青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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9節『刺客』

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 「ヒミコ、かわいそうだね……」
 「ああ……」

 夕陽に染まる神社を背に、僕達は石畳を歩いていた。
 
 「ヒミコは一人でいるより誰かといてくれた方が襲われることもないって言ってたけど……。ねぇ、ばおばお。あたちより頭いいんだから、何か思いつかない?」
 「十年後に青鷺に就職するとか……。そうすれば内部から彼女を守れる」
 「遅すぎるよ!」
 「そんなこと、わかってる」

 僕はさっきからずっと黙っている鏑木に目を向けた。
 
 「鏑木は何かあるか?」
 「う、うーん……」
 「あるわけないか」

 せめて、他に御三家の知り合いでもいればよかったんだが……。
 
 そう思った時、前の石段の方からばたばたと急いで上がってくる音がした。笹本と顔を見合わせると互いに表情が張り詰めるのがわかる。

 けれど、現れたのはまるで違う人だった。
 
 「遠藤」
 「やっぱり、ここか……」

 はあはあと彼は肩で息を切る。遠藤はゆっくりと僕のところに近づくと、いきなり頭を下げた。
 
 「すまなかった!」
 「は?」
 「今までいろいろ黙ってて! 俺は本当は知ってたんだ。雨宮家のこととか伝説とか……。それに、肝試しの時だって渡を見捨てて逃げてしまったんだ。そんな俺が友達扱いされないのは当たり前だ……!」
 
 彼はそう振り絞るように言った。

 それは真剣だったが、なぜだろう。僕の心には遠藤の声はすり抜けていくように感じた。そう……なんというか、恥ずかしいなこいつは。人間として違和感を感じる。そんなことを今更謝られたって、彼が僕の友達という意識はないのだ。雨宮の情報収集には役に立たなかったと思うだけ。
 
 「ばおばお」
 「え? あー、そうだな。許してやらないでもない」

 笹本がひょっこり僕の顔をのぞくのを見て、一応人並みの言葉を返す。
 
 「けれど、僕達はもう神主から真相は全部聞いたんだ」
 「そうか……。そのことなんだが……」

 遠藤は歯切れの悪い声をして僕に向き直る。
 
 「できれば、これ以上何もしないでもらえると……」
 「帰れ」

 違和感の正体がわかった。こいつはただの日和見。友情のフリして自分が傷つかないために振る舞う傍観者。
 
 「お前に生きる価値なんて――」

 思わず、ぶん殴ろうと思った瞬間、
 
 「そこから先は僕が説明する」

 知らない声が聞こえた。境内に響くその声は、妙に透き通った男のものだ。声がした方を見れば、遠藤の後ろの石段からこつこつと上ってくる音が聞こえる。そこから現れたのは僕達の学校の制服を着た男子。近づくにつれて、彼が目鼻の整った少年だとわかる。だが、僕の記憶にはない。
 
 「君が噂の樫崎渡くんだね。後ろの彼から聞いたよ」
 「後ろ?」
 「どなどな!」

 遅れて上がってきたのは桑谷だ。彼は仏頂面をして僕達を見ると、すぐに目を背ける。
 
 「図書館で会ってね。君達のことはもう調べはついてたけど、実際に本人から聞き出すのは苦労したよ。でも、樫崎くんはもっと難しそうだ。君は二枚舌だから」
 「そういうお前は三枚くらい持ってそうだな」
 「やれやれ、ストーカーに言われるなんて」

 その言葉にぞっとしたものを感じて身構えた。こいつは僕のことを知っている。いや、知られた。調べられた。
 
 「お前は誰だ」
 「御三家の一つ。青鷺をつかさどる萩谷家の息子、萩谷魁斗。はじめましてだね」
 「あ、サギだ!」

 その言葉に笹本が彼を指さす。すると彼は大仰に手を振って、それを制した。
 
 「僕は裏切者なんかじゃない。さっきのことをほんの少し前に雨宮家の当主から聞いてね。僕からも話したいこともあったし謝罪も兼ねて来たんだ」
 「樫崎。そいつのことはあまり信じるな」

 桑谷が目を背けたまま口を開いた。
 
 「こいつはおそらく今日にでも襲撃があると予測をつけていた」
 「何も話してないのに、勘がよすぎるのも考えものだね」
 「お前こそタイミングがよすぎる。偶然とは思えない」

 そうか、だから桑谷は警告を送ってきたのか。
 
 「君は敵か? これ以上関わるなといでも言いたいのか」
 「単純に大人の世界の話に関わるのはやめてほしいってことさ」
 「君も子供だろ?」
 「もちろん僕だって大勢には関われない。その代わり、子供の世界の安全は保障できる」

 そう言って萩谷はぴっと人差し指を自身の顔の前に掲げた。
 
 「君は少し子供らしくないからね。カードを切らせてもらうよ。雨宮の巫女を諦める代わりに君の望む平穏を萩谷家が提供しよう」
 「はあ? 荒唐無稽だ!」

 僕が望む平穏など雨宮がいなくして成り立たない。そう笑い飛ばす。
 
 「しかし、君は先日の肝試しの一件で大きなミスをした。去年や一昨年のように大荒れになるよ。さすがに中学ずっと荒れたままは嫌じゃないかい」
 「別に。そういうものだ。僕はこの先ずっとそれで構わない」
 「本当に生き方レベルの問題児だね……。じゃあさ、小学生の頃に戻ろうよ。――あの子に会わせてあげるから」

 どういう意味だと思ったその時、僕の思考が凍り付いた。
 
 あの子とは――、僕が好きだったあの子のことか。
 萩谷が近づき、僕の肩に手を乗せる。その笑みは歪んでいた。

 「それが君の初恋で、根源だからね」

 そうささやくと彼は石段の方へと離れていく。用は済んだとばかりに、さっさと帰るつもりなのか。
 
 「ねぇ、ちょっと待って。なんだかよくわかんないけど、どうやって教室の中をなんとかするの?」
 「簡単さ。明日から僕は転校生として君達のところに行くから。これからよろしくね」

 そうして彼は石段を悠々と降りていった。その代わりに僕の心は土足で踏み荒らされたようだった。あとは沈黙だけが取り残される。しんどくなって僕は石畳にしゃがみこんだ。
 
 「ばおばお? あの子って……」
 「もしてかして」

 言いかけた遠藤に、すかさず喋るなとにらみつける。
 
 「昔の友達だ……今はもういない」

 開きかけた思い出。もう一度、そこに蓋をしようとして溢れてきた感情に想いを馳せた。
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