放浪艦隊へ捧げる鎮魂歌

飛鳥弥生

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『第二章~ディープスリープ - Deep sleep -』

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 灼熱のハイウェイで西のケイジに向かうコンボイの中間に位置するオンボロバンには、折りたたみ椅子と共に小さな扇風機が完備されていた。突き刺す日差しで焼かれる砂漠と廃墟の群れ、流れる景色を眺めつつ贅沢なコンボイだと評したリッパーだったが、このコンボイは臨時のものだとリーダーの女性は説明した。
 マルグリット・ビュヒナー。握手をしつつ聞いた名前は、やたらと長ったらしく覚えるのに苦労しそうだったが「マリーでいいわ」と付け加えられたので安堵した。
「ハイ、ミス・マリー。IZAコープの傑作シューティングデバイス、ガンスリンガーのイザナギだ、ヨロシク!」
 イザナギに呼応してイザナミが左腕を挙げようとしたのをリッパーが慌てて制した。
「ごめんなさいね。性能は折り紙付きなんだけど、ちょっぴり礼儀作法に問題があるのよ」
「その両腕がNデバイスってのは本当かい?」
 割り込んできたのはスス男こと、コルト・ギャレットだった。タオルで顔を拭うとその面構えはまんざらでもない。テンガロンハットの下は鷲か鷹か、獰猛な猛禽類を連想させる鋭い顔付きで、コンボイの護衛と戦闘指揮をしている雇われの傭兵、と簡単に自己紹介した。
「コルト、他人を詮索するのは良くないわ。ましてや相手はレディよ?」
 艶のある黒いロングヘアで愛嬌のある子犬のような笑顔のマリーは、コンボイのリーダーというより、どこぞの令嬢に見えた。出身地は案外そんなところなのかもしれない。東のケイジから出た連中が集まって現在の規模のコンボイになって西を目指していると、丁寧な物腰で教えてもくれた。
「これだけ武装していても、ハイブに襲撃されたら五分と持たないのよ」
「でしょうね」
 差し出された水は驚くほど冷たかった。どこまで贅沢なコンボイなのだろう。冷たくて美味い水はコンボイでは貴重品ではないらしいので、リッパーは遠慮せず飲み干して継ぎ足した。
「リッパーさん……」
「リッパー、呼び捨てにしてくれたほうが気が楽なの」
 あだ名だから敬称はいらない、と説明しようとしたが、そのあだ名になった経緯を聞かれると説明が面倒なので止めておいた。
「なら、リッパー。アナタがいた地点でハイブを探知したの。それで迂回ルートを検討してたら反応が消失して驚いたのよ。あの辺りのアーミーは数年前に壊滅しているはずなのに」
 濡れたタオルで顔と首を拭うと随分とスッキリとした。ふぅ、と小さく溜息が出た。日除けマントの裏側ポケットから煙草を一本取り出し、口にくわえるポーズでマリーに向けて首をかしげると「どうぞ」と返ったのでオイルライターで火を点けた。すっと吸い込み、溜めてから、吐き出しつつリッパーはポツリとつぶやいた。
「あのハイブならあたしが始末したわよ。七分近くかかったけどね」
 言いつつイザナミの策敵範囲を二百キロに広げると、リッパーの目的地とコンボイの進行方向はおおよそで一致した。二つの目的地のうち一つは移動しているらしく、コンボイのルートとも離れている。直線距離で二千キロといったところだ。
 移動目標をBポイントに、移動していない三千キロ先の目標、ケイジらしき場所をAポイントに設定して水をもう一口含むと、呆けている顔が二つ、目の前にあった。当然ながらマリーとコルトだった。
「何? あたし、何か妙なこと言った? ああ、ちょっと今ね、衛星とリンクして目的地を……」
「ハイブを倒したって? 一人でか?」
 コルトがのけぞって、含んだ水を噴き出しそうになっていた。男前が台無しだが、言わんとすることは解かる。
 通常、ハイブと人間では闘いにすらならない。ハイブの強靭で俊敏な肉体は人間のそれを遥かに凌駕しているからだ。フルチューンの戦闘用サイボーグ以外でハイブと戦えるのは、僅かに残る正規軍の精鋭くらいなものだ。しかし、リッパーは軍属ではあるがサイボーグではない。
「そう驚くこともないわよ? ちょっとしたコツがあるの。アナタのそれ、四十五口径? それだと頼りないけど、もうツーサイズほど大きければどうとでもなるわ」
 コルトのくたびれたレザーパンツの腰には、二つの革製ホルスターがシンメトリーで並んでいる。中身はリッパーの言った四十五口径。古臭い、シルバーのシングルアクションリボルバーだった。弾丸ベルトが腰をぐるりと巻いている。収まっているのは安っぽいスチールジャケット弾らしかった。
「ツーサイズってことは、ライフルかい?」
 コルトは自分のシングルアクションリボルバーを取り出し、弾丸を抜いてからクルクルと回し始めた。かなり上手なガンスピンで、リッパーは、そのままケイジの大道芸人と並んでも遜色ない、と言おうとして止めた。
「ライフル? まあフルオート射撃が可能ならライフルでもいいけど、そんなもの軍用でしょう。ブラックマーケットでも出回ってないんじゃあないかしら。つまり……ジャンプアップ」
 掛け声と同時にリッパーの右肩にハンドガンのグリップが跳ね出して、コルトが飛び上がりそうになった。
「これがあたしの銃、ベッセル。ああ、左手用だからシリンダースイングが逆ね?」
 スイングアウトさせたシリンダーから弾丸を抜いて、左仕様のベッセルをコルトに手渡す。複合チタンフレームの光沢にコルトとマリーの顔が映りこむ。コルトの額辺りにIZA社の刻印があり、まるでコルトがIZA社の社員のように見えた。
「ヘイヘイ、なんだいこりゃ? このサイズでハンドガンの形をしてるぜ? シリンダーは三発っきりだが、でかいな」
「IZA-N-VSL3、通称がベッセル。Nデバイスのメインアームで、大口径ライフル弾をリボルバーで撃てるようにしたカスタムメイドなの。弾頭は見ての通りのAPI。フレーム強度上、弾丸が三発しか収まらないんだけど、対ハイブを想定した一撃必中の銃だからそれで足りるのよ」
 マリーは自分の掌の長さほどある弾丸を自分のライフルにあてがって、むー、と唸っている。ベッセルの弾丸はマリーのそれより口径も長さも二周り上だった。
「……こんな大きな銃を扱えるの?」
「生身で撃てる人は少ないでしょうね。そのためのこれ、Nデバイスよ」
 リッパーは含み笑いのままイザナギでイザナミをキンキンと叩く。ふう、と大きな溜息がマリーから出た。マリーは半笑いの妙な表情だった。
「傭兵を雇うのなら、アナタみたいな人を選ぶべきだったわ」
 ベッセルの弾丸越しにマリーはコルトを見た。
「ヘイヘイ、マリー。皮肉のつもりだろうがな、Nデバイスを装備した人間なんて例外中の例外だ。探して見付かるような人種じゃあないぜ?」
 コルトの言い方だとリッパーはまるで珍獣扱いだったが、実は間違いでもない。しかし、兵装に興味が行くのはいいとして、それを扱う本人も見て欲しいものだと思うのは毎度のこと。整形なしでこれだけ整った顔立ちも探して見付かるでもないだろうに、と。
 二本目の煙草の紫煙を二つ、わっかにして、ぷかぷかと浮かべる。しばらく漂ったわっかは扇風機の風で二つとも消えた。
「コルトは知ってる風だけど、Nデバイスっていうのは、その大きな銃を扱う義手のことなの?」
 最初は遠慮していたマリーだったが、巨大なリボルバーや銀色の両腕など、やはり見たことのない装備が気になるようだった。Nデバイスの詳細は機密扱いなのだが、コンボイの乗員にスペックが漏れたところで害が及ぶでもないので簡単に説明してみた。
「少し違うの。NデバイスっていうのはIFDLでの多用途戦闘システムなの」
「アイ、エフ、ディーエル?」
「イン・ファイト・データリンク。サテライトリンクシステムを使った情報支援戦闘ってところ」
「サテライトリンク? 情報支援?」
 マリーの頭には「?」マークが浮かんでいた。コルトは幾らか知っているらしいので、ふむふむと頷いている。
「ヘイ、リッパー。それじゃあ説明になってないぜ。ミス・マリーが混乱するだけだ」
 痺れを切らしたイザナギが割って入り、続ける。
「ミス・マリー。サテライトリンクってのはな、空のずっと上にある軌道上衛星ネットワークと、説明が下手くそなリッパーのおつむを高出力レーザー回線で繋ぐシステムのことさ。地形解析衛星とか防衛監視衛星なんかのデータをタイムラグゼロで中継処理して、策敵や照準をサポートするのさ。リッパーが煙草を咥えたまま鼻歌交じりでベッセルを精密射撃できるのは、スーパーガンナーのオレ、イザナギがエイミングをパーフェクトコントロールしてるからなんだ。オーライ?」
「鼻歌って、あたしはそんな下品な真似しないわよ」
「だったら、スモーキングショットの回数をカウントしてみるかい? メモリバンクにきっちり収まってるぜ?」
 イザナギの説明を聞き、マリーの表情が変わった。
「右腕さんって見た目以上に凄いのね? でも、衛星なんてジャミングとデリンジャー現象で全く使えないでしょう?」
 イザナギを黙らせ、三本目の煙草に火を点けてからリッパーが返す。
「それが使えるからNデバイスは特別なのよ。ちなみにこれ……」
 リッパーは後頭部をマリーに向けて銀髪をかきあげ、首筋にあるクリスタルをつついた。
「素敵! なんて大きなエメラルド! 見てよコルト! 丁寧なエメラルドカットで七十カラットくらいあるのに、インクルージョンが全くないわ!」
 いきなりテンションの上がったマリーに促され、コルトが「どれどれ?」とリッパーの首筋を眺める。
「ほう、こりゃあキレイなディープグリーンだな。ついでに魅力的な後ろ首だ。だがよ、エメラルドならエメラルドカットってのは当たり前だろ? インクルージョンってのは何だ?」
「もう! アナタって銃以外の知識はないの? こういうエッジのある長方形カットをエメラルドカットって呼ぶの、サファイアでもダイヤモンドでもね。インクルージョンっていうのは混ざりものよ。エメラルドは元々インクルージョンが多くて、それが逆に価値を高くすることもあるんだけど、少ないものは希少だから高値なの。それにしたって、このサイズでインクルージョンが全くないなんて、希少どころの騒ぎじゃあないわよ? バイヤーに見せてもきっと値段が付かないわ。展示して見物料が取れる代物よ? リッパー、アナタって歩く美術館みたい。それってアクセサリ?」
 マリーに問われて、リッパーは小さく吹き出した。
「まさか。これはNデバイスのサテライトリンク・コアユニット……つまり、情報送受信端末よ。ここから衛星ネットにコマンドを入力したりサーチデータをダウンロードしたりするの。どお? 何となく解った?」
 普段は銀髪で隠れる、首筋で静かに輝く深緑のコアユニットを不思議そうに見つつ、マリーは、はぁ、と溜息交じりで返した。Nデバイスのスペックに感心しているのかエメラルドに興味があるのかは解らない。恐らく両方なのだろう。三本目の煙草が灰になったので灰皿に押し付け、水を一口含んでから次を咥える。
「アナタ、ひょっとして軍隊の方?」
「一応ね。海兵隊月方面軍の第七艦隊所属で――」
「マスター、それ以上は機密に抵触します」
 いきなりイザナミが遮った。言われてリッパーは思わず舌を出して苦笑いした。マリーも似たような表情で返す。
「ごめんなさいね。別にカリカリする必要はないんだけど、こんなでも一応は軍属だから」
「こっちこそ、何だか詮索したみたいで。左腕さん、ごめんなさいね」
「いえ。軍事機密以外でしたらマスターの視力値からスリーサイズまで、何なりとご質問ください。ちなみに、略称はイザナミです」
 一通りの自己紹介を終えたリッパーは、コルトとマリーがベッセルやら宝石がどうだこうだと言うのを眺めつつ煙草を灰にしてゆき、根元までそうしてから灰皿に押し付ける。冷えた水を口に含んで飲み込もうとしたとき、ウエストポーチの中からアラーム時計がピッと鳴った。
「お話の途中でごめんなさい。このコンボイが安全なら少し眠りたいんだけど?」
「それは構わないけど、この揺れで眠れるかしら? 後方に寝台車両があるけど、移動する?」
 問題ない、と言う代わりにリッパーは一錠の青いピルを見せた。
「完全睡眠強制導入薬、ディープスリープ錠剤。これで一時間半、熟睡させてもらうわ。ああ、そうそう。あたしのマントの内ポケットに色々な種類の弾薬があるの。乗せてもらったお礼、合う弾を取っていいわよ。フルメタルジャケット、ホローポイント、グレイザーセフティスラッグ、アーマーピアシング、ハイドラショック、ロードブロック、その他色々と品揃えはちょっとしたものだからお試しあれ。じゃあ、おやすみなさい」
 言うが早いかDSピルをパクリと口に入れて噛み砕き、冷えた水で流し込み、シートに横になる。マリーとコルトのやりとりが一分間だけ聞こえ、リッパーはディープスリープに入った。バンの揺れ加減が心地良く感じた……。

 ……夢の光景はいつも海兵隊時代だった。
 笑顔の絶えない戦友と、それを乗せる月軌道上の海兵隊第七艦隊。
 リッパーの指揮する巡洋艦バランタインの副長席にはオズの笑顔があった。リッパーは艦長、オズは副長だが階級も戦歴もほぼ同じで長い付き合いなので、バランタインが自動航行になると二人は恋人同士として艦内を散歩して回った。見知った乗務員の冷やかしにいちいち反応するオズは子供っぽく見えたが、それがいかにもオズらしくもあった。
 だからこそ慕われ、いざ戦闘となれば命さえ預けられるのだろう。繰り返しのシミュレーションと幾つかの実戦でのオズのタクティカルサポートとCICはいつでも的確で、編成からしばらくして第七艦隊は「無敵の浮沈艦隊」と呼ばれるまでになっていた。そうさせたのは当然ながらリッパーの戦術指揮能力が故だが、オズの存在がそれを支えていたことは自分が一番理解している。
 海兵隊月方面軍、第七艦隊の旗艦バランタインはリッパーの艦だが、乗務員全員の命を預かっているという自覚はあっても実感はなかった。だからバランタインは撃沈した、そう考える。
 領空侵犯した小型揚陸艦に大型粒子砲が搭載されていたことや、その火力が巡洋艦クラスのバリアフィールドを貫通するものだったこと、それだけの技術が敵対勢力にあるはずがないという情報部の判断、何もかもが艦長である自分の責任だと、脱出ポッドから炎上するバランタインを眺めて思った。
 大気圏突入直前から半年分の記憶はなかったが、目覚めたのはIZA社関連の地上軍施設だった。
 ポッド内部で焼け爛れて根元から動かなくなった両手と入れ替えで、ぺらぺらと良く喋る一対の銀色のマシンアームと出会ったのもそこだ。白衣の技術者たちがNシリーズがどうこうと言っていたが殆ど耳にせず、リッパーはオズの無事を表裏問わずの情報網で探し回った。
 労働生物、合成人間「ハイブ」の暴走が激化している最中だったが、それもリッパーにはどうでもよかった。
 地上がハイブにより混乱し荒廃する間、リッパーはオズを探してネットとケイジをさ迷ったが、情報元はネットワークではなく、簡易ケイジの安っぽい酒場の伝言板に無造作に貼られたペーパーレターだった。
「OZ」と書かれたそれには座標らしき数式が二つと、一つの古代文字。イザナミのお陰で「シノビ」と読むと解読できたが、それが何かの名称なのか文字通りの意味なのかは定かではなかった。何より、不確実なペーパーレターを使う意味が解からない。それでもまともな情報はそれだけで、地球の裏側に向けてリッパーの旅は始まり、遅ればせでリッパーはハイブの脅威を痛感することになる。

 レッドアラート。

 目覚めたそこはコンボイのオンボロバンの中だった。
 夢と重なってバランタインの艦橋のような気分だったが、それにしては床がごつごつしすぎている。バランタインの艦長席は特注の豪勢な作りでふかふかなのに対し、オンボロバンのシートはすっかりくたびれてスプリングが体に当たる。指で押してみるとスプリングの軋む音がした。
 そこで銃声が聞こえ、意識が瞬間で通常になった。
「イザナミ!」
「状況報告。二分前にハイブ二体による襲撃。コンボイの戦闘力は七十二パーセントまで損耗。駆動系は警報発令と同時に通常射撃戦ATDへオートシフト。稼働率八十九パーセント、許容範囲内。尚、臨界駆動は使用不能」
 ベッセルのシリンダーが埋まっていることを確認して日除けマントを羽織り、バックパックを背負い、くたびれたシートから素早く立ち上がる。
「イザナギ?」
「グッモーニン、リッパー! AFCSはレッドアラートでスクランブルアップ! 三つの衛星を確保してあるぜ! コンプリンクまであと三秒。真っ白けは二つ、丸腰だ!」
 脇にあったベッセルの弾丸を握りバンの後部扉を蹴飛ばすと、銃声と悲鳴が幾つも聞こえた。ハイブと接触して既に二分。あのコルトとか言う男が基準ならコンボイの戦闘力など無いに等しいかもしれない。
「イザナミ、コンボイの総数は?」
 ハイウェイに降り立ち、すぐさま駆け出す。銃声はコンボイの先頭車両方向だった。
「非戦闘員を含めて六十五……六十四人」
 オンボロバンに乗り込むときに老人と子供をかなりの数、見かけた。移動難民キャンプのような光景だったし、このコンボイは実際にそういう意味もあるのかもしれない。
「マリーとコルトは?」
「健在。ハイブと交戦、苦戦中。コンボイの先頭、十一時方向二百十メートル前方」
 イザナミの言う方角に向けて体をくねらせて路面を蹴った。辺りはまだ明るいが日没までは数時間ほどだ。視界に炎上した車両が入った。
「二人の装備は?」
 硝煙と血の匂いが鼻をツンと突付いた。視界の車両はコンボイの先頭集団の最後尾で、銃声は更に遠くだった。
「コルト・ギャレット、四十五口径シングルアクションリボルバーを二挺。マルグリット・ビュヒナー、四十四口径レバーアクションライフルを一挺とハンドグレネードを八個」
「そんな装備で何が出来るのよ! バカ!」
 ベッセルの咆哮を思わせる怒鳴り声は、夢の中にいたキャプテン・リッパーに向けられたものだ。そこから十秒走るとようやくマリーの後頭部、艶っぽい黒髪が見えた。コルトは? 視線を飛ばすとタンクローリーの上でリボルバー二挺を構えていた。
「残り二……ゼロ、接敵」
「リッパー! 無事なのね?」
 ライフルを構えたマリーが息を切らしたリッパーに大声で言い、すぐに寄ってきた。早鐘のような鼓動で辺りを見渡すがハイブの姿はない。銃声はタンクローリーの上のコルトだが外したらしく、二発目が間髪入れずに轟く。
「チッ! 速いぞ!」
 三発目を放ちつつコルトが悪態をつく。リッパーの隣でマリーもライフルを撃ち始めた。
「策敵。二十メートル圏内を高速移動中のハイブは近接格闘タイプ。戦闘記録なし。以降、二体をA、Bと識別。特殊射撃戦駆動へ強制シフト。プラズマディフェンサーはオートで待機」
「レンジ、テンエイト! 新種のそいつ、ハイブ・ナイフエッジがツーマンセルだ! シーカーダブルロック! ノー! 射線上に障害物! 移動熱源、人間だ! トリガーロック!」
 コンボイの先頭集団のバギーから男女が二人飛び出てきて、ハイブに横一文字になぎ払われた。女は男の名を叫び、胴体を半分割かれた状態でバギーに叩きつけられ、男はその場で縦に真っ二つ、鮮血でバギーを染めた。割かれた上半身がスローモーションでリッパーの瞳を落下する。呼吸はまだ荒れている。思考にもフィルターがかかったようで、リッパーはマリーの隣で惨状を眺めているだけだった。
「イザベラ! ゴードン!」
 二人の名前であろうそれを叫びマリーのライフルが炸裂したが、着弾は開いたバギーのドアだった。そのすぐ後ろのもう一台のバギーから子供が駆け出して「マリー!」と大声を上げた。
「出るな! ルジチカ!」
 コルトがタンクから飛び降りながら両手のリボルバーを連射し、ルジチカと呼ばれた子供の周囲のアスファルトに穴が開く。ハイブ・ナイフエッジを近づけないための威嚇だろう。しかし、コルトが着地するより先に子供の頭の上に光るものが見えた。コルトの弾丸より速いそれが子供の頭に振りかぶられるその瞬間、思考にかかっていたフィルターを強引に裂き、リッパーは怒声を放った。
「アルビノぉ!」
 蒼白の顔、無機質な瞳がリッパーの視線と絡まって止まった。一メートル半近くあるブレード状の右腕も止まる。元が労働生物であるハイブの頭脳核・カーネルは外部からの音声命令に、一瞬ではあるが反応する(してしまう)ように設計されているのだ。現在においても。
「ナイフエッジA、停止」
 イザナミが一言。
「オールクリア! レンジ、ナインエイト! シーカームーブ! ダブルロック! トリガー!」
「止まったアンタが悪い……ジャンプアップ!」
 顎の前でクロスさせた両手に背中からスライドしてきたベッセル二挺が収まり、スライドの勢いのまま射撃体勢に入る。
 ゴゴン!
 連なった轟音の一つはブレード状の右腕の根元をそぎ落とし、もう一つはハイブの眉間から上を吹き飛ばした。両手のベッセルの同時発射はハイウェイの埃を一瞬で払い、コルトをびりびりと震わせ、マリーはその場で尻もちをついた。腕の片側七ヵ所ずつのヒートスリットが真っ赤に光る。
「ダブルヒット! カーネル、ワンクラッシュ! シーカームーヴ!」
「特殊射撃駆動により反動相殺。ヒートスリット、排熱準備。稼動域八十一パーセント。ナイフエッジB、着弾後方三メートルに位置。障害物により視認不能」
「イザナギ! カモン!」
 怒鳴る声に覇気を含ませる。もう思考フィルターは微塵も残っていない、完全クリアだ。ルジチカという名前の子供の挙動も全て見える。少女ルジチカは、目の前にいたナイフエッジの腕と頭がいきなり吹き飛び、呆然としているようだ。
「コピー! マグネグラフエイミング! シーカームーヴ! 仰角マイナス三度! ワンロック! ライト、ワントリガー!」
 ゴン! 三発目は少女の脇をかすめて、その向こうに右肩から先を失ったもう一体のハイブが転げた。
「ワンヒット! シーカームーヴ! マイナス四秒、マイナス二度! ワンロック! ライト、ラストトリガー!」
 イザナギがトリガーコールを続けるとイザナミが割り込んだ。
「警報。コンボイ乗員の被害範囲内」
「お嬢ちゃん! 耳を塞いで!」
 小さな少女がリッパーの言う通りに耳を塞いで座り込み、その姿勢で射線クリア。ベッセルRが最後の一発を発射。這いつくばる格好だったハイブの頭頂部がカーネルごと爆裂し、五メートルほど後ろに吹き飛んでから動かなくなった。
「ワンヒット! カーネル、ワンクラッシュ! ターゲット、デリート! ハー!」
「ハイブ・ナイフエッジタイプA、B共に沈黙。カーネル活動停止、反応消失。特殊射撃戦駆動を解除、通常へシフト。ヒートスリットシステム、強制排熱開始」
 通常駆動に移行すると同時に、真っ赤になったヒートスリットから熱風が吹き出した。
「ヤー、リッパー! ナイスショット! AFCSスタンバイモード、リロード!」
 ベッセル二挺を肩に添えて背中に仕舞い、リッパーは大きく深呼吸した。燃えたバギーの匂いが鼻にツンとくる。異臭には血の匂いもあった。
 ディープスリープからのアラート覚醒は二分のタイムラグを生み、その数値がそのままコンボイの損害になった。再び息を吸い込み、止めた。見上げる空はまだ明るい。どん、と体にぶつかってきたのはマリーだった。視線を落とすと目の前にコルトの姿もあった。
「ヘイヘイ! ミス・リッパー! アンタ、どんだけスゲーんだ? ハイブ二体に何秒だ?」
 コルトが笑顔で言うが、リッパーの表情は暗かった。
「策敵から三十三秒。うち、ロスタイムは二十秒。原因はディープスリープによる一時的な機能不全」
 リッパーに代わってイザナミが応えた。思考にフィルターがかかったようで棒立ちになっていたスローモーションの二十秒。イザナミはディープスリープが原因だと言っているが果たしてそうだろうか。リッパーは眉間を寄せた。
「ありがとうリッパー! アナタがいなかったら今頃……」
 マリーの涙声にリッパーは違うと首を振る。
「イザナミの言う通り。ロスタイム二十秒で二人も犠牲になった。その前、ディープスリープでなければコンボイの損害はゼロで済んだはず。そのためのNデバイスだって言うのに」
「ノー! リッパー! エイミングとトリガータイミングはパーフェクトだった! ディープスリープはエイミングコントロールに支障はない! 障害物のコンボイ乗員も完璧にパスしたさ!」
 イザナギの抗議にコルトがうんうんと頷く。
「右腕さんの言う通りだ、リッパー。ナイフエッジとか言ったか? あんなタイプのハイブは俺は始めてだ。銃が通用しないんじゃあアーミーでも相手にならない。それをアンタは三十秒そこらで仕留めた。ロスタイム結構。いなけりゃ今頃全滅だ。酷な話だが、そうだろ、マリー?」
 コルトは両手の四十五口径リボルバーをガンスピン、縦横にくるくると回して両脇のホルスターに収め、だろ? と繰り返す。マリーは涙をすっかり拭ってうなずいた。
「ええ。コンボイを編成している以上、損害は覚悟してたわ。それにしたって未確認タイプのハイブ二体の襲撃に耐えられる装備や傭兵はケイジにもないわ。砂漠でアナタを拾ったのは我々コンボイからすれば大ラッキーよ、ありがとう。コルト、損害の詳細と車両の再編成、頼めるかしら?」
 リッパーの胴体をぐいと抱きしめて、マリーはコルトに指示を出した。
「それから、右腕さんと左腕さんも、ありがとう」
 マリーの声は柔らかかった。
「どういたしまして。戦闘終了、通常駆動、正常に作動中。ヒートスリット、排熱継続。ちなみに、略称はイザナミです」
「サンキュー、ミス・マリー。ターゲット、オールデリート。AFCSオフライン。ダブルベッセル、リロード!」
 マリーはくすりと笑って駆けて行った。ヒートスリットからの熱風でマリーの足元はゆらゆらと揺れているように見えた。

 他人から感謝されることに抵抗を持つようになったのはいつ頃からだろうか。一人旅が長かったからか、巡洋艦バランタインを失ったからなのか、その両方なのか。人に説明するときは自分は大した装備の持ち主のようだが、案外、自分一人を守ることで精一杯のちっぽけな武装なのかもしれない。ふとそう思った。
「ディープスリープからの寝覚めはいつもネガティブ。これってピルの副作用なのかしら?」
「回答不能。定期ディープスリープはデバイスの維持に不可欠です。服用ピルの成分及び作用に異常なし」
「リッパーの思考ノイズは制御外だがデバックするかい?」
 イザナギのデバックは両腕と脊髄の一部のみ。ノンと返し辺りを見渡す。混乱したコンボイの人々がマリーとコルトの呼びかけで静かになっていた。
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