幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢

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六 斎藤一之章:Survival

敗残兵(一)

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 鶴ヶ城に降伏の白旗が掲げられてから半月が過ぎた。
 容《かた》保《もり》公を始め藩主の血族は、飯《いい》盛《もり》山の程近く、滝沢の妙国寺に幽閉されている。籠《ろう》城《じょう》した者のうち、男は猪《い》苗《なわ》代《しろ》で謹慎。女や老人や子どもは米沢街道沿いの宿場や村に送られた。
 オレはまだ戦っている。
 鬼佐川こと佐川官兵衛は、鶴ヶ城の降伏を知っても戦闘の続行を決めた。オレも望むところだった。
「会津が敵に頭を下げなければならない理由がわからない」
「んだ、斎藤の言うとおりだ。敵は官軍を名乗っているけんじょ、やっていることに正義は一つもねえ。自分《わが》の考えを押し通すために錦《にしき》の御《み》旗《はた》を振りかざす、官の名を借りた賊だ」
 鶴ヶ城の南方七里、大内宿。ここがオレたちの最後の砦だ。
 若松から大内宿までの街道は両側に山が迫っている。大内宿も、山に囲まれた狭い平地に建つ村だ。地の利を活かせば、自軍の五倍、十倍の敵を相手取っても勝利できる。
 山間の街道を、大勢では攻めてこられない。オレたちは左右の高台に分かれて待機し、敵の通過を観察。時宜を逃さず、大軍で包囲しているかのように大声を発して脅《おど》す。敵が怯《ひる》んだところを背後から襲う。
 破った敵を捕虜として扱うための人手も場所も食糧もない。だから必ず殺し、食糧も金《きん》子《す》も鉄砲も砲弾も、時には服までも奪う。
「いつ終わるんだろう?」
 オレがつぶやいたのは宵《よい》の口、火鉢の端でのことだった。白い鳩《はと》がオレのそばで丸くなっている。大内宿の脇本陣。すぐにも外へ飛び出せる土間のそばの一室が、オレと佐川さんの根城だ。
 無《ぶ》精《しょう》髭《ひげ》の佐川さんは、白湯のように茶碗酒を呷《あお》った。
「幽閉された殿をお救いしてえ。敵の頭《かしら》を殺してやりてえ。敵軍を会津から追い払いてえ。成し遂げてぇことは沢山《でっこら》あんべ」
「これ以上寒くなったら、どうなる? 雪が積もったら?」
「さて。三日先のことはわかんねぇな。一日ずつ生き抜くしかねえ」
 冬十月の初旬。朝晩は、家の中にいても息が白い。綿入れの着物なしには体が冷えて敵わないから、佐川隊の全員ぶんを大内宿の女たちに縫わせた。
 大内宿が倒幕派の占領下にあったとき、村人は連中を「官軍」と呼んで命令に従っていた。そうしなければ命がなかった。佐川隊が大内宿を奪い返すと、村人はオレたちに恭順した。佐川隊のほうがはるかにましだと、オレにこぼした女がいた。
「会津の武士は、米だ酒だ人手だ草鞋《わらじ》だ着物だと取り立てはするけんじょ、女に乱暴をしねえ。薩長は鬼畜だった。主《にし》ゃ見たがよ? 薩長の軍は、女を数《じゅ》珠《ず》つなぎにして連れていた。落とした村に供出させた戦利品だと、おらにお酌をさせながら自慢しただよ」
 大内宿は農村だが、れっきとした宿場でもあり、大名や旗本の宿泊の世話もする。代々大切にしてきた宿帳や日記は、この戦のために失われたという。履き心地の柔らかい紙りの草鞋を、会津軍にも倒幕派にも求められたせいだった。
 ふと、襖《ふすま》の向こうに人が立った。
「斎藤さん、客だ。斎藤さんでねぇと用件を話さねぇずって、だんまりを決め込んでっから、構ってやってくれっかし」
「客? オレにか?」
 眠っていたはずの鳩が首をもたげた。知った人間が来たとでもいうのか。まさか時尾か? オレは急いで襖を開けた。
 会津藩士に連れられて立っていたのは、違った。時尾ではなかった。
 時尾の弟の盛《もり》之《の》輔《すけ》と、山川家の健次郎。十五歳の少年が二人、痩せて汚れた顔を上げた。盛之輔がおずおずと笑った。
「山口さま、お久しぶりだなし。無事にたどり着けてよかった」
 佐川さんがオレの体越しに盛之輔と健次郎の姿を認めた。
「おう、主《にし》ゃら、白虎隊か?」
「高木盛之輔と申します。白虎隊では幼少組で、お城の見回りや伝令を務めていました」
「同じく白虎隊幼少組の山川健次郎です。私は、お城では兄の大《おお》蔵《くら》の手伝いをしていました」
「小十郎どのの倅《せがれ》と大蔵どのの弟か。んだげっちょ、何《な》如《じょ》した? 男は皆、猪苗代で謹慎しているのではねぇか? まあ、とにかく部屋に入れ。外は寒かったべ」
 盛之輔と健次郎は腰を落ち着けるのもそこそこに、畳んだ白い布を取り出してオレに押し付けた。
「何だ、これは?」
 オレの問いに健次郎が答えた。
「容保さまからお預かりしてきました。佐川官兵衛さまと山口二郎さまのご両名に、しかとお届けするようにと」
 佐川さんが飛び上がった。
「殿から、おれたちに? なぜ主《にし》ゃらが?」
 少年二人は代わる代わる言った。
「私と盛之輔さんは、敵軍の頭に会うために猪苗代の謹慎所を抜け出しました。会津藩士を囚人扱いしねぇでほしい、殿たちのお命を奪わねぇでほしいと直接訴えたかったのです」
「おらも健次郎さんも、つかまって処刑されるのを覚悟で若松に入りました。あちこちに死体が転がったままでした。埋葬が間に合わねぇほど沢山《よっぱら》人が死んだから」
「私たちはつかまりませんでした。洋装をした土佐の武士に見付かったけんじょ、私たちは白虎隊の隊士だと名乗って会津の救済を訴えたら、心に留めておこうと言って見逃してくれました」
「あのときは拳銃を向けられていたから、生きた心地もしねかった。土佐の男が、殿は妙国寺におられると教えてくれました。その男が見張りの気を引くうちに、おらたちは妙国寺に忍び込みました」
「殿も照姫さまも若殿も、お変わりありませんでした。猪苗代の皆は虐《しいた》げられていねぇかと、まずそれを心配なさって、さすけねぇとお答えすると、佐川さまと山口さまのことを話題になさりました」
「戦いを続けておられるのは、佐川さまの隊だけです。百人に満たねぇ兵力だと聞きました。敵軍の兵力をご存じかし? お城を包囲して毎日二千発の大砲を撃ってきた敵は、二万人を超えていました」
 佐川さんが拳で畳を打った。
「わかっている! 兵力の差は何《な》如《じょ》しようもねえ。だけんじょ、ここであきらめるわけにはいかねえ。義があるのは会津だ。敵に頭を下げるのは間違っている」
 健次郎は、オレの手から白い布をひったくった。
「殿も私たちも敵に義があるとは一寸《つぅと》も思ってねえ! けんじょも、殿は、下げたくもねぇ頭を下げてくださった。何のためか、佐川さまにはおわかりになんねぇがよ? 会津が皆殺しにされるわけにはいかねぇからだ!」
 健次郎が広げた布は、ただ白いのではなかった。二文字、美しく実直な筆跡で記されていた。
 降伏。
 容保公の字だ。降伏の白旗に包まれていたものが落ちて、小さな音を立てた。反射的に拾う。守り袋だった。
 佐川さんが、ぎょろりとした目を呆然と見張った。
「殿が、白旗を、おれたちに……」
 盛之輔が、降伏の二文字を見つめている。
「お城に掲げた白旗は、いまっと大きかったなし。照姫さまが音頭を取って女《おな》子《ご》衆が縫って、九月二十二日の朝、降伏と書いて北出丸に掲げました。この小《ちん》ちぇ白旗は、殿と若殿が降伏の儀の式場に向かうときに掲げたものです」
「降伏の儀?」
「山口さまは、うかがってねぇかし? あの日、お城のすぐ北に敵が陣を張りました。土佐、薩摩、長州、肥前、佐土原、大垣、佐賀、岩国、尾張、ほかに何十もの藩の家紋の旗が立っていた。そっだ中で殿はひざまずいて、降伏と謝罪を述べられました」
「ひざまずいた? 敵軍の頭は、板垣や伊地知だ。あいつらはただの上士で、藩主でも何でもない身分なのに」
 盛之輔が静かな顔でオレを見上げた。
「殿はおらたちにも頭を下げて、全部、話してくだせぇました。京都守護職の任を受けたときから今まで、何をお考えだったか。そして、降伏しようと思うがどうだろうかと訊いてくださったなし」
「それじゃあ、皆、降伏に納得したのか?」
「みんなが納得したのではねぇです。腹を切った人もいました。だけんじょ、お城に籠《こも》っていた五千人、殿が敵に頭を下げてくださったから、今日も命がある。空のどこからも大砲の弾が飛んでこねえ。目の前で人が爆死するのを見ねくていい」
 健次郎が拳を固めた。
「私の妹は爆発に巻き込まれて大怪我をしました。兄嫁は弾の火消しに失敗して腹の下で弾が破裂して、体ん中めちゃくちゃに潰れて、血を吐いて死にました。死体はお城の空井戸に投げ込んで墓の代わりにしました。人が人でなくなっていくみてぇでした」
 盛之輔や健次郎と最後に会ったのは一箇月半前だ。オレにとって、あっという間の一箇月半だった。戦果を挙げなければ、もっと勝たなければと焦るうちに、時は飛ぶように過ぎていた。
 けれど、盛之輔や健次郎の顔付きは、たった一箇月半で様変わりしている。痩せて頬がこけただけじゃない。両目は乾いて、強く光っている。子どもじみた甘さが削ぎ落されて、前髪姿がおかしいくらいだ。
「盛之輔、健次郎、会津公はオレたちに何と? 言《こと》伝《づて》があるんじゃないのか?」
 オレが問うたときだった。オレの手の中で、ぱちりと音がした。途端、左手の甲の環が熱を持つ。この世のものならぬ力が動いたらしい。
 白旗に包まれていた守り袋が力を発する。赤い縮緬《ちりめん》の裏を返すと、複雑な紋様の刺繍が、ちりちりと燃えていた。
 同じ光景を知っている。誠の一文字の袖《そで》章《しょう》に縫い取られた縮地の術式だ。土方さんが戦場からオレのもとに飛んできたとき、その直前に、術式を形作る糸が熱もなく燃えた。
 誰かが来る。
「斎藤、何《な》如《じょ》したがよ?」
 訝《いぶか》しげな佐川さんに答えようにも、オレにもわからない。誰が来る? 何が起こる? 身構える隙はなかった。
 唐突に、そこに立っていた。
「どうやら成功したようだ。佐川官兵衛、斎藤一、久しいな。大きな怪我もないようで、何よりじゃ」
 容保公が微笑みを浮かべて立っていた。
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