青い月の下で

大川徹(WILDRUNE)

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3節『犯罪的恋愛』

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 ――雨宮神社。それはこの街を囲む山の一つにあった。長い石段を上った先、平地から見えない位置に古びた建物は立っている。厳かな外観に包まれ、踏み入る者には狛犬の代わりに龍の石像がその者の邪心を見抜くと言われる。雨宮の名前にちなんでか、屋根をはじめ青銅色の箇所が多く目立った。
 
 僕は行く前に、この街全土の地図を用意し拡大コピーしてから家の壁に貼って書き込んできた。家と学校からのルートを所要時間の目安を立てて分析し、ネット上のなんとかアースで調べ尽くした。なにせ相手は雨宮の家なのだ。対策しすぎることはない。だが、
 
 「行けなかった」

 雨宮が学校に来なくなってから一週間。僕は何度も挑戦しようとして失敗した。
 
 「山の麓まで行ったが、その先には進めなかった。別に龍だとか結界とかに阻まれたわけじゃない。純粋に心の問題だ」
 「それ完全にストーカーだから。行けないのが正常で安心した」

 僕に同情するでもなく遠藤は真顔でそんなことを言う。彼は桑谷の席に座り、真剣な話にもかかわらずこっちを向いて肩肘をついていた。
 
 「渡が変質者に変わり果てていたら、俺はどうしようかと」
 「そんな話じゃない。神社が警備会社と契約してあるせいだ」
 「は? つまり捕まることが怖いと?」
 「当たり前だ」

 遠藤は恋をしたことがないのかと心の底で愚痴った。誰だって、人を好きになればその人のことを詳しく知ろうとするだろう。だが、知りたいあまりその人に押し掛ければ向こうが引いてしまう。知りたいけど知れない。近寄りたいけど近寄れない。それが恋ってもんじゃないか。切ないものだ。
 
 「おかげで、神社への道を目視で測れるようになってしまった」

 もはや所要時間に加え、急に雨宮が飛び出してきた時の隠れ場所まで網羅してある。
 
 「もし、これが数年前だったら押し掛けていた」

 多くは語りたくないが、僕も経験して成長したのだ。
 
 「とはいえ、調査中に雨宮に会えなかったのは残念だ。って、何だその顔」
 「あぁ、突っ込もうかどうか迷ったけど、たぶん価値観が違うんだな」
 「恋をしたんだ、当然だ。今日も麓まで行く」
 「行くのかよ!」

 山から下りてこないか麓で粘ったこと幾日。結局、雨宮は出てこない。神社の電話番号も調べたが、切られるのが関の山だし押し掛けるのと結果は同じだ。それくらいの常識はある。
 
 「俺としては雨宮がこのまま転校するんじゃないかと思うんだけど」
 「それは困る。ここまでやったんだ」

 地図の雨宮神社の位置には雨宮の写真が貼ってある。これは隠し撮りしたわけじゃなく、写真部から買ったものだ。いずれ他の写真も買い占め、得意先になることであわよくば僕の手足のように動いてほしいと思っている。
 
 「それに雨宮の話はだんだんクラスの人達もし始めたじゃないか」

 本人が来ないからかもしれないが、教室でもこそこそと話が増えている。
 
 雨宮は何者なのか、と。意外なことに僕に質問してくる人もいる。なんだ知らない人も結構いるじゃないか。あの敬遠は何だったのか。
 
 「主に渡と笹本のせいだろ。雨宮の神秘性が崩れたんだ」

 遠藤に一蹴された。間違いない。
 
 「これがまだ、雨宮じゃなければ俺ももう少し応援できるんだけどな……」
 「またそれか。なんで、そこまで雨宮を避けたがるんだ?」
 「なんというか、ほら。渡も知ってのとおり雨宮自身が拒絶体質だろ?」

 それは確かにそうだが……いくら神社の娘だろうと普通の人には変わりない。仮に雨宮が闇を抱えていようと、そこまでやばい人間には見えないのだ。
 
 「もしかして狙ってるのか?」
 「バッカ。そんなわけあるか」

 遠藤が少し切れて言う。
 
 その後、鐘が鳴り授業が始まった。だが、僕の心は雨宮に支配されたままだ。毎日毎日、彼女のことを考えるごとに少しずつ鬱がたまっていくような。切ない、苦しい、つらい。そろそろ思いを吐き出さないとやっていけない気がしていく。
 
 しばらく考えた後、僕は携帯電話を取り出し笹本にSNSを使ってメッセージを送信した。

 『頼みたいことがあるんだ』
 『なーに、ばおばお』

 僕は笹本にあることを告げる。すると、彼女はすぐに『OK!』と返事をしてきてくれた。思ったとおり、彼女は何も考えていない。これが他の人達にどんな影響をもたらすのか。そして、これは僕にとっても賭けだった。
 
 翌日、僕は学校を休んだ。

 『渡? どうしたんだ、病気か?』
 「ごめん。風邪でしばらく休む」

 電話をかけてきた遠藤にごほごほとわざとらしく咳を吐いて僕は続けた。
 
 『みんなにも伝えとくな』
 「その必要はないよ。僕がチャットで伝えておくから」
 『は? チャットって、』

 遠藤に適当な返事を返すと、すぐさま通話画面を閉じてSNSの画面を呼び出す。それは今まで僕が見たくなかったコミュニティツールだ。しかし、今はそこに刻まれたグループ名がある。
 
 ≪3B≫
 それが僕の新しい居場所であり、賭けだ。
 
 笹本に頼んだのは僕を3年B組のSNSグループに入れろということだ。笹本はバカだが見た感じクラスの人気者のようだし、グループには当然入っていた。そして、彼女と違って当然、他の人間には違和感があるだろう。呼ばれていない人間が突然来たのだから。下手を打てば、消されるか空気と化すかでは済まない。
 
 しかし、それを知ってなおクラスメイトに追い打ちをかける。

 『雨宮も病気らしい』

 初投稿。雨宮が携帯電話を持っていなくてよかった。これで後戻りはきかず、失敗すれば今までのように屋上暮らしとなるだろう。きっと誰もメッセージを返さないだろうが、こっちには笹本がいる。そこで僕は画面を閉じ、彼女に電話をかけた。
 
 『なーに?』
 「グループに話題を振ったんだけど、応援のメッセージとかあったら雨宮に伝えるから。雨宮はあれで実はみんなと仲良くなりたいらしくてね。これは僕しか知らないけど」
 『うん! わかった』

 二つ返事で明るい声が返ってくる。これ以上葬式ムードになる前に場をかき乱せという裏メッセージなど彼女が理解することはないだろう。そして予想通り、笹本は『ヒミコがんばれー!』というメッセージを送りまくり、グループ内はカオスと化した。そして、
 
 『かわいそうに』
 『病気するんだ。雨宮さんによろしく』

 内容の薄いメッセージが返ってきた。送ったのはクラスの女子達だが、目論見通り同情を引いたのだ。僕はさらに投稿する。
 
 『雨宮も心配かけてごめんだって』

 あとは会話を切らずに続けていくだけだ。笹本が空気を読んで盛り上げていけば、誰も無視できなくなっていくだろう。
 
 そんなやりとりを僕はしばらく続けていった。やがて返事が増え、軽いノリに乗せられたのか書き込みが僕の投稿一つで多くなっていく。

 『雨宮って実はかわいいよな』
 『本当は話しかけてみたかったな』

 その反応にようやく来たと僕はほくそ笑んだ。これは事情を知るであろう人からの書き込み。僕は『じゃあ、なんで話さないの?』とストレートに聞いてみた。
 
 『あまり話さないようにって父さんから言われた』
 『父さんから?』
 『詳しく知らないけど、雨宮神社は忌み子の家系なんだ』

 そう言って、雨宮が小学生の時の怪奇現象や先代が失踪したという話が出た。それを皮切りに、『いわくつきの神社』『心霊現象の名所』かつて神社付近で起きた事故という具体的な内容まで溢れ出す。いよいよ雨宮の一端を掴んだ。僕はそれらをノートにまとめると、僕はそういう人達に向けて調査結果を差し出した。
 
 詳しく知るためではない。それが真偽問わずに嘘だと言うために。

 『お前すげえな。いろんな意味で』

 これが賭けの一つ。緊張を麻痺させ情報を聞き出し、雨宮の神秘性を故意にぶち壊す。彼女は普通の人、そのイメージを植え付けるために。僕で駄目なら、まずは周囲を崩し雨宮を受け入れる場所を作るしかない。大体、実際に情報を調べあげても証拠など出てこなかった。
 
 そして、風邪はもういいだろうと僕が教室に復帰して数日。一つの情報がもたらされた。

 『出るらしい』
 『出る?』
 『幽霊。裏の墓場の方』

 いつものガセだと思う人達に対して僕は冷静なコメントをする。

 「墓場は境内から離れている。周辺に明かりはなく神社の位置からは確認できないし、入り口から最奥まで三十分。夜は立ち入り禁止だから、迷った末に何か見たと精神的におかしくなったのではないか?」
 『なるほど』

 その時はそれだけで終わった。
 
 だが五月になる頃、その噂は教室で再び発生したのだ。

 「ユーレイ! あたち見てみたい」
 「たぶんお前がいたら出てこねえよ」

 どうやら思ったより広まっているようだ。怪談の季節にはまだ早いが、違和感を感じる人達は少ないらしい。ここまで雨宮について布石を打ったから当然か。しかし、ちょうどいい。本当は僕が何か仕掛けるつもりだったが、どうネタを作ったものか考えていたのだ。
 
 「……行ってみないか?」
 「な――」

 授業の間の休憩時間に僕は呟くように誘った。前にいた桑谷と遠藤が「はあ?」という顔をする。ちなみに笹本はうるさいので今は蚊帳の外だ。
 
 「雨宮がいなくなり、肝試しには早すぎるこの時期にこの噂。何か関係があるかもしれない」
 「それは渡が神社に行きたいからだろ? 俺は行きたくないぞ」
 「意外だな。遠藤なら、こういうのに乗るものだと思っていた」

 桑谷の言葉に遠藤が首を振る。
 
 「場所が場所だし」

 やはりそうくるか。どうも彼は雨宮への抵抗心がまだ強い。
 
 「それでも僕は行くよ。うちの墓もその辺にあるだろうし」
 「そうだな。今回は俺も行こう」

 意外なことに桑谷が言った。
 
 「どういう風の吹き回しだ?」
 「別に。俺もこいつじゃないが思うところがいろいろあるんだ」

 あっさりと言ってのけるが遠藤は本当に驚いていた。
 
 そういえば、桑谷は前の肉まん事件の時もそうだった。こいつはこいつで何か雨宮に思うところがあるんだろうか。いいやつと笹本は言ったが、さすがに無条件で俺に手を貸すのもおかしい。
 
 僕は考えて、行くとしたら大勢だと決めた。クラスの面々には個別に僕から誘っておくとして、万が一のために予防線も貼っておくべきだ。僕の戦いはここから始まるのだから。
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