ココにおいでよ!

飛鳥弥生

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『ココにおいでよ! 前編』

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「愛しき人よ」(作詞:鳩羽美咲)

 もしも 僕のこぶしが鉄ならば
 君の鼻骨を砕いてあげるのに
 もしも 僕のかかとが刃ならば
 君の頭蓋を割ってあげるのに
 もしも 僕のこころが氷ならば
 君の間抜けを嘲{あざけ}てあげるのに

 無力な僕はなにもできず
 今日も君は馬鹿丸出し
 いつもと同じに馬鹿丸出し

 チリチリと鳴り響く目覚まし時計を布団から蹴飛ばしたココは、半分夢の中で、目覚まし時計というのは人類が生み出した道具の中でも一番の無礼者だと欠伸{あくび}を一つ、布団を頭から被り直した。
 確か愉快な内容だったであろう、既に記憶から消えかけている夢の光景を思い返しつつ、折角の日曜の朝なんだからこのまま極楽を味わうのがいいだろう、そう考えたが、すぐに予定が、現実のそれが脳裏に浮かぶ。
 目覚まし時計さながらに布団から飛び起きたココは、部屋の壁際にすっ飛んだ時計を見て、あ! と一人、声を上げた。
「寝坊したー!」

 駅前商店街の入り口、午前十時過ぎ。
 彼は目一杯のオシャレをしてそこにもう二時間、立っていた。バレンタインを翌月に控えた今時期は寒く、ウインドブレイカーが冷たくなっている。彼の手持ちの服で一番高くてオシャレに見えるそれは中学二年生、春には高校受験生になる彼を少しだけ大人に見せていた。ジーンズとスニーカもお気に入りからのラインナップ、といっても数は少しだが、そこから一番のものを選んだし、朝から三回もシャワーを浴びて髪型もきっちり整えた。
 少々気合が入り過ぎのようにも思ったが、初のデートで気合の入らない男子などいないだろう。相手はクラスメイトの中でも一番元気で可愛らしい、彼の小学生時代からの友人で、今ではガールフレンドのココだ。気合の入りようは尋常ではない。
 友人知人からココと呼ばれる彼女はクラスを問わずモテていたし、サッカー部で活躍する自分もまあモテるほうだが、彼女、渾名{あだな}をココという彼女から昨晩メールで「付き合いましょう」と突然云われて、彼は有頂天になって返信した。好きだ、とはずっと云っていたが、ココはそれを友達として、そう解釈しているようだったので、半分理性を失いつつ「俺も昔から~」と長いメールを返して今日のデートとなった。

 が、午前九時に駅前で、という約束から既に一時間以上経過している。
 興奮をなだめるように八時にここに到着した彼はかれこれ二時間も、冷たい風が吹き付けるそこに立っていた。デートの場面で男性側が先で女性側が遅れて到着というのはテレビドラマでよく見るシーンだが、それにしたって真冬にそれだけの時間、そわそわしつつ冷やされているというのはどうにも、そう思い始めた頃、ようやくにして彼女、ココが現れた。正確には、走ってきた。
 その仕草も可愛らしい、そう彼は思い、しかし距離が縮まると共にそれは疑問に変わっていった。
「ごめん、ポチ。寝坊しちゃったー」
 笑顔で云うココ。やっぱり可愛い、のだが彼、ポチというココ限定の渾名で呼ばれた彼は彼女の姿を見て、笑顔を凍らせて頭に「?」マークを浮かべた。
 彼、ポチは普段は学生服。中学生なのだから当然だ。休日、プライベートではジーンズとスニーカで、上はパーカーだったりトレーナーだったりで、寒い時期には厚手のウインドブレイカーが常だった。クラスでも一番可愛い、多分ガールフレンドであろうココも普段は学生服、セーラーだが、プライベートでどんな姿なのかは知らない。
 とりあえずココのプライベートファッションの一つであろうそれは、ジャージだった。
 上下ともに青で、足元はコンバースのローカット。黒いショートヘアと同じく黒いセルフレームで、顔立ちは言うまでもない。自分と同じ中学二年生にしては魅力的なプロポーションと快活な声、これも普段通りだが……ジャージ?
 胸に「2-C」とゼッケンがあるそれは、確か体育の授業でみんなが着るジャージに見えた。いやいや、初デートでジャージ姿というのはないだろう。ひょっとして、もしかするとココの着ているジャージは実はどこかのブランドのもので、今時はジャージが女性陣の流行なのかもしれない。レディースファッションに疎いポチは改めてココを上から下まで見る、そう悟られないように。
 おでこを覆うように切りそろえた前髪。二重で大きい両目はセルフレーム眼鏡の奥で今日も子犬のような愛嬌。少し低い鼻の下の小さな口が、ごめん、と繰り返している。
 胸が大きくてどうしてもそこに目が行くのはポチこと自分が健全な男子だからだが、そこに白い、縫い付けたゼッケンがあり、青いジャージ。足元のコンバースを含めて、どう見ても体育の授業の格好だ。流行がどうこうと思ったが、少なくともジャージが流行しているという話を聞いたことはない。そして、自分の記憶が正しいなら今日は初デートな筈だ。
 そうか、と閃いた。
 ココの青いジャージは実はやはりブランドの類で、自分は女性ファッションに疎いが、それが彼女のオシャレなのだろう。半ば言い聞かせるようにココに笑顔を向けると、こう続いた。
「寝坊したから着替える暇なくって、そのまんま来たのよ。さ、買い物行こう!」
 青い、襟元のヨレたジャージ姿のココは、ショップモールを指差した。
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