

 ほっとしたような表情の鏑木の横は遠藤は震えだした。

 「と、とりあえず人払いすればいいだけだよな。だよな?」
 「そりゃそうだろ。じゃあ、行こう。雨宮」

 彼女に声をかけると、僕を見ずにうなずいた。

 最後に武器をもらい、萩谷父と一旦別れる。車を戻している間に誰がどこから突入するか話し合った後、一人ずつ学校へ駆けだした。五分おきに飛び出し、僕は二人目。

 「……ふふ」

 肝が冷える一方で現実感がまるでない。心と比べて体が熱くなるほど、何かに僕は期待している。

 「死亡フラグしかないってのに。なんだか楽しいなぁ!」

 でも、真っ先に死ぬのは嫌だから別の人に肩代わりしてもらおう。

 まっすぐ行くふりをして物陰に隠れると僕は最後の遠藤を待った。そして、彼が僕の前を行くのを見て忍び寄り、銃床でぶん殴って倒すとまっすぐ雨宮を追った。
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